~空からの贈りもの~

「森のこもれび」の山崎直のブログです。

繋がってる

2010-01-31 21:54:07 | 日記
昨日の講演会の分かち合いの時、「一年前の逗子の講演会で先生に
お会いしました」という方がいらっしゃいました。
逗子に来て下さった方が、ここにもいらしていると思ったら、嬉しく
なってしまいました。
あれから、もうすぐ一年です。逗子の講演会の翌日、先生と二人で
お話していた時、「逗子の講演会は、身近な人を亡くした方が随分
いたね。こんな大勢の人がこんなに深く聴いてくれるのは、滅多にない
ことだよ。」としみじみとおっしゃったことが忘れられません。
私にとって深い一年でした。そして、子供が本当に近しく感じられる
ようになった一年でした。
先生は「亡くなった人は、今一番いいところでお休みになっているの
だから、その人の望んだように実践していくこと」と言われてました。
あの子が繋いでくれた出会いが、今の私を育ててくれています。
 ブログを読んで下さった方から、メールなどを頂くと、お顔も
お声も分からない方なのに、深く繋がっていると感じるのです。
響き合い繋がるしあわせ!
この幸せが初女先生の原動力になっているのかもしれません。
私も今、先生と同じ幸せを感じています。
あの子と共に…

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受け入れる

2010-01-30 23:08:33 | 日記
今日は初女先生の講演会に行ってきました。
12月にお会いしているのに、何だか久し振りに先生にお会いした
気がしました。
今日のお話で、私は大きな気づきを頂きました。
分かち合いで、「受け入れることは、どうすればいいんですか」
と言う質問に、先生は「信じることです」と言われました。
私は、受け入れることは、共感することだと思っていました。
信じるということは、共感するよりずっと深いことです。
そこには祈りがあります。
私が初女先生に、自分の抱えていた悲しみや苦しみを
さらけ出した時、すべてを受け止めて頂けたと、大きな安心に
包まれた気持ちになりました。
それでも、その後数年間はお会いする度に、泣いていた私です。
先生は、涙する私の手を握りながら、私が立ち上がることを
信じて待っていて下さったのですね。
信じて待つ!これは、まさに母の心でしょうか。
この母の心に包まれていたから、私は大きな安心の中から
立ち上がることができたのですね。
先生は、信じることの根源は素直なこと、そして全ての問題は
母の心を思い出すと解決できると言われてました。
深い豊かな母の心を私は初女先生に感じます。
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動く

2010-01-29 22:06:36 | 日記
昨日のブログに「もしかしたら、生きるってそんなに難しいことでは
ないかもしれない…」なんて書けてしまった自分に、少し驚いてます。
息子を亡くした後、死ぬ以上の苦しみというのを、初めて知り
生きる事があんなに辛かった私が…
この体験をするまで、私は自死する人は自分で望んで亡くなっていく
のだと思っていました。
でも、息子を亡くし生きる事が辛くて、どうしようもないという体験を
して初めて分かりました。
自死する人の多くは、死にたくて死んだのではなく、生きる事が
辛くて苦しくて、それからのがれる為に死を選んでしまう
のだろうということが。
私は初女先生という方に出会えて、一歩を踏み出すことができました。
踏み出せなかった一歩が出ると、暗闇に光が差してきたように
目の前がひらけてきました。
先生は、「行動しなさい。」と言われます。動けない時、色々考えず
ちょっと動いてみる、ご飯をちょっと手をかけて作ってみるとか、
自分の為に、家族の為に何かちょっと動いてみると心のあり様が、
少しずつ変わってくる気がします。
初女先生は、私が動き出すのを待っていて下さいました。
そして、初女先生の「すなおさん、そろそろ動く時よ」という
声なき声が、私の心に聞こえてきて逗子の講演会に繋がりました。
大変なことだったけれど、そのことで本当に元気になれました。
一日を生きることに、へとへとになっていた私が、生きることって
そんなに難しいことではないかもしれない。などと言える日がくる
なんて、思ってもいなかったことです。
人間も動物だから、動くことで元気になるのかなー
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車内広告

2010-01-28 21:41:50 | 日記
電車の車内広告に「初心貫徹」か「臨機応変」か
というのがありました。恐らく、今の政権のことを差しているのでしょう。
なかなか面白いコピーだと思いましたが、これを自分に問われたら、
どんなに戸惑うだろうなと思いました。
人はこんなにきっぱりと、割り切って生きていけるものなのかしらと
思っていたら、初女先生の「揺れてもいい、芯が通っていれば」
という言葉が浮かんできました。
なんと深い言葉でしょう!
「初心貫徹」か「臨機応変」かと言われたら、何だか刀を背中に
突きつけられているようで、息が止まる気がします。
「芯が通っていれば、揺れてもいい
  人は揺れながら成長するのです」
と言われたら、何だか大きな安心の中に包まれた気持ちになります。
 赤ちゃんをだっこする時、誰でも自然に揺らします。
もしかしたら、私達って生まれた時から、心も体も揺れながら
成長しているのかもしれません。
芯は生活の中から生まれてくるのですね。
だから、芯が分からなくなったり、芯がぶれてきた時には生活を
見直せばいいのかもしれませんね。
そう考えると、もしかしたら生きるってそんなに難しいことではないの
かもしれないと思えてきます。
ただ、忘れてはいけないことは、
   「丁寧に生きる」ということですよね。初女先生!
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いい日一日

2010-01-27 21:57:36 | 日記
昨日はあんなに悲しかったのに、今日は春の日差しが
私に、嬉しい事を運んできたような一日でした。
なかなかとれなかった講演会の会場が、やっと予約できたのです。
5月に逗子でやろうとホールを予約していたのですが、今回は
来て下さった方が初女先生を隣人のように感じて下さる、
そういう講演会を心に描いていたので、それには555席の
逗子のホールは大き過ぎる気がしてました。
笛の先生の演奏会に行って、東神奈川の「かなっくホール」に入った
途端、ここでやりたいと思ったのです。
人気のホールで、最初の希望はことごとくハズレてしまいました。
今日、やっと平日ですが取れました。
ホールに料金を払いに行き、早速先生に電話をすると、
「すなおさん、どうなった?」と言う先生の第一声に、どんなに
心配をお掛けしていたことかと、初めて気がつきました。
そういえば、私は「先生、抽選に当たるように祈って下さい!」
なんてお願いもしていました。
会場の心配まで先生にしてもらい、やっと最初の一歩を踏み出しました。
先生、何だかとても温かい講演会になりそうな気がします。
演題の「出あいは未来をひらく」は、どんな人の心にも光が差してくる
ようです。
7月16日、どんな出会いが生まれるか楽しみに、また一歩一歩!
帰って来た時、見上げたお月さまの明るさが、子供の笑顔に重なりました。
あの子がついていてくれるから、大丈夫!そんな気がしています。
ふと、気がつくと今日27日はあの子の月命日、「お母さん、それで
いいんだよ」とあの子が言ってくれてる気がするのは、
私の思い過ごしかしら…
時々、初女先生のお声に元気をもらいながら、がんばりま~す!
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涙そうそう

2010-01-26 20:23:15 | 日記
昨日は、突然の子供の鉄砲に大泣きしてしまいました。
こんなに年月がたっても、涙が止まらなくなるほど泣いてしまう
ことに、戸惑ってしまいましたが、でも母親だから仕方ないと
自分を慰めました。
NHKのハイビジョンで放映された、初女先生の番組で、亡くなった
息子さんのミサで、涙されている先生のお姿に胸がいっぱいになり
ます。
映し出されていた初女先生は、私の知っている先生ではなく、
深い悲しみを抱えながら、亡き息子さんと共に懸命に生きている
母親の姿そのものでした。
私は、どうしようもない悲しみに包まれる時、この悲しみを初女先生は
知っていて下さると思うと、どこか安心できるのです。
そして先生の「人の死は姿の別れ出会って、心の別れでは
ありません。
亡くなった人が生前望んだように、自分が生きていくこと それが
その人への慰めになります。」というお言葉が私を支えてくれます。
今私は息子の姿を見る事はできませんが、心は確かに繋がっていると
思えるのです。
昨日、見つかった鉄砲が主人のでもなく、次男のでもなく
あの子のだったということ…

創(つくる)へ
葬儀の朝のあなたの左目の涙を、お母さんは一生忘れないよ!
あなたの姿を追い求めるのはやめよう
あなたの心を求め続けていこう!
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鉄砲

2010-01-25 20:05:20 | 日記
子供が、「学校で世界史の時間に劇をやるから、鉄砲なあい?」
と聞くので、「捨てた覚えはないけれど、随分前だからなー」と
言っていたら、何やらガサゴソと探し出してきて、「お母さん
お兄ちゃんが使っていた鉄砲があったよ」と…
何気なく言われたその一言に、私は言葉を失ってしまいました。
兄と鉄砲で遊んだことを覚えていてくれたのだ。と思うと嬉しいような
でも頑張ってないと涙が出そうな、一杯一杯の気持ちでした。
主人に、鉄砲なんて買って来ないでよ!と言っていたのに、主人は
男はこういう遊びが好きなんだと、なんと自分の分まで鉄砲を買って
来て、三人で家の中をビービー弾だらけにして遊んでました。
目に当たったら危ないからと、ガードするメガネまで買って来てです。
お兄ちゃんの鉄砲と、見せられた時、あの頃の記憶がいきなり
立ちあがってきて、心の持って行き場に戸惑ってしまいました。
そんな私に息子は「試し打ちするから座布団持っていて」と、兄の鉄砲
を座布団に向かって撃ちました。
パンパンと乾いた音がして、プラスチックの弾が転がっていきました。
私は、閉じ込められていた記憶の突然の訪れに、涙が止まらなく
なりました。
でも、兄の鉄砲を見つけ、座布団に向かって打っていた息子の方が
もっと辛かったかもしれません。
何かの折に、突然訪れるこの悲しみは、もしかしたら家族の証し
なのかもしれません。
息子を亡くし、あれほどの悲しみと苦しみの中で、不幸だと
思えなかったのは、きっとあの子が私達三人をしっかり繋いでいて
くれたからでしょう。
兄の鉄砲を手にした息子も、きっと悲しみはあるけれど不幸ではない
と思ってくれていると思うのです。


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「生」という字

2010-01-24 22:25:11 | 日記
今日は、私の書の先生が15年前からやっている「書と尺八」の舞台に
行ってきました。
尺八の響きの中で、畳 一畳大の和紙に一文字を書くのです。
今日、先生が書いた三つ作品の中で、私は「生」という字に
一番惹かれました。
深い長い呼吸なしでは、生れてこない線に「すっく」とした伸びやかな
「生」を感じました。
そして、自分の生もこのように在りたいと思えるのです。
 1995年から毎年書かれる「今年の漢字」は、阪神大震災の「震」から
始まり「食」「倒」「毒」「末」「金」「戦」「帰」「虎」「災」「愛」
   「命」「偽」「変」「新」が選ばれてきました。
その時代を表わすという、これらの漢字を見ていると大変な時代を生き
ているんだなーと思えます。
悲しみや困難があろうとも、先生の字のように「すっく」と伸びやかに
生きていきたいと思いました。
 
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100日目

2010-01-23 20:50:02 | 日記
今日でブログを始めて100日目!
自分でもちょっとびっくりしています。
何度も日記の挫折をしてきた私が、100日を迎えたなんて…
子供にブログはもっと軽いものだと諭されたり、「毎日、よく書く
ことがあるよ」と呆れられたりしています。
毎日書くことがあるほど、私の中に何かがあるわけでなく、いつも
スカスカの状態なのです。
でも、こうして書くことによって、以前より「気づきたい」という
思いは強くなった気がします。
初女先生は「精一杯生きていれば、必ず気づきがあるものです。
そして、どんな些細な気づきでも、気づいたことを体験にまで
高めようと努めていれば、長い年月の間に、それが必ず大きな
積み重ねになるのです。」と言われています。
なんとなく過ごした日は気づきもありません。
心がスカスカだと、書くことも生まれてきません。
100日目にして与えられた気づきは、「気づいたことを体験にまで
高める努力をすること!」
明日から、また一歩づつ…
天国からの有り余る贈り物に、何もお返し出来ないけれど
ささやかな私の想いを綴っていこう
天国のあの子にも届くように!
コメント (3)
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タイマー

2010-01-22 20:51:52 | 日記
毎朝の5時起きがきつくなると、少し楽をしたくなります。
タイマーにかけて炊けば、朝30分は長く寝られる、
でもそれには、一晩中何時間もお米を水につけて置くことになるの
でこれでは美味しいご飯が炊けません。
疲れが溜まってくると、このタイマーをかけるか、かけないかで心が
揺れるのです。大抵は、美味しいご飯の方が勝つのですが、先日は
タイマーが勝利してしまいました。
目覚めた時にはご飯が炊けていましたが、水を目一杯含んだお米は
真ん中がぺしゃんこのご飯になっていて
お米にも家族にも申し訳ない気持ちになりました。
朝のご飯がふっくらと炊けた時は、日々の暮らしの中での小さな
幸せを見つけた気持ちになります。
逆に、タイマーをかけてぺしゃんこのご飯を炊いた時には、楽な方を
とった自分の弱さを感じます。
初女先生は、決してこんなことはしません。
ご飯を炊く、この一つの行為にも自分というものが出るものなのだなと
つくづく思ってしまいました。
初女先生はお米の一粒一粒も生きている「命」です。と言っておられ
ます。何時間も水につけたままになっているお米は、生きている「命」
とは程遠いものとなってしまうのでしょう。
先生は、ご飯が出来るまでの工程一つ一つを慈しみ、育むように大切
に扱っておられるそうです。
そしてご飯を炊く時には、お米の様子を見て、おちょこ1杯に満たない
水を足したり、減らしたりされます。
本当にお米の気持ちが分かるようです。
「食材を「命」と思うことは、人を大事にすることに通じます」
という先生のお言葉にはっとしました。
ご飯を炊くことは、朝一番の祈りかもしれません。
明日は、ふっくらご飯を炊こう!

コメント (1)
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