Dying Message

僕が最期に伝えたかったこと……

2学期の終わりに

2014-08-31 18:29:28 | Weblog
 ある夏の日、午前5時半。折れた羽をガムテで修復して、僕は家を出る。

 まだ静けさを湛えた街並み。バックミラーに映る朝日は僕にまやかしの元気を与える。本当はもっと孤独なのに、本当はきっと憂鬱なのに、やるせなさを憂パックに押し込んで、何かに惑わされるように生きていく。かつての自由をそっと懐かしみながら、宛先のない思いをひとつ背負って、僕は今日も抗いようのない力によって歩かされる。立ち止まりたくても立ち止まれない、そんな朝がある。

 仕事をひとつ覚えるたび、あの日の僕が風の中へと消えていく。僕はいつからかひとりでトイレに行けるようになった。自転車に乗れるようになったし、車の運転もできるようになった。だけど、結局何がどう変わったのだろう。未熟児スレスレで生まれたあの日と、初めてランドセルを背負ったあの日と、高校を中退したあの日と、大学を卒業したあの日と。変わったようで実は何も変わっちゃいないんじゃないのか。

 それなのに変わり果ててしまった僕もいる。今日の自分は薄汚れてる。縁側に腰掛けスイカを食べるたびそう思う。街中を駆け抜けるそよ風からさえ無限の想像を広げることができた僕はもういない。気付けば僕は何も感じなくなってしまった。繊細な感性こそが何の取り柄もない男の唯一の武器だったはずなのに、まるで刀狩りでも食らったかのように、僕は今やゴミクズ以下の汚染水野郎に成り下がってしまった。

 僕は29才の誕生日を死にたい気分で迎えてる。今日はひとりで海を見に行こう。人生で一番辛かったあの頃のように。通学路を逆走し、担任の先生に心配を掛けよう。絶え間なく響き渡る波音を耳栓にして、孤独のひとときを手に入れよう。キオスクでくすねた競馬雑誌に目を通しながら、ポテチを頬張り飲めない酒をあおって、今こそ治外法権を手にしよう。だけど、人を想う気持ちだけは大切にしよう。

 年を重ねるごとに時間は加速していく。成人するまでを1学期、20代を2学期とするなら、三十路以降の人生は3学期なのだと思う。そして3学期はとても短い。あっという間に僕は死ぬ。10年、20年、各駅停車から急行に乗り換え、最後はリニアで人生のゴールを目指す。スピードは増して、そのスピードで、その殺気立ったスピードで、下り坂を転げ落ちるように、ケーキのろうそくはやがて線香に変わるのだろう。

 風がそっと秋の産声を上げる頃、水槽の金魚に華やかなる祭りの残り香を求めるように、僕は今もあの日のカケラを拾い集めてる。懐かしき思い出に耽ながら、身も心も老けゆく僕がここにいる。


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