~空からの贈りもの~

「森のこもれび」の山崎直のブログです。

空からの贈りもの

2009-12-31 22:07:04 | 日記
夕方、気がつくと雪が舞っていました。
一瞬の空からの贈りもののように…
消えてしまった雪を追い求めるように、空を見上げるると
満月が…
これほど明るい清らかな光を、私は見たことがあっただろうか
そう思いお月さまを見ていると、お月さまも又真っ直ぐ私を
見てくれてるようでした。
なぜか、太陽でなく月を見ると宇宙を感じる私です。
星と私達の原子は同じだと言います。
星と同じ原子が私達の中にあると言うことは、私達もまた宇宙の
一部であると言うことなのでしょうか。
あんなに遠くにある月や星が、私達の心に寄り添ってくれるのは
その為かもしれません。
ハワイのボルケーノに行った時、地球創生を見たと思いました。
そして、そう思った時「あー 魂(いのち)の帰るべき処はあるのだ。
あの子にも、帰るべき処があったのだと…」
 見上げた夜空の明るいお月さまは、優しい光で「だいじょうぶ」と
私を包んでくれていました。
新しい年も光の中にあることを、教えてくれているかのように…
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神様からのプレゼント

2009-12-30 18:35:27 | 日記
聖書の言葉というのは、たとえ話が多くなかなか理解するのが
難しいところがあります。
「心の貧しい人は幸いである」という聖句の意味が、私にはよく
分かりませんでしたが、初女先生は「おむすびの祈り」の本の中で
「この、心の貧しいとは今を満足する心のことなんですよ。
どんな病気にあったとしても、体に障害があったとしても、
その現実を神様からのプレゼントとして、素直に受け入れることの
できる心を持っている人は幸いである」ということなんです。と
言っておられます。
これは、きっと先生の体験から出てきた言葉だと思います。
 私は子供を亡くした時、「あなたは選ばれた人なんです。」と
言われた時、なんでこんな辛いことに、私が選ばれなければ
いけないの。冗談じゃない!と思いましたが、今私は子供の生も死も
神様から与えられたものと、思えるようになりました。
私はいつもどこかに、息子への想いを持っています。
そのせいでしょうか、以前より人の心に寄り添って生きたいと
思うようになりました。
人の悲しみ苦しみを、少しでも自分のものとして感じたいと思います。
 神様からのプレゼントは、あまりにも深くて、その意味が解るまで
ずいぶん時間がかかってしまいました。
神様は大きな悲しみと共に、真の喜びもプレゼントしてくれていたの
ですね。
初女先生、私も「心の貧しい人」に入れてもらっていいでしょうか…
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大掃除

2009-12-29 19:44:12 | 日記
今年こそは大掃除をしなければと、天井を見上げると
ちぐはぐな電球の傘にあの子の思い出が重なりました。
大掃除のあの子の仕事は、窓ふきと網戸洗いでした。
その年は、電球の傘洗いもやってもらっていたら
「おかあさーん ごめん」と言う声がするので、行ってみると
玄関の電球の傘が割れているのです。
「仕方ないなー。もっとやさしく洗ってよ」と言って離れると、
暫くすると又しても、「おかあさーん ごめん」と、今度は
トイレの電球の傘が割れていました。いい加減にしてよ!と
頭にきていると、小さい声で「おかあさーん 本当にごめん」と
今度は、リビングの電気カバーが割れてるのです。
私は「あんたに洗ってもらうと、壊してばっかりで高いもんにつく!」
と怒ると、しっぽの垂れた犬のようにしょんぼりしてましたが、
ちょっとすると、さっきまでのことをはケロッと忘れたように、弟と
ふざけあってる声が聞こえてきました。
今でも玄関とトイレの傘は、何ともちぐはぐな傘のままです。
何につけても、思い出を残していったあの子です。
まるで、自分の寿命が分かっていたみたいに…
あの子が亡くなった当時、思い出が多すぎてそれが一層悲しく
辛かったので、思い出がない方が楽かもしれないと思ったりしました。
でも今は、その思い出が私達家族をしっかり繋いでくれてます。
今年の大掃除は、息子は予備校だし主人は仕事だし、私一人の
小掃除で終わりました。
この変てこな電球の傘を見ると、「おかあさーん ごめん」と言う
あの日のことが思い出されます。
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何を見ているのですか

2009-12-28 16:51:52 | 日記
生れて初めて「ヴォーグ」を買いにいきました。
自分とは無縁のようなこの買い物に、どこか物おじしながら
「ヴォーグありますか?」と言ったら店員さんが「文房具は
ありません」と…
私は自分でもびっくりするくらい大きな声で「雑誌のヴォーグです。」
と言ってしまいました。
渡された雑誌を手に取り、パラパラとめくると外人の女性が、
いつ誰が着るの?という服を着て二コリともせず、写っていました。
私とは一生縁がなさそうな雑誌ですが、その中に唯一他とは全く違う
ページがありました。
「Hatsume Sato」とタイトルのついたページ!
開くとそこだけ他とは違い、聖なるものをたたえているような…
雪化粧した森のイスキアの前に、真正面を向いて立たれている
初女先生は、まるで聖母様のようです。
写真の中の先生は、何を見てらっしゃるのだろう…
カメラでもない、もっと遠くを…でも、ぼんやりした目ではない…
写真家の長倉さんは、「写真を見る人は、写真の中の人物の視線の
先を想像しなければいけない。」と言ってました。
この写真の先生のお顔を見つめていると、「ごめんなさい。」と
胸が一杯になりました。
私達は余りにも、先生に求め過ぎているのかもしれません。
イスキアに行くと、朝早く起きてみんなの朝食を作ってくださる
先生を見ていると、自分の親にも私はこんなことは求めてないのに
と思ってしまいます。
先生は、みんなに美味しいものを食べさせたいと、手間を惜しまず
本当に丁寧に作って下さいます。
それを私達は、美味しい美味しいと頂き、元気になって帰っていきます。
でも、考えてみると先生は88歳。来年は89歳です。
その先生に、私はあまりにも何もかも、求めているように思えます。
初女先生がいて下さるだけでいいはずなのに…
お料理もおむすびもなくても、先生がいて下さるだけでいいんです。
先生に会えなくても、先生が弘前で元気でいるだけで、私も元気に
なれるし、今を生きることの大切さを実感しながら歩けるんです。
 聖母さまのように、森のイスキアの前に立たれている先生は
 何を見ているのですか…
 自分のことばかり考えていた私には、先生の見ている先が
 想像できません。
 ごめんなさい 初女先生!
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不安と希望

2009-12-27 11:32:32 | 日記
今年も後4日、新聞を開くとこの国の不安が立ち上がってくる
ような事ばかり、書かれています。
テレビのニュースやワイドショーも、同様に不安ばかり伝えてます。
ふと、ドキュメント映画でマイケル ムーア監督が「アメリカという
国は、不安うをあおり経済に結び付けている」と言っていたことを
思いだしました。
これだけテレビや新聞で不安を言われると、希望を見出すことさえ
不可能なことのように、思えてきます。
そんな新聞を読むのも嫌になって、初女先生と名嘉睦稔さんとの
対談が載っている雑誌を読んでいたら、ありました。ありました。
希望が…

 「どんな問題に対しても、私は今を生きるということが大切で、
  先のことはあまり考えていません。先を考えて前に進んで
  行くと、足元が不安になって来るんですよ。でも、今っていう
  ことぐらい確実なものはないので、私は今を生きると言いきって
  いるんですね。目の前の小さいと思われることをひとつひとつ
  大事にしていくことが、夢にも希望にもつながっていくんだと
  思うんです。
  人の知恵というのは、本当に儚いものだと思うんですよ。
  いかに緻密に計画しても、現実はそうはいかない。
  崩れていくんです。
  今ってことぐらい確実なことはないんですよ。」
                      佐藤 初女

初女先生のこの言葉に、希望とはどこからか陽が射すのを待つように
与えられるのでなく、今を生きることが希望に繋がっていくという
ことだと、先生に背中を押された気持ちになりました。
新聞やテレビを前に、溜息をつくのでなく
今を生きることですね。初女先生!
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営業第1号

2009-12-26 17:26:15 | 日記
「電話したら、あいつが出てきたから行ってくるよ。」と
主人が床屋さんに行きました。
息子の友達が、理容学校を卒業すると、主人は彼が就職した
ちょっと遠い床屋さんに通い出しました。
その子がうちに来た時、主人のことを「おやっさん、僕の
営業第1号です」と言うので、「他にもあなたがカットしてる人
いるの?」と聞くと「おやっさんだけです!」と…
床屋さんから帰ってきた主人は「あいつ、待ってましたと言うように
飛んできたぞ!」と決してカッコいいとは言えない髪を撫でながら、
どこか嬉しそうな言うのです。
いつかは、草君みたいな髪にと注文したら、「マジっすか?」
と言いながら、やっぱりいつもの定番になったと…
 小学生の時から、毎日のように遊びに来ていた彼。
中学では部活も同じで、息子が倒れた時も一緒にいた彼。
息子が亡くなった後も、本当によく訪ねてくれ、私が思わず彼の手を
握り泣いてしまった時、「俺、おふくろさん二人いると思うから」と
優しい言葉をくれた彼。
高校生のうちの子は、彼の顔剃り第一号でした。
床屋さんから帰ってきた息子が「おかあさん、お兄ちゃんの友達
顔剃る時、鼻息が荒くて手が震えていて怖かった!」と言っていました。
今年の7月に13年飼っていた愛犬が死んだ時、息子がメールをしたら
ネクタイまでして焼き場に来てくれ、最後の別れをしてくれた彼。
家にお線香をあげに来てくれると、長い間真っ直ぐに息子の写真を
見ている彼。
そんな彼の姿に、何度涙したことか…
 彼が一人前の床屋さんになるまで、営業第1号の主人はきっと
通い続けるでしょう。
主人の髪が薄くならないうちに、どうか一人前になってね!

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クリスマスプレゼント

2009-12-25 00:12:02 | 日記
今日は思わぬクリスマスプレゼントが届きました。
息子の中学の養護の先生が、クリスマスにぴったりのお花を
送って下さいました。
先生の温かい想いに思わず、涙が出てしまいました。
息子が倒れたのは、誰のせいでもないのに先生は何度も
「ごねんなさい」と言って、身内を亡くしたように泣いて
下さいました。
そして、遠くに引っ越された後も、命日にはお花を送って
下さったり…
いつでしたか、息子の中学の健康手帳を持って来て下さいました。
きっと、私になかなか渡せず、ずっと持っていて下さったのでしょう。
その先生のお気持ちを思うと、胸が一杯になります。
健康手帳には、息子の成長の証しが記されています。
1年に10㎝も伸びたあなたの身長は160㎝体重は46・5㎏
この数字を見ていると、元気だったあなたが蘇ってきます。
 あなたの後を、犬っころのようについて廻っていた弟は、
身長が180㎝近くになり、あなたの背丈をとっくに追い越しました。
でも、あの子の中では、あなたはいつまでも大きな大きな
お兄ちゃんです。
 初女先生は、若い頃お体が弱かったので、長く生きられないと思い、
人の心に生きたいと、教師になられたそうです。
あなたの人生は、たった13年でしたが、沢山の人の心の中に
生きていることが、私の大きな喜びです。
何年たっても、あなたのいないクリスマスは寂しいけれど、
今日は先生からの思わぬプレゼントに、あなたをとても近くに
感じました。
あなたの弟は、初めてサンタさんに手紙をかきませんでした。
ちょっと寂しいけれど、これが大人になるって事かしら…
    クリスマスおめでとう!
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クリスマス

2009-12-23 23:25:37 | 日記
明日はクリスマスイブです。
初女先生は、55年前のクリスマスに息子さんと共に
洗礼を受けられたそうです。
体の弱かった先生が、一緒に教会に行っていれば自分が
いなくなっても息子さんが教会に行ってくれるのではと
思ったそうです。
その息子さんが、先に天国へいってしまいました。
先生は、息子さんが亡くなられたその時から一緒にいると
思ったそうです。
私は7年かかりました。
先生が言われる、死は心の別れではないということを
やっと実感できるようになりました。
クリスマスになると先生はきっと、息子さんと洗礼を
うけられた日のことを思い出されるのでしょうね。
娘さんを亡くされた私の友人が、「天国にもクリスマスは
あるのかしら?」と言ったので、私は「勿論あるわよ。
神様の一番近くにいるのだから…」と答えました。
天国のクリスマスはどんなですか?
プレゼントをもらっていたあなたは、今はプレゼントを
あげる方なのかしら…
  初女先生はどんなクリスマスを迎えられますか
    メリークリスマス!
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不幸なことに支えられ

2009-12-22 18:16:54 | 日記
以前ブログに「片山右京さん」というのを書きました。
右京さんが白血病の子供との出会いによって、自分の人生を
見つめ直したことを…
今回の右京さんの仲間の壮絶な死は、何を意味して
いるのでしょうか。
人は、何かしらの課題やお役目を持ってこの世に生れてくる
と言う方もいます。私も何となくそんな気がしています。
ですから、「子どもを亡くした私のお役目は?課題はなに?」
と問いかける自分がいつもどこかにいます。
右京さんのことを考えていたら、随分まえに読んだ沖縄の版画家
名嘉睦稔さんの本のことを思い出しました。
大雑把に言ってしまうと、ボクネンさんは「不幸と思えることが、
実はその人の支えになる。」と言うのです。
電車の中でこれを読ん時、涙が止まらなくなりました。
なぜなら、私の歩いて来た道がそのままこの言葉なっていた
からです。不幸という言葉を、大変なことと言ってもいいと思います。
不幸と思われるような大変なことは、その事としっかり向き合って
いれば、それがその人の支えになるということです。
私は、子供の死が今の自分をつくってくれていると思っています。
 深く長いトンネルの中にいた時、早くこの暗闇から出たいと
もがいていました。
こんなに大変なのに、誰も助けてくれないと思いました。
そして、とことん苦しんで、これは誰にも助けてもらえない
と、腹をくくり自分で解決しなければと思ったら、目の前が
拓けてきたのです。
でも、私はまだ自分の課題が分かっていません。
右京さんは、きっと与えられた課題に気づき、亡くなられた方の
生と死を生きていかれるだろうと思えるんです。
 私の人生の中で一番辛い苦しいことが、私に至福の出会いと
道を拓いてくれました。
不幸と思えることが、私を支えそれが今私の核となっています。
イスキアを初めて訪ねた帰り、「いつの日か、私は子供の死を
喜びと感謝をもって、受け入れられる日が来るだろう…」と
思ったことが、ボクネンさんの言葉で蘇ってきました。
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右京さんに想う

2009-12-21 18:44:21 | 日記
片山右京さんが、富士山で遭難し仲間の二人の方が亡くなった
と言うニュースを見て、右京さんの姿に言葉を失ってしまいました。
残されたご家族の言葉が、深く心に響きました。
大切な大切な人を失った直後に、こんな慈愛に満ちた言葉を送れる
なんて…
私にはとてもできないと思いました。
憔悴しきった右京さんの姿に、右京さんも又このお二人の生を死を
生きていくんだなと思いました。
右京さんには、右京さんだけが生かされた意味がきっとある
のでしょう。
生きているということは、自分一人で生きていてこのいのちは自分の
ものと思いがちですが、私達は亡くなった人の生や死をどこかで
抱き(いだき)ながら生きているように思います。
 初女先生は、亡くなっていく人々は、大きなものをおいていって
くれるので、残された者はいたずらに悲しむのではなく、故人の
遺したものを大切にし、その人が生前望んだように生きていくのが、
何よりもの感謝と慰めになると信じています。
また、生涯を幸せに送った人の死に顔は美しいといいます。
と言われています。
富士山で亡くなった右京さんの仲間の方は、苦しんだと思えない
お顔だったそうです。死は生をより深いものにしていくもの
なのかもしれません。





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