雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

助泥の破子 ・ 今昔物語 ( 28 - 9 )

2020-01-03 12:26:15 | 今昔物語拾い読み ・ その7

          助泥の破子 ・ 今昔物語 ( 28 - 9 )

今は昔、
禅林寺(ゼンリンジ・永観堂とも。)の僧正と申す人がいらっしゃった。名を尋禅(ジンゼン・のちに天台座主。)と申される。この人は、九条殿(藤原師輔。右大臣。)の御子である。たいそう高貴な仏道修行者である。
この人の弟子に、徳大寺の賢尋(ケンジン)僧都という人がいた。

この人がまだ若い頃、当時の入寺(ニュウジ・入寺僧に同じ。阿闍梨に次ぐ学僧の階級。)になって拝堂式(ハイドウシキ・新任の住職が寺に入る際の儀式。)を行うことになったが、大きな破子(ワリコ・折箱ふうの弁当箱。)がたくさん必要になったので、師である僧正は「破子三十荷ほどを準備してやろう」と思われて、禅林寺の上座(ジョウザ・寺務を取り仕切る役僧。)である助泥(ジョデイ・伝不祥)を呼び寄せて、「しかじかのために破子三十荷が必要なので、人々に言って集めさせよ」と仰せられたので、助泥は十五人の名を書き立てて、それぞれに一荷ずつ割り当てて集めるようにした。
僧正は、「残りの十五荷の破子は誰に割り当てるつもりなのか」と尋ねられると、助泥は、「この助泥がおりますからには、破子は集まったも同然です。私一人で全部ととのえることが出来ますが、『人々に集めさせよ』という仰せでしたので、半分を人々から集め、残りの半分はこの助泥がととのえようと思っています」と申し上げた。
僧正はそれを聞いて、「それは大変ありがたいことだ。それでは、さっそくととのえて持って来るように」と仰せられた。助泥は、「なんの、これしきの事を出来ない貧乏人があるものですか。情けない仰せです」と言って、立ち去った。

当日になり、人々に申し付けた十五荷の破子は皆持ってきた。しかし、助泥の破子はまだ来ていない。
僧正が「どうしたのだ、助泥の破子は遅いではないか」と思っていると、助泥が袴の裾をたくし上げて、扇を開いて使いながら、得意顔で現れた。僧正はそれをご覧になって、「破子の主、やって来たな。えらく得意顔でやって来たものだ」と仰せになると、助泥は僧正の御前に参り、悠然と頭を持ち上げて座った。
僧正が「どうしたのか」と尋ねられると、助泥は「その事でございます。破子五つは借りられなかったのでございます」と得意顔で申し上げる。僧正が「それで」と仰せになると、声を少しひそめて、「あと五つは入れる物が見つからないのです」と言う。僧正は、「それでは残りの五つは」と尋ねられると、助泥はさらに声をひそめ、震え声で「それは、まるっきり忘れてしまっていたのです」と答えた。
僧正は、「なんという奴だ。人々に申し付けておれば、四、五十荷でも集められたはずだ。こ奴は何と思ってこのような大事なことをおろそかにしたのか」と問い質そうとして、「呼んで参れ」と大声をあげられたが、跡をくらまして逃げ去ってしまった。

この助泥は、いつも冗談ばかり言う男であった。
このことから、「助泥の破子」という言葉が生まれたのである。これは、実に馬鹿げた話だ、
となむ語り伝へたるとや。

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