一燈照隅

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新嘗祭(勤労感謝の日)

2008年11月22日 | 今日は何の日
11月23日(勤労感謝の日)は、以前は「新嘗祭」と言われました。
天皇陛下にとっては正月の「元旦祭」から大晦日の「大祓の儀」まで祭祀を行われることが一番の役割です。その中でも「新嘗祭」は天皇陛下にとって一番大切な祭祀です。
新嘗祭は天皇陛下がその年の新穀を聞食されるのにあたり、まず天照大御神を始め天神地祇に御親ら新穀をお供えになる祭儀です。


戦後11月23日は勤労感謝の日に変わりましたが、
それまで今日11月23日は「新嘗祭」でした。
新嘗祭は、天皇陛下がその年の新穀を諸々の神様に供え、天皇陛下自らも食される神人共食の感謝祭です。
新嘗祭は、天武天皇六年(678)十一月乙卯の日にとり行われたことが記載されています。

明治元年(1868)十一月十五日太政官布告第九六三号
皇国ノ稲穀ハ、天照大神顯見蒼生ノ食而可活モノナリト詔命アラセラレ、於天上狭田長田ニ令殖給ヒシ稲ヲ皇孫降臨ノ時下シ給ヘルモノナレハ、其神恩ヲ忘給ハス、且旱淋ノ憂無之様ニト、神武天皇以来世々ノ天皇、十一月中卯ノ日、當年ノ新穀ヲ天神地祇ニ供セラルル重礼ニテ、三千年ニ近ク被為行
當日ハ潔斎神祇ヲ拝シ、共ニ五穀豊熟天下太平ヲ神祇ニ祈奉ルヘシ




新嘗祭がどのように行われているか、一般の人は見ることが出来ませんが、元式部官であった竹田龍夫氏が「宮中物語・元式部官の回想」中央公論社の中に書かれていました。

よみがえる古代天皇の親祭

さて、新嘗の儀は夕の儀と暁の儀の二回にわたる。
まず午後七時二十五分、係員による呼び上げが始まり、内閣総理大臣、衆参両院議長、最高裁長官、宮内庁長官ら約三十名が神嘉殿前庭握舎に参進。つづいて皇族各殿下がご参進、着床の次第となる。休所より神嘉殿に至る道筋の松、榊の樹間には灯火の入った吊り提灯がかけられ、ほのかな円形の光をまわりに放っている。そのほかはただ黒く濃い闇のなかである。
前方で合図の手提灯が光の弧を描く。
先導の式部官の後ろにつづく総理大臣の足もとを、吊り提灯をもった係員が照らしながら併進する。

黒い儀式服はなかば闇に溶けこみ、白い手袋と金釦が鮮やかに浮かび上る。
総理以下一列になってつづく参進者たちの足音が、ザックザックと耳を打つ。
門を潜ると広い玉砂利の前庭である。その四隅で赤々と篝火が燃え、厳粛な空気が張りつめている。一同着床するうちに、私は握舎横の定位置に立つ。握舎のなか、椅子の列のところどころに炭火を入れた火鉢が置かれてある。前庭には四本の柱に木屋根をもった仮構築の火所がある。
そのなかで炎は小さくたゆたい、あるいはパチパチとはじけて猛々しく躍り上り、正座して薪をくべる白衣烏帽子の神官の横顔は、暗い陰影と明るい炎の照り返しを見せて、妖しく闇のなかに浮かび上る。

やがてぼうと見える向う側の天幕のなかから、絃楽音がひびき、同時に「おうーおうー」と低い神楽歌の朗唱が始まる。地底から湧き上る神秘な呪術の合唱のようである。私は握舎の前方に進み出て、一同起立の声をかける。
赤い庭瞭のたなびくなかにほの明るく浮かび上る殿上の廊下に、揺れる炎の脂燭を手に侍従が先行し後続し、やがて純白の祭服を召された陛下のお姿がおぼろげに神嘉殿の廊下を渡らせてこられる。そのあとに従うのは皇太子と思われる。
ついで恭々しく宝剣をいただく侍従、裾をもつ侍従が前後するが、その姿はもうろうとしてしかと見定めはつかない。そして拝殿の御簾の前で陛下の御拝礼が終るとともに、私は再び握舎の前に進み出て、「御着床を願いますー」の声をかけ、一同の着床を見届けてから定位置に戻る。

陛下は今、神嘉殿殿舎の御簾のなかに入られる。外側の廊下には掌典その他がかしずき、その間、生魚、干魚、菓子その他海の幸、山の幸を象徴する食物を、おん自ら祭主となって、新穀より醸造した白酒、黒酒とともに捧げて、神々と共飲共食されるのである。これを「御直会」と呼ぶ。陛下はこのあと拝礼とともに「お告げ文」を読み上げられ、五穀豊穣と国家の繁栄を祈願されるのであるが、右の儀式の模様は外部からは窺い知ることもできない。それは揺れる火影のなかで衣ずれの音も秘めやかに行なわれる天皇親祭の儀式であり、浄闇のうちなる、神々と天皇の秘儀であり、古代から現代まで天皇から天皇に口伝と所作をもって伝えられてきた、いわば呪術的な秘儀である(皇太子は陛下のあとにつづいて神殿内に入り、陛下の御直会の始終を見て、その秘儀を身につけるのである)。
そしてそこにはいろいろな作法があるらしい。たとえば三度の拍手、三度の静め(ご飯を三度舐めること)、あるいは白酒四度、黒酒四度の口づけなどのようにー。
しかしその辺のことはよくわからない。ただ天皇より次の天皇に黙示をもって伝えられるのみである。

今はただほのかに明るみのさす拝殿内の燭火のほむらの影の揺らめきに、かすかによぎるお姿らしき人影が時としてちらりと目に映るのみである。

木立ちを渡る夜風はいよいよ冷たく、深々と沈む夜の闇の底から再び「おうーおうー」と悲愁をおびた重々しい神楽歌の斉唱が、あたかも足下でうごめく地霊たちの叫びのごとく悲しげにひびきわたり、庭瞭の炎は躍り上り、火粉の飛沫をふり撒く。やがて陛下の白い祭服のお姿が現われ、神霊のささやきかとも思われる悲槍な絃の音のつづくなかを、夢幻のなかの舞台劇のように、脂燭の炎が流れ去る揺らめぎとともにご退出されてゆく。

今や新嘗の儀は終りに近い。係員が握舎の腰戸を開く。
すべては無言劇のようである。私は参進者たちの神殿前拝座での拝礼が終るのを見届け、諸員の列を誘導して休所に向う。黒い人びとの列は黙々として玉砂利を踏んで、おのがじし今しがた終えた厳粛な新嘗の祭儀のことを思い出しているのであろうか一同は休所で白酒、黒酒を土器の盃にていただき、箸を動かして「直会」、終ってあいつぎ退出、新嘗の夕の儀は終るのである。午後七時半より九時までである。

しかしこのあと深更に至って、さらに暁の儀が行なわれる。私たちはその時刻十二時に至るまで、多くは休所で小憩し待機するのである。暁の儀には陛下および皇太子はお出ましにならず、掌典長の代拝となるが、宮家の方々二、三に宮内庁長官、次長ほか関係者約二十人の再度の拝礼となるのである。それが終ると午前一時に近く、しんしんと冷えこむ寒気に手はかじかみ、五体は震えるほどの寒さである。


この「新嘗祭」の祭式で気づいたのですが、皇后陛下、皇太子妃殿下など女性皇族が参進されていないようです。
それと天皇陛下の行いを皇太子殿下だけがご覧になって伝えていくようになっていることです。
昨年から議論されいた皇室典範改定では、このような天皇陛下の祭祀について議論されていないことです。
また、天皇陛下の祭祀についてあまりにも知らなさすぎるようです。
皇室典範を改正するには祭祀を第一に考えるべきでしょう。

悠仁親王殿下のご誕生によって皇室典範改正は時間が与えられましたが、しかし20~30年と有るわけでは無いと思います。

天皇家の血筋を守るためにも、旧宮家の皇族復帰をなるべく早く実現するべきです。
旧宮家の方々は今も皇族方と繋がりをもたれています。
皇位継承は2666年も続いてきた事と、これからの世代へと繋いでいく大きなものです。



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2 コメント

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昭和天皇陛下 (70代の青年)
2008-11-23 11:38:50
旧皇族方と「天皇家」との交流は昭和天皇の御意志で続けられているのですね、皇統持続には旧宮家の複帰は必要と考えています「日本の歴史」の根源ですから政治家も真剣に取り組んで頂きたいものです。
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日本人である慶び (日本季節文化研究会)
2009-11-23 12:20:33
はじめまして

素敵なブログですね、勉強になります。

我が国日本の古き良き伝統文化を継承しましょう。

愛国
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