廃校を巡る

風雪に耐えた美しい木造校舎。小さな空き地にポツンと二宮尊徳。
錆びたブランコに、朽ちかけた百葉箱。廃校ノスタルジア…。

旧都賀町 大柿小学校

2016年08月04日 10時28分33秒 | 栃木の廃校
旧都賀町にあった大柿小学校。
1980年に富張小学校、木村小学校との3校統合により赤津小学校になっていますが、
1983年まで赤津小学校大柿分校として残っていました。

現在は大柿山村体験学習館の看板が掲げられています。
三棟ある建物の一部は当時の校舎を使っているようですが、
かなり改変されているようです。
遊具類はなく国旗掲揚のポールの基礎部分らしきものと沿革を刻した記念碑のみが現存。


記念碑には詳しい沿革が刻されていましたが、
特筆されることは奉安殿の竣工まで刻されていたことでしょうか。
今後、歴史に埋もれた奉安殿の解体の歴史も探っていきたいと思ってます。


記念碑より大柿小学校沿革 抜粋
明治6年 明論学舎として創設
明治10年 下都賀 寒川郡 第14学区明論学校と称す
明治18年 学制改革により大柿小学校となる
明治24年 赤津第二尋常小学校となる
大正14年 御真影奉安殿竣工
昭和10年 赤津村立赤津第二国民学校と改称
昭和22年 赤津村立赤津第二小学校と改称
昭和30年 町村合併により都賀村立大柿小学校となる
昭和38年 町制施行により都賀町立大柿小学校となる
昭和55年 西部三校の統合により赤津小学校大柿分校となる
昭和58年 本校へ統合

記念碑には詳しい沿革が刻されていました。
学童を見守ったサクラの古木が現存。







真ん中の建物は学校時代のものか。





大柿山村体験学習館の看板を掲げています。
まわりは山村そのものですので都市部の子供の体験学習に使われているのかな。
地元の子供は毎日が山村体験だと思われます。



学校時代の遺構は少なく国旗掲揚ポールの基礎部分ぐらいしか残っていません。





隣りにある龍興寺の参道も昔は通学路だったようです