My Life After MIT Sloan

組織と個人のグローバル化から、イノベーション、起業家育成、技術経営まで。

ポスドクはアメリカでも報われない?

2009-09-29 01:30:23 | 5. アメリカ経済・文化論

明日の指導教官とのミーティングの準備が間に合わなくて、スペイン語の授業休んだりしてるくらいだから、ブログ書いてるところじゃないのだが・・・短い記事を。

昨日書いた「技術者が金儲けして何が悪い?-頭脳流出のススメ」の記事に載せた、
MITを昨年卒業した人の初任給のデータ
このデータは昨日の記事のメッセージを伝えるには余りいいデータじゃなかったんだけど、面白いので思わず載せちゃったんだよね。

それはさておき、これを見ていて思っていたこと。博士卒に限ってみると・・

                                                     Base salary        Bonus  
PhDs Going Into Acad. Post-Docs  $        44,370   $       2,143  
PhDs Going Into Ind Post-Docs       $        89,720   $       6,000  
PhDs Going Into Industry                $      106,469   $     19,622  
PhDs Going Into Academia             $      101,857   $     15,667

同じMITの博士号を取っても、企業に就職すると初任給(ボーナス込み)137,000ドル(100円換算で1370万円)ももらえるのに、
大学にポスドクとして就職すると、平均でたった46,000ドル(460万)なんだ。
これにアメリカの高い健康保険と税金がかかることを考えると(約3割)、手取りで320万円くらいかな。

ちなみにポスドクっていうのは「ポストドクター」の略で、博士号をとった後に、3年などの期間契約で勤める若い研究員のことです。
欧米の大学にはこれがたくさんいて、大学の研究活動を推進していると言われてます。
日本でも、1990年代後半に(悪名高き)「
ポスドク一万人計画」というのが発動されて、たくさん増えました。

ちなみに学振のPD(日本のポスドクの多くはこれ)がいくらもらってるのか、というと・・・
Wikipediaによると月間36.4万だから年間440万円ってところか。
もちろんここから税金と保険を払うから(約2.5割)、やっぱり手取りは330万円くらいってところだろう。

アメリカでも日本でも給与面でポスドクが報われないのは同じなんだね。
もちろん、アカデミアでの研究ってお金のためにやってるわけじゃないわけだけど。
ただポスドクの一番の問題は、給料じゃなくて、その後の進路の選択肢が減ることなんだよね。

一度ポスドクになると、就職が厳しいのはどの国でも事情は同じ。
しかし、日本は特に厳しい。
これは、博士を取りたがらない日本企業の事情もあるが、「ポスドク一万人計画」の影響も大きい。

この計画自体は当時は画期的なもので、
「日本の大学から研究成果が少ないのは、欧米のポスドクのようなものがなく、若手の研究者が少ないからだ!
じゃあ、5年間で1万人増やすぞ!」
といって、ばーんと予算とって若手研究者を増やした。
おかげなのかどうなのか、90年代後半から日本からの研究成果が増えたし、若手研究者の流動性も高まって風通しがよくなったし、良いこともたくさんあった。

でも増やしすぎなんだよ・・・。
欧米のように、徐々に増えてきたんじゃなくて、5年間でいきなり1万人も増やすんだもの。

それに1990年代後半と言えば、ベビーブーマー+就職氷河期にあたり、この計画に大量の人が流れ込んできた、というのも運が悪かった。
学振のポスドクは色々組み合わせても最大で6年くらいしか出来ないから、6年経ってもアカデミアのポストが取れない人は、自動的に「無職」になる。
でも、アカデミアのポストなんて5年間で1万人なんてあるわけがないから、ほとんどの人は別の職を見つけるしかなくなったわけです。
「高学歴ニート」が大量に生まれた一因にもなっている。

学者なんてリスキーな職業だから、6年で成果が出ないで、別の職を見つけることになる、ってのは仕方ないわけです。
そんなの、どの国でも一緒。
(日本のほうが企業が取ってくれないって意味では厳しいが)
それに、アカデミアのポストが限られてるのはポスドクになる前から分かってるんだから、それでもなったあなたが悪いでしょ、ってきびちー意見も当然ある。

私なんかも、研究室に大量に職が無いポスドクの人があふれているのを見て、
ウチはお金もないし(てか既に私が家計を支えてた)、あれはまずいな、と思って、
と同時に研究者よりやりたいことが見つかったこともあり、博士を退学して就職した、という経緯がある。

でも、ウチがそれなりにお金のある家だったら、とか、たまたま研究がうまく行っていたら、または今勤めてる会社に出会わなかったら、私も今頃まだポスドクだったかもしれない・・・
と思ったりする。
だからヒトゴトじゃないんだよね。

現在大量に解雇されている期間工などに比べたら、期間研究員の就職問題なんて、
規模も程度も小さい問題なのだけど、気になるのはそういう理由でした。

まとめると
・アカデミアが茨の道なのは、アメリカも日本も同じ。就職は厳しいし、特に給与面はよくない。
・特にアメリカでは給与面で比較すると、同じMITに行っても、企業に就職する半分以下しかもらえない
・日本は企業が博士ましてやポスドクなど取らないので、就職状況はより厳しい
・国の一時的な政策に翻弄されずに、ちゃんと自分の将来を考えよう

というとこでしょうか・・・
いかん、結構時間使ってしまった。勉強しよ・・・

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7 Comments

コメント日が  古い順  |   新しい順
2週間前にMITで (マサル)
2009-09-29 12:00:24
こんにちは!

以前ロボット工学のブルック先生についてコメントしました。
ところで、2週間ほど前に仕事でMITにまた行く機会があり、校内で数日うろうろしてました。。。(笑)
また、一月終わりにMITに行く予定があるので、そのときにそちらの他のMBAの生徒も交えて話ができれば幸いですがどうですか??

MITに何度か行った感想ではあまり日本人がいない(?)様な感じをうけましたが(でも韓国人、中国人は多いような。。。)MITでの日本人人口は少ない方ですか?

ではまた!
語学の壁 (N)
2009-09-29 13:47:09
こんにちは。Nと申します。
以前一度だけコメントさせていただいたことがあります。boston symphony行かれたそうですね。演奏会よかったようで、うらやましいです。Levineは音楽監督のくせにあまりBostonで振らないという話を聞いていましたが、さすがにオープニング・ガラは来たんですね。

さて、どのエントリもいつも興味深く読ませていただいていますが、今回はエンジニアの話ということで、ちょっとコメントさせていただこうと思いました。私は約1年前まで日本で「この木なんの木・・・」の某子会社に勤めていましたが(今は豪州で学生)、多くのエンジニアの人たちは語学という高い壁を前にして”流出”を諦めているんじゃないかと感じます。壁というよりも、英語に対する食わず嫌いといいますか、ほぼ英語アレルギー状態のかたが私のまわりには多かったです(そのおかげで私自身は英語は今でも上手くないですが海外出張のチャンスを何度も得ることができました)。もちろん東大や京大などの出身の方々は英語も出来るかたが多いのでしょうが、仮に東大京大出身のエンジニアがみんな海外に流出したとしても、他の大学の出身者が日本国内の企業で頑張ってしまうので、企業はなんとか生き延びてしまい、劣悪な待遇もそのまま、エンジニアの人件費が低く抑えられてしまう状態になってしまっている気がします。

日本の中学高校の英語教育は良くないですが”まあまあ優秀な才能を国内にとどまらせる”という意味で”機能している”ような気がします。皮肉な話ですが。
すいません (N)
2009-09-29 13:53:15
すいません、一個前のエントリにcommentするつもりが間違えてしまいました。(^^;)
Unknown (Lilac)
2009-09-30 10:31:19
>マサルさま

こんにちは、お久しぶりです。
いいですね、是非やりましょう。また予定がお分かりになったらご連絡ください。

MITの日本人、Sloanだけでも、MBAが18人、Fellows(Executive向けの1年コース)に15人とかいますし、理系の大学院生も40人くらいいるので、全部で70人はいると思うのですけどね・・・
まあ全体では少ないし、特に韓国人はあふれるほどいるので、それに比べたら少ないかなーと思います。

>Nさま

Boston良かったです。
せっかく住んでても、忙しかったりしてなかなか行けなかったりしますからね・・
Levineは確かに客演が多いようです。日本にいたときも良く彼の公演があったので、日本にも良く来ていたんですよね。
BSO自体も客演を良く受け入れてますしね。

>多くのエンジニアの人たちは語学という高い壁を前にして”流出”を諦めているんじゃないかと感じます
>東大や京大などの出身の方々は英語も出来るかたが多いのでしょうが

なるほど、これは良くわかります。
そして東大でも京大でも、テストの英語は出来ても、自信が無い人がほとんどだと思います。
こちらに留学して1年も経って、そのことをすっかり忘れてしまっていたのだな、とNさんのコメントを読んで気が付きました。

私は実はこの前者の大学出身ですが、私の世代だと「いつかは留学したい」と思っていても、英語力に自信がない人がほとんどだったですよ。特に理系は。
もちろんみんないつかは留学したい、という思いはあったけど、あれだけ英語勉強して、テストでいい点取ったって、全く自信が無いわけですよ。
そしてこちらに来てわかったのが、「思ったほど壁高く無いじゃん」ということ。Nさんも感じてらっしゃるかと思います。もちろん大変なことも、思ってなかったところで壁があることもたくさんあると思いますが・・・。

ただ、今の大学生の世代は大分違うのかな、と見ていて思います。
最近は公立の中学でも、バイリンガルの先生を入れたり、教材もインターネットなど生の英語に触れながらの授業をしていると聞いたことがあるので、大分変わってきたのかな、と思っています。
やっぱりインターネットは大きいでしょうね。

こういう若い世代が、もっと流出してしまえば、状況はかなり変わってくるように思います。

それから20代くらいの「いつかは留学したい」と思っている社会人。
別に東大からでも、どこからでもかまわないので、どんどん外に流れていけば、企業も驚いて変わっていかざるを得ないんじゃないかと。

今回は、ちょっとポジションとってこういう記事を書いてみたのですが、あちこちで反響があったみたいで、それを読んでいても勉強になりました。
それからNさんのコメント読んでいて思いましたが、もうすこし日本にいた頃の自分を思い出しながら、記事を発信したいな、と気づかされました。

コメント有難うございます。
文科省 (Willy)
2009-10-01 01:51:49
文科省が政策によってアカデミックの人間の人生を翻弄するのには怒りを感じます。

90年代前半に大学院重点化、90年代後半からポスドク1万人、2000年代は任期付ポジションの増加。で、ポスドクや任期切れ助教が大量にあぶれた時にどうするかはまだ決まっていない。どこかでゲームは終わるはず。無責任な文科省に自分の人生は預けられません。
基礎教育もですよ~ (Lilac)
2009-10-02 04:55:31
>Willyさま

高等教育も相当翻弄されてる印象がありますが、基礎教育もかなりひどいかな、と思います。
ゆとり教育とかね。

自身は恵まれた環境で、高等教育を受けて官僚になった人たちは、その価値を全く否定するような教育方針を制定することに何の疑問も感じなかったんだろうか、と不明です。
本当にそれが日本の発展に役に立つと思ったんだろうか?
(ついでに、自身は原子核物理学をやってきて、物理定数の下N桁を決めるのが如何に大切か知っているはずなのに、π=3とか言い出して間違ったゆとり教育を加速させた有馬さんもですが)

おバカな政策が一瞬出てきてしまうこと自体は仕方ないと思うんです。人間も万能じゃないし、ミスもあるでしょう。
でも、それが(賢い)国民のフィードバックを受けることなく、そのまま実施されてしまう仕組みに問題を感じています。
ポスドクの人生 (P)
2011-05-11 03:53:57
はじめまして、Lilacさん。何かのはずみでここのブログの幾つかの記事を興味深く読ませていただきました。諸問題ありそうなので匿名にて失礼します。Pとお呼びください。私自身、現在日本でポスドクをしており、年齢も30代後半なので、まさにこの記事でLilacさんのいうところのリスキー過ぎて恐怖の対象?(笑)の中のヒトです。(この記事の時代背景はややずれてますが)

ポスドク問題の構造的問題はこの記事でご指摘された通りですし、若い学生に対してキャリアの選択を良く考えた方がよろしい、というのも大方同意です。その意味でこのブログの論旨とはずれますが、ではその渦中のヒトが何を考え生きているのかをここで述べておくことは、もしかしたら意味があるのかもしれないと思い筆を取るに至ったわけです。

私自身の状況は繰り返しなりますが、現在30代後半である。数年でポストの期限が迫っている。パーマネント職は早々にない。日本に限った話をすれば、そろそろ定年が増えるのでポストが動くのでチャンスが増える可能性はある。しかし、年齢的な厳しさは否めないという、書いていて落ち込むようなネガティブ要素ばかりですね(笑)

以下はあくまでも私個人に関することなので、一般化はできないことを先にお断りしておきますね。現在の心境をシンプルに述べると、「リスクを背負っている認識は相当あるものの巡り会えた研究テーマに感謝して進む荒れたオフロード♪」という何かのlyricのような感じです(蛇足ですが、最後に音符を入れているのも心境を表していると受け取っていただければ幸いです)。

肝心の研究状況ですが、自身がやってきたことが世界で花開こうとしているのを感じ取れる、という段階です。花開くといっても色々ですし、そう感じていること自体がある種の思い込みかもしれないというリスクはあります。客観的事実を述べれば、現在ボストンの某有名私立大学に研究留学中であり、某有名教授と共同研究をしています。

では、生活はというともちろん贅沢はできません。具体的な金額は年を取ってもポスドクであればこのブログで書かれた通りの状況でしょう。しかし、言いたいのはだからといって日々絶望に暮れ戦々恐々と生きているわけでは全くないのです。

大前提として、研究することが好きな結果、幸いなことに研究者になることができたわけです(それはむしろ感謝するべきことだと思います)。そうなると自分の人生の優先順位のトップは研究なわけです。しかし一方で、研究さえできていれば良いのかと考えているわけではありません。当然ですが、研究者のコミュニュティはもちろん広く社会から認められたいという欲もあるわけです。このブログのテーマのポスドクは報われるか報われないかを問われた時に、単純に安定で高収入という価値観で判断すれば、それは報われないでしょう。

しかし、成功するかしないかで判断した時には断定できませんね、成功の定義にもよりますが。これはどの世界でも共通することだと思いますが、結局のところ成功するには、自身の努力や才能ではコンロトールできないところがあるわけです。たとえどのような人生を選択していたとしても自分が成功したければ、結局そこのところではリスクを取らざるを得ない。なので、自分が何歳になろうが来るべきチャンスに備えて粛々と己を磨く、周囲の人間や自分と関わった人たちを大切にする、そして自分のできる範囲で自分の人生を楽しむ、と、これが現在の私のスタンスです。

あくまでも渦中のヒトの個人的な感想ですが、このブログでのニュアンスにあるように、ポスドク問題を悲観的に捉え悲観的な論調で話を進めるというのには同意する面がある一方、少し違和感を覚えるというのが正直なところです。

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