木浦すみつけ祭り

大分県宇目町大字木浦鉱山。
鉱業は中止され、本祭も休眠状態となっています。

荒神になりたいかも・・・

2018年02月26日 | 記録

 今回は、家の中を土足であまり汚さないようにと、事前に重鎮から指示がありました。
 あとで掃除が大変だから・・・。

 でもこの家だけは、いくら足が汚れていようと、家人の誘いで荒神様は座敷まで呼ばれます。
 


 おばちゃんは荒神が大好きです。

 もし私が荒神をしていたならば、荒神の師匠の仏様に線香の1本でも立てたのに・・・。


アーカイブ(FIN)

2018年02月25日 | 記録

 大幣はこんな感じで運搬されていたらしいです。
 この時点では、当方は会場内で酒樽に頭を突っ込んでいたので、この写真を見るまでは、まさかビン君がカネを打っていたなんて知りませんでした。
 

 デキさん、良い感じで荒神らしく振舞っています。
 


 昨日デキさんに「もしも次回も祭をするとしたら、荒神どうしようか?」と尋ねました。
 デキさん曰く「まぁ、(荒神を)しても良いけど・・・」とのこと。
 自分のことを何様と思っているのか知らん?
 思わず「あんた、何様なん?」とツッコみました。

 彼は多くを語らない優しい人です。
 私のツッコミに対して、恐らく彼は「俺は荒神様じゃ」と呟いていたと思います。

 そういえば、デキさんからはその感謝の意を全くもらってません。
 今回の彼の荒神役があるのは、全て私の配慮のおかげです。
 焼酎の1本でも持ってくるのが礼儀です。
 
 いずれにせよ、もしも次回があるとするならば、デキさんには荒神をしてもらっても良いかなと個人的には思っています。
 みんなの幸せのためです。


アーカイブ

2018年02月24日 | 記録

 昨日の投稿は当方の愚痴です。
 予算管理から本祭運営の詳細、さらにはご提供頂く写真の管理まで、当方の肩にのしかかります。
 しかも親父からは「記念撮影したって、お前は何もフィードバックせんじゃぁねぇか」と皆の前で晒されます。
 でも、当方はそんなもの、まともに相手にしません。
 「そーどすなぁ。えろぉ、すんません」と言っておきます。

 皆に記念の写真を届けたいのはヤマヤマです。
 でも、現実的な段取りとして、
 ①サンプル写真を一旦現像します、しかも年寄り用にL版で
 ②どの写真が欲しいか地区内に回覧を回します
 ③集計して現像を再発注します
 ④代金引き換えで写真をお渡しします
 こんなこと、仕事の傍らのボランティアではできません。

 そうは言いつつも、ご提供頂く皆様の善意を生かしてきてないのは私の配慮が足りないところです。

 ということで、ご提供頂いた撮り流しの連写データ云百枚の写真の中からのご紹介です。

 どこの誰だか知りませんが、この親子は幸せになります。保証ははしませんが。
 


 毎度あり。
 


 もはや格闘技です。
 


 そして今回のMVP
 最幸賞です。
 



 前回、貞子ねぇ方に行った時、ひ孫さんは当時は3か月。
 


 今回は2歳。
 
 










有難いこと

2018年02月23日 | 記録

 「写真を撮りましたので・・・」と生データの提供受けました。
 当方、スタッフも少ないため記録撮影すらおぼつかない状況です。
 なので写真の提供は有難い。

 でも、「イザ」使おうとすれば著作権だの云々で使えないものが多いのも事実。
 しかも、連射で取り流した1枚が2MB以上もあるようなでかい写真。

 有難いやら、何やら・・・。
 整理できません。



ちょんまげのヨッパライを探せ

2018年02月22日 | 記録

 ジュン君と会いました。
 ジュン君:「もうブログ更新せんのか?」
 当方:「ネタ、ねぇし」
 ジュン君:「嫁が悲しむわい」

 タイミングよく、本日茨城県からお越しいただいていたプロカメラマンの川崎様から、参考までにと会場全体の集合写真を頂きましたので更新します。
 このサプライズショットを撮影できた人は、当方、ミワちゃん、川崎様、ラッキーな数名しかいないはずです。
 後にも先にも、キセキの一枚です。
 


 実はこの中に、ちょんまげのヨッパライが紛れ込んでいます。
 そのちょんまげがこの人。
 

 彼は途中までは二足歩行をしていましたが、既に打上げの時にはチドリ足歩行をしていました。
 打上げが始まって間もなく、みんなが「あれは誰?」と当方に聞いてきます。
 当方も知りません。
 なので身元確認をしました。
 まぁ、当方から言ってみれば、友達の友達みたいな感じ。
 大幣担ぎを手伝ってくれた人らしいですが、そのチドリ足歩行を見ていると、「あんたが担がれたんじゃねぇの?」って、思わせるような感じでした。

 誰彼かまわずすみを付けることは当然ですが、誰彼かまわず打ち上げまで参加させてしまう本祭の懐の深さは、400年以上の歴史が創り上げた歴史と文化です。


 余談ですが、気が付けば当サイト開設800日記念日を迎えました。
 今日現在、述べ41,379人の方からアクセスを頂き、85,059頁にわたる当方の書込みを閲覧して頂いています。
 浮かれて書いているときもありますが、基本的には我々がソフトランディングするための地ならしだと思っています。
 今後ともご愛顧いただきますよう、よろしくお願い申し上げます。


裏祭り

2018年02月19日 | 記録

 裏祭りを17日に催行しました。
 云われは、熊野社と山神社の御神体である大幣を焼いて、その残り火で鏡餅を焼きながらカッポ酒をひたすら飲めば、とっても良い気分になるという単なる宴です。
 最初から最後まで仲間だけで楽しむことができる、一切の緊張感も遠慮もない祭を頑張ったご褒美です。

 今回は、強風注意報が発令中だったので控えめにしようと思いましたが、結果は年寄りの暴走により前回をはるかに上回る出来栄えになってしまいました。
 通常は女竹ですが、今回は女竹が少なかったので男竹を調達しました。
 男竹は「バチバチ」破裂音がすごいので迫力があります。

 前回
 
 今回
 

 午後1時半、点火した瞬間に強風に乗った神様が山に上って行きました。
 ついでに火の粉も持って行くんじゃないかとヒヤヒヤしました。
 

 無事に火が治まり、いよいよカッポ酒の仕込に入ります。
 前回は、当方が防熱対策としてバイク用のヘルメットに厚手の皮手袋を用意して、自ら仕込んでいました。
 ところが、今回は「火の神デキさん」が積極果敢に攻めていました。
 ワガママを聞いてあげて、荒神役を許した甲斐がありました。
 

 午後4時半。
 みんな、いい感じに仕上がってきました。
 ミワちゃんにお願いして記念写真を撮ってもらいました。
 最前列が重鎮の老男女。
 最後列が実行委員会メンバー。
 この写真に写っている一人一人が、奇祭「木浦すみつけ祭り」のスタッフです。
 

 やがて闇に包まれますが、本番はこれからです。
 みんなで火を囲みながら、祭の今後を語らいました。
 

 総論としては「祭は続けてほしいけど若い人が大変になるから」という老男女の意見。
 「我々は木浦のみんなに育ててもらった恩返しがしたい。その恩返しをするための唯一の武器が祭。だからみんなが望むのならば、祭を大切にしてみんなのために尽くしたい」と伝えました。


 今までは、毎回木浦のみんなに「祭をするか、しないか」の意向を確認して、慎重に判断してきました。
 でも今回の祭を最後に、「本祭をするかしないかに関する判断」を一任されたと思っています。
 祭をしてほしくない人なんて誰ひとりとして居ないことの確信が持てたからです。
 そして何よりも、木浦のみんなが高齢化して適切な判断ができなくなっていると感じたからです。

 木浦のみんなが笑ってくれて、木浦で育ったみんなが帰ってきてくれれば、我々数人の若手実行員会メンバーの苦労は吹き飛びます。
 我々の原動力は、木浦のみんなからの「あんたどぅ、やおねぇな~」というねぎらいの言葉と、遠方からわざわざ帰ってきてくれる仲間の郷土愛です。

 「400年以上続く奇祭を守らねば」なんて気持ちは、全くございません。
 事実、準備段階から裏祭まで「伝統文化の継承」に関する話なんて、誰からも一言も出てきません。
 誰一人として「400年以上続く云々、全国的に有名な奇祭を云々、守らねば云々」なんて自覚はないようです。

 ミッチーに「次どうする?」と聞きました。
 「TWO兄ぃの涙をみたら止められんやろ」とのこと。

 とはいえ、皆にこれ以上の負担を強いるわけにはいきません。
 なので、これまでは2年に1度の開催でしたが、もしも木浦のみんなのために続けるとするならば、開催のタイミングや内容については、じっくりと考えないといけないのかもしれません。


 副区長が「このどんど焼きですみつけ祭りは終わりです」と冒頭に発言しました。
 真意を聞いたところ、「俺たちが繫げてきた祭りは、これで一旦終わりじゃ」とのこと。
 いよいよ我々が、本当に任されました。
  

 チャン♪チャン♪


反省会(終り)

2018年02月18日 | 記録

 4時。
 寒さで目が覚めました。
 実家で何故か「寝袋」で寝ていて目が覚めました。
 その経緯については、永遠に謎です。
 まずは、暖房の確保。
 薪ストーブに火を入れて、改めて荒神様に感謝を捧げました。
 


 9時からはみんなで片付け。
 昨日の一日が夢のようです。
 


 最後に公民館で「裏祭」について打ち合わせ。
 ミッチーが「来週は祭よりも楽しい『裏祭』です」と切り出しました
 気持ちは分かるけど、少し言いすぎです。
 


 そして、解散しました。
 あっという間に、普段の「消滅寸前集落」に戻りました。
 


 後日、あちこちに御代を払いに行った際、「今回で最後なんやろ?」と再々聞かれます。
 打ち上げのオードブルを頼んだスーパーでも、同様の質問がありました。
 店員さん曰く、「でも『木浦の人は、いっつも今回で最後っち言いよるんよ』っち、社長が言いよったわぁ」とのこと。
 手の内が、完全にばれてしまっていました。
 オオカミ少年状態です。

 

 でも、今回は今までとは違う思いで、みんなが取り組んでくれました。
 決して、そのような方向に誘導したのではなく、あくまでも区民の総意のもとに我々が従ったまでです。
 結果として、これが最後になったのかもしれないし、祭りの在り方を再考する機会になったのかもしれません。

 いずれにしても、我々が再開して10周年の記念すべき祭になったことは間違いありません。
 木浦に残されたエネルギーは未知数です。

 さしおり、これまでのご愛顧ありがとうございました。 


反省会(その5)

2018年02月17日 | 記録

 16時20分。
 打上げの様子。
 今回は地区内放送で「今から始めま~す。今、木浦に居る人。み~んな来てくださ~い」と呼びかけました。
 その結果です。
 ザックリ60人はいます。
 いつもの倍以上。
 


 公民館が持つ収容力以上の人が来てくれました。
 靴が外にあふれ出ています。
 


 18時30分。
 ボルテージは最高潮。
 


 締めは何故か「木浦小中学校校歌」の大合唱で終わりました。
 この前後ぐらいに、当方の涙腺のパッキンがはじけ飛んだらしい・・・。
 


 でも、これで終わるような中途半端はしません。
 副区長の家に押しかけて20人くらいだっでしょうか、日付が変わる寸前まで、徹底的に懇親しました。
 と言う話を、弟から翌日聞きました。
 


反省会(その4)

2018年02月16日 | 記録

 正午に境内を散会し、以降は先導・大幣・荒神が、地区内の各家々を全て廻ります。
 家人は、これまた「誰彼かまわず」に、酒や肴を振る舞ってくれます。

 この祭りには、ほんとにたくさんの人が帰省してくれます。
 その中でも、恐らくですが今回の帰省最多賞がこの家。
 家人によれば、昼食時には家の中に30人の人がいたらしいです。
 


 デキさんが自分の家に舞い込みます。
 


 14時32分。
 予定どおりの時間でゴールの木浦エメリーに到着。
 

 その後は大幣を山神社と熊野社にそれぞれ納めて祭は終了。
 それにしても今回の先導はオーラが違いました。
 人間離れした雰囲気を醸し出しています。
 


反省会(その3)

2018年02月15日 | 記録

 今回ほど安定感を欠く祭はありませんでした。

 ユリ唄を歌っていたミノさんが、突然「ん?なんじゃったかのう?忘れた。まぁ、こげん感じの唄ですわ」と、いきなりステージを降りてしまって慌てたこととか、時間が押している中で、スミさんが歌うフイゴ唄がやっと終わって安心したところで、「最近、詩吟を勉強しておりまして・・・」と、いきなり詩吟を歌いだしたり。
 なにしろ80歳前後の年寄りが主役のステージイベントですので、何が起こるか分かりません。
 それにしても、今回はハプニング続きでした。


 ハラハラさせる主催者あいさつが終わり、以降は順調に流れていました。
 「次は宇目の唄げんかで~す」とのMCの紹介で、CDラジカセのスイッチON!
 音が流れません。
 原因は、CDラジカセとアンプを繋ぐコードの断線でした。
 何とかジャックをコネコネしていたら、音が繋がる角度がありました。
 それを唄げんかが終わるまで、ずっと支えていました。
 辛かった・・・。
 人間も限界ですが、機械も限界です。

 もう一度CDを再生させる必要がありました。
 しかも、入れ込んで企画したサプライズプログラムです。
 神に祈りながら、CDラジカセのスイッチON!
 やっぱり流れませんでした。
 でも、コツを掴んでいたので、ジャックをコネコネして、冒頭の数秒が流れなかった程度で済みました。
 正常に機能すべきものが機能しなくなった事態の恐ろしさを身を持って感じました。

 やっとの思いで何とか音響の不調をやり過ごして、CDの音が無事に止みました。
 そのタイミングで、アキさんの太鼓が順調に唸りだしました。
 我ながら、カッコイイ演出ができたと思いました。
 会場の皆のボルテージは最高潮。
 既に手にはすみが付いた大根をみんなが持っていて、まさに犬が餌を前にして「待て」を言いつけられているような状態。

 ところが、待てど暮らせど荒神が降りてきません。
 会場の雰囲気が「??????」みたいな感じに包まれだしました。
 慌てて荒神の待機場所に駆けつけると、デキさんが慌てながら面を付けようとしている最中・・・。
 後から聞いた話ですが、今回は着付けの補助役をあてがっておらず、荒神3人で最速で着替えたけど、そういうタイミングになったらしいです。
 当方も、気が廻っていませんでした。

 それにしても、今回の荒神は自覚が足りません。  
 いよいよ荒神出場という段階で、「大根はどこ?」なんて聞いてきます。
 年寄りのことばかり心配していましたが、こんなことになるなんて・・・。


 ともあれ、無事荒神が先導に率いられて降りてきました。
 その時です。
 先導の右手に目を疑いました。
 

 この紙コップは、大幣の両脇に置かれた樽酒を飲むためのコップ。
 御神酒を呑みながらの登場です。
 先導の後ろで赤い帽子をかぶって座っている当方の親父が酒の守をしていました。
 その前を通過する時にコップを渡したんだろうと思います。
 今まで、酒を呑みながら登場した先導なんていません。
 面白すぎでした。


 荒神舞が終わるとともに号砲が鳴り、無事にすみつけ開始。
 今回は、川崎様のおかげでこんなサプライズも。
 

 実は、当方が茨城県からお呼びしたカメラマン川崎様のご提案により、「会場の一体感を撮影したい」とのことで撮影できたのがこの1枚。
 わずか24戸しかない木浦鉱山に、これだけの方々にお越し頂きました。

 さらに、この方にもお越し頂きました。
 

 知事は10年前に木浦のみんなのことを励ましてくれて、祭を再開する運びになりました。
 当時から必ずご臨席頂いていましたが、直近は天候不良により2回お越し頂けていませんでした。
 だから今回はどうしても来てほしくて・・・。

 115万人の大分県民を束ねる知事が、僅か35人の木浦鉱山区民のために来てくれました。
 人口比率にして、わずか大分県民の0.00003%の木浦鉱山区民のために、わざわざ来てくれました。
 本祭のチカラと広瀬知事の優しさに感謝です。


反省会(その2)

2018年02月14日 | 記録

 無事に大幣が会場内に鎮座しました。
 今回の先導との記念ショット。
 先導としての重厚感と言うか何というか・・・。
 人間を越えた雰囲気を感じます。


 神事の様子。
 一般参加者にとっては関係ないかもしれませんが、木浦鉱山を支える源になる祭事です。


 今回は、大風が吹きました。
 今までに経験したことのないような風でした。
 開会前ですが、あまりの強風で、大幣の袖の赤い帯がぶっ飛んでいます。


 今回は、プロのMCを雇いました。
 と言っても一方的に雇ったのではなく、彼女の方からも本祭に興味を持って頂いてのご縁です。
 開会前ですが、相思相愛でミッチーと二人で会場を盛り上げてくれました。


 さて、15分繰り下げて行われた神事が終わりました。
 いよいよ、開会式です。
 まずは主催者挨拶が、長かった・・・。
 いきなり、ヒヤヒヤしました。

 でも、木浦のみんなの気持ちとか、何よりも木浦の実情を身を呈して表現してくれたと思います。
 先輩に対しておこがましいかもしれませんが、上出来の挨拶でした。


反省会(付録)

2018年02月13日 | 記録

 祭りは人を寄せ付けます。
 人と人を繫げてくれます。

 今回も感動がありました。

 郷土愛を育むというのは、非常に難しいもの。
 我々大人の何気ない言動、それを見て育つ子供たち・・・。
 「はやこ」は真直ぐ育って、福岡で保育士をしているとのこと。
 めちゃくちゃ嬉しかった。
 あの「はやこ」が、この「はやこ?」って思いました。
 キツネに摘ままれた感じになりました。

 みんなが故郷を思ってくれる気持ちこそが、我々の原動力です。
 もっと、ゆっくり話をしたかったけど、またの機会にお願いします。
 本当にありがとう。
 今回は、「はやこ」に会えたのが一番嬉しかった。
 当日のことを色々と何回思い返しても「はやこと会えたこと」が、一番嬉しかったです。


 もう一つ、胸を張ることができるネタ。
 アラ兄は、当方の親父の同級生ですが、本祭には毎回来てくれます。
 今回は、そのムスコも来てくれていました。
 彼曰く「自分も伝統文化の継承に携っちょるけど、この祭りは格が違う」とのこと。
 彼もアラ兄も、県指定無形文化財「千束楽」の中心メンバーです。


 一方、当方は何の肩書もありません。
 ですが、ムスコ様は本祭に参加する中で、本祭が持つチカラを感じてか、「格が違う」と評価してくれました。
 分かる人には分かります。


反省会(その1)

2018年02月12日 | 記録

復活させて6回目ですが、やっと終わりました。
気持ちとしては、とても晴れ晴れとした感じです。
みんなでやりつくしました。
400年以上続けられてきた祭の中で、自己満足かもしれませんが最高の祭でした。

木浦鉱山のみんな、我々、当日帰省してくれた若手、一般参加者。
みんなのおかげで、盛会のうちに終えることができました。

午前8:00
結団の記念撮影。
実際は、もっと多くの仲間が関わってくれています。



撮影後は速やかに御神体の大幣を会場まで運びます。
大幣の袖の半紙が千切れいないように、細心の注意を払っています。
みんなが一番ピリピリする瞬間です。


待ち人が来ました

2018年02月10日 | 記録

 今日は前日準備でしたが、あいにくの雨。
 でも、木浦の長老組が事前に鳥居の旗を立てたり、本殿の幕を張ったりしてくれていたので、大助かりでした。

 さて、今回はずっと会いたかった方にご来訪頂いています。
 写真家の川崎秀典さんです。
 知り合ったきっかけは、私の安易な行動です。


 しかも今回は、我々の覚悟をお伝えし「記念に残してくれませんか?」と図々しくもお願いしたところ、茨城県守谷市から、はるばる1200kmの陸路でいらしてくれました。
 知り合ってから、2年越しの「待ち人来たる」が叶いました。

 今朝8時にミッチーの城「匠家」に大根を取りに行き、川崎さんとはそこで待ち合わせて初対面が叶いました。
 具体的な表現は避けますが、イメージどおりの知的な方でした。
 少なくとも我々の味方というか、保存会の準メンバーだと思っています。

 プロカメラマンなりのサプライズ提案があって、完全に乗っかりました。
 後にも先にも、今回だけのサプライズです。
 これと比べれば、残念ながら、デキさんのサプライズは「鼻でフン」な結果に終わると思います。


 昼食を名水館でご一緒させて頂きましたが、昼休みの時間を使って「金山開神宮」にお連れしました。
 この神社はもともと天神原にあった神社を下してきたものだそうです。

 「明日は、まず神社総代が朝6時45分にこの神社にお参りに来ます。そこからが祭の始まりです」と説明したところ、「ぜひ、撮らせてください」とのこと。
 当方としては、「やっぱり喰いついたか・・・」と言う感じ。


 いよいよです。
 川崎さんには、無敵になれるハッピを着て頂きます。

 今回はデラックスです。
 地区事情を知っているミワちゃん、全国の祭を撮影されている川崎さん、この二人がカメラで全てを記録してくれます。

 これで安心して、最期を迎えられます。


 パチンコ屋のエンディングが流れてきました。
 ほたるの光 まどの雪
 書(ふみ)よむつき日 かさねつつ
 いつしか年も すぎのとを
 あけてぞけさは わかれゆく

 とまるもゆくも かぎりとて
 かたみにおもう ちよろずの
 こころのはしを ひとことに
 さきくとばかり うたうなり

 つくしのきわみ みちのおく
 うみやまとおく へだつとも
 そのまごころは へだてなく
 ひとつにつくせ くにのため

 千島のおくも おきなわも
 やしまのうちの まもりなり
 いたらんくにに いさおしく
 つとめよわがせ つつがなく

 申し訳ありませんが、何のことやらさっぱり分かりません・・・。