昨日の木浦の静けさは寂しいものがありました。
荒神舞の太鼓、カネの音が耳について離れません。
毎回のことですが…。
子供の頃、正月に父親の兄弟皆が子連れで帰ってきて、家の中がヒッチャンガッチャンになって楽しくて…。
翌日にはみんないなくなって、寂しさを感じながら日常に戻っていきました。
木浦に押しかけて騒いでいざ帰るときに感じる寂しさと、押しかけられて皆が帰ってしまった後の寂しさ…。
私の家は本家なので、後者の寂しさを子供のころから経験してきました。
守る人がいるからこそ、帰りたい人が帰りたい時に帰ってくることができます。
帰ることができる場所があることの幸せと、その場所を守らなければならない責任…。
そんな話を昨晩父母としていましたが「お前が一人で偉そうなことを言うな」と叱責されました。
別に偉ぶっているつもりはありませんが、祭を続けることの意義とか大義とか、そんなことを考えながら自覚しながらでなければ、こんなめんどくさい祭を続けていけません。
祭を続ける目的として、木浦の住人のためにというのは第一義としてありますが、木浦出身の人が帰って来れる場所を造るという大義もあるかもしれません。
とすれば、自ずと当面祭を止めることはできないという結論に至るのですが…。
これもツライです。
祭の余韻の中で、興奮気味に発想しています。
再開して10年経ちましたので、一旦立ち止まって今後の在り方を冷静に考えていきたいと思います。
荒神舞の太鼓、カネの音が耳について離れません。
毎回のことですが…。
子供の頃、正月に父親の兄弟皆が子連れで帰ってきて、家の中がヒッチャンガッチャンになって楽しくて…。
翌日にはみんないなくなって、寂しさを感じながら日常に戻っていきました。
木浦に押しかけて騒いでいざ帰るときに感じる寂しさと、押しかけられて皆が帰ってしまった後の寂しさ…。
私の家は本家なので、後者の寂しさを子供のころから経験してきました。
守る人がいるからこそ、帰りたい人が帰りたい時に帰ってくることができます。
帰ることができる場所があることの幸せと、その場所を守らなければならない責任…。
そんな話を昨晩父母としていましたが「お前が一人で偉そうなことを言うな」と叱責されました。
別に偉ぶっているつもりはありませんが、祭を続けることの意義とか大義とか、そんなことを考えながら自覚しながらでなければ、こんなめんどくさい祭を続けていけません。
祭を続ける目的として、木浦の住人のためにというのは第一義としてありますが、木浦出身の人が帰って来れる場所を造るという大義もあるかもしれません。
とすれば、自ずと当面祭を止めることはできないという結論に至るのですが…。
これもツライです。
祭の余韻の中で、興奮気味に発想しています。
再開して10年経ちましたので、一旦立ち止まって今後の在り方を冷静に考えていきたいと思います。