~空からの贈りもの~

「森のこもれび」の山崎直のブログです。

夏の夕暮れ

2014-07-31 22:25:48 | 日記

夏の夕暮れ、まだ陽射しの暑い中しっかりと手を

つないで歩いて来る兄弟に出会いました。

小学校1年生ぐらいのお兄ちゃんと、年少さん

ぐらいの弟

すれ違った途端、涙が溢れてしまいました。

うちの子も、こんなふうに歩いていたなー

4歳違いのお兄ちゃんに、弟の大地は犬っころの

ようにくっついて走り回っていました。

運動神経がイマイチで、泣き虫の弟は

お兄ちゃんにとっては、友達と遊ぶのには

お荷物でしたが、お兄ちゃんだから仕方ないと

思って面倒をみてくれました。

もう、記憶の彼方へ行ってしまった思い出ですが

幼い兄弟の姿を見た時、突然私の中に

立ち上がってきたのです。

創の姿は、何年経っても中学2年のままですが

それでも、不思議な事に22歳の弟よりも

やっぱりお兄ちゃんの姿の創なのです。

夏の夕暮れ、怖いほど真剣な顔をして

弟の手をつないで歩いていたお兄ちゃん。

羨ましくて涙が出るほど、かっこ良かったよ!

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微笑ましいね

2014-07-29 22:37:38 | 日記

今日は、職場に養護学校の先生が、卒業生の様子を

見に来て下さいました。

3月に養護学校を卒業し、私たちの処へ来るようになった

笑顔が可愛いSちゃんですが、今まで自分から手を

動かし作業することが、殆んどありませんでした。

今日、一緒にアイロンがけをしていたら、自分の力で

アイロンを動かしたのです。

こんなことは初めてだったので、もしかしたら筆も

動かせるかもと、ステンシルをやってみました。

かわいいきりんの絵にしたら、自分で筆をポンポンと

上下させたのです。

それまで、作業に対する反応は殆んどなかったので

何もしないことが多かったのですが…

そんな大きな変化があった今日、先生が訪問して

下さったのです。

先生もSちゃんの穏やかな表情と、作業する様子を

見てとても喜んでいました。

そんな二人を見ていた、45歳の所員さんが「僕も先生が

来てくれないかなー」と、言うので微笑ましくなりました。

先生っていいものだなーと、思いました。

 

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痛ましい事件に…

2014-07-28 22:56:53 | 日記

最近、再びあの「酒鬼薔薇聖斗」の名前を耳にしていましたら

また、痛ましい事件が起きてしまいました。

「納棺夫日記」を書いた、納棺夫の青木新門さんは、

「生に重きをおく社会は、いのちの問題が横においやられる」

と言われ、酒鬼薔薇聖斗事件について「彼は、大好きな

おばあちゃんが亡くなった時に、病院に連れて行って

もらえなかったそうです。祖母の死に立ち合っていないの

です。彼はおばあちゃんを奪った死をしりたいと思い

最初、カエルやなめくじを殺したけれど分からなかった。

猫を殺しても分からなかったので、人間を…となった。

一方、おじいちゃんの死と3日間向き合った少年は

「人の命は尊いと、おじいちゃんは教えていって

くれた。おじいちゃんの遺体の笑顔は、いつまでも僕を

見守ってくれるのを約束してくれる笑顔だった。」と、いう

文章を書いているそうです。

この子は死を五感で認識していると、青木さんは

言っています。

今、生活の中から死が身近に存在しなくなりました。

しかし、死がどれほどの学びと気づきを与えてくれるか

計りしれません。

「人を殺して見たかった」と、同級生を殺害した16歳の

女子高生は、1年前にお母さんを病気で亡くしていた

そうです。

この少女はお母さんの死に、どのように立ち合い

受けとめていたのでしょう…

青木さんは「生老病死の全過程を安心して生き切る

ことが、人間の幸せだと言っています。

長崎県では10年前に、学校で生徒による殺害事件が

起き、毎年「いのち」の尊さを伝える授業をやっているそうです。

生だけでなく、死と向き合わなければ、本当に大切な事が

伝わらない気がします。

 

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頭を頼りにしないで

2014-07-27 19:39:26 | 日記

私は、若い人に「脳はあまりお利口でないから、そんなに頼りに

しないほうがいいですよ。」と、言ってちょっと驚かれたことが

あります。

考えることは、自分の頭の範疇の中でしか考えられない

ので、たいしたことがないと私は思っています。

自分自身、若い時は無茶苦茶考える方でしたが…

東大医学部の教授である、矢作直樹さんが、同じような

ことを言ってました。

『ものを考えるのも脳だと錯覚しているけれど、実は

本来の魂が考える力のほうが、はるかに鋭いものなのです。

直感は働かせられる人はほとんどいないから、

それはしょうがないとしても、今は五感が働いてない

ですからね。』と、憂いていました。

子どもが授かり親になった時、多くの人が頭の良い子に

育てたいと思い、そんなレールを引いたと思いますが、

頭は、学習能力に対応できても、人生の岐路に

立った時の選択とかには、まったく力を発揮しません。

肝心な事は、脳には任せられないということです。

子供を亡くした時、私の脳は一つも働かず、それから

脳をあてにしなくなり、直感を頼りにするようになったの

です。

東大の教授も脳はたいしたことがないと、言って

いるのには、ちょっと驚きましたが…

「魂は、私たちの脳に、真実の世界をなんとか見せようと

働き掛けている」と、ランディさんは言っています。

初女先生が「心を自由にして、自然に任せましょ」と

言われるのも、頭を頼りにするなということで

しょうか…

 

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初女先生のおむすび

2014-07-26 23:19:11 | 日記

最近、初女先生と「おむすびが独り歩きしているよねー」と

話しました。

初女先生のおむすびがレシピとして、或いはおむすび講習を

受けた人が、すぐにおむすびを教えているのです。

初女先生の著書に「おむすびの祈り」という本がある様に

初女先生のおむすびは、祈りなのです。

でも、そのことが置き去りにされレシピだけを、求める

人達がいるのです。

これは、初女先生にとって不本意な悲しいことです。

私のところも、先生のおむすび講習会を開催しているので

問い合わせの電話がかかってきますが、「今、おむすびは

ありません。講演会なら」と、お話しようとすると、

「それならいいです。」と言われ、電話を切られるのです。

私は、今こそ「おむすびの祈り」を伝えなくては、

レシピだけが独り歩きしてしまうと、つくづく思いました。

情報社会の中で、おむすびの心ではなく、作り方と言う

情報を求めているのです。

多分、これは無意識にしているのだと思います。

初女さんの心を求めながら、その原点であるおむすびは

レシピという情報を求めているのです。

今、原点に帰って「おむすびの祈り」に耳を澄まし心を

傾けなければと、思っています。

 

 

 

 

 

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「木」と「気」

2014-07-25 22:18:26 | 日記

瀕死の地球の発熱のような暑さです。

イスキアが恋しくなってしまいます。

今日は、三浦の宿泊講演会にいつも参加して下さっている

MさんとNさんが、ついに夢かなってイスキアに行っています。

今頃、2人は弘前に着いたかな、お勧めしたレストラン山崎で

ランチをしているかな。イスキアで先生に会ったかな…

こんなことを思うだけで、私の心もイスキアに飛んで行く

ようです。

映像を観たり、本を読んだり、初女先生からイスキアの話を

聞いても、あの雰囲気は行ってみないと感じられません。

イスキアは不思議なところです。

「行く」というより、何かに「招かれる」と言う感じです。

その人にとって一番良い時に、イスキア行きが

与えられるような気がします。

イスキアを訪れる度に、木々の成長に驚かされます。

イスキアにある「小さな森」に立つと、以前は木々の上に

丸く空が見えていたのに、今は木が成長してまるいお空が

見えません。

初女先生が、ここは木々の成長が凄いのよと、言ってました。

 矢作直樹先生と田口ランディさんが対談集で

神社がなぜ清々しいかと話していました。

『ああいうところは、だいたい木が大きくなるのは、

エネルギーの場としていいのでしょうね。

「木」と「気」は同じ音で、枝ぶりが気のエネルギーの

流れを表現しているという人もいます。』と、言ってました。

イスキアに吹く風が、どうしてこんなに心地よいのかと

思っていましたが、気のエネルギーが違うんですね。

雪深いイスキアの木が、なぜあんなに成長するか、

それは「気」がいいからなんですね。

木にいい「気」が流れ、そこにいるだけで私たちも

清々しい気持ちになる…

イスキアに行ってみないと感じられない、「気」の

エネルギー

イスキアに吹く風を思い浮かべるだけで、私の心にも

森のイスキアのエネルギーが一杯になります。

イスキアってすごい…

有り難う、森のイスキア!

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イスキアの鐘に送られて…

2014-07-23 21:40:26 | 日記

先週の水曜にイスキアに行ってから、1週間が経ちました。

イスキアで過ごした時間と、今ある自分の時間とのギャップに

戸惑っている私がいます。

イスキアにいると、1日24時間はたっぷりとした時間であり、

神様が1日を24時間と決められたんだなーと、思えるのです。

「森のイスキア」は、岩木山に見守られるように在り、朝日が

真っ直ぐに射し込んで来るのです。

イスキアの朝は早く5時頃から、スタッフが準備を始めます。

少しすると、初女先生が「お早うございます」と、静かに台所に

いらして、朝食の支度となります。

イスキアのお料理は、先生が作られるのです。

考えてみると、92歳の先生が皆さんの食事を作るって

すごいことです。

丁寧に作られたお料理は、優しい味で心まで

優しくしてくれるようです。

この日の朝食は、「先生が黒豆ごはんを食べさせたいって」

と、スタッフがこっそり教えてくれました。

以前、先生の黒豆ごはんを頂いた時は、作り方をよく

見てなかったんですが、今回つぶさに見ていたら何と

2度も蒸していたのです。

ここまで丁寧に作られていたとは…

先生が、心を掛けるとは手を掛けること、自分の時間を

どれだけ差し出せるかってことだと、聞いたことがあります。

初女先生のなさることの、どこを切り取っても先生の生き方が

見えてくるのが、よくわかりました。

美味しい美味しい朝食の後は、再びのこもれびコンサート

高山さんのオリジナル曲が、感謝溢れるイスキアの朝に

ぴったりでした。

そして、初女先生の好きな「今日の日はさよなら」を

心を込めて歌いました。

8月には、養護施設の子供達が泊りに来るそうです。

家庭を知らない子供たちに、少しでも家庭的な事を

伝えたいと、先生が15年くらい前から続けている活動です。

今年は、何と子ども達と味噌作りするそうです。

初女先生は、誰にとってもお母さんです。

ガイアシンフォニーを作った龍村監督は「ただいまー」と

言って来るそうです。そして、帰る時は「行ってきまーす」と言って

出ていかれるそうです。

私たちも、イスキアの鐘に見送られて、それぞれの場所へと

帰って行きました。

「ただいま!」と言って帰ってくる日を夢見て…

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森のイスキアにて…

2014-07-20 21:38:31 | 日記

私達が、森のイスキアに着いたのは3時ぐらいだったのですが

お夕食の下準備はおおかた済んでいました。

イスキアのお料理は何時間もかけて、丁寧に調理されて

いくのです。

私が、お料理している初女先生の後ろにくっついて見て

いると、味見をしていた先生が、私の手にもちょこっと

のせてくれるのです。

小さい時、お母さんに「食べる?」と言われたあの嬉しさが

甦ってきました。

初女先生は、心を掛けるとは、その人の為に自分の時間を

差し出すことだと言ってました。

初女先生のお料理は、まさに心を尽くしたお料理です。

今回、イスキアの集いの立ち上げの時から、関って

くれていたTさんが、初めてイスキアに来てくれたことを

初女先生がとても喜んで下さり、ソプラノ歌手でもある

Tさんが、こもれびコンサートをしてくれることになりました。

先生は、うちのオルガンは由緒あるオルガンだけれど

弾く人がいないから、是非弾いて欲しいと言われ

オルガンの前に椅子を並べ、イスキアが小さな小さな

コンサート会場となりました。

先生のお好きな「浜辺のうた」や「琵琶湖周航の歌」

Tさんの作った「小さな森の詩」や「こもれびセレナーデ」…

私の隣で、歌詞カードを見ながら、一生懸命歌う

先生のお姿に胸が熱くなってしまいました。

こうして、ゆっくりと豊かな時間が刻まれていきました。

いよいよお食事となったら、みんな一心に食べることに

集中して、黙々と食べるのです。

そして、食べ終わった時、誰もが幸せそうな顔に

なっていたのです。

先生のお料理の優しい味が、食した私たちの心も

やさしくしてくれるようでした。

もう、外は岩木山も見えないほど暗くなっていました。

今日来たばかりなのに、何だかずーっと前から

ここにいるようなそんな気持ちになるのは、

イスキアのマリアさまのお側にいるからかしら…

こうして、天国の夜は暮れていきました。

(Tさんのコンサートが横浜で8月8日にあります)

歌の泉コンサート

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ごきげんよう また明日

2014-07-19 23:24:38 | 日記

森イスキアという天国から、下界に戻るとどうしてこんなに

時の刻みが早くなるのでしょう…

もう少し、天国のあの余韻に浸りたくて、イスキアで過ごした

時間を思い出しています。

前日は晴天だったのに、イスキアに着く頃には

霧雨の様な雨が降り、岩木山も小さな森も

森のイスキアも、しっとりとした静けさの中にありました。

イスキアに着き、勝手知ったる我が家のように、お部屋の

ドアを開けると、初女先生が椅子に座って、お茶をお出しして

どなたかとお話しているのです。

私は、慌ててドアを閉めて、お客さんですか?とスタッフに

聞くと「そんでないの、魚屋さんなの」という答えが返って

きました。

それを聞いた途端、以前りんご屋さんに先生が丁寧に

応対していたことを思い出しました。

初女先生は、誰に対しても変わらぬ態度で向き合って

下さるのです。

それは、魚を届けてくれた魚屋さんも同じ…

これは誰にでもできることではありません。

初女先生の近くにいると、それだけで心が洗われる

ような気がするのは、先生の思いと行動にこちらが

清められるからでしょうか…

先生の柔らかなお顔を見た途端、帰ってきました、

ただいま!と心の中で言っている自分がいました。

先生の出して下さったお茶を、ゆっくりと呑むと

私の体内時計はイスキアの時を刻みだしたのです。

では、この続きは、また明日 ごきげんよう

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今 ここが天国

2014-07-18 13:49:48 | 日記

昨日、天国から戻って来ました。

何て言うと、あの世に足を突っ込んだように思われますが、実は

この世にも天国があるのです。

初女先生は「今、ここが天国」と言われているので、少しでも

そのように生きたいのですが、まだまだ成長が足らず、

なかなかそうは思えないのですが、森のイスキアに行った時は

間違いなく「今、ここが天国」を感じるのです。

イスキアは別荘地の一角にあり、山の中にポツンと建って

いるのではありません。

イスキアのまん前に、新しく別荘が建っていました。

それでも、訪れるたびにイスキアは天国を感じさせてくれる

のです。

実にゆったりと時が流れて行くのです。

イスキア時間があるような…

一泊だったのに、全員が一週間いた気がしたというのです。

着いた時に、初めての人も「ただいま!」と言いたくなるのです。

何をするというのではないのに、居るだけで心が満たされて

行くのです。

11年前に初めてイスキアを訪れた時「天国ってこういう処かな」

と、思ったその思いは今もかわりません。

初女先生が手をかけ、丁寧に作られたお料理を、私たちは

まるで小さな子供のように「美味しい、美味しい」と言って

もりもり食べるのです。すると「いのち」が喜ぶのです。

しあわせを感じるって、そんなに難しいことじゃないんだって

思えるのです。

天国から帰って来ましたが、どこにいても

「今、ここが天国」と思える生き方をしなくちゃ!と

思いました。

 

 

 

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