紫の朱を奪う

日々の随想

エッセイ(アフリカの暮らし)

2018-03-27 14:40:55 | アフリカ
エッセイを書きました。
中高生向けに、アジアやアフリカをフィールドとする研究者が現地の暮らしが伝わるようにという趣旨で書いたものをまとめたエッセイ集です。
私はブルキナファソで過ごしたときの話を書かせていただきました。

■フィールドで出会う人と風と土2
「太陽が欠けた日」p47-p51 
http://www.chikyu.ac.jp/publicity/publications/others/img/kazehitotsuchi_essay2_0320.pdf

■フィールドで出会う人と風と土3
「受け継がれるもの」p56-60
http://www.chikyu.ac.jp/publicity/publications/others/img/kazehitotsuchi_essay3.pdf


「受け継がれるもの」は祖父に読んでもらいたかったけど間に合わなかった。
形式にこだわらずに初稿ができた時点で読んでもらえばよかった。
ことばにするのは恥ずかしくて伝えられなかった。

今年度講演をさせてもらった中学校の卒業式、修了式にも間に合わなかった。
全く同じひとたちが同じ空間にいられるのは、本当に刹那的なことなのだということを再確認する。
花束をくれたあの子、感想を聴かせてくれたあの子は三年生だった。

執筆中に想っていた一番読んでほしいひとたちには届かなかったけれど、ここから新しいご縁がありますように。
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執筆

2018-03-22 12:22:20 | 日記


生を垣間見させてもらった。

丁寧に、真摯に向き合いたい。

深いところに静かに降りていくように。
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Clean Bandit / Symphony feat. Zara Larsson

2018-03-22 12:20:38 | 音楽
Clean Bandit / Symphony feat. Zara Larsson [Live at the Teen Choice Awards 2017]


42秒から。




ライブでのZara Larssonのこぶしのきいた歌い方の方が、キレイ目に歌ってるPVよりも好き。

でもPVの伸びのある歌い方やリバーブ聞いた感じも好き。

▼PV


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かたち

2018-03-13 16:35:44 | 日記
11月に母方の祖母が逝き、先月2月に父方の祖父が逝った。

別人のようにきれいな横顔。

冷たくてしっとりとした頬。


火葬炉から出てくる祖母。

人間の体はただの物質の塊でしかないことを改めて思い知る。

体の一部も失うことなく

細胞の突然変異を経験することなく生きていることの方が奇跡なのだと。


二人とも戦争を経験した。

終戦になり、母方の祖母は満州から、父方の祖父は樺太から「命からがら引き上げてきた」という。

祖母には当時のことを正面から質問する機会を得たが、

思い出したくないからこの話は終わりにしようと祖母にそれ以上強いることはできなかった。

祖父には聞く機会もなかったが、伯父が幾度か尋ねても、ついにこたえてもらうことはできなかった。


祖母の兄は戦艦で病死、祖父の兄は知床の沖で戦死した。

祖父は当時15歳前後で出征はしなかったが、次男として17歳から一家を支える大黒柱として働いたという。

戦争を経験した祖父母が、なにを思いながら最期にこの時代を生きたのか、本当はもっと知りたかった。


先週の火葬を終えてからどうにも目の前のやるべきことに気持ちを向けることができない。

もともと筆が止まっていることもあるが、モチベーションが下がっている。

なんて甘いことを言っている状況ではないのだけれど。


祖母に「一生完成しないんじゃない?」なんて皮肉を言われたことを思い出す。

必ず報告しに行くからね。


祖父の葬儀は姉のように慕っていた従姉を4年前に見送った場所と同じ会場でおこなわれた。

愛しいひとがつぎつぎとこの世を去っていく。

となりで寝息を立てる愛すべき者の小さな頭に額をくっつけていないと、この世界が色あせた濃度の低い世界のようにみえてくる。

想う人、想ってくれている人で私の世界はできているのだろうか。


姿形をなくすとはどういうことか。

目の前に物体として存在する物に強く依存して生きていることを思い知る。

輪廻転生や死後の世界の発想のなんと想像力豊かなことか。

実際にあるのかは私にはわからない。


改めて7年前の震災で愛しい者を同時に何人も失った方たちのことを思う。

ご冥福をお祈りしています。
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