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私の趣味3点+その他の紹介です。
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大井町から立会川へ

2010年05月29日 | 散歩
 曇り模様、10時過ぎに大井町に着き、散歩スタート。
コースは「大井町から立会川」
立会川周辺には今人気の坂本龍馬の足跡が随所に残っている。


JR大井町駅スタート


三つ又地蔵
池上通りと三つ又商店街が交差する場所にある。
諸国行脚の高僧がこの辺りの地中から続経が聞こえるのを不思議に思い掘ってみると地蔵菩薩像が出てきたので、この場所に丁寧に祀った。後に病気、災害の「身代り地蔵」として今でも庶民の信仰を集めている。
思っていたより小さく、まわりを八百屋の店先に囲まれていた。


気持ちのよい緑道を歩く


来福寺(真言宗)
創建は平安時代中期と古く、本尊は経塚から掘り出された延命地蔵。
江戸時代は桜の名所だったそうだが、今は桜の木はない。


来福寺のみごとな松と山門
山門は戦災を免れた百数十年を経た古い建造物。


手前にある庚申塔(貞享2年(1685年)の銘がある古いもの)
奥が宝篋印塔(享保19年(1734))
「宝篋印塔(ほうきょういんとう)」とは梵字の経文を翻訳しないまま唱える呪文(陀羅尼)を書いて納めた石積みの塔で、のち、供養塔などとして建てられるようになった由。


来福寺から下ったところにあった大木を抱えた珍しい民家


勝島運河に出る
土手は「しながわ花街道」と名づけられ整備さてつつある。
そばの白い花とラベンダーの紫の花


旧東海道に戻ると、老舗の蕎麦屋「吉田屋」があった


京急立会川駅前に到着


駅前通りに立つ「坂本竜馬像」
品川の友好使節団が高知市を訪問した際、浜川砲台の石垣の一部を贈呈にそのお返しに、
2004年に高知市より寄贈されたもの。


そばでよく見るとなかなか凛々しい顔である


駅近くにある仲町稲荷神社(左)と手水鉢(右)
手水鉢の側面に龍馬在住時と重なる「安政四年」の文字が記されており、
ここの水を龍馬が使ったと、歴史ロマンが広がっているようだ。


駅前通りにあるそばや「大村庵」で昼食
名物「砲台そば」の大もりを注文したら、別にもりそばと天ぷらが付いてきた。
砲台そばの名は海老天がしっぽを上げて立つ姿が砲台のようだからか。
例によって生ビールで乾杯し、そばを食す。量が多く満腹気味。


涙橋(浜川橋)
なみだ橋は旧東海道の立会川に架けられている浜川橋の俗称。
鈴が森の刑場で処刑される罪人が護送されるとき、その親族たちが密かにここまで見送ってきて、この橋を最後に涙で別れたといわれている。


浜川砲台跡
幕末、ペリーが来航した際に土佐藩は砲台を築いた。十九歳だった坂本龍馬もここを守備していた。住宅造成のとき砲台の礎石が発掘されてこの地に鎮座している。
うしろに見える倉庫会社の建物に黒船とペリーの絵が描かれている。


砲台跡から眺めた勝島運河


天祖諏訪神社
かつては天祖神社と諏訪神社と立会川をはさんで並び祀られていたが、昭和四十年に合祀された。猟師町の気風が今に残っている。


天祖諏訪神社の絵馬と末社の厳島神社
絵馬には立会川を挟んで立つかつての様子が描かれている。


神社の池に色とりどりの鯉が泳いでいた


旧東海道から、しながわ区民公園に寄る



公園の霧のような噴水


鈴が森刑場跡
慶安4年(1651)に江戸の刑場として開かれ、槍の名人・丸橋忠弥、平井権八、八百屋お七等が処刑されたところ。


磔台(左)と火炙り台(右)


首洗い井戸


旧東海道を大森海岸へ。この先の区民公園内に「しながわ水族館」がある


終着点:大森海岸駅

このあと松戸に戻り、「庄屋」で2次会を開催。

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