紫の朱を奪う

日々の随想

月の満ちた夜に

2022-09-11 00:17:10 | 日記
心を穏やかにして考えたい。

余計なことは考えずに。


多様性を受け入れたい、開かれた心でありたいと願うことに相反し

自分が相手に否定的な意見をもらうと存在意義が揺らがされるぐらい動揺してそのことばに強く引っ張られてしまう。

いろんなひとがいればいろんな意見があることは当たり前なのに、

自分に対して向けられた否定的な感情をうまく処理することができない。

自分ではなく、だれかが他者に否定的なことを言われたときには

あなたはありのままで素敵、自分の好きなように生きたらいいと、

場合にはよるだろうけど、基本的には確信を持って相手を肯定できるのに。

否定される自分であることに不必要な恐れを抱いているのかもしれない。

見栄っ張りで八方美人だ。

そろそろ自分が信じる方向にだけ美しくあればいいと覚悟を決めたらいいのかもしれない。

頑なにはならずに、それでも耳は傾けながら。

長くやっていれば道になる。



もう「戻る」という表現は使えない。

戻れない。

日常生活にまた入っていくにはチューニングが必要で、

でもそのチューニングをする前に、なにがそれを必要な状況にさせたのかをちゃんと考えて、認識しておきたい。

そう思いながら過ごして3日目だけど、つかまなければいけないものがすこしずつ霧のように消えていっているようで焦燥感に駆られている。

同時に、知ってしまったらもう戻れない、ということばにも縋りたくなる。

正体がまだ分からないまだ掴めていないものは、

ちゃんと気が付けていなくても、時間が経っても自分の中に確かにあるのだと思うことができたら安心する。

だけどそうは思えない。

「仕事」や他者との生活は待ってくれない。

否が応でも日常生活のスイッチが入って、忘れてしまうように感じている。



一過性のことだと解っている。

もうすこししてこの場所を離れたら、いつかまた交差すると信じたい。



いろんな人と出会いたい。

できるだけたくさん。

なにを考えて、なにを感じて、どう生きているのかを知りたい。

好きだから。

今まではそうして出会ったひとたちがいかに生きているかを伝えることを役目のように感じているだけだったけれど、

そうしたいと願うのは、それを通じて自分の生き方を考えたいからかもしれないと今日思った。

自分本位だけど。これは私の人生だしそれでいいのかなと。

立場にとらわれずに人と関わって耳を傾けていきたい。

もっと自由なイメージで、生きる場所を選べることを覚えていたい。



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