王様の耳はロバの耳

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沖縄慰霊の日

2015-06-24 02:08:26 | 沖縄基地問題

毎日新聞より


沖縄は23日、沖縄の全戦没者を追悼する「慰霊の日」を迎えた。
「沖縄全戦没者追悼式」には翁長雄志沖縄県知事のほか、安倍晋三首相やケネディ駐日米国大使、岸田文雄外相、中谷元防衛相も出席した。

翁長知事が読み上げる「平和宣言」では、具体的に辺野古の名を挙げ、「辺野古に新基地を建設することは困難である」と明言した。
平和宣言で、知事が移設作業の中止を正面から政府に求めるのは極めて異例のことだ。それだけに県民の声を代表する強い意志とそれなりの覚悟といったものを感じさせる。



一方、安倍首相が挨拶で壇上に上がった際には参列した市民から「帰れ帰れ!」「何しに来たんだ!」の野次が飛んだ。
それでも安倍は「沖縄の人々には、米軍基地の集中など長きにわたり、安全保障上の大きな負担を担っていただいている」であるとか、「沖縄の基地負担軽減に全力を尽くす」などと心にも無い建前を、悪びれもせずに平然と述べるに留めた。

翁長知事と県民、安倍総理と政府関係者たち。その明暗は見事なまでに際立ち、ニュース映像からでさえその緊迫感が伝わってくるが、野次以外には特に混乱は無かったようだ。しかしこんなとき、つくづく日本人はなんて大人しく礼儀正しいものなのかと改めて思う。
それ故「沖縄全戦没者追悼式」はまさに式典のための式典という色合いに染まり、それでいいのかと、実に釈然としないものを感じるのだったが、果たしてそう思うのは私だけではないはずだ。

それにしてもあっちで「反対!」を浴び、こっちで野次を浴び、さて安倍は何を思ったのだろうか。いや、何も感じないのかもしれない。だとすれば、さすが「厚顔無恥」たる所以である。恐れ入った。

「沖縄慰霊の日 翁長雄志知事が平和宣言 辺野古中止求める」(沖縄タイムス 6月23日)
「<沖縄慰霊の日>戦後70年、不戦の誓い」(毎日新聞 6月23日)
「安倍首相、「慰霊の日」式典でやじ浴びる 沖縄戦70年」(AFP 6月23日)

沖縄・慰霊の日 翁長知事、平和宣言で辺野古移設撤回求める(FNNニュース 6月23日)



沖縄知事の平和宣言(全文)

 70年目の6月23日を迎えました。

 私たちの郷土沖縄では、かつて、史上稀(まれ)に見る熾烈(しれつ)な地上戦が行われました。20万人余りの尊い命が犠牲となり、家族や友人など愛する人々を失った悲しみを、私たちは永遠に忘れることができません。

 それは、私たち沖縄県民が、その目や耳、肌に戦(いくさ)のもたらす悲惨さを鮮明に記憶しているからであり、戦争の犠牲になられた方々の安らかであることを心から願い、恒久平和を切望しているからです。

 戦後、私たちは、この思いを忘れることなく、復興と発展の道を力強く歩んでまいりました。

 しかしながら、国土面積の0・6%にすぎない本県に、日米安全保障体制を担う米軍専用施設の73・8%が集中し、依然として過重な基地負担が県民生活や本県の振興開発に様々な影響を与え続けています。米軍再編に基づく普天間飛行場の辺野古への移設をはじめ、嘉手納飛行場より南の米軍基地の整理縮小がなされても、専用施設面積の全国に占める割合はわずか0・7%しか縮小されず、返還時期も含め、基地負担の軽減とはほど遠いものであります。

 沖縄の米軍基地問題は、我が国の安全保障の問題であり、国民全体で負担すべき重要な課題であります。

 特に、普天間飛行場の辺野古移設については、昨年の選挙で反対の民意が示されており、辺野古に新基地を建設することは困難であります。

 そもそも、私たち県民の思いとは全く別に、強制接収された世界一危険といわれる普天間飛行場の固定化は許されず、「その危険性除去のため辺野古に移設する」、「嫌なら沖縄が代替案を出しなさい」との考えは、到底県民には許容できるものではありません。

 国民の自由、平等、人権、民主主義が等しく保障されずして、平和の礎を築くことはできないのであります。

 政府においては、固定観念に縛られず、普天間基地を辺野古へ移設する作業の中止を決断され、沖縄の基地負担を軽減する政策を再度見直されることを強く求めます。

 一方、私たちを取り巻く世界情勢は、地域紛争やテロ、差別や貧困がもととなり、多くの人が命を落としたり、人間としての尊厳が蹂躙(じゅうりん)されるなど悲劇が今なお繰り返されています。

 このような現実にしっかりと向き合い、平和を脅かす様々な問題を解決するには、一人一人が積極的に平和を求める強い意志を持つことが重要であります。

 戦後70年を迎え、アジアの国々をつなぐ架け橋として活躍した先人たちの「万国津梁(ばんこくしんりょう)」の精神を胸に刻み、これからも私たちは、アジア・太平洋地域の発展と、平和の実現に向けて努力してまいります。

 未来を担う子や孫のために、誇りある豊かさを創りあげ、時を超えて、いつまでも子どもたちの笑顔が絶えない豊かな沖縄を目指します。

 慰霊の日に当たり、戦没者の御霊(みたま)に心から哀悼の誠を捧(ささ)げるとともに、沖縄が恒久平和の発信地として輝かしい未来の構築に向けて、全力で取り組んでいく決意をここに宣言します。


 平成27年6月23日

 沖縄県知事 翁長(おなが)雄志


米軍捕虜になった人々の収容地跡地を沖縄の高校生が訪ねました。(FNNニュース 6月23日)


カラー映像で見る、沖縄戦

●ショッキングな映像があるのでご注意ください。

「沖縄戦」でググるとYouTube等で沖縄戦に関する様々な動画を見ることができる。この機会にご覧いただくのも良いと思う。
万一、戦争法案が可決になったそのとき、同じことは繰り返されないと誰が言えるだろう。



沖縄戦
沖縄戦(沖縄の戦い)は、太平洋戦争(大東亜戦争)末期の1945年(昭和20年)、沖縄諸島に上陸したアメリカ軍を主体とする連合国軍と日本軍との間で行われた戦いである。
沖縄での両軍及び民間人を合わせた地上戦中の戦没者は20万人とされる。その内訳は、沖縄県生活福祉部援護課の1976年3月発表によると、日本側の死者・行方不明者は188,136人で、沖縄県外出身の正規兵が65,908人、沖縄出身者が122,228人、そのうち94,000人が民間人である。日本側の負傷者数は不明。アメリカ軍側の死者・行方不明者は14,006人、イギリス軍の死者が82人で、アメリカ軍の負傷者72,012人であった。(Wikipediaより)




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