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松戸 万満寺と馬橋・中根・新作地区

2010年02月24日 | 散歩
 春一番が吹き、暖かく春めいてきた。
馬橋駅近くを通る旧水戸街道沿いの万満寺と馬橋地区、隣接する中根・新作地区を自転車で回る。


旧水戸街道道標(かっての印西道との分岐点に立つ道標)
国道6号(水戸街道)の八ヶ崎交差点に立っている。中央奥が旧水戸街道の馬橋へつづく江戸見坂。


文化3年(西暦1806年)に造立された庚申塔という比較的大型の道標で、南側面には「右 印西道」と、西側面には「左 水戸街道」と、北側面には「總州葛飾郡馬橋村」と、それぞれ刻まれている。また印西道を進むと江戸幕府軍馬放牧場を管理していた金ヶ作野馬方陣屋へと通じていた。

八ヶ崎交差点から旧水戸街道に入る。


江戸見坂(坂下から)国道6号の八ケ崎交差点から南西に下る。
水戸街道を江戸に向う旅人が、ここではじめて江戸の空を遠望することができたといわれる。


馬橋の名前のもとになった「馬橋」
馬橋は正規の宿場ではない間の宿であった。


馬橋駅東口


馬橋東口駅前通り


駅前通りと旧水戸街道の角にある看板が当時は立派だった商店「信濃屋」。元は呉服屋だったらしい。

旧水戸街道沿いすぐ近くに万満寺がある。

<万満寺>
 鎌倉時代の初期、建長8年(1256)下総国の守護職であった千葉介頼胤(よりたね)が、
後に鎌倉・極楽寺の開山となった忍性良観(にんしょうりょうかん)上人を招き、鎌倉歴代将軍と千葉家一門の菩薩を弔う為、馬橋に建立した真言律宗の「大日寺」を創建した。室町時代 千葉満胤が臨済宗の寺院として再興し、鎌倉公方足利氏満の満の一字を貰って万満寺と改名された。


万満寺山門


山門から見た仁王門


仁王門
仁王門に安置されている仁王像<金剛力士立像>は鎌倉時代に造像されたと考えられ、関東地域でも最古の仁王像であり重要文化財に指定されている。
春と秋の例祭には、病・厄除けを祈願して<仁王さまの股くぐり>が行われ、多くの参拝者が股くぐりをされる、全国的にも珍しい行事に数えられている。


仁王門から仏殿を見る


本堂と付属幼稚園(右)


水掛不動尊
中気除け不動明王を写し自然石に彫られた仏様。水をかけて願をかける。


水掛堂の軒下彫刻 釈迦の生涯が浮き彫りされている。


焼香堂と本堂


焼香堂の軒下彫刻 鳥が浮き彫りされている

<王子神社>

王子神社(松戸市馬橋)
千葉氏一門の菩提寺「万満寺」に隣接している万満寺の守護神である。


陶製の狛犬が可愛らしい


本堂の軒下彫刻


神社から望む万満寺


道祖神(寛文元年銘(1661))
石祠型としては県内最古の道祖神である。

国道6号(水戸街道)を渡り中根地区に入ると、ほどなく妙見神社が見つかる。

<妙見神社>

妙見神社(松戸市中根)
中根妙見社。神紋は月星。住宅地のはずれに位置している見過ごしてしまいそうな小さな神社。
江戸時代の松戸宿絵図に中根村の妙見神社として描かれている。
 中世、この地にあった千葉氏の屋敷(中根城)の鎮守と思われるが、いわれは不明。「中根」の「根」は「城」の意味があり、北の三日月館(蘇羽鷹神社の南あたり)と南の上本郷館(明治神社=妙見社)の中間に位置する城があったのだろう。江戸時代中期の庚申塔が残る。

中根地区のとなりの新作地区の守護神、安房須神社に寄る。

<安房須神社>

安房須神社(松戸市新作)
狭い参道の奥に本堂がみえる。
由緒書きによると、戦国時代ここに高城氏の城があったが、秀吉の小田原攻めで落ち武士は帰農し、農家集団となった。住民は郷土の平安と繁栄を希求し「少彦名命」を勧請し、慶長年間に「安房須神社」を創建した。
ここは中世の城跡(小金城の出城)だったようだ。
鳥居の手前に椿と紅梅が花を咲かせていた。


紅梅


椿


本堂 左右の狛犬は珍しい親子の狛犬である。


参道の脇に青面金剛像の「庚申塚」がたくさん並んでいる。


力石四個・幡礎石二個
昔は村の若い衆がこの力石を差し上げて力くらべをしたそうだ。


竹林
神社裏の新作地区にみごとな竹林が続いていた。なにか別世界に踏み込んだようだった。

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