星月夜に逢えたら

[hoshizukiyo ni aetara] 古都散策や仏像、文楽、DEAN FUJIOKAさんのことなどを・・・。 

「身毒丸 復活」 観劇メモ

2008-03-14 | 観劇メモ(演劇・ダンス系)

公演名    身毒丸
劇場     シアター・ドラマシティ
観劇日    2008年3月2日(日)
座席     11列

今までまったく食指が動かなくて、観劇はこれがお初。
去年、文楽や歌舞伎の「摂州合邦辻」につながる作品だと知ってから、急遽
「身毒丸ファイナル」DVDをお借りして見た。
見始めてすぐに思ったのは、これはナマでなくては!ということ。
ようやく舞台で観た「身毒丸」は私には覗き穴の向こうに広がる世界だった。
「家」という約束事からはみ出した継母と息子のラブストーリー。
究極の嘘っぽい感覚にゾクゾクしながら貪り見た2時間弱。

<キャストなど>
身毒丸:藤原竜也  撫子:白石加代子 
父親:品川徹  せんさく:中曽根康太、渡部駿太
小間使い:蘭妖子  仮面売り:石井愃一  ほか
劇作・脚本 寺山修司 、 岸田理生   演出:蜷川幸雄




<寺山修司×蜷川幸雄、そして穴>
「この穴があれば世界のどこへでも行ける。・・・
小さく丸めれば覗き穴。地面に置けば落とし穴。」
怪しい身振りをつけながら、仮面売りの男が胡散臭い口調で身毒丸に言う。
この台詞、このシーンに私は妙に興奮してしまった。
身毒丸が死んだ母親に会いに行く場面だ。
まるで人さらいでもしそうな白塗り顔の男。異常に芝居がかっている。
(なんて嘘っぽい。でも、そこがワクワクさせるんだな。)
穴は赤い光を放っていてホラ、ここが異界への入り口だよと言いたげ。
穴を貸してくださいと、身毒丸が地面に置くと穴は青色に発光し始める。
不安な気持ちを断ち切り、エイッと奈落に飛び込む身毒丸・・・。
蝋燭をいっぱい立てた舟がゆっくり交差し合う、そこは三途の川なのか。
癒し系の音楽が感情を揺さぶり、一気に劇場全体が黄泉の国へと変わる。

寺山修司はこの芝居を<見世物オペラ>と称したそうだが、私には劇場その
ものが見てはならないモノを見るための「覗き穴」のようだった。
異形の肉体を誇張して見せる見世物小屋的プレゼンテーション。母親選び、
実は人買い。寄せ集め家族で遊ぶ「家族合わせ」。鬼の形相、継母の折檻は
お尻叩き。息子の反抗・拒絶、実は継母への恋慕の裏返し。幼い義弟を犯そ
うとする兄。等々。
そんな寺山修司が描いた原イメージを、耳なじみのある音楽と具体的なビジュ
アルで増幅してドラマチックに、時にはコミカルに見せる蜷川演出。
いや、どこまでが寺山オリジナルで、どこからが蜷川ワールドなのか、ほん
とのところはよくわからない。
「寺山の描いた身毒丸は前衛色の強いものだったが、蜷川の身毒丸は美しく
も生々しい」というプログラムの解説から推測するしかない。
気がつくと私は覗き穴をグイグイ広げ、目を爛々とさせ、夢中で見入ってし
まっていた。たぶん、寺山も蜷川も、どちらの要素が欠けてもこんなふうに
引き寄せられることはなかったのだろうと思う。

観劇後、本棚にあった『寺山修司青春歌集』を引っ張り出し、これも貪るよ
うに1冊を読み直した。自分の心にひっかかったものが何なのかを確認した
い思いで。
家族や古里の事を詠んだ短歌、長歌が多く、地獄、母、鬼、仏、死、といっ
た単語にどうしても目が留まる。痛々しかったり、切なかったり、美しかっ
たりする言葉に、劇中で短歌を詠む身毒丸の姿を重ねてみた。
日本の古典を題材にし、現代の物語に置きかえたこの芝居には、やはり寺山
修司という人の実人生の断片が散りばめられているように思う。

<愛の言葉>
父親がこだわった「家」が崩壊し、自由になった二人が再会する場面。
身毒丸はたった一人で家族合わせの続きをしていた。全員でやった時は母札
が4枚そろったのに、いまは「母札がどこにもありません」と泣いている。
撫子が現れ、その声に表情が和らぐ身毒丸の顔がいい。
継母である撫子をあれほど拒否し続けていた身毒丸なのに、盲目になって初
めて本質、自分の真実が見えたという皮肉。
あなたは撫子。
あなたはしんとく。
初めて見た時から撫子を、女として意識していたことに気づいた身毒丸が、
撫子に告白する言葉がこれ。
「母さん、もう一度ぼくをにんしんしてください」。

ついにナマで聞いてしまった。
男から女への愛の言葉としては、やっぱりちょっとヘン。
観劇中は、抜け落ちた母親の記憶を埋めるために、撫子に母性を求めている
のだろうと思っていた。
その後たまたま読んだ雑誌に、映画「ラスト、コーション」の監督のインタ
ビュー記事があった。
道教では、女性は自分を新しく世界に生み出してくれる門であり、死ぬ時に
は再びその門に帰ってくると言われている、とそんな内容だった。
男が女と一つになろうとするのは、ある意味、死ぬ行為でもあり、本能的に
生まれた場所をめざすのかもしれない。
もしもあの台詞を、分別のある大人の男が口にしたのであれば気色悪いけれ
ど、経験の未熟な少年が無意識に本能として口走ったのだとすれば・・・。
身毒丸のことが急に愛おしく思えた。
初役当時15歳だった藤原竜也くんは、この台詞を毎回いったいどんな感覚で
口にしたのだろうか。当時のインタビューがあれば読んでみたい。

<おもなキャスト>
●藤原竜也さん

身毒丸を演じる役者は、大人の男の色気を感じさせてはならないはず。
そういう意味で、この舞台でも藤原くんはまだ大人未満の美しさの中にいて、
藤原竜也=身毒丸だと最後まで信じさせてくれた。
照明を落とした舞台で行水するのは、継母に初めて「男」であることを意識
させる大事なシーン。ここでもスレンダーなボディで、男というよりも、若
い、しなやか、というイメージ。
身毒丸の場合、母親への反抗が暴力へは発展せず、逆に、鬼と化した継母か
ら逃げまどう弱々しい美少年という感じ。ひたすら耐える姿、苦痛にゆがん
だ顔から、最後に愛に目覚めるまでまさに渾身の舞台だった。

●白石加代子さん
非力な身毒丸とコントラストをなす、いかにも強そうな撫子。
鬼を演じる姿などこの人にとってはもう当たり前のことかも!
今回は特に声音の使い分けの豊かさに聞き入ってしまった。
「家尾守家のお母さんをください」「国尾守家のお母さんをください」。
この家族合わせでの声の抑揚と表情のつけ方のバリエーション。
身毒丸の生みの母親になりすました時の声と、鬼と化した声の差も。
(その時に流れる「つくり声、つくり声」という詞に笑ってしまった。)
場面場面で自在に演じ分ける女としての可愛らしさ、色気、恐ろしさも
あの声の変化とともに思い出せる。
歌舞伎に出てくるような大きな髪切り虫の登場にはビックリしたが、撫子
の長い黒髪もまるで生き物のように巻いたりしなったり、誘ったり媚びた
りするのが印象的だった。

『寺山修司青春歌集』角川文庫

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10 コメント

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おおっ! (しろう)
2008-03-15 01:41:50
ムンパリさんもご覧になっていたのですね!
(これまで食指が動かなかったのは、蜷川さんだったから?)
名古屋がいちばん先だったので(珍しいでしょ)、
あとから出てくる感想が楽しみでいろいろ読みましたけど、
いやあ、、さすがムンパリさん、すべてが新鮮な切り口でした!(期待どおり♪)
>私には劇場その
ものが見てはならないモノを見るための「覗き穴」のようだった。
そういわれてみれば、すべて繋がりますね!
うわ~、あらためてゾクゾクしてしまう・・。
>道教では、女性は自分を新しく世界に生み出してくれる門であり、
死ぬ時には再びその門に帰ってくると言われている、
へ~!もし道教のこんな説も下敷にしているとしたら、
もうどんだけいろんなモノ混ぜ込んでるんだ!?
って感じですね『身毒丸』ってのは。
白石さんの声について書かれたことにも、
なるほどなあと思いました。
返信する
名古屋組PartⅡ (みんみん)
2008-03-16 11:19:00
ムンパリさん♪
さすがですっ!さすがムンパリさんっ!知的ですっ!
舞台ってやっぱり、生で観てナンボなんだと思いますが
今回ほどそれを感じた事はありませんでしたー
先にDVDを観ていたからそう思ったのもありますが。
白石さんの髪、声、印象的でしたねー。
さすが!って感じです。
返信する
ううっ!(笑) (ムンパリ)
2008-03-17 02:34:08
しろうさん、2日間お江戸だったのでレスが遅れてごめんなさい。
今まで見なかったのは、母と息子の関係が生理的に受け付けないものだったから。実際に見てみると藤原竜也くんだからか、ぜんぜん大丈夫でした。
とにかく今回はストーリーの理解よりも感覚優先。語弊があると困るけど、居心地の悪さを思いっきり楽しんだ舞台でした。
あの愛の告白はホントに不思議(笑)。私にはあのインタビュー記事が一番しっくりくる解説だったんですよ(笑)。
返信する
あ、名古屋組さんだ!(笑) (ムンパリ)
2008-03-17 02:35:42
みんみんさん、あは。知的なこと何も書いてませんがな(笑)。
そうそう、私もDVDを見たからよけいに、この感覚はナマで感じないと意味ないと思ったんですよ。(エラそうに。)
白石さんの髪、動きがヘビみたいに見えませんでした?(笑)「撫子」という名の女性に白石さんをキャスティングした蜷川さんもすごい人だなあと思います。映像で見た若い頃の白石さん、すでにその頃からすごい迫力と存在感でビックリしました。
返信する
Unknown (スキップ)
2008-03-17 02:51:41
ムンパリさま
「お母さん、もう一度ぼくをにんしんしてください。」
というセリフは、ムンパリさんのように撫子に母性を
求めていると感じたというのは少し違うのですが、
私も自分の中でうまく咀嚼できずにいて何となく
モヤモヤしていました。
「ラスト、コーション」の監督(アン・リーかな?)
のそのインタビューの内容を知って、うーん、なるほど
と思いました。ありがとうございました。
寺山修司や岸田理生がどれほどその道教の思想に影響を
受けていたのか知る由もありませんが、あのセリフは
初演時に「すごく鍛えられました」とプログラムの
インタビューで藤原竜也くんも語っていたので、
蜷川さんがどんな意図を持って演出したのか、
竜也くんがそれをどう感じて発していたのか、
ほんとに、当時の資料があれば読んでみたいですね。
返信する
あの言葉・・・ (ムンパリ)
2008-03-17 12:40:08
スキップさん、やっぱりあの言葉ですよね。
語学に堪能なスキップさんならおわかりでしょうけど、何語だったか、あの瞬間ことを「小さな死」と言うそうなんですね。(日本語では動詞で使いますが・・・(^^ ; )
アン・リー監督のインタビューを読んだ時、寺山修司が対談か何かで「小さな死」に触れていたことを思い出し、私の中でつながりました。道教に限らず、洋の東西を問わず、生まれ出た場所と死と一体化願望はセットになったものなのではないかと。(こんな事をお昼休みに書いてる私って・・・。)
にしても、あの台詞はえらい個性的ですよね(笑)。初期のインタビュー発掘したいです~。
返信する
Unknown (とみ(風知草))
2008-03-17 19:33:34
>ムンパリさま
素晴らしい考察,ありがとうございました。なんというか,生理的になんともいえないものがあって,賛辞がつらつら出てきません。と,言い訳しながらレポ棚上げております。祝祭,見世物がキーワードですね。
返信する
祝祭・・・ (ムンパリ)
2008-03-17 23:01:38
とみさん、わかりますよ~。不快感も感想のうちだし、大声で言ってもいいんじゃないでしょうか(笑)。
とみさんは「ラスト、コーション」をご覧になっているので、アン・リー監督の言葉に何か思い当たるものがおありかなと思いますが。

> 祝祭,見世物がキーワードですね。
祝祭というとサーカスでしょうか? 実は私もそのイメージがありました。とみさんの祝祭視点の感想、ぜひお聞きしたいです。
返信する
最後に埼玉 (midori)
2008-03-24 22:30:15
コチラへのコメントは、お久し振りです。
(^^;
ワシントンからスタートした今回の公演なので、お先にアップされた感想は
観終わるまでチョッとガマンしていました。
もしかしたら観れないかもとも思っていましたけれど…。
舞台を観る前にはマッサラでが基本なんですが、ムンパリさんの感想を読むと
色んなことを知った方が、深く多様に味わえるんだなぁとも思えて…。

初めて観た時も、決して心地良いという感じはなかったんですが、でも!
どうしても心奪われるモノもある舞台だなぁと噛み締めました。
返信する
心地良さって・・・ (ムンパリ)
2008-03-25 12:47:21
midoriさん、こんにちは。
私も基本はネタバレ厳禁なんですけどね・・・。
別のお芝居の参考にと思ってファイナルのDVDを見せていただいた時はちょっと後悔しました。これは先に舞台を見るべきだったな、と。実はその後にナマ舞台を見ることもコロッと忘れてましたし(泣)。
その舞台に関する感想やネタバレは一切見なくても、周辺情報、元ネタなどは、調べておいたほうが楽しめ場合もありますよね。作品によりけりじゃないでしょうか。

> でも!どうしても心奪われるモノも
> ある舞台だなぁと噛み締めました。
ほんとにそうだと思います。心地よいものが必ずしも心に残るワケではないですね。むしろ、違和感や疑問が残るお芝居のほうが私は好きです~。
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