菱沼康介の、丸い卵も切りよで四角。

日々の悶々を、はらはらほろほろ。

終末から月曜日まで。  『2012』

2009年11月30日 00時02分20秒 | 映画(公開映画)
 
で、ロードショーでは、どうでしょう? 第89回。



「なんか最近面白い映画観た?」
「ああ、観た観た。ここんトコで、面白かったのは・・・」







『2012』




ローランド・エメリッヒの映画が好きだ。
巨大な舞台を扱う映画、スペクタクルだからじゃない。
彼の物語の主人公は迷いなく邁進する。
もちろん、まったくじゃない。
せいぜい躊躇するぐらいだけど。
そうせざるを得ない状況が目の前にあるからだ。
迷う時間が長ければ、自分もしくは目の前の誰かが死ぬからだ。
その推進力にエネルギーをもらえるから。


彼の巨大感はロマンティック。
地面が数十メートルぐんにゃりと沈む。
列車、しかも、地下鉄が飛行機に上から飛び込んでくる。
噴火の火の玉の雨が降り注ぐ。
ビルがドミノ倒しになる中を車で走りぬける。

ロマンティックな映画で活躍して来たジョン・キューザックを起用しているのも、その一つかもしれん。
『スターゲート』のジェームズ・スペイダーとか、『インデペンデンス・デイ』のウィル・スミスもロマンティックだ。


破壊の、この興奮。
世界の終わりを、億の単位の人の死を、悲壮感無く描くのは、ハリウッド的で素晴らしいエンターテインメントだ。

不謹慎?
人の死を楽しんでいるんじゃない。
形あるものが壊れるときの圧倒的な美しさ。
それがあるのだ。
黙示録だ。
地獄めぐりだ。
キリスト教のノアの箱舟、宗教的説教だ。

人類の愚かさを笑いもする。
金持ちは助かり、貧乏人は死ぬ。
だが、それでも人類の貪欲さの象徴している。
ただの人がヒーローになる瞬間がいくつも描かれる。
それが自分が招いた災厄でも、自分で責任を取ることで、ヒーローになることだってあるのだ。
ちょっとしたミスで、何百人が死ぬとも、それは花火のようなものだ。

この映画への批判は物語の批判としか機能しない。
なぜなら、これぞ映画の王道だからだ。
このばかばかしさは娯楽の王道だからだ。
この巨大な無駄遣いと、マジメくさった顔した悲劇と能天気なエンディング。
竜頭蛇尾?
前半が激しすぎるから、どうしてもね。
特に今回はそれが強いかもね。
そう、ビールみたいなものだ。
最初の一口は、最高。最後の一口はジョッキの底で次の一杯の一口目のために、飲まれるほとんど無い。
そう、もっとすごい映画を見たいなぁと、欲求不満にさせて、終わるんだ。
そして、また最高の前半から中盤を次の映画で見せてくれる。
それがエメリッヒ映画だ。
これは、その最高峰。
 
そのロマンティックには、大スクリーンが似合う。
小さい画面では叫べないじゃない。
出来るだけ、でかいスクリーン、大音響で。
この映画には、みんなと息を飲んだり、いっしょに叫ぶ楽しみがあるんで。




 

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