~空からの贈りもの~

「森のこもれび」の山崎直のブログです。

父から息子へ

2012-04-30 23:08:47 | 日記
今日で上野の「書展」も終わりました。

24日に搬入の時より、緑が濃くなっていると仲間の人に言われ

あー刻々と時は刻まれているんだなと思いました。

昨日は6時から9時まで研究会があり、一人ひとりの作品が

映し出され、先生方に批評をして頂きました。

こんなドキドキは何十年振りだったでしょうか…

未熟な作品なのに、先生のお言葉にこれからも書いて行きたい

という希望を頂いた気がしました。

「書」との出会いも創が与えてくれたものです

初女先生との出会いも…

大切なものは、何だかみんなあの子が与えてくれています。

不思議です。

肉体の死が、すべての終わりであったなら、この出会いも

あるはずがありません。

鎌田實先生の病院の看護学校で、講演をされている、両手が

使えない障害者の風ちゃんは「体は不自由だけれど心は自由」

と、言われています。

きっと肉体のない魂とは、もっともっと自由なはず…

心を自由にしていれば、自由な魂と交われるのかなー

上野の新緑が遠くへ行った気分にさせてくれました。

明日は講演会をやる宿に、下見と打ち合わせ

3日は、渋谷で小学生が大きな「書」を書くワークショップの

お手伝い…次の日は葉山芸術祭に障害者の方の作品を観に…

息子が、「お父さんがお母さんは本当に自分の好きなように

生きている。お前は、お母さんと同じ血液型の人と結婚するな」

と、言っていたと教えてくれました。

その後でボソっと「俺もお母さんみたいな人と結婚しちゃうん

だろうな」と息子が呟いていました。

私は心の中で「たぶん…」と言ってました。

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ゴールデンウィーク

2012-04-28 22:54:45 | 日記
今日から大型連休

円高で海外に出掛ける人が多いという新聞記事を読んでいたら、

朝から、立て続けにお二人の方の訃報のお知らせを受けました。

ついこの間、「私は元気よ」と明るく笑っていた方が…

もう一人の方は、病気であるとは伺っていましたが、3月に

劇団60周年の演出をしていたのに…

浮かれ気分になりそうな連休の朝に、突然の死を突き付けられた

気がしました。

やっぱり、今を精一杯生きることがどんなに尊いことかと

改めて思いました。


もうすぐ5月5日、子供の日にこいのぼりを出さなくなってから、

随分の時が流れています。

子供が大きくなると、子供の日の楽しみは、昔の思い出を解く

ことしかなくなってくるのでしょうか…

うーん、菖蒲風呂だけは妥協しないぞ!と心に決めました。

私は、明日・明後日と上野通いです。

主人に「君は自分の楽しみを見つけて、楽しんでいるから

良かった」と言われ、「そうか。それも良し!だなー」と思い

こいのぼりの淋しさが飛んでいきました。

上野の墨人展に来て下さった方は、書の魅力を感じて下さっている

ようで嬉しいです。

ローズマリーさんもブログに書いてくれています。

書の写真入りで…ここを見てね!

私の「石」の字をみて、初女先生のお漬物石を思って下さった

方がいて、嬉しくなりました。

去年の連休はイスキアでした。

そして、今年は上野

今を豊かに生きたい…

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イスキアの石

2012-04-27 23:16:21 | 日記
上野の墨人展という書展に、初めて参加しました。

作品を書く時、何という字にしようかと考えるのですが、私は

どうも「石」が好きらしいのです。(今まで気づきませんでしたが)

去年の東江寺での書展にも、「石」を書きました。

今年の「石」は、お日様の陽射しを浴びて温められたような

ぬくぬくと温かい「石」になりました。

そう言えば、初女先生も石が好きな方です。

イスキアへ行くと一番最初に目に入って来るのが、入口にある

25トンもある大きな石です。

なぜ、ここにこんな大きな石があるのか、なんで初女先生は石が

好きなんだろうと思うほどのインパクトのある石が、イスキアを

訪れた人を迎えてくれます。

この石は、イスキアから眺める岩木山の稜線と同じ形をして

いるそうです。

なぜ石かというと、「家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石と

なった」という聖句から(隅の親石は家の土台を支える要石のこと、

「捨てられた石」とはキリストのこと)

「どうぞ、隅の親石となってくれますように」と初女先生が祈りを

込めて置かれたそうです。

先生がイスキアの活動を始めてからしばらくの間は、同じ信仰を

持つ人達の間で受け入れられていないという、大きな苦しみの

中で、捨てられた石のような気持ちで、だから必ず「隅の親石」

となるよう生きたいと思われたそうです。

それが、岩木山の噴火から生まれたイスキアの石なのです。

イスキアの石は、あまりに大きいので先ず子供がよじ登りたく

なります。それを見ていて大人もまたよじ登りたくなるのです。

登った人はあったかいからと、なかなか降りてこない…

私の書いた「石」は、小さなぬくぬく石でした。

いつか、イスキアのぬくぬくとした「隅の親石」を書いて

みたいと思いました。

初女先生という「隅の親石」にどれくらいの人達が乗って

いることでしょう…

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幸せになろうよ

2012-04-26 20:02:57 | 日記
誰が歌っていた歌だか忘れましたが、「幸せになろうよー」という

歌詞が心に残っています。

人は、やっぱり幸せになるために生れて来るのだと思うから…

そして、幸せとはなんだろうと向き合うことで、人生を深くして

いくのだと思うのです。

私の幸せへの探求は、息子を亡くしたことで始まりました。

幸せだと思っていたことが、一夜にして全て崩れ去ったからです。

幸せとはこんなに脆いものだったのかという思いと、幸せとは

揺るぎないもので有るはずだ、という交錯する思いの中で

本当の幸せを求めて行きたいと思ったのです。

それまでは、幸せの条件に自分を照らし合わせていたのかも

しれないと、気づいたからです。

そして、初女先生との出会いによって、私の求めていた幸せに

出会えたと、思えました。

昨日、初女先生と出会った知人から来た手紙に「私もこれから

もっともっと先生のことを知りたいと思うようになりました。

そうすることによって、これまでの人生で身に着いた見栄も

虚栄も取り払いたい、本当の人生とは何かを探っていきたいと

思うようになりました」と、書いてありました。

アランは「幸福論」の中で、「幸福になることは義務である」と

言い、「幸福とは、報酬など求めなかった者たちのところに

突然やってくる報酬である」とも言っています。

幸せになる為に生れてきた私たち

本当に、幸せになろうよ!







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上野にて…

2012-04-24 21:41:02 | 日記
今日は、書展「墨人展」の搬入で、久々のラッシュにもまれながら

上野に行きました。

上野公園の新緑が私を迎えてくれた気がしました。

やっぱり上野はいいなーと思った時に、不意に東京大空襲でこの辺も

焼け野原になったのだろうなと、思ったら上野の緑がとても大切に

思えてきました。

公園には、遠足の幼稚園生や小学生。修学旅行の中学生。

カメラを構える外人さん。地方から来たおじちゃん・おばちゃん…

上野は何となく、いにしえの趣があり、日本人の心のふる里の

琴線に触れる場所かもしれません。

その上野公園の中にある、東京都美術館で明日からの書展の準備を

しました。

灯台もと暗しとはこのことでしょうか…

出品作品の素晴らしさに、え!私ってすごいところに入って

いるんだと初めて分かったのです。

亡くなった息子の名前をちゃんと書きたい!その思いで

始めた書が、上野へと繋がっていたのです。

人生とは不思議です。

どんなことからも、光に向かって道はひらけているので

しょうか…

悲しみや苦しみに心が向けられてしまうと、光に繋がる道が

見えなくなってしまうのに…

会場の一番奥に、飾られた私の作品は、何だかちょっと

照れくさそうに、壁にかかっていました。



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豊かな人生とは…

2012-04-23 20:05:40 | 日記
昨日のブログで、赤ちゃん達に生れて来てありがとう!と書いた時

豊かな人生とはなんだろうと、思いました。

お金でも物ではないし…

それは、やはり感謝…

感謝の多い人生が豊かな人生

昔の人は、朝起きた時からお天道様に感謝をしていました。

私たちは、当たり前と思うことがあまりに多くなってしまいました。

その分「有難い」と思う心が小さくなってきているように思います。

立ちどまり、自分を振り返ってみると、なんと感謝が足らない

のだろうと思います。

初女先生の「明るく 素直に感謝して」を胸に、少しでも

豊かな人生を送りたいと、思いました。

「いつも感謝の心で」と、初女先生が言われています。

初女先生、見渡せば「ありがとう」が溢れていますね。







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生れてきてくれて有難う

2012-04-22 23:30:06 | 日記
昨日、イスキアの集いの打ち合わせに向かう途中、嬉しいメールが

届きました。

森のこだまさんのお嬢さんに赤ちゃんが生まれたのです。

メールに、アースデーに生れたことも、なんだか感激です。と

ありました。

10日前の4月11日には、逗子と横浜の講演会のスタッフをして

くれたAちゃんに初めての赤ちゃんが誕生しました。

そして、その前にはスタッフのKさんのお嬢さんに女の子が…

新しい「いのち」の誕生とは、誰をも幸せにしてくれます。

特に、こんな困難な時代に生れてきてくれて…

「おめでとう!」より先に「有り難う!」と言う言葉が口から

こぼれます。

今、生れてきてくれる子供たちは、私たちみんなの子供という

気がします。

いつの時代にあっても、子供は希望の光です。

有難う、生れて来てくれて…

初女先生の「佐藤初女さんの心をかける子育て」が、随分売れて

いるという話を聞いて、

私が先生に「あの本読んだら、もう一度子育てしたくなっちゃた」と

言うと、初女先生が「私も」と、言われたんです。

その一言で、私は嬉しくなって心の中で「初女ちゃん、大好き!」

と、言っていました。

生れてきてくれた赤ちゃん達、きれいな空気はないけれど

初女先生の子育ての本があるからね

ママ達は、それを道しるべに貴方たちを育ててくれる

ことでしょう…

ありがとう!ドラゴンちゃん達!


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最近気になる樹木希林

2012-04-20 23:21:27 | 日記
網膜剥離、乳がんと大変な病気にみまわれた樹木希林さんの言葉が

最近、心に留まります。

 「歳をとるということは、どんどん辛くなってくるものを、

 避けないこと

 今度は耳にきて、目に来た…

 それをよけないこと…」

よけると、余計辛くなる。と希林さんは言っていました。

「避けない」とは希林さんらしい言い方だなと思いながら、

自分は、自分の老いを実感する時になったら、どんなふうに

受けとめるだろうと思いました。

 「今、母になる人に母性がなくなっていますね。自分も含めて

  だけれど。ジャガイモの茎が伸びて、その先に子イモが出来る。

  子イモが大きくなると、親イモはしぼむ。ところが、今の母親は

  自分も膨れ上がってる。いつまでも自分が花ひらきたいのよね」

希林さんのこの言葉に、私は親イモとして生きてきた母の姿が

重なりました。

希林さんは、自分の娘にはあまりかまってやれなかったという

悔いがあるそうですが、玄米・砂糖・みそ・醤油という食の基本

だけはきちんと教えたと言う自負をもっているそうです。

やっぱり、食をちゃんとしておけば、体も心も健全に育って

いくものなのでしょうね。

食は、真っ直ぐ「いのち」に繋がっているのですから…

そして、希林さんは「明日死ぬかも、という覚悟は常にあります。

だけど人間はあした地球が滅ぶと分かっていても、リンゴの木を

植えなきゃならないものなのよ。そんなふうに考えて生きて

いきましょうよ」と言われています。

希林さんの、老いて記憶を失ってゆく母を演じた「わが母の記」を

観て見たいと思いました。

辛い事をよけないで歳を重ねてきた希林さんの言葉が、今

静かに心に降りてきます。






















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書のチカラ その2

2012-04-19 23:16:41 | 日記
今日は、2回目の作業所での書のワークショップ!

今日のメンバーは、字の認識が難しい人達がほとんどで、昨日から

どうすればいいかと、あれこれ考えていましたが、頭で考えることは

たかが知れていて、自分の枠の中でしか考えられないので、

書のチカラを信じて、当たって砕けろ!の気持ちで行こうと

思いました。

最初、筆を持ってもらい本人の意思に任せてみると、半紙の上を

塗っていくので、真っ黒になり穴があいてしまいました。

それを見て、やっぱり字だ!と思い、

「一」なら書けるはずと、手を添え手首ではなく腕を遣って

書くように介助して、「横に行くよー」と言って書いたら

堂々とした「一」が書けたのです。

書いた本人も実に満足な顔をしているのです。

書かされたというのではなく、自分で書いたという感覚を

もってくれたようでした。

それから「二」「山」「土」「小」と次々書きました。

もっと、もっとという書きたい気持ちを抑えるのが大変な

くらいでした。

普段、緊張が激しくものすごく手に力が入り、つっぱって

しまう子が、筆を持った時に「力を抜いて」と言うと

すーっと力が抜けていくのです。

不思議なくらいでした。これは筆のチカラでしょうか…

みんな実に生き生きと、嬉しそうな顔をしているのです。

所長さんが、「うちの人達は障害が重いので、創作活動は

無理かと思っていた」と先週のワークショップの時に言って

いましたが、今日のみんなの嬉しそうな顔を見て、

人間って、創る喜びを持って生れてきているんだと、

思いました。

大きな筆で、大きな字を書いた時の誇らしげな顔は

自信に満ちていました。

書のチカラを又しても全身に感じた今日でした!

そして、誰もが今を生きてるって感じがしました。

いつか、「書のチカラ展」をしたいなー

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泊りは深いよね

2012-04-18 21:49:40 | 日記
去年、宿泊の講演会をすると言った時に、初女先生が言われた

お言葉が、「泊りは深いよねー」でした。

私は、その意味がよくわからずに、宿泊講演会をやりました。

初女先生と、例え一泊でも寝食を共にすることで、伝わることが

あるはず、と思ったのとイスキアの宿泊は人数が限られているから

イスキアではないけれど、宿泊出来たら言いなーと、思ったからです。

実際、やってみたら思っていた以上に、参加者同士が仲良くなり

それは、宿泊ならではのものとなりました。

昨日も、同じ部屋の人達が集まってお花見に行ってきました。と

いうメールを頂きました。

みんなでいると、不思議に落ち着くね。と話していたそうです。

あるお部屋の人達は、メンバーのお宅で再びの宿泊交流を

行ったそうです。

親子部屋だったママちゃん達は、子供を産んだ時からの仲間の

ように交流しているようです。

初女先生が「帰りたくなくなるものね」「泊りは深いよねー」と

言われた訳がやっと分かってきました。

何年も宿泊をやっている支笏湖は、リピーターが多いそうです。

「同じ人が多くなってしまう」と言うと、先生は「深くなって

いいじゃない」と言われたそうです。

そうか、核家族が当たり前になった今の時代、こんなふうに

繋がっていくことが求められているのかもしれない…

イスキアファミリーがあちこちに出来て

繋がっていけたら、なんて素敵なことだろう…

初女お母さん、11月にはまた新しい家族が増えそうですよ。

 「ともに食することは、ともに在ること」と、初女先生は

言われてますものね。

その上、一緒におむすびを結べば、心も結ばれるってこと

ですよね。初女先生!

先生、泊りは確かに深いです。

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