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鐘淵から押上へ

2010年11月06日 | 散歩
 先週土曜に予定していた散策が台風の影響で今日に変更になった。
変更してラッキーなことに、今日は日本晴れの一日。

<コース>
鐘ヶ淵駅-隅田川神社-玉の井遊郭跡-いろは通り商店街-東向島駅-向島百花園-白鬚神社
-鳩の街-三囲神社-隅田公園-牛嶋神社-東武橋-(東京スカイツリー)-京成橋-押上駅



東武浅草線・鐘ヶ淵駅 スタート


鐘ヶ淵駅から眺めた東京スカイツリー
まだ遠くにかすんで見えるようだ。


都営白鬚東アパート群
ここは、地盤が軟弱で木造家屋と工場が密集混在している江東デルタ地帯の最北端にあり、大震災災害から住民を守るために、防災6拠点の一つとして、東京都が建設し、昭和57年頃に完成した。その高さは40 メートル、長さは延々1.2キロにも及ぶ。


木母寺(もくぼじ)
芸道上達の寺としても知られる千年の歴史を誇る。


「天下之糸平」碑(左)
高さ5m・幅3m程の巨大な石碑、真ん中に「天下之糸平」とある。右に「明治二十四年六月建」左に「伯爵伊藤博文書」とある。
「田中平八」といい幕末~明治の実業家、「糸屋平八商店」を開業し、生糸・為替・洋銀・米相場等で巨利を得、糸平の子孫では現在「田中貴金属」として金相場を牛耳っている。
梅若塚(右)
謡曲「隅田川」等で有名な梅若伝説で知られた寺社です。平安中期、人買いにさらわれ、隅田川のほとりにて12歳で世を去った吉田少将惟房の子・梅若丸を供養するために築いたといわれている。
「たづね来て問はばこたへよ都鳥すみだ河原の露ときえぬと」の辞世で名高い梅若塚は中世からは能「隅田川」の文学的旧跡、また江戸時代には梅若山王権現の霊地として尊信された。


隅田川神社
昔から隅田川の総鎮守として信仰されてきた。水神社、浮島神社とも呼ばれ、人々にも「水神の森」の名で親しまれてきた。
浮島の名は、隅田川の増水にあっても沈むことがなかったことに由来していると言われている。


本殿、拝殿とも幕末の建築。


カメの石像、絵馬


隅田川神社参道入り口は都営白鬚東アパートを通り抜ける。
震災時はこのアパートの防火壁が下りるように設計されているようだ。


玉の井に向かう途中からの東京スカイツリー(墨田1丁目付近)


玉の井遊郭跡、墨田3丁目付近
玉の井遊郭跡
「玉の井」は、現在の墨田3丁目、東向島5丁目にあたるところに存在した私娼街である。
浅草界隈の繁華街を遊んだ作家の永井荷風の私小説「墨東綺譚」、幼少期をそこで過ごした漫画家の滝田ゆう「寺島町奇譚」、などの作品世界の舞台として知られる地だ。
まだ遊郭が合法であった頃。玉の井およびそこから程近い赤線の鳩の街には、春をひさぐ女たちがいた。
そして、玉の井は政府非公認の私娼街であった。


路地の所々に飲み屋の看板がみえる(左)玉の井町会の名前が(右)


墨田3丁目付近(左)、玉の井いろは通り、東向島5丁目付近(右)
いろは通り商店街
隅田川の東岸、東武伊勢崎線 東向島駅から北へ300mほど。「いろは通り」という商店街をはさんで南側が現在の地名でいう東向島5丁目、北側が墨田3丁目。そのあたりが、かつての玉の井だ。


東向島駅を通過、かっては玉の井駅だった。
この付近でそばやを探したが見つからず、やむなく散歩を続行。


向島百花園
文化元年(1804)、骨董商を営んでいた佐原鞠塢が開いた庶民的花園。当時の文人墨客の応援を得て、四季百花の乱れ咲く園になった。国の名勝・史跡に指定され、園内では、春の七草(1月)、虫ききの会(8月)、月見の会(9月)等が催されている。ここに集まる文化人達の発案で隅田川七福神めぐりが始まり、向島百花園には福禄寿が祀られている。






山上憶良の万葉歌碑


ザクロ(左)サフラン(右)






白鬚神社
白鬚神社は隅田川の堤の脇にあり、向島では最も古い由緒ある神社の一つで、隅田川七福神の一つ「寿老神」として信仰を集めている。
社伝によると、天暦5年(951)に、慈恵(じけい)大師が関東に下った際、近江国志賀郡打下(うちおろし)(現滋賀県高島町)の白鬚大明神の分霊を、ここに祭ったという。祭神は猿田彦命(さるたひこのみこと)で、国土の神・道案内の守神である。
御祭神が道案内の神ということから、後世、お客様を案内する神という信仰が生まれ、千客万来・商売繁盛などの祈願がなされたが、社前の狛犬や石燈龍などが、当時の花街、吉原の料亭から奉納されていることでも、その信仰が窺われる。


鳩の街
隅田川にかかる桜橋の東岸よりやや北東。鳩の街通り商店街およびその周辺の路地を入ったあたり、そこがかつて鳩の街であったところ。
「鳩の街」は、まだ遊郭が合法であったころ、昭和33年に売春防止法が施行されるまで、色街だった地帯である。政府の許可を得て営業していたので、いわゆる赤線だ。
当時の地名は寺島町。現在の墨田区東向島1丁目にあたるところに、その名残りを色濃く残す「鳩の街通り商店街」がある。
鳩の街は玉の井から派生している。空襲で焼け出された玉の井の店が移転してきて鳩の街の赤線となった、というのがだいたいの見方である。

鳩の街通り商店街を抜けて国道6号線にでる。
そばやを探していたら、鳩の街通り商店街の隣の路地に見つかった。12時43分。
待ちに待った昼食タイム。


そばや久月(向島5丁目)、鳥南せいろ(右)
大瓶ビールで乾杯、そばはおなかが空いているせいか美味しい。


隅田川堤高速道路下の壁にタイル絵があった。
筑波山を望む隅田川風景(左)明治の花見(右)


三囲神社
昔この神社を建てる時、土の中から壷が出てきたので中を開けてみると、老翁の神像が入っていた。 その時狐が現れて、像の周りを三度回ったので、三囲神社となっといわれている。隅田七福神 恵比寿神としても有名。
三越のライオン像があった、三越がこの神社の大檀那だ(右)


隅田公園内の釣堀と東京スカイツリー


牛嶋神社
本所牛嶋の総鎮守杜で、以前は隅田公園の北寄りにあった。


玉垣内には、狛犬と共に、撫で牛があり、心身快癒の祈願物として信仰を集めている。


牛嶋神社境内から望む東京スカイツリー

牛嶋神社から歩くと程なく業平橋。
その先に「東武橋」がある。
この「東武橋」と「京成橋」が東京スカイツリーを間近に見るビューポイントだ。


東京スカイツリー 「東武橋」から(左)と「京成橋」から(右)
着工当初は高さを610.6mとする計画であったが2009年10月16日に高さが634.0mとなるように計画を変更したため、完成すれば自立式電波塔としては世界一の高さとなる。2008年7月14日に着工し、2011年冬に竣工。2012年春に開業予定。
現在高さが488メートルに達している。


クレーンで上から工事資材を下ろしているところ


北十間川沿いの賑わい


「京成橋」の賑わい

押上駅からの帰路は松戸に戻り、”さくら水産”に反省会を行った。
次回予定「成田山」。

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