木浦すみつけ祭り

大分県宇目町大字木浦鉱山。
鉱業は中止され、本祭も休眠状態となっています。

フェイクブック

2016年02月29日 | 記録
 裏祭の翌日は山仕事に行きました。
 でも二日酔いでグラグラだったので、事故に繋がりかねないと早めに帰宅しました。


 現場は10本弱伐倒していますが、折り重なっているので玉切るにも注意が必要です。
 最後の一本の枝を切った瞬間に、20mの丸太が一気に滑り落ちることがありますし、丸太の荷のかかり具合で材が暴れることがあります。
 昨年ですが、複雑に力のかかった丸太を切る際に親父に下がっておけと忠告するも大して応じず、危うく弾き飛ばして死なせるような経験もあります。
 なので体調不良により無理をせずに仕事は止めました。

 帰りがけに先生の家に寄りました。
 私の父が小学校6年生の時に受け持って頂いた方です。

 私自身の思いと事務局長との思いが繋がって、新たな企画をしてみようという話になりました。
 なので、先生に相談しました。

 当方の企画に対して「悪ぃとは言わん」と謎かけの様な返答です。
 先生と1時間30分話しました。
 総論としては、木浦鉱山に生を受けたものとして、その歴史を知った上で誇りを持って生きていけ、とおっしゃりたいようです。

 誇りを持っているから祭りを続けているつもりです。
 先生に「戸閉を俺に任せちょけ」と言ってしまいました。

 それにしても先生は物知りです。
 木浦鉱山は徳川家康の火縄銃の鉄砲の鉛を確保するため、家臣であるナカガワさんに統治されていたらしいです。
 徳川家康にも認めらていた木浦鉱山です。
 プライドが急上昇しました。
 アゲアゲです。

グランドフィナーレ

2016年02月28日 | 記録
 やっと天気に恵まれて裏祭を行いました。



 すみつけ祭りは多くのマスコミの方に取材頂いています。
 でも、「すみつけ祭の裏祭」のことを取材して頂いたことはありません。
 なので「スクープになりますよ」と冗談半分で取材をお願いしていました。
 掲載して頂いた感謝の意を込めて紙面紹介させて頂きます。
 合同新聞を読むとモテるらしいです。

 それにしてもやっと終わりました。
 ハイライトシーンをご紹介します。

 ミッチーが点火しようとしていますが、ライターがヘタレだったので苦労しています。


 大幣の姿が見えてきました。


 今回は熊野社のネバリ勝ちです。


 大分合同新聞社様にスクープされる瞬間です。
 木浦出身のミワちゃんが歳も忘れて桜の木に登っての撮影です。


 で、ミワちゃんが撮ってくれました。
 やらせではありませんが、子どもたちが「どんど焼き・木浦」とグラウンドに落書きしてくれていました。
 この時すでに16時くらい。


 この時20時くらい。
 残党組で火の守をします。
 20時30分に解散しました。


 二次会の様子です。
 我が家に一人だけ、わざわざ福岡から二次会要員が来ました。
 本人にお断りの上ドアップです。
 まったりとベロベロになっています。


 明けて次の日。
 何事もなかったように完璧に片付けをしました。
 「飛ぶ鳥跡を濁さず」です。
 そんな最後を目指しています。



 裏祭の準備中に、当方の実家が門徒のお寺の和尚さんにお会いしました。
 「ブログ誰が書きよるん?」との質問。
 「俺も知らんのよ~」とお伝えしました。
 私です。

天神原(補足)

2016年02月27日 | 記録
 坑口が残っている山の上に天神原という場所があります。
 その付近で一番高い山が天神原山です。
 等高線入りの地図で見ると分かり易く、坑口が散在していると言われる場所は急峻なのですが天神原付近はなだらかです。
 やはり、先生が推察するとおり「天神天満社を祀るホコラが散在する原」なのかもしれません。


 天神原には宇目町指定文化財があります。
 女郎墓です。

 子どものころに聞いた話です。
 最も木浦が栄えた時代には、映画館、パチンコ屋、そして遊郭まであったそうです。
 その遊郭で働いていた女性は木浦の外から入ってきた人で、亡くなった後は実家に帰されることもなく木浦に身寄りもなく、地区から離れた天神原に葬られたそうです。

 今でも雑石を積んだようなホコラの残骸があります。
 せめて天神天満社のご加護をという配慮か、地区から少しでも離れた場所にという敬遠からなのか分かりませんが、悲しい歴史があります。

 いつの時代も同じですが、何かしらの形で繁栄の裏には別の苦しみや悲しみがあるように思います。
 当時は人権とか倫理とかの概念が薄い時代だったでしょうから、今では考えられないような弱者に対する迫害行為のようなものが横行していたのかもしれません。

 私自身、そのような方々のおかげで生を受けている末えいかもしれないことを自覚しなければならないのかもしれません。


 昨晩、ジュンくんの奥様から「何でもいいから毎日呟いて…」との応援メッセージを頂きました。
 今日の裏祭が終わったら、残念ながら基本的に休眠モードになる予定です。
 あしからず…。

天神原(余談)

2016年02月26日 | 記録
 昨日の投稿後、改めて読み直して思いました。
 もし天神原という固有名詞をご存じ頂いてない方が読んだら、なんのこっちゃ分からないだろうなと…。



 そもそも木浦では銀やスズが採掘されていたのですが、その坑口は黒線丸印付近に多く残っているらしいです。
 代表格の坑口に「千人間府」というのがあります。

 子どものころに聞いた話です。
 ある日の朝、一人の鉱夫が奥さんと鍋墨をふざけて付け合いながら仕事をさぼっていたそうです。
 その鉱夫が働いていた坑道では、1日に千人の鉱夫が働いていたとのこと。
 しかしその日は「千人-さぼり鉱夫1人=999人」が坑道に入っていましたが、たまたま犬が1匹入っていました。
 たまたまその日に落盤事故が発生し、「999人+1匹=千人」が亡くなったので、その坑道は千人間府と名付けられました。
 さらに、鍋墨を付け合って遊んでいた鉱夫だけが落盤事故を免れたことから、縁起を担いだ安全祈願としてすみつけ祭りが始まったとのことです。

 誰が考えた話か知りませんが、事実無根の物語だと思います。

 でも、一人だけ信じている方がいらっしゃいました。
 宇目振興局の観光担当ご担当者様です。

 先般、祭りPRのためラジオ放送でインタビューを受けることとなったそうで、祭りの云々についてレクチャーしていたところ、担当になってからの3年間、ずっと祭の由来については前述の物語を説明していたようです。
 事実無根であることを伝えると、大変なショックを受けていました。
 まぁ、その説明を受けたとしても真に受ける人はほぼいないはずなので、安心してください。


 天神原の補足説明をするつもりでしたが、余談を吐露しまったので、続きは後日。

天神原

2016年02月25日 | 記録
 先日、とある見知らぬ方から「今度天神原山に登りたいんだけど、何故『天神原』という名前なの?」と聞かれました。
 自分の名前の由来を親に尋ねるのは当り前として、地名の由来を尋ねてくるとはつわものです。


 困った時の先生頼みで、木浦の生き字引の先生に尋ねました。
 さすがの先生も明確な回答は難しいようでしたが、一つの説を教えてくれました。

 当時、鉱山は複数の請負者によって採掘されており、○○組とかいうような複数のグループで仕事をしていたとのこと。
 なので、坑口が多い天神原付近にはそれらのグループが祀った複数のホコラが散在しているらしいでのすが、それらのホコラは全て菅原道真を祀っており、その関係で「天神の原」という名前になったのでは?とのことでした。
 ちなみに、それらの散在したホコラを集めて下したのが金山開神宮らしいです。

 さすがです。
 もっともらしい説です。


 傾山が祖母山とケンカして綱引きをした結果、傾山が負けて山が傾いたから「傾山」という物語よりも、すごく現実的な説得力があります。

 電話でこの話を聞き出すまでに15分くらいかかりました。
 その他は聞いてもいない神社に関するうんちく話でした。
 あまり興味がないので、どんな話だったか覚えていませんが…。

 今度は「木浦鉱山」と韓国の「木浦市」との関係について聞いてみたいと思います。

50%未満の怪しい電話

2016年02月24日 | 記録
 先日、「東京の投資家」と名乗る男性から木浦の大理石に興味があるとの連絡がありました。

 木浦と落水を包み込むように通称囲山(カコイヤマ)があり、十数年前までエメリーという鉱石が採掘されていました。
 この鉱石はダイヤモンドの次に固い鉱石らしく、道路の滑り止めとしてアスファルトに混ぜられていたようです。

 一方、私が小学生のころには「ジャパンマーブル」とかいう人たちが大理石も採掘していました。
 1日1回は10トンダンプに大きな大理石の一塊を、明らかに過積載気味に搬出していたのを覚えています。

 その方曰く、木浦には今でも上品質の大理石があり、推定埋蔵量云十億だそうです。
 トン換算ですかと尋ねると、円ですと言います。
 その方は、鉱山が衰退した木浦の大理石採掘に改めて投資すれば、木浦に雇用が生まれて地元経済の再生に繋がるし、投資に対する見返りも期待できてウィンウィンとの見解です。

 お伝えしました。
 木浦に今更鉱山で働けるような年齢層の人はいません、もし事業を起こすなら外部からの資本と労働力がなければ無理ですよ、と…。
 少しテンションが下がった様な反応でした。

 この方、木浦で大理石が採掘されていた顛末をかなり丁寧に調べていらっしゃるようで、怪しさは50%未満とお見受けしました。
 人が見向きもしないとこに目を向けないと、金持ちにはなれないのでしょうね。

折る刃

2016年02月23日 | 記録
 これまで大幣を刻むときには、いわゆる切り出しナイフを使っていました。


 こんな感じの工作ナイフですが、これはホームセンターで数百円で売られているもので実際に私の物です。
 先日、瞬間接着剤の口が固まっていたので口を切った時に飛び散った接着剤が固着していますが、ちゃんと切れます。
 ちなみにオッチャン達は、柄が木製のいわゆる小刀を使います。

 代々、大幣を刻むときの定規は木製で、かなり力んで刻むので下手をすると定規をそぎ切ったりすることがありました。
 しかし、前回からステンレス製の大幣型定規を導入したことによってナイフの刃のダメージが大きくなりました。
 しかも、これまで二人1組で向き合ってでなければ刻むことができなかったこの作業を、今回ミッチーがカッターだったら一人でもできることを実証しました。

 祭は2年後ですが、思い立ったが吉日でカッターを購入しました。
 購入先は楽天市場です。
 商品はこれ

 OLFA社製の大きめのカッターです。
 5本買いました。
 アルファベットバルーンを購入した時の様にリサーチ不足で失敗したこともありますので、色々調べていると面白いうんちくを発見しました。
 「折る刃」だそうです。

 いろんなメーカーがありますが、今後はメイド・イン・ジャパンのOLFA社製を買おうと思います。


 それにしても大幣切りと言えば、木製の定規に木製のまな板、昔ながらの小刀で幾晩もかけて行っていました。
 それが今や、カーッターにカッティングマット、大幣型定規を導入することによって大きく効率化が図られ、たったの1日で完成することができます。
 誰も言ってくれないので自分で言います。
 すべて私の仕業です。

 もしかしたら効率化を進めることによって、失うべきではない何かがあったのかもしれません。
 でも、今のところそんな声もないし自覚もないし、純粋に進化しただけだと思っています。

 久しく先生は大幣きりに来ていません。
 この様子を見たら、「祭を何と思うちょるんか?」と言うかもしれません。
 「イベントではなく文化です」と答えます。

まえがき

2016年02月22日 | 記録
 先日、ブログ閉鎖宣言をしました。
 1日だけ喪に服しましました。

 まぎらわしいことするなと思われる方もいるかもしれませんが、私なりの一応のけじめです。


 このブログサイトのタイトルは「木浦すみつけ祭りの舞台裏」です。
 でも、今日から2年間は「木浦すみつけ祭りの舞台裏の裏の木浦の様子」をテーマにして、気が向いたら更新します。

 このサイトをはじめたきっかけとしては、
 ①木浦出身のみんなに「すみつけ祭り」という無形の媒体を介して、木浦のことを懐かしんで頂きたいこと
 ②祭を運営する上で、どんな要素が我々に苦悩を与えているか第三者に知って頂きたいこと
 ③初投稿時には、私が焼酎を呑んで酔っ払ってテンションアゲアゲで、勢いで投稿してしまい引っ込みがつかなくなったこと
 以上、三つの要素がたまたま重なり、このサイトが誕生しました。

 
 連日投稿は疲れます。
 今日からは、木浦の日常の出来事を仲間の皆にお伝えするようなコンセプトで、少しずつ呟きたいことがあったら呟きます。

 今後とも引き続き、木浦に対するご愛顧のほどをよろしくお願いします。


 先日の大分合同新聞で、改めて祭のことをご紹介頂きました。
 今回もミワちゃんが良い写真を撮ってくれていました。
 新聞記事によれば、事務局長のミッチーはいつの間にか三重町に転居していたらしいです。
 祭の準備の忙しさのあおりで店に泊りすぎなので、誤解を与えてしまったのかもしれません。

あとがき

2016年02月20日 | 記録
 ブログをはじめて、77日間毎日更新してきました。
 ネタがツキそうなこともありましたが、予期せぬことが発生したりして毎日更新することができました。
 裏祭まではと思っていましたが、もうネタがツキました。
 絞り出したような面白くもないネタで、裏祭まで繋ぐのもイサギ良くないので、本日の投稿を持って2年間休眠します。

 小学生のころに聞きました。
 東京の葛飾区に亀有という交番があるそうです。
 その交番には「日暮(ヒグラシ)」さんという警察官がいたそうですが、毎日24時間熟睡し4年に1度オリンピックがある年に目覚めて、しかも数日しか勤務せず、また眠りについていたそうです。
 某大手放送局の秋元先生監修の人気番組「プロジェクトチェックス」でその話を聞きましたが、インパクトのある話なので未だに覚えています。
 後にやらせだったことが分かり「プロジェクX」は現在中止されています。
 日暮さんほどではないですが2年間熟睡します。

 くだらないネタですみません。


 さておき、思い起こせば…。

 酒飲んで下書き投稿したつもりのものが、翌朝見たら本投稿になっていたことに焦ったことがありました。

 「雨を覚悟で祭を決行します」と手動投稿した後に、自動予約投稿したことを忘れていて「祭を順延します」とアップされて、皆様を混乱させたこともありました。この件に関しては、不幸にも第一通報者は大分県のご担当者様でした。

 隠語を使って仲間内の笑い話になるように記述したこともありました。
 サイトアクセス拡散状況を把握するにつれて、当事者の耳に入るのではないかと今更ビビっているところですが、まぁウソを言ったつもりないのでクレームがあれば適当に謝って削除します。
 実は先日金曜日、某先生事務所から電話がありました。
 一瞬「!」と思いましたが、参加させてくれてありがとうの連絡でした。

 最後に、ブログをはじめてから今日まで頂いたアクセス状況をご報告です。
 ブログをはじめてからの1週間は無料サービスで、サイトアクセス状況をお知らせしてくれます。
 それ以降は有料です。
 なので、自分で毎日のアクセス状況を記録していました。



 これがその通知表です。
 赤線の訪問者数は1日の間にアクセスしてくれた人(IP単位)の絶対数、青線の閲覧頁数はブログ投稿日を1ページ単位とした1日あたりの閲覧合計頁数です。

 最高値は、祭り当日13日の訪問者数172人、閲覧ページ数913頁です。
 タカくんの姉ちゃんみたいに「今日はすみつけ祭りだなと思ってググって、たまたまヒットして一気に見ちゃいました」という方が多かったんだと思います。
 木浦のことを懐かしく、親しく思って閲覧して頂ける方々に、少しでもリアルに情報をお届けできたなら光栄です。

 次回は、神社総代の意見の相違もなく、イレギュラーなVIP来訪もなく、チーンカン・チーンカンと呟く馬の夢を見ることもなく、祭がスムーズに催行できますように…。
 などと言いつつ、「今度こそは晴れますように」と絵馬に書いて山ん神に納めておきます。



 以前から思っていました。
 私も含めて、若い人は木浦からみんな出て行ったけれど、出て行きたくて出て行ったわけではなく、経済的とか住環境的に整わないからやむなく出ていきました。
 木浦小学校で育った人間のうち、木浦に住んでいるのは大喜の奥さんだけです。

 でも、離れても木浦を思う気持ちはみんな一緒で、生まれ育った故郷、年老いた親が暮らす木浦のことは気になっているはず…。

 そんな方々に、木浦の最新情報をできるだけ速やかにお伝えする方法はないかと以前から思っていました。
 今回、すみつけ祭りがきっかけでブログを始めることができて、以前から考えていた情報伝達手段を実行することができました。
 稚拙なブログにお付き合い頂きありがとうございました。
 次回のすみつけ祭りでリアルにお会いできることを楽しみにしています。

 チャン♪チャン♪

反省③

2016年02月20日 | 記録
 先日、振興局の担当係長様と話をしました。
 係長には落水地区内の縦列駐車場の担当をして頂きました
 落水は駐車場の最前線で、会場から離れているため御来場者も嫌がるようですが、どうしようもありません。
 こんな感じです。

 
 これは、すみつけが始まった頃の11時25分に撮影された状況で、ここから会場まで800mくらいの道のりがあります。
 これが今回の最後尾です。

 ちなみに、前回はもっと奥の方まで縦列駐車されていました。
 マスコミ各社と集まって話をしているときに「主催者発表の入込数は?ちなみに前回は600人ですが…」と尋ねられました。
 今回は、大根を600人分用意しました。
 なので「600でお願いします」と即答しました。
 その日のニュースで各社とも600と報道して頂いていました。
 
 実際は、せいぜい300前後だと思われます。
 でも多分、誰にも迷惑をかけないし誰かを傷つける嘘ではないので、後ろめたくはありません。
 まぁ、マスコミもソッココです。


 係長から面白い話を聞きました。
 とにかく木浦に近い所に車を止めたがる男性が、祭開始寸前頃に来られたそうです。
 男性:「私は全国の祭を写真に納めるカメラマンだ。だから近くに止めさせろ」
 係長:「この祭りには大分県中のマスコミが来ているが、貴方の様にギリギリに来て我が物顔で車を止めるような方はいない。縦列最後尾に行っていただきたい」
 しぶしぶ最後尾に行っていただけたようです。
 毎回、アマチュアカメラマンの中には、ルールを守って頂けない方がごく少数ですがいらっしゃいます。

 今回も荒神を撮影しようと本殿前の階段で待ち構えていたカメラマンは沢山いましたが、我々の誘導に素直に応じていただき、混乱なく荒神は参道を歩いて行きました。
 皆様のご協力に感謝です。

 ところで、そろそろ酸欠になりそう。

反省②

2016年02月19日 | 記録
 今回、せめてものおもてなし企画として「しょうが湯」を無償配布しました。
 といっても、当方には限られた人員しかいないため、宇目振興局所属の地域支援員2名と地域おこし協力隊1名に対応して頂きました。
 お礼に「神の水」を差し入れしました。

 これに加えて、小野市地区の御婦人方による「ぜんざい」の配布も行われました。



 向かって右がしょうが湯、左がぜんざいです。
 結果、ぜんざい完売、しょうが湯惨敗でした。
 次回の教訓にします。


 今回も実行委員会では若干議論になりましたが、無償配布コーナーに募金箱を設置しました。
 前回は中身が見えない募金箱、今回はスケルトンの募金箱。



 結果は前回の約1.8倍の募金を頂きました。
 それでも、「ぜんざい」と「しょうが湯」を併せた無償配布経費には届きませんでしたが、スケルトン効果がありました。
 時と場合によるかもしれませんが、当方の社会実験の結果は明白なものでした。


 それともう一つ。
 祭り当日には、当方からお願いしてはいませんが、多くの方々からご寄附を頂いています。
 祭り翌日に勘定していたところ、目を疑う封筒がありました。

 驚きを隠せず、その寄付者様だけには、失礼ながら電話でですがお礼をお伝えしました。
 曰く、「木浦にはいろいろと迷惑をかけていますから、気持ちです」とのこと。
 それにしても、気持ちが大きすぎます。

 後日振興局担当者様とお話をするなかで、このビックリ話しの件になりました。
 担当者様曰く「だから仕事が繁盛するのよ…」とのこと。
 確かに…って感じです。
 勉強になります。

ブログがやめられなくなりました…。

2016年02月18日 | 記録
 前回は、雨天により祭を翌日に順延し、どんど焼きは30年に一度の大雪で翌週に順延しました。
 今回は、雨に見舞わた中で祭を強行し、どんど焼きも雨に見舞われそうです。

 やはり、雨乞いの絵馬が山神社にあるはずです。
 次回の祭は、「必ず願いをかなえてくれる神社」と自称して、絵馬の販売を本格的に検討してみる価値があるかもしれません。
 その際、販売代理店は藤○屋にお願いすることとします。
 実行委員会の直販は行いません。

 若手皆に翌日の日曜日に順延するのが良いか、1週間順延するのが良いか聞きました。
 結果、1週間延期の方が良さそうです。
 もともと、今週土曜日は締め太鼓担当のDr瓶くんが、ポイントカードを持って京都にツアーに行く関係で不参加確定でした。かなりポイントが貯まる旅行らしいです。
 なので、1週間延期して来週土曜日に順延します。
 大幣も1週間寿命が延びました。


 しかし、これでブログをやめられなくなりました。
 これ、結構時間と気を使います。
 投稿した後に時間をおいて見直して、要らんことを書いたなと反省することもしばしばあります。
 意外と大変です。

 ブログ開始以降、毎日更新してきました。
 木浦出身のみんなにフレッシュな情報をリアルにお伝えしたい気持ちから皆勤更新してきました。
 ゴールが見えていましたが、ゴール寸前でゴールテープが「ビューン」と目の前を走り去って行きました。

 まぁ、祭の写真を見返しながら、お礼の気持ちとか悪口とか綴って1週間をしのいでみたいと思います。

 昨日、同僚の女性から「ブログ、一気読みしたよ」とのご報告がありました。
 「最後、どうなるん?」との質問。

 裏祭が終わったら連日更新はやめるつもりですが、最後は「通知表」を公表して締めたいと思っています。
 

反省①

2016年02月17日 | 記録
 祭り当日は強めの少雨が正午まで続きました。
 ご来賓の方々に傘をさして頂くのは失礼なので、急遽唄げんか踊り子用テントを流用して来賓用テント(=来賓席)を準備しました。

 開会前はその席に木浦のオッチャン達が座っており、来賓が来たら席を空けるように説明しておきました。
 ステージ左側のオレンジテントです。



 無事神事が終わりそこに戻ってみると、見たこともない方々が沢山座っていました。
 やっぱり…案の定です。
 その御一行は、大分県を代表する経済界の重鎮でした。
 その方々が自主参加頂くことは承知していました。
 でも当方からの招待者ではありませんので、特別な席は設けないと御一行関係者に徹底してお伝えしていました。
 にも関わらず、その方々に占拠されていました。

 「ここは来賓席ですの御退席くださいと」ソコソコの雨が降る中、丁重に御退席願いました。
 恐らく、テントの中のその席が自分達の定位置だと思っていたのでしょう、ケゲンな面持ちで出て行かれました。
 当方も、御一行をマークしておく必要がありましたが、まさかの想定外でした。
 御一行の首謀者がどんな案内をしたのか知りませんが、不愉快の矛先はその方に向けていただきますようお願いします。

 かくして、来賓の皆様に無事御着席いただきました。
 
 ステージ上に御着席いただいた4名ですが、右から来賓の佐伯市長、大分県南部振興局長、一般参加の礒崎参議院議員、主催者の保存会長(=区長)です。
 礒崎先生にはわざわざプライベートでお越し頂きましたので、一言ご挨拶いただきました。

 テントの中、前列のお一人が谷川建設工業の社長様で、木浦の除草作業に毎年、祭り会場の掃除作業などに毎回ご加勢頂いており、木浦とは10年来のお付き合いです。
 後列左から木浦エメリー(株)の社長様です。「エメリー」という鉱石を採掘していましたが、今では既に閉山しています。私が子供頃は木浦鉱山の産業と言えばエメリーだけでしたが、今となってはその需要の変化でやむなく閉山しています。
 その右隣は宇目を代表する建設会社の会長様です。今回、金山開き神宮へのアクセス道を整備して頂きました。聞いたところによるとバックホウを持ってきて、従業員7名ほどで整備して頂きました。我々だけでは到底できる仕事ではありません。
 さらにその右隣は、宇目振興局長様です。祭を再開した時の担当係長様で、当時押し売り迷惑な警察などからのご指導に対して喧嘩ごしに対応してくれた恩人です。未だに当時の警察とのやり取りを面白おかしく話して頂きます。
 木浦がお世話になって頂いている方の中から、心苦しくも厳選させていた面々の方々です。


 当方、資金面、資器材面、人材面、どれをとってもギリギリで運営しています。
 ましてや荒天のために、多くの方々に不愉快な思いをさせてしまったかもしれませんが、ご容赦ください。

裏祭の準備

2016年02月16日 | 記録
 今日は消防署にどんど焼きをする旨の届けをしました。
 「火災と紛らわしい云々をする旨の届出」という手続きです。

 その時の注意事項として、「強風注意報とかが発令された場合は点火しないでね」とのこと。
 この時期は、警報ならまだしも注意報なんて頻繁に発令されます。

 なので、消防車を待機させての点火をいつもしています。
 以前は、大幣の半紙に火がついて、その半紙が火の玉状態になって山に飛んで行っていました。
 よく山火事にならなかったと思います。

 火事だけは起こすわけにはいかないので、前々回から火事予防の対策を講じています。
 その模様は当日の様子をご紹介する中でお伝えします。


 この裏祭、前回までは昼から準備を始めて3時頃から点火していました。
 今回は3時間前倒しして、正午に点火予定です。

 というのが、オッチャン、オバチャンたちは暗くなっても意外と帰りません。
 しかし、普段の足取りを見ていると少し心配です。

 なので、3時間繰り上げて明るいうちに解散することを予定しています。
 ただ呑み時間が長くなるだけに終わるかもしれませんが…。

 それにしても、またもや土曜日がピンポイントで雨くさいです。
 前回は恐らくですが、30年の一度の大雪に見舞われて、裏祭は翌週に延期したように記憶しています。
 最近天気に嫌われ気味です。

木浦の裏祭

2016年02月15日 | 記録
 大幣はすみつけ祭が終わった当日に神社の入口に1週間奉納されますが、その後は焼きます。
 みんなで刻んだ大幣は、みんなに見守られて成仏して頂きます。

 どんど焼きは、正月明けに正月に使用した祭事の道具を焼く炎を見ながら、神々を見送る日本全国に伝わる文化、いわゆる送り火らしいです。
 先日、重岡駅前でウィッキーさん(祭で合った学生さんとか連想できないでしょうね)に尋ねたところ、そんな解説でした。
 

 当日は木浦のオッチャン、オバチャン、我々スタッフだけで執り行われます。
 なので、何の緊張感もなく、ひたすら飲み食いしながら、すみつけ祭りの事とかを語り合います。

 とはいえ、飛び入り大歓迎です。
 大幣を担いでくれたミワちゃんのお友達とか、おにぎり頭の学生さんとか、誰でも彼でも来てください。
 A面は華やかですが、B面の方が味わいがあります。

 ちなみに、このB面の取材を大手ローカル誌のヤマさんに頼みました。
 前向きにご検討頂けるとのこと。
 絶対に来てくださいね。

 今まで裏祭がマスコミに取り上げられたことはありません。
 でも、この裏祭こそが、我々若手の木浦に対する御奉公の気持ちを最大限に提供できる場だと思っています(仲間には断りを言ってませんが、共通認識はできています、かな?)。



日時:2月20日(土)
時間:正午から
プログラム
 1.点火
 2.飲み会
 3.終了予定は未定