星月夜に逢えたら

[hoshizukiyo ni aetara] 古都散策や仏像、文楽、DEAN FUJIOKAさんのことなどを・・・。 

ビデオレター、突然思い出し書き。(追記版)

2008-09-02 | 演劇・ダンス・映画・音楽・古典・TV

映画「歌舞伎役者 片岡仁左衛門」上映期間にロビーで流れていたビデオレター。
とてもメモをとれる状況ではなく、レポするつもりもなかったのですが。
1週間以上たって、急にポツリポツリと断片的に言葉がわいてきまして(笑)。
(どこかで見たインチキ祈祷師みたいですが。)
せっかくなので、それらをつなぎ合わせてまとめてみました。

この記事を読んでくださった方が、私の思い出し違いの部分を補足して
くださいました。(松嶋屋ファンさま、ありがとうございます。)
さっそく文章を部分修正&追加変更しました。修正箇所は緑字の部分です。
このようなご奇特な方がもしも他にもいらっしゃいましたら、コメントを
残して頂ければ幸いです。(9/2夜追記)


メッセージの一部を語り形式で書きましたが、ビデオレターでは決してこの言葉
通りではなく、あくまでも大意
ということでご了解くださいませ。
(以下、ビデオレター出演順。)

2008年7月20日「七月大歌舞伎」楽屋にて

●愛之助さん
この映画は私も中座と下北沢に足を運んで見ました。
私は子供の頃に十三代目片岡仁左衛門の部屋子にして頂き、それから松嶋屋とご
縁ができましたので、大変ありがたいことだと思っております。部屋子になった
時につけていただいた名前が千代丸といいます。
(このあと同じく十三代目さんによる愛之助命名の話が続く。)
片岡家の養子になりました時に、秀太郎を父と呼ぶのが最初はむずしかったんで
すが、それよりも大変だったのが十三代目を祖父と呼ぶことでした。大先輩、と
いうより、私なんかのはるかずっと上におられる、すごい方ですからね。
(ほかに、十三代目さんがダンディであること。電車の時刻表を全部覚えておら
れた話。愛之助さんが免許取り立ての頃に緊張しながら運転手を勤めた思い出話
などがあったと思います。)
この映画をごらんになられたら、少しでもたくさんの人に、片岡仁左衛門という
こんな歌舞伎役者がいたんだよということを、ぜひ伝えてほしいですね。

●我當さん
この映画は昭和天皇にも御覧頂いたそうです。私もその中に出ておりますので、
陛下にお会いしました折に、私のことも覚えていてくださったのが嬉しかった
ですね。
陛下が相撲をお好きなので、父がどの関取がご贔屓ですかと尋ねましたら、それ
は言えませんと答えられまして。それはそうですねと笑った思い出があります。

●進之介さん
祖父が公人としている時は空気がきれいになるんです。
でも、いつもというわけではなく、祖父にもワガママなところもありました。
いい天使と悪い天使じゃないですけど、両方の祖父がいましたね。
我が家は祖父が中心で、どんな時もまず祖父からでした。
たとえば出かける時、おばが着替えを手伝っていて祖父の着替えが出来上がると、
さ、行こう!と。私たちはまだ誰も服を着てない、ってよく笑ったりしました。
この映画はビデオになっていないので、私たち身内も持っていません。ですから、
皆さんと同じように上映会の時に見るしかないんです。めったに見られませんの
で、皆様もどうぞこの機会にご覧ください。

●孝太郎さん
この映画のお話を頂いた時、最初は反対したんです。家の中がありのままに映
されるなんてとんでもない、と。汚い台所とかそのまんまですから(笑)。
でも出来上がったのを見せて頂いたらよかったなと思いました。
皆さんには防犯カメラを覗いているような感じで楽しんでいただければ。
映画だけ見るとまだ生きていると思われる方がいらっしゃるかもしれません。
亡くなる直前の話ですが、自宅で寝ておりまして、突然夜中に起きてこんなこ
とを言ったそうです。
「静香さん、あそこの台詞はなんだったかいなあ。」
本当にずうっとお芝居のことばかり考えてた人だったんですね。人間国宝もた
まには一つぐらい台詞を間違えてもいいんじゃないかと思いましたけど。

●秀太郎さん
長生きも芸のうち、と言いますが、父は80歳を過ぎてから脚光を浴びた人だった
んですね。同年代の方が次々と亡くなられたということもありまして、その方た
ちがなさってたお役が回ってくるようになりました。
国立劇場で「菅原伝授手習鑑」の菅丞相をやらせて頂いた時も大変嬉しかったん
だと思います。以前に勘三郎さん(十七代目)が主役をされた時に脇主役を演じ
てまして、その時もおそらくその役をやりたかったんだと思いますね。
ですから、評価して頂けるようになったのも大変遅うございました。
父は平成5年12月の南座での公演途中まで舞台に立って、次の公演を休んで自宅
で3カ月間寝て、それから90歳で亡くなりました。最後まで役者としてお芝居の
ことを考えていた人でした。

●仁左衛門さん
(たっぷり語られたのですが、自分でも信じられないことにお顔に気をとられ
て、ほとんど内容を覚えていません。なので断片の羅列ということで。汗。)
・僕は父のことを語るのが苦手でしてねぇ。(ここでちょっと照れて困ったよう
 なお顔をされていました♪)すごく素敵な人なんですね。
・父はすごく優しい人でしたね。
・羽田監督の映画の作り方が大変素晴しくて、音楽も何もないんですが、すごく
 いい映画にしてくださっています。汚い台所なんかもそのまま映ってます。
・ひじょうに長い映画ですが、どうぞご覧くださいますようお願いします。

内容がヘンに誇張されたり、歪められたりすることなく作られたこの映画のこと
を皆さん異口同音に、そこがいいとおっしゃっておられました。


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2 コメント

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私も思い出し (松嶋屋ファン)
2008-09-02 12:56:01
メモもなさらないのに良くぞここまで思い出されましたね。敬服の至りです。すごい!
私も思い出しています。
○進之助とあるのは、あそこにも訂正のお詫びが掲示されていたように、正しくは進之介さんですね。出かけるときにまず祖父を作るのは「おば」(伯母様・叔母様)と言われたと思います。
○孝太郎さんのところにある「台所」云々は仁左衛門丈のお話でした。
○秀太郎さんが、父がとても喜んだという○○○は「菅原伝授手習鑑」の菅丞相です。13代目極めつけの神品と言われたお役で、その記録映画を羽田監督が撮られたのが縁で今回の映画を撮る事になったので、秀太郎丈もそのお話をなさいました。
○仁左衛門丈のところにある「ダンディ」云々は愛之助さんの言葉でした。
大変失礼しました。ごめんなさい。
返信する
ありがとうございます♪ (ムンパリ)
2008-09-02 22:36:54
松嶋屋ファンさま。
このたびはあやふやな記憶を補足して頂き、どうもありがとう
ございます。大変嬉しいです~♪
片岡家の人々のお顔を思い浮かべているうちにフシギと言葉が
浮かんできまして、勢いで中途半端なままアップしてしまいました。
でも、おかげでこんなふうにいっしょに思い出して下さる方が
いてくださり、心強い限りです。
ご指摘の件、あ、そういえば! と思い当たることばかりです。
さっそく修正させて頂きました。
もしも何か思い出されましたら、ぜひまたいらしてくださいませ。
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