~空からの贈りもの~

「森のこもれび」の山崎直のブログです。

夢の中でも…

2014-01-31 22:52:46 | 日記
つい2日ほど前に夢をみました。

それはおむすび講習会の夢でした。

どこかのおむすび講習会に、初女先生にくっいてきているのです。

その講習会は、ひどく準備が悪く、お米を洗うボールも用意して

なくて、私はこんなに何も準備してなくてと、ブツブツ文句を

言っているのです。

ところが、夢の中の初女先生はそのことには何も言わず、

私の三角巾がないことを心配しているのです。

私は、ハンカチですれば大丈夫と、ギチギチに縛ってみせました。

夢はそこで終わってしまったのですが。

目が覚めた時、これが初女先生でそしてこれが今の自分だと

思いました。

どんな時でも、自分のことより人のことを思う初女先生は

夢の中でもそうでした。

「心を結ぶ分かち合い」の本の中に、『人生をより充実させて

生きていくには、どうしたらいいでしょうか?』という問いに

初女先生は『自分だけでなく、人のことも考えることです。』

と、答えていました。

夢の中でも、まだまだの私でした。









































































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トラウマ

2014-01-30 19:14:04 | 日記
誰でもトラウマの一つは持っているのでしょうか…

私のトラウマは味噌作りです。

息子が亡くなって3か月が過ぎた時、ずっと私を見守ってくれていた

治療室のY先生が、少しでも元気になるようにと

「皆で一緒にお味噌を作るから来ない」と、誘って下さいました。

行くと、Y先生が大豆までまで煮て準備をして下さっていました。

皆でお味噌を作り、出来あがったお味噌を先生が預かって下さり

何カ月か過ぎた時、Y先生が「あなたのお味噌だけ発酵しないの。

きっと手からも悲しみが出ていて発酵しなかったのね。

混ぜ直して、私のお味噌も混ぜておいたけど…」と言うのです。

出来あがったお味噌は、Y先生が手を入れて下さったけれど

やっぱりひどく不味いものでした。

悲しみで発酵出来なかったお味噌は、どうやっても美味しく

なりませんでした。

初女先生にそのことをお話しした時「そうなんだよねー

私の知ってる人も、大切な人を亡くした後に葡萄酒を

作ったら発酵しなかったって」と、話してくれました。

深い悲しみは、悲しみのオーラとなって全身から出ていた

のでしょうか…

それから私は、味噌が作れなくなったのです。

でも先日、生活クラブの申し込み用紙の麹と大豆を見た時

もう、悲しみは遠ざかり美味しい味噌が作れるかもしれないと

ふと、思えたのです。

それでも、自信がないので1キロだけ申し込みました。

初女先生は、大豆を一粒づつ指で潰すと聞いたので

ちょっとやってみようかと思いました。

悲しみ一杯だった私の手は、どうなっているでしょう…

初女先生が「お味噌は、そんなに難しいことじゃないのよ。

寝かせておけば、味噌はできるんだから。」と、言われています。

私のトラウマも払拭できるといいなー



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初女先生の新しい本

2014-01-29 19:26:24 | 日記
今日、初女先生の新しい本が届きました。

題名は『初女さんの心を結ぶ「分かち合い」』です。

私は、ついに「分かち合い」が本の題名になったかと感激して

しまいました。

10年前、「イスキアの集い」で初めてこの「分かち合い」という

言葉を使った時は、まだオウム真理教の後遺症が世の中にあり

自分の悩みや抱えてる問題を分かち合うなんて、考えらないこと

でした。

ですから、先ず「分かち合い」の説明から始めたものです。

「イスキアには丸いちゃぶ台があって、そこに座ると

誰ということなく、自然と心に抱えて来たことを

話せるんです。

この会場に大きな丸いちゃぶ台があると思って下さい…」

ハッキリとは覚えていませんが、司会者がそんなことを話し

それから「分かち合い」となりました。

私たちスタッフも「分かち合い」という言葉に、すごく

神経を使ったものです。

でも、今では初女先生の講演会では「分かち合い」が

あるのが、当たり前となっています。

そして、この題名の本がでるなんて…あの時誰が

想像できたでしょうか…

読んでいると、心が穏やかになってくるのです。

そして、本当に分かち合いの場にいるような気持ちに

なるのです。

先生のお言葉から、先生の思いや温かさに包まれているよう

でした。

また一冊、私の生き方を、心を支えてくれる本が出来ました。

読み終えた時、初女先生との心の交流を感じました。

ふと見ると、本の帯に「これは、初女さんとあなたの

『分かち合い』の本です」と書いてありました。

また一つ宝物が出来ました。

『初女さんんのこころを結ぶ「分かち合い」』
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心って…

2014-01-27 22:41:10 | 日記
初女先生が、御ミサで「奉仕のない人生は意味がない。

奉仕には犠牲が伴う。犠牲の伴わない奉仕は真の奉仕ではない」と

いう説教を聴いて「特別な能力も、経済力も持たない、ほんの小さな

存在である私に、これ以上何ができるでしょう」と考えて歩いていた

時に、ハッとひらめいたそうです。

それは「心」

心は水が湧きでるよう無尽蔵に絶えることがない。

心を与えることは私にもできると思った時に、喜びに満たされ

初女先生の新しい人生が始まったそうです。

私は。この「心」がよく分かっていませんでした。

でも昨日、ハッと気が付いたのです。

「心」とは「愛」ではないかって…

私は、哲学を学んだこともなく、自分の感性を頼りに

ひも解いているので、正しいかどうかは分かりませんが…

生命体である私達は、持って生れたものとして「自己愛」が

あるのではないでしょうか

食することも、生命を保つ為の自己愛と言えなくはないかも

しれません。

イスキアに来た拒食症の人が、「美味しい!」と、言って

パクパク食べられるようになった時、生きることを否定していた

自分の中の自己愛が、目覚てくるのかもしれません。

生きるとは、この「愛」を成熟させていくことなのかも

しれません。

そして、亡くなって行く人は、愛の種を蒔いていって

くれるのかも…

先生の息子さんの芳信さんの愛・創の愛・ハナちゃんの愛

エリちゃんの愛・ジュン君・ケン君の愛・ミキオ君の愛…

先に逝った人達が遺していった「愛」の種が沢山の「愛」を

生んでいます。

「心」っていうと、何だかつかみどころがなく

よく分からなかったけれど、「愛」って思うと初女先生の

お言葉がより深く響いてきます。

  『わたしには、こころがある。

   こころなら、くめどもくめども尽きることがありません。

   こころを差し上げることなら、

   わたしにもできます。

               佐藤 初女  』





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いま トルストイ…

2014-01-25 22:53:04 | 日記
トルストイと言うと、「戦争と平和」「アンナ・カレニーナ」

そして「復活」ですが、世界の文豪と呼ばれるトルストイの作品は

多分一生ご縁がないだろうなーと思っていました。

ところが、そんな私にトルストイの本を送って下さった方が

いたのです。

トルストイの民話「人は何で生きるか」という本です。

この哲学的な題名とは裏腹に、表紙は和田誠のイラストで

子供向け?と思われる装丁でした。

読んでみると、子供向けと思った私が浅はかでした。

実に深いのです。

子供たちにも分かりやすい民話で、「人の心には何があるか」

「人は何によって生きるのか」

「人が(未来を)知る力を与えられていないのは何か」という

問いと、こたえが子供でもわかるように書かれているのです。

人の心には『愛』があり、人は『愛』によって生きることが

でき、人が自分の死を知る力を与えれてないという事は

自分がいつ死んでも悔いのないように生きなければいけないと

いうこと…

誰もが人生の中で一度は「人は何で生きるのか」という問いを

自分自身に投げかけたのでは、ないでしょうか…

この本を送って下さった方からのメールに

「過去は過ぎ去り再び戻ってきません。

未来はまだ訪れておらず、神の領域なのです。

従って私達は、今に忠実に生きることだけ求められているのです」

と、記されていました。

世界の文豪、トルストイも「今を生きる」を言っているのです。

「人の心には『愛』がある」と、トルストイは言い

初女先生は「神様はひとりひとりの中に」と、言われています。

もう一度、若き日に問うた「人は何で生きるか」を自分に

問いかけてみたいと思いました。

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心を尽くせば大丈夫

2014-01-23 23:15:29 | 日記
昨日、初女先生の講演会を主催するという方からお電話を

頂きました。

お会いしたことのない方ですが、その方の不安やドキドキが隣に

いるように伝わってきました。

お電話でその方とお話しながら、初めて主催した時のことを

思い出していました。

あの時は、亡くなった息子の誕生日に初女先生の講演会をひらく!

その思いだけでつき進んでいました。

たくさんの人の思いと行動に支えられて、555席の会場でしたが

ひと月前には満席となり、その後、毎日お申し込みの方をお断り

していたら、辛くなってしまい、とうとう家族の前で大泣きを

してしまいました。

その日の講演で、初女先生は「一人の女性の情熱がまわりを

動かす」と言って下さいました。

最初で最後と思った講演会ですが、何とあれから毎年続けて

去年の11月で5回目を迎えました。

そして、ここ3年は宿泊での講演会

毎回、これが最後と思ってやっているのに、なぜ…

初女先生と参加される皆さんとの出会いの場に居られる

その、感動と喜びが次へのエネルギーとなっているのかも

しれません。

宿泊の準備は、すごーく大変ですが、嫌な顔一つせず

働いてくれるスタッフのみんなが居たからやって

来れたんだなーと、感謝で一杯です。

いつも、反省は尽きないのですが、胸を張って言えることは

心を尽くし、これ以上出来ないっていうところまで

やっているということ…

お電話を下さった方に私は「心を尽くしてやれば大丈夫!」と

そのことだけは自信を持って言えました。

初女先生のことを思い、心を尽くしていけば、響き合う集い

と、なること間違いなし!

準備の途中で不安に襲われるけれど、信じて進もう!が

私の合言葉!です。

主催されるという方とお話していて、私も初心にかえる

ことが出来ました。

一番怖いことは、慣れてしまうことですから…



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期待と希望

2014-01-22 22:45:09 | 日記
「夜と霧」を書いたフランクルは、収容所の明日の自分のいのちも

分からない中、自由の身になったら書きかけの原稿を本にすると

ひそかに手に入れた紙切れにびっしりと書いていたそうです。

収容所の過酷な状況の中で、生きながらえた人は「未来に希望を

思い描き、それを見失う事がなかった人」だそうです。

 1944年、クリスマスから新年にかけてそれまでになかった

数の死者がでたそうです。その理由は数か月前から

「クリスマスには家に帰ることができる」という噂が広がり

クリスマスに何も起こらなかったことで、その期待が裏切られた

時に多くの人が亡くなったそうです。

 私達は、期待も希望も未来に対して同じ光が射しているように

思いがちですが、これほど大きく違うのですね。

未来に希望を持つことが、生きる力になって行くようです。

初女先生のお孫さんが

「おばあちゃんの夢は寝てみる夢でないものね。

こうなればいい、こうなればいいっていうのが、おばあちゃんの

夢だもんね」と言ったそうです。

先生の夢は、期待ではなく希望だから生きる力に

なっていくのですね。

いくつになっても、どんな状況になっても希望だけは

持ち続けていたい…

息子を亡くした後、深い悲しみがあっても前を向いて

歩いていきたいと思っていたのは、あれは希望

だったんですね。

そして、悲しみを抱いていても、しっかり前を向いて

生きている人に会いたい!と思っていたら、初女先生との

出会いが与えられました。

初女先生は「あんた、その歳になって、まだ夢を持って

いるの」と言われたそうです。

人は、一つ乗り越えるとまた、次なる課題の困難がきます。

どんな時にあっても希望は持ち続けていきたと思いました。

これ以上ない、絶望の中で希望を持ち続けたフランクルに

思いを馳せながら…



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背中の声

2014-01-21 22:35:24 | 日記
私は、初女先生の写真を撮っているkさん写真がとても好きです。

初女先生も、kさんの写真は違うよね。お米の粒までちゃんと

写っていると言われていました。

プロの写真家が撮ると、被写体の内面まで写し出されているように

思えます。

kさんの撮った初女先生の写真はどれも好きなのですが、

心に響く写真の1枚に、先生の後姿があります。

イスキアの台所の椅子に座った先生の後姿です。

先生は包丁を持って、野菜の皮をむいているのでしょうか…

先生のその背中を見ると、先生の歩まれてきた道が全部

刻まれているように、見えるのです。

背中って不思議です。

顔を見るより深いものが感じられるのです。

子どもは親の背中を見て育つと言いますが、私はそれを

言葉より行動を見て育つだと思っていました。

勿論そういうこともあると思いますが、背中は

もっと深い意味があるように、最近思えてきました。

一生見ることの出来ない自分の背中は、どんな人生を

語っているのだろうか…

初女先生の手は、働いて働いて働いて来た手です

初女先生の足は、(足の裏は)歩いて歩いて、よくこんなに

歩いて来たと思えるような足の裏です。

初女先生の背中は、与えられた重荷をすべて背負って

歩いて来られた背中です。

私の背中は、息子の死という重荷をやっと背負って

もうこれ以上の重荷は背負えないと言っている背中かも

しれません。

道行く人の背中を見ていると、全く知らない人なのに

なぜか、愛おしい様な気持になります。

背中の声を聴かなくちゃ…
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初女さんからのメッセージ

2014-01-20 23:08:00 | 日記
18日の細谷先生との対談の時に、「最後に初女さんから私達への

メッセージを」と、司会の前田先生が言われました。

私は、ドキドキしながら先生のお言葉を聴きました。

初女先生は「今は素直さが希薄になっていますが、素直さが

どれだけ大きいものか…素直さは、大変優しく弱いものに思えるが

それを超える強いもの」と、言われたのです。

私は自分の名前が直(すなお)なので、名前負けしているようで

恥ずかしく、身が小さくなる思いで聴いていました。

先生は信仰の根っこは素直な心とも言われています。

私は子どもの頃、父になんでこんな男の様な名前をつけたの!

名前を替えて欲しい!と、何度泣きながら訴えたことでしょう

何歳になったら自分で名前が替えられるか、母に調べて

欲しいと言ったこともありました。

私の時代は、女の子は殆んどが「○○子」と、「子」がついて

いたのです。

だから、直の意味も考えず、男の様な名前をつけた父を

随分恨んだものです。

大人になって、自分の名前がとっても好きになりました。

初女先生が伝えたいメッセージが「素直さ」だと知った時、

素直さがそんなに大切なことだったのかと、

改めて思いました。

毎日「直・すなお」と呼ばれていれば、それだけで素直を

なるような気がしてましたが、心を耕し素直な心を

持ち続けなくてはと、思いました。

そして、父からの「直」という贈り物に今頃になって

感謝しています。





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「いのち」と向き合うということ

2014-01-18 20:11:03 | 日記
今日は、2カ月ぶりに初女先生にお会いしました。

聖路加病院の細谷亮太先生との対談でした。

司会は、小児の在宅医療に取り組まれている前田先生

いのちと向き合い、いのちを支える3人の先生方の熱き思いに

心打たれました。

改めて、いのちと向き合うという事を考えさせられました。

前田先生が見せて下さった、難病の子供が初めて外に出て

お日様を見ている後姿の写真には、思わず涙が出てしまいました。

与えられた生きる時間は短くても、何も分からなくて逝った訳

ではなく、大切な事なみんな分かっていたのだと思いました。

そして、生と同じに死もまた与えられるものだと思いました。

初女先生は、「食べなければ生きられない。生むと同じ

くらい、食べさせることは重要と…」言われていました。

私達は、日本が豊かになっていく時代に育っているので、

初女先生の「食はいのち」を食べなければ生きられないと

いうほど真剣なものとして、考えていませんでした。

「いのち」を医療で支える先生と、「いのち」を食で支える

初女先生

「いのち」と真剣に向き合う先生達の生き方に、

私達母親が、いのちを支える食を作っていると思ったら

調理する心が少しでも違ってくるかもしれないと

思いました。









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