松戸市幸谷にある「関さんの森」と、幸谷と隣接する二ツ木地区にある寺社「幸谷観音」「光明寺」「蘇羽鷹神社」を訪ねた。
<関さんの森>
松戸市幸谷にある
西側の高台(天神山付近)からの“関さんの森”
関さんの森
松戸市幸谷の関さん姉妹が、大切にしていた屋敷林を残すことを考え『こどもの森』として親しまれていた森 1.1ヘクタール を, (財)埼玉県生態系保護協会に寄付したのである。残念ながら千葉県や松戸市には、森のまま残す条件で寄付を受けてくれる“特定公益増進法人”がなかったので埼玉県の団体になったようだ。
ところが都市計画道路3・3・7号線計画が関さんの敷地を縦断するため、自然破壊することで反対運動が持ち上がり、ニュースなどで取り上げられるようになった。
2009年2月5日に、松戸市は「強制収用手続を中断」し、関家が提案した迂回案を軸に道路案づくりをすすめ、最終的に合意した時点で「手続をとりやめる」ということで、双方の合意が成立したのである。
土地収用は凍結されルートは迂回されることとなり、大事な長屋門や蔵等は現状のまま遺されることになり、関さんの森と文化財は、最大の危機を克服することができた。
昔、関さんの森はトウカン山と呼ばれていた。この森には稲荷の祠があり稲荷を音で読むとトウカ、それがトウカンとなったと説明文に書かれている。説明文の西側、崖の上に石の祠がある。
遊歩道があるが、森のごく一部に過ぎない。
関さんの森の特徴は生態系を含めて自然をそのまま残すことを目標にしているようだ。
ただ現在はゴミなども見え多少荒れた状態のところもある。
公園のイメージで来てみると、ちょっとがっかりするかも知れない。
山のガケの修復が施されている。
道路問題が片付いたので、今後は自然の整備と公開のしかたを進めていくのだろうと思う。
今後に期待したいものだ。
<幸谷観音>
関さんの森から武蔵野線を越えたところにある
幸谷観音境内 正面が観音堂
慈眼山福昌寺の観音堂「幸谷観音」。中金杉の廣徳寺(こうとくじ)の末寺で曹洞宗
(廣徳寺は小金城主高城氏の菩提寺)
現在は敷地の真ん中を武蔵野線が通っており、本殿・観音堂とも30年前に立て替えられたものだ。本尊は十一面観音。
野馬捕りの献額の案内板
近世、東葛地方一帯は「小金牧」と呼ばれる野馬の放牧場だった。牧では、年1回野馬捕りを実施していた。庶民にも参観が許され当日は蕎麦屋、飴屋、団子屋、甘酒屋等が店をまして賑わったようである。明治15年に描かれたこの額には、その風俗が描写されている。
野馬捕りの献額(市指定)
観音堂はカギが閉まっていて入れず、窓越に少し見える程度だったので、写真は市のサイトから借用した。
白馬の像
市指定のモッコク
対峙する地蔵菩薩石像、武蔵野線の向こうが幸谷観音
<光明寺>
光明寺
光明寺は真言宗豊山派の寺院で、江戸時代の創立だが、市指定の阿弥陀如来立像が置かれている。本堂は味気ない現代建築になっていた。
阿弥陀如来立像の指標 阿弥陀如来立像
背面に刻まれた銘によって応永23年(1416)、室町時代の作であることがわかっている。
こちらの立像も見ることができず、写真は市のサイトから借用。
市指定のイチョウ
<蘇羽鷹神社>
光明寺から国道6号線に出て、しばらく南に歩くと蘇羽鷹神社(そばたかじんじゃ)がある
蘇羽鷹神社 国道6号線のわきにある
蘇羽鷹神社は中世の千葉氏の守護神で、正四年(一五七六年)の創立。
祭神は「国常立命」。
そばたか神社は、古代の木と矢(鷲、鷹)の信仰(高木神)に根ざした神を祀る神社のようで、「そばたか」の「そば」は、何かの「そば」の意味と言うより、高くそそり立つもの(大樹)の意味と言われている。
本殿
残念ながら旧社は昭和51年4月30日火災で全焼し現在のは55年に復興したもの。
本殿正面に見える蘇羽鷹の額
庚申堂、本殿、石鳥居
庚申堂 昔ながらのお供え物が置かれている
堂内にある庚申塔(歯痛止めの猿田彦命)はなかなか見ごたえがある。
姫宮様
石鳥居脇にある末社姫宮神社で、1590年、大谷城が落城のとき、ここまで落ちのびて亡くなった高城氏の小松姫の木祠。
美しい姫君を忍ぶすべも今はない。
<関さんの森>
松戸市幸谷にある
西側の高台(天神山付近)からの“関さんの森”
関さんの森
松戸市幸谷の関さん姉妹が、大切にしていた屋敷林を残すことを考え『こどもの森』として親しまれていた森 1.1ヘクタール を, (財)埼玉県生態系保護協会に寄付したのである。残念ながら千葉県や松戸市には、森のまま残す条件で寄付を受けてくれる“特定公益増進法人”がなかったので埼玉県の団体になったようだ。
ところが都市計画道路3・3・7号線計画が関さんの敷地を縦断するため、自然破壊することで反対運動が持ち上がり、ニュースなどで取り上げられるようになった。
2009年2月5日に、松戸市は「強制収用手続を中断」し、関家が提案した迂回案を軸に道路案づくりをすすめ、最終的に合意した時点で「手続をとりやめる」ということで、双方の合意が成立したのである。
土地収用は凍結されルートは迂回されることとなり、大事な長屋門や蔵等は現状のまま遺されることになり、関さんの森と文化財は、最大の危機を克服することができた。
昔、関さんの森はトウカン山と呼ばれていた。この森には稲荷の祠があり稲荷を音で読むとトウカ、それがトウカンとなったと説明文に書かれている。説明文の西側、崖の上に石の祠がある。
遊歩道があるが、森のごく一部に過ぎない。
関さんの森の特徴は生態系を含めて自然をそのまま残すことを目標にしているようだ。
ただ現在はゴミなども見え多少荒れた状態のところもある。
公園のイメージで来てみると、ちょっとがっかりするかも知れない。
山のガケの修復が施されている。
道路問題が片付いたので、今後は自然の整備と公開のしかたを進めていくのだろうと思う。
今後に期待したいものだ。
<幸谷観音>
関さんの森から武蔵野線を越えたところにある
幸谷観音境内 正面が観音堂
慈眼山福昌寺の観音堂「幸谷観音」。中金杉の廣徳寺(こうとくじ)の末寺で曹洞宗
(廣徳寺は小金城主高城氏の菩提寺)
現在は敷地の真ん中を武蔵野線が通っており、本殿・観音堂とも30年前に立て替えられたものだ。本尊は十一面観音。
野馬捕りの献額の案内板
近世、東葛地方一帯は「小金牧」と呼ばれる野馬の放牧場だった。牧では、年1回野馬捕りを実施していた。庶民にも参観が許され当日は蕎麦屋、飴屋、団子屋、甘酒屋等が店をまして賑わったようである。明治15年に描かれたこの額には、その風俗が描写されている。
野馬捕りの献額(市指定)
観音堂はカギが閉まっていて入れず、窓越に少し見える程度だったので、写真は市のサイトから借用した。
白馬の像
市指定のモッコク
対峙する地蔵菩薩石像、武蔵野線の向こうが幸谷観音
<光明寺>
光明寺
光明寺は真言宗豊山派の寺院で、江戸時代の創立だが、市指定の阿弥陀如来立像が置かれている。本堂は味気ない現代建築になっていた。
阿弥陀如来立像の指標 阿弥陀如来立像
背面に刻まれた銘によって応永23年(1416)、室町時代の作であることがわかっている。
こちらの立像も見ることができず、写真は市のサイトから借用。
市指定のイチョウ
<蘇羽鷹神社>
光明寺から国道6号線に出て、しばらく南に歩くと蘇羽鷹神社(そばたかじんじゃ)がある
蘇羽鷹神社 国道6号線のわきにある
蘇羽鷹神社は中世の千葉氏の守護神で、正四年(一五七六年)の創立。
祭神は「国常立命」。
そばたか神社は、古代の木と矢(鷲、鷹)の信仰(高木神)に根ざした神を祀る神社のようで、「そばたか」の「そば」は、何かの「そば」の意味と言うより、高くそそり立つもの(大樹)の意味と言われている。
本殿
残念ながら旧社は昭和51年4月30日火災で全焼し現在のは55年に復興したもの。
本殿正面に見える蘇羽鷹の額
庚申堂、本殿、石鳥居
庚申堂 昔ながらのお供え物が置かれている
堂内にある庚申塔(歯痛止めの猿田彦命)はなかなか見ごたえがある。
姫宮様
石鳥居脇にある末社姫宮神社で、1590年、大谷城が落城のとき、ここまで落ちのびて亡くなった高城氏の小松姫の木祠。
美しい姫君を忍ぶすべも今はない。