ミロク文明

新しき[神]の国の写し絵、天国地の上に現す
ミロクの世 ミロク文明人 大和ごころを志しての旅は・波・∞無限大∞

老子「第二十九章」道徳経

2020-12-04 23:01:54 | 老子「道徳経と伊勢白山道「道経1~37
「道」を知った聖人は極端な事を避け、贅沢を避け、傲慢な心を避けるのだ
     
私の大和ごころを志しての旅は「ミロク文明」ミロクの世を地の上に現す方向性。
    
・老子「道徳経と伊勢白山道」 道経 
第二十九章 *老子を英訳 http://mage8.com/magetan/roushi03.html

・原文 「書き下し文
將欲取天下而爲之、吾見其不得已。「将(まさ)に天下を取らんと欲してこれを為(な)すは、吾れその得ざるを見るのみ。  
天下神器、不可爲也、不可執也。「天下は神器、為すべからず、執(と)るべからず。  
爲者敗之、執者失之。「為す者はこれを敗り、執る者はこれを失う。  

凡物或行或随、或歔或吹、或強或羸、或培或隳。「凡(およ)そ物、或(ある)いは行き或いは随(したが)い、或いは歔(きょ)し或いは吹(ふ)き、或いは強く或いは羸(よわ)く、或いは培い或いは隳(こぼ)つ。  

是以聖人去甚、去奢、去泰。「ここを以(も)って聖人は、甚(じん)を去り、奢(しゃ)を去り、泰(たい)を去る。  

現代語訳
世界を我が物にしようと人々は争っているが、私には無駄な努力をしている様にしか見えない。
世界とは人間の力の及ばぬものであって、人間が世界をどうにかしたり、また自分の物にしたりは出来ないものだ。

人間が世界をどうにかしようとすれば却って世界を駄目にしてしまうし、たとえ自分の物にしたとしてもすぐに逃げてしまうものだ。
この世の仕組みというのは、誰かが先に進めば誰かが後からついて行き、誰かがゆっくりしていれば誰かが急ぎ、誰かが強ければ誰かが弱く、誰かが作れば誰かが壊す。

だからこそ「道」を知った聖人は極端な事を避け、贅沢を避け、傲慢な心を避けるのだ。


英訳文
People are competing with one another to get the world.I think they are wasting their efforts. The world is not human's. You can not do anything to the world or get it. If you do something to the world, you will spoil it. If you got the world, you will lose it very soon. In this world, someone goes ahead and someone follows him. Someone stays calm and someone makes haste. Someone is strong and someone is weak. Someone makes something and someone breaks it. So the saint who knows "the way" avoids extremes, luxury and arrogance.  


*かたよらない自然な中間が大切  2012-10-20 老子の言葉
伊勢ー白山道 記事全文 https://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/d/20121020

老子の言葉 第二十九章
(独自の超訳) 
まさに人間は、天下を取ろうと欲張って頑張りますが、私は人間が天下を取ったのを見たことがありません。
天下や社会とは、神様の意志を受ける容器であって、これに対して人間が何かを為そうとしたり、支配しようとしても、そうは成らないのです。
天下に何かを為そうとする者は必ず失敗し、天下を取ろうとする者は大きなモノを必ず失います。

この世の物事というものは、誰かが天下を取ろうとすれば、同様に他者も天下を取ろうと現れます。
物事には、弱い勢いの時もあれば、強い勢いの時もあります。
強いモノもあれば、弱いモノもあります。
育てる者も居れば、それを壊す者もいます。
このような様々な状態が混ざることが自然であり、これを人間が統一することなど不可能なのです。

だからこそ聖人は、やりすぎる事を避け、おごり慢心することを捨て去り、なまけることをしません。

原文 
「將欲取天下而爲之、吾見其不得已。天下神器、不可爲也、不可執也。
爲者敗之、執者失之。凡物或行或随、或歔或吹、或強或羸、或培或隳。
是以聖人去甚、去奢、去泰。」 


(感想) 
人間とは、自分が天下を取ったと思った瞬間から、次の崩壊が始まっているのでしょう
過去の歴史を見ましても言えることであり、国や企業や個人の栄枯盛衰を見ましてもしかりです。
しかし、これを避ける、良い状態を継続させる方法が、ただ1つだけ存在します。

古代ギリシャの哲学者アリストテレスの場合は、人間の行為や感情を調整する美徳として、メソテース(中間にあること)を言いました。
人間は、「中間であること」を意識することが、自分自身を最善に誘導するという考え方です。

フランスの科学者・思想家であるパスカルも、人間は「中間を意識すること」が最善な存在だと示唆しています。
心と肉体を持つ人間というモノを分析し尽くした結果、人間はすべての意味において、「中間という状態」が最善であり最も安定的だとしました。

さらに古くは、釈尊がズバリと「中道」(ちゅうどう)、つまりどんな物事にも偏らない・執着しないことを歩む生活が、悟りに至る人間の必須条件だとしました。
日本の神道でも「中今」(なかいま)と言い、今のこの瞬間・瞬間こそが過去・未来を集約した中心点であり、すべてが集約している「最中」だとしました。これにも生活の中の「中間」を意識することが含まれています。

儒教では、孔子の孫である子思(しし)が「中庸」(ちゅうよう)として、「過不足なく偏りのない徳」を意識して生活することを言いました。
このように、古代から世界中の色んな賢者・聖人が、「何事にもほどほどの中間」を意識することの大切さを示唆しています。

しかし、この章で老子は、もっと大きな自由な「中間」を言っています。
「中間を意識する縛りも不要だ。そんなことを一々考えて生活することも愚かな中間だ。
それよりも物事を支配しようとするな。何かを持とうと悩むな。
幸福も不幸も、その来る自然な“流れ”を楽しめ。
そう成れるためには、
やりすぎる事を避け、おごり慢心することを捨て去り、何事にもなまけることをしないことだ」
このように老子の気持ちを感じます。

つまり人間は、中間・中立の状態が大切なのは間違いではないが、自分は天下を取ったと「区切り」を意識したり、中間で居ようなどと思った瞬間から、既にそうでは無いのです。
自然な流れの最中に、自然に中間で居ることが大切なのです。
人間は、何かの最中に居続ける限り、成長をします。

かつて日本は、総中流家庭だと国民が思えた国です。
大半の家庭が、普通の生活は出来ていると思えたのです。
これこそは今の地球世界を見ましても、東方に出現した歴史的にも奇跡の国家だったのかも知れません。
金の有無だけでは無く、思想的にも権利としても人間の身分としても、国民が総「中流」だと思えたことは、本当に有り難いことなのです。
このような日本が継続することを希望します。

生かして頂いて ありがとう御座位ます 


他人に注意する時は、先ず自分自身が節制する気持ちから  2018-02-19 老子の人生論
伊勢ー白山道 記事全文 https://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/d/20180219
参考記事:老子の言葉 第二十九章「かたよらない自然な中間が大切」

「老子の人生論 」第二十九章

社会を(他人を)、意のままに操ろうとしてもムダだ。
社会(人間)とは、神聖なルツボ(高熱を利用して物質の溶融・合成を行う耐熱容器)だ。

社会に新しい事を強要しても、結局は変わることは無く、更に強く強要すれば壊れるのが社会(人間)だ。
意のままに操ろうとすること、強要することとは、その対象を最終的には失ってしまう

そこでだ。社会の人々とは、
・ 何でも自分で決めて行く人や、
・ 他人や、大勢に、後ろから黙って付いて行くタイプの人。
・ 穏やかな人物と、非常にせっかちな人。
・ 健康な人も居れば、病弱な人も居る。
・ 自分で養生や節制をする人も居れば、自暴自棄な行動をする人も居る。

だから聖人ならば、社会や他人を指導する場合は、
・ 極端なことは強要しない。
・ 自他が贅沢なことだけをしないように注意をする。
・ 上から目線の事を言わない。

(感想)

現代社会ならば、親子関係にこそ言えそうな内容です。
社会を「自分の子供」と置き換えましても、通じる御話です。
老子の表現を、表面だけを読んで勘違いに注意するべきことは、
・ 結局は、何もしないのが、良いのか?
・ 何をしても、ムダなのか?

という、間違った運命論に受け取る人もいます。
決して、そうでは無いです。
まず、対象の本質を知っておきなさいということです

社会も、人間も、上記のような色々なパターンが存在します。
・ 色々なパターンの存在を認識した上で言う注意と、
・ 全体を知らずに、その相手の、ある1点、だけを見て言う注意は、
まったく別物なのです。
その後にもたらす結果が違います。

とにかく無理に強要することは、最終的には、その対象(仕事、家族、恋人、・・・・)を失うことに成りやすい。
これを覚えて置きましょう。

でも、言うべき時は、注意をすることが大切です。
その時に、相手を見て、どのパターンに近い人かを認識した上で注意をするのです。
その注意をする内容が違っていることでしょう。

でも、最終的には、注意を言うほうも、されるほうも、幸運・運気がその後の結果を変えます。
その運気に関する注意点として老子は、
・ 自他が贅沢なことだけをしないように注意をする。
としています。これが運気に大きく影響します。

贅沢とは、個人差が大きいものです。
個人で贅沢の内容が、大きさが、千差万別です。要するに、

・ 自分なりに節制する意識を持つこと。

これを持っていることが、運気に影響します。
冷静な、中道の視点から、物事を見られるように成って行くからです。

・ 強く強要することは、失いやすい。
・ 自分自身が節制する気持ちの上で、他に注意をすること。

この2点を知って置いてください。
皆さんの参考にして頂ければ幸いです。

生かして頂いて 有り難う御座います  


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