October November(フォーク村)

タイトルと内容に関連はないが、このタイトルで昔の友人が尋ねてくることを願って・・・。

新潟に行ってきました。

2023年08月24日 | 1985年から1988年の新潟大学フォーク村のこと
9:04に青森駅を出発
秋田駅でサンドイッチを食べて酒田行きの普通列車に乗り換え、
酒田からは”特急いなほ”に乗り換えて新潟へ向かった。

この日は、鶴岡で花火があるとのアナウンス。

途中、村上の手前の笹川流れを右手に見ながら、
16:50頃に新潟に就いた。

駅前のホテルに向かい、シャワーを浴びて
会場に向かう。




会場では、長谷川さんと隣になり、
随分と懐かしい話をした。

途中、matubaraの携帯で住さんと話ができた。

齋藤とは、正面に座ったが、LINEの登録が結構難しく、
あまり話はできなかったような気がする。




二次会のカラオケでは、

・ やっぱり竹田さんは上手いなぁ~。
・ 関の全力少年は、上手いし似合ってるなぁ。

という感じでしょうか。



頓所さんの生歌を聞いたときは、
ちょっとした宝物感がありました。


川崎から、エルドラドのリクエストを受けた時は、
少々、驚きました。

そもそも
”川崎の前で、歌ったことあったっけ?”

などと、
”歌えるかなぁ~?”と言いながらも歌いましたが、
多分、疲れて、ヘロヘロになっていたと思います。


この後、夜中の2時までカラオケをして、
翌朝、8時過ぎの電車で青森へ帰りました。

皆さん元気で何よりですネ。



移動は片道7時間ですが、
「あまり苦にならず。」でした。


本日のNHKの昼のニュースでは、
新潟は38.1の危険な暑さ。
酒田は37.5、秋田は37.4
だそうです。

みなさん、お元気で~!


by mino




さて、新潟へ

2023年08月18日 | 1985年から1988年の新潟大学フォーク村のこと
7月下旬から8月上旬は、大変だった。

妻がコロナで陽性。
母親が熱中症で、救急病院へ。

私自身も発熱は全くないものの、喉がイガイガしていたので、「間違いなく陽性だろう。」と、PCR検査を受けたが、結果は陰性。


「そういえば、最近、濃厚接触していないか~。」
という”つぶやき”は、スルーされて、
「だいたい、発熱外来にマスクなしでくるとは何事ですか!」
と、例のかかり付けの女先生に怒られた。

(5類に移行して、マスク着用は個々人の・・・。)という言葉は、もちろん飲み込み、”スミマセン”と誤って、病院のマスクを先生の言い値の1枚100円で買った。


考えてみれば、私の喉のイガイガは7月上旬から続いていたので、7月下旬の妻のコロナとは関係なかった。ただ、ねぶた時期ということで、連夜の宴会もあり、私の体調は良くなかった。


これに身内の不幸が重なり、さらに仕事がうまくいかない。

「はあ~。」と、少し疲れたため息をつきたい毎日だった。



8月10日からの7連休をバタバタしながら過ごし、17日、18日と仕事をして、さーて、新潟。

齋藤やmatubaraの御尊顔を拝して、良き運気を頂きに、
いざ新潟へ向かわん!



日本海周りの特急(7時間30分)か、大宮経由の新幹線(5時間30分)か迷いましたが、どうせ移動に1日かかるのなら、学生時代の移動方法にして、日本海を巡る電車でトコトコ向かうことにしました。
(斎藤が肉を忘れた笹川流れも見えます。)


8月19日(土)18時から
アートホテル新潟のレストラン彩巴(いろは)
だそうです。(祝さんが幹事だって。)

さらに二次会は、カラオケに行くみたいです。
(こっちは、matubaraが幹事だって。)


我々世代は、町田、matubara、齋藤、関、漆間といった面々が集まる模様。
他に、頓所さん世代、竹田さん世代も多数集まるようです。



翌日は、町田から
「レンタカーでも借りて大学方面へ行かない?」
と声をかけられたのですが、朝8時過ぎの電車で青森へ帰ります。


by mino


しのちゃんも来ればいいのに・・・。

曲作りは、遅々として進みません

ついに痩せた7月

2023年07月30日 | 1985年から1988年の新潟大学フォーク村のこと
皆様、御暑うございます。

当方、7月で5kgはやせました。
5kgも痩せれば、風貌に少しぐらい変化があるかと思いましたが、あまりないように思います。

あごの周りの脂が落ちれば、
いよいよもってナイスミドルへの道が開けると思ったのですが、なかなか道は険しいものです。





さて、7月のある日、町田とメールのやり取りをした。

「8月19日新潟に来ない?」(machi)
「いいよ。」(mino)
「返事、はやっ!」(machi)

実は、金子さんから8月19日に何やら集まる話は聞いていたので、電車や宿について調べていた。


「ところで何があるの?」と聞いたところ、
「還暦祝い。」との答えが返ってきたので、
「誰の?」と問い返すと、
「誰かの・・・。」との答え。

とどのつまりは、あまり、煮詰まってはいないようだ。



当方にとって新潟(五十嵐)は、
大変、思い出深き土地ではあるが、
さりとて、特に、仕事上の関わりは少ない。

移動ともなれば、
日本海側で向かえば、片道7〜8時間の移動時間がかかるので、まさに移動だけで1日がかりといった感じだ。

学生時代は、「特急いなほ」で6時間半くらいだったことを思えば、当時より、不便な場所となっていることもちょっと驚きです。


さて、取り敢えず、
8月19日に新潟駅前の東横インに宿は取りました。

あとは、当日の会場と開始時間の情報があれば、
馳せ参じることが可能です。

それでは、皆さん新潟での再会を楽しみにしております。

(みなさんって誰だ~。)


万一、町田と二人っきりであっても、
それは、それで、まったく構わないんだけどネ。


by mino

来週から、ねぶた祭だー!

Studio One Prime、GETできたー。



Epilogue(エピローグ)

2023年05月31日 | 1985年から1988年の新潟大学フォーク村のこと
2日経った火曜日の昼頃、
職場に小包が届いた。
送り主をみると、なんと金子さんだった。

ーーーーーーーー

先日はありがとうございました。
久しぶりに会って、時間の感覚が無くなりました。
いやー、楽しかったね。
会津の日本酒を送ります。
キンキンに冷やして飲んでください。

それでは、see you again!!
またね。
      (自筆の氏名)

ーーーーーーーー

福島の地酒の脇に、メモが添えられていた。

ワープロで打った文面の最後には、
サインペンで、
自筆の氏名が味のある書体で書かれていた。

なんだろう。
立ち居、振る舞いがおしゃれなんだなぁ~。

そういえば、matubaraも齋藤も
「金子さん!」「金子さん!」と
騒いでいたっけ。



ドライジン片手に~♪
(スティッキーフィンガーズから)


ドライジンという単語は
金子さんの歌で知った。

どこまでもおしゃれだなぁ~。




そういえば、
仙台出身の庄ちゃんも
安いからと、
やしち酒店でドライジンを買って飲んでたっけ。

これは、どうでもよかったですネ。


by mino



Gainzの幸福列車を聞いて、
もちろん曲自体が秀逸ですが、
名古さんの歌と、金子さんのギターアレンジに
聞き入ってしまいました。

はぁ~。
僕らは、へたっぴぃだったね~。




2023/5/26あおもりで、あの頃のまますぎる金子さんと

2023年05月28日 | 1985年から1988年の新潟大学フォーク村のこと
横断歩道の向こうで、ニッコリと手を振る人がいた。
「エー、金子さんもさすがに老けたなぁ〜。」と思ったら、
背格好がよく似たまったく別の知り合い(先輩)だった。


県庁ロビーに向かったら、
本物がいた。
間違えようのない、
当時のままの金子さんがいた。

先ほどの勘違いを詫びたくなるほど、
当時と変わらぬ容姿だ。

「よ。」と一言、
福島なまりで声をかけられた。




・お孫さんが6人もいること。
・竹田さん、長谷川さん、祝さん、小池君と写った写真
・金子さんの議場での答弁動画
・GAINZ(ゲインズ)の幸福列車
・ライブハウスでの演奏(町田がドラムのやつ)
・住さんやうるまとの写真

などなど、
アイパッドをテーブルの上にして、
懐かしい音源と最近の新潟の話を随分教えていただいた。

何もかも懐かしく、
やっぱり、新潟はいいなぁ〜と思った。



翌日、朝からの用務を終えて妻に送られて、
金子さんのホテルを訊ねた。


「前に、竹田と津軽半島の先までいったから、
 今度は下北にいってみるよ。」

金子さんは、車で来ていた。


妻が、金子さんに挨拶をすると、
丁寧にあいさつを帰していただいた。


「カッコいい先輩だね。」
帰りの車中で妻がボソッと言った。


そりゃぁそうさ、金子さんは、
ぼくらのNo1ギターリストだ!


別れ際に、
「8月19日に新潟でまた会おう。」
といっていただいた。


はい。
何をおいても。




みなさん!

金子さんは、
新潟への郷愁を伝えに来た、
さわやかな季節風のようでしたヨ。

(みなさんって誰だ~。)


by mino


まあ、辺鄙なブルグだし、顔出しもありかとも思いましたが、
世知辛い世の中、
何が何して、何となれば何だし・・・。
ということで、当日食した料理だけを画像でご紹介します。

□ みず(うわばみそう)とほやの水物
□ やまうどの酢味噌和え
□ こごみの胡麻和え
□ みずの根っこのたたき
□ とげ栗ガニ
このほか、ねまりがりだけの焼き、
日本酒は、県南の五戸町のJOKU「如空」というお酒を頂きました。

二次会で、カラオケを歌いましたが、
このへんから記憶があまりなく。
何を歌ったか、何を聞いたか定かではありません。

多分、途中から合流した
職場の友人が金子さんの帰路を見送ったと推測しますが、
失礼はなかったでしょうか。

それでは。



8月19日(土)
どこで何をやるのかわかりませんが、
お誘いいただければ、5kg痩せて行きます。
痩せなければ、ソッと行きます。




整いました(更新)。

2023年05月24日 | 1985年から1988年の新潟大学フォーク村のこと

今週末の金子さんとの宴席について、
先ほど《ますや》を予約しました。

(県庁の西側(駅より)の赤い看板が目印です。)

まあ、このブログでも何度かご紹介した
馴染みの店で、今別町出身の80を過ぎた親父が一人でやっている店です。

山菜の煮込み、和え物、
天婦羅、なべ等々を地酒でやります。

山菜類は、すべて親父が山で採取してきたものを
丁寧に処理して出してくれます。

全て、スマホで撮ってご紹介しますので
当ブログの続編(週末)を楽しみにしてください。


それでは、金子さん
わたしは、17時15分に終業です。
ガンとなったら、職場を出て、
一足早くやって、
18:00の金子さんの到着を待っています。

あー楽しみ。




休みが取れて、
こっそりと青森に向かっている人~?


・・・。


あっそ!



by mino



ちなみに、
料金は、1人、
酒込みで5,000円としました。



5月にあおもり

2023年05月18日 | 1985年から1988年の新潟大学フォーク村のこと
前回のブログからの続きになります。


何か見知らぬ番号からの着信が続くので、
普通はやり過ごすのだが
何となく気になって、
「どちらさまでしょうか?」とコメントを送信してみたら
「金子です。」とリターンがあった。


金子さんは、鹿児島から。
私は、羽田にいた。

改めて、電話がつながると、

このブログを見ていてくれたこと
そして、5月26日に青森に行くので一杯やろう!
とのお誘いを頂いた。

おー!

万難を排してお待ちしております。

ということで、
5月26日(金)18:00から
青森市内県庁付近で、金子さんと一杯やります。


参加したい人~!


・・・。

(ちょっと遠いか。)


by mino




5月21日から23日までは、
海外にいます。
連絡は、当ブログへのコメントでお願いします。

LINEがね~。

そういえば富山?

2023年05月15日 | 1985年から1988年の新潟大学フォーク村のこと
出張帰りの翌日に職場のメールをチェックしたら、
「うるまですよ!」のタイトルがあった。


”ん?”と思って、ソーと開いたら、


お元気ですか?
ご無沙汰です。
今、富山で金子師匠と呑んでます。

との文面。

登場人物と現地の地名に違和感があったが、
そんなこともあるのかと、
何ともなしに返信しました。

お二方とも、
元気で何よりです。

受信日時は、5月11日20:54となっていました。

さすがに、その時刻には「帰宅していました。」というか、
実は、その時間は、仙台からの帰宅途中で、
20:54は、ピッタリはやぶさ43号の仙台駅出発時刻でした。
(どうでもいいですが・・・。)


さて、
金子さんと富山?
どういうこと?
何はともあれ、皆さん年は取れどもお元気そうで何よりです。

と返信したところ、

うるまは、転勤で4月から富山で、
金子さんは、3月いっぱいで退職して6月からの再就職前に、
全国を行脚しているのだそうだ。

先日は富山で、
次なるは、鳥取の住さんに会いに行くのだそうだ。
(おー!)



このブログを見ていてくれているのか分かりませんが、
そんなメールが届いたと、
皆様にお知らせします。



by mino

皆様って誰だー!



私の携帯の番号を、うるまに伝えました。
金子さん、青森でも待ってますヨ~。


さて、実は、私事ですが、
住さんには、謝っても、
謝り切れていないことがあります。


住さん!
住さんバンド!
台無しにして、ごめんなさい!

今でも思い出すと、布団をかぶりたくなります。
ホント、(心から)ごめんなさい。


もし、金子さんがこのブログを見ていたら、
お伝えください・・・。





2月にMatubara

2023年02月04日 | 1985年から1988年の新潟大学フォーク村のこと
10年に一度の寒波はさすがに寒かった。
加えて、自宅のボイラーが故障し、
我が家はとんでもなく冷え切った。


さて、
季節は異なり、
秋頃だったような気がする。


フォーク村内の我々の代の女子は、
齋藤とMatubaraの2人だけで、
齋藤は坂の途中のアパートで、
Matubaraは自宅生だった。

村長の町田は五十嵐寮の3階にいて、
たまに部屋で酒を飲んだ。



その日は、珍しくMatubaraも参加して、
私を交えて3人で呑んでいた。


話も弾み、宵も更けたところで、
我々の(強い)勧めもあって、
Matubaraは家に戻らず、
町田の部屋に泊まっていくことになった。


これで、バス(電車)の時間を気にせず、
腰を落ち着けて呑める。

となったところで、
Matubaraがジャージに着替えると言い出した。


しかし、ここは男子寮。
女性が着替える場所はない。


絶対こっちを見ないで!


という強い指示を町田と私に言い渡し、
我々が背中を向けているのを確認して、
Matubaraは着替え始めた。


特に、我々に下心はないが、
(本当)
絶対に見るなと言われて、
見ない人はおそらくいない。
(多分)


ましてや、何かにつけてボケないと
気が済まない我々でもあった。


まずは、1回くらいソ~っと振り返って、
Matubaraに怒られるくらいのやり取りは、
”当然”という感じで、
ソ~っと振り返ったら、

背を向けている我々に、
更に背を向けてMatubaraは、
せっせと着替えていた。

「おいッ!」と
逆にこっちから突っ込みたくなったが、
「まあ、Matubaraらしいか。」と思い、
映像は、自分の中に封印した。





おっとりとした斎藤に対し、
何気にMatubaraは気合を入れていたが、
実は、ちょっぴり抜けたところがあって、
そこがまた、魅力のひとつだったように、
今更ながら思います。


まあ、そんなMatubaraも50代後半か・・・。





さて、

「町田くんも見たの?」との声が聞こえますが、

町田は、村長。
”ネタ”であってもそんなことはしないと思います。
(多分)


しかし、全人類的には
ツルの恩返しでは、ふすまを開けてしまうし、
ギリシャ神話では、黄泉の国からの道すがら、
約束をやぶり振り返ってしまう。
そんな物語が多いと思います。


万が一、町田が振り返って、
見てしまっていたとしても、
それは、人間のサガであり、
責めてはいけないと私は思います。


2月に入って、
思い出したMatubaraのお話でした。




by mino



P.S.

内容が内容だけに、ちょっと気を使って、
Matubaraとアルファベット表記にしましたが、
なんか、Matubara、Matubaraと
文面がMatubaraでうるさくなったような気がします。

Matubaraは旧姓で、
今はMatubaraではないと思われるので、
Matubaraを漢字で表記しても
差支えないと思うのですが、
Matunagaは、どう思いますか?


(特に、コメントを要しませんが・・・。)



2023年の年賀から

2023年01月15日 | 1985年から1988年の新潟大学フォーク村のこと
その”かわいい女の子”は、
年齢でいうと4個ぐらい下だった。
(多分)

サークルに入ってからも
ピアノを弾いているのを何度か見たぐらいで、
そんなに目立ってはいなかったように思う。
(ゴメン)

しかし、私には、
酒がめっぽう強い女の子との強い印象がある。


別に、一気飲みを強いることは、
なかったと思うが、
日本酒を注ごうとすると、
自身のグラスの中の日本酒を
”キュー”っと飲み干してから
グラスを差し出す姿が、
いつも印象的だった。

しかも、表情が変わらない。

この子は酒が強い!
と思った。


そして、私は、ひそかに
「ドヌーピーに似ている。」
と思っていた。


実は、あまり褒めた表現ではないので、
本人には言ったことはないが、
周囲の人間には確認していて、

ねえねえ、〇〇ってさ、
”ドヌーピー”に似てない?

と、何度か聞いたが、
そもそも”ドヌーピー”を、皆、知らないので、
誰からも賛同が得られなかった。



さて、妻方の不幸が数年重なって、
ここしばらく、年賀を欠礼していたが、
今年は、ご挨拶を差し上げた。

折り返すように頂いた年賀の中に
学生時代を過ごした新潟の
小池君からの年賀があって、

その中にチロッと、

「となりで”おちあい”が笑ってますよ!」
との言葉が添えられていた。


写真は、なかったが、
きっと二人が笑顔で並んで、
青森からの年賀を読んでくれたんだなと
すこしほっこりした気持ちになった。


お二人ともお元気ですか?
今度は、落合のコメントも寄せてネ。


それと、
”ドヌーピー”は検索しないでネ。


by mino



正式には”ドルーピー”でした。

トム&ジェリーにたまに出てた
のんびりとした性格の
とてもいい奴です。

複線の回収(2023.1.3)

2023年01月03日 | 1985年から1988年の新潟大学フォーク村のこと
フォーク村には、2年生の時に、
正確には2回目の1年生の時に入った。

フォークギターは、兄から教えてもらっていて、
やはり兄の影響で、
かぐや姫や井上陽水を弾いていた。

五十嵐寮のそばの大学会館で、
新入生歓迎コンサートがあって、
それを見た後の打ち上げから参加した。

よし半だったと思う。

飲み会の場は、
名古さんや頓所さんといった
重鎮が仕切っていて、
時々、祝(ほおり)さんや齋藤が
竹田さんや宇ノ井にいじられていた。

場が緩んできたところで、
たまたま目の前にいた
名古さんと話す機会を得た。


「いや〜、いい歌ですね! ”万代橋”。」
と名古さんに話すやいなや、

「おーい!みんな聞いてくれ!」と

名古さんが、宴会場の雑談を止めた。


「今日、入ったのが、
 いやー、いい歌ですネ”万代橋”だって!」

「面白いこと言う〜じゃね~か。」

「じゃ、なんか一発やってもらおーか。」

ということで、
江川のピッチングをマネてみたが、
やっているうちに、
皆が宴会に戻ってしまった。

前田とは違って、
しっかりとすべった。



さて、何故、この話を持ち出したかと言うと、
「07 灰色の街」の歌詞を掲載した際、
名古さんの名曲を「万代橋」とあえて誤表記
したのに、誰も突っ込んでくれないからでふ。




それは、「往来橋」でしょ。



いや〜町田か斎藤か松原あたりに
突っ込んでほしかった~。


ということで、昨年の複線を
回収させていただきました。



なお、よし半でも、当ブログでも
決して、誤解、誤表記ではなく、
ネタとしてボケています。


"往来橋”を”万代橋”とは、
我々世代は間違えませんよね!



フォーク村関係者の皆さんに!
あらためて、
本年もよろしくお願い致します。



by mino

明日から仕事だー。





一発芸

2022年12月29日 | 1985年から1988年の新潟大学フォーク村のこと
新入生歓迎のコンパだったと思う。
芸人ぞろいのフォーク村は、
当然のごとく新人にも芸を強いる。

今なら、パワハラ。

芸をやりながら、
泣いていた女の子もいた。



さて、
その男は、声は低音を響かせ、
ちょっとイケメンでおしゃれな
ギャグとは程遠い感じの風体をしていた。


その新人は、
割り箸を頭に立てて、
ひとこと言った。



なみへい・・・。



年長者の先輩は、
お~!という反応だったが、
宴会場は、大爆笑で、
一気に存在感を知らしめた。



割り箸を立てて”なみへい”か・・・。
これは他で使える。

私も、町田もそう思っていた。
(多分)


割り箸で、一発芸は新鮮だったが、
この後、これに続く一発芸は
生まれることはなかった。


カラの徳利を頭にのせて
”ちょんまげ”と言っていた者もいたが、
”なみへい”には遠く及ばなかった。


つまり、割り箸と言えば”前田”
前田と言えば”なみへい”と
後世にまで語り継がれたのである。




さて、この御仁は、
声質から松山千春をよく歌っていたが、
もちろん、オリジナルも書いていた。


しかし、前田といえば”なみへい”なのであって、
フォークギターを持たせる前に、
割り箸を差し出すのが、礼儀。


谷啓(たにけい)には、”がちょーん”
志村けんには、”変なおじさん”
鶴太郎には、”あつあつおでん”

そして、前田には、
”割り箸でなみへい”をしてもらわなければ、
失礼と言うものだろう。


当たり前田の
割りばし”なみへい”

というキャッチフレーズが
あったような、
なかったような・・・。



年末も押し迫った中、
他愛のないお話を思い出しましたが、
前田君にあったときには、
是非、割り箸を差し出してみてください。


その前田くんも50代後半ですが・・・。


みなさん、よいお年を!

by mino











訪問販売

2022年12月18日 | 1985年から1988年の新潟大学フォーク村のこと
学生の頃、中門前のアパートで、
2年間暮らしていた。

よく来るのは、新聞の勧誘。
次は、宗教の勧誘だろうか。

宗教の勧誘は、
不思議と雨の日が多い感じがしていた。

ビニール製のカッパを羽織り、
傘を差しながら、各戸口を訪問するのも
大変だろうなと思っていたが、

よくよく考えてみれば、
雨の日は家の中に居る事が多いだろうから、
不在が少なく訪問には向いている。



さて、季節は初夏。
時間帯は、日差しの加減で思うに、
朝の9時くらいだったろう。

こんにちわー。
ガスの点検に来ました。

と、色黒い、年の頃なら30代前半くらいの
大人(男性)が訪ねてきた。


当方は、”はーい”と低い声で返事をして、
いかにも寝ていたという感じで応対したら、

大家さんから、頼まれてきたとのこと。
”中に入って、ガスのチェックをします。”
と言うので、”それではどうぞ”と招き入れた。


昨日は、コンパだったのかな?
と言いながら、ごちゃごちゃの台所周辺を
何やらチェックしていた。


コンパというか、飲み会だったのは正解で、
まだ、頭がガンガンしていた私は、
”終わったら教えてください。”と言って、
奥に引っ込んだ。


しばらくしたら、
”終わったよー。”
と言って、一枚の紙を渡された。

”安全のためだからね~。”
”消火器を置いといたから。”
と言うので、

”あっ、そうですか。”
”ありがとうございます。”
と言って部屋の中に戻ろうとしたら、


”12,000円になります。”
と言われた。

”エッ!!”

一瞬で、自分の顔が、
二日酔いから真顔に変わったのが分かった。

”エーと、何さんでしたっけ?”
と怪訝な表情で、紙の内容を読み返し、
いかにもという感じで首を傾げ、
”〇〇ガス協会?”
と宛名の不自然さを指摘すると?

私から、サッとその紙を取り上げ、
消火器を抱えて立ち去って行った。


へ~消化器か〜。
新しい訪問販売だな~。
日中に、あんなのを抱えて
戸口を回るのは大変だろうな~。

などと、考えながら、
再び床に入り、二日酔いの体を癒した。




さてさて、
翌週、斎藤のアパートに行ったら、
なんと、その消火器が、
台所わきに置いてあった。


あっ、消火器?
たまたま、先週、買ったんよ。
前々から必要かなぁと思ってたんさ。


ふ〜ん。

敢えて、値段は、聞かなかった。



実は、後日、近隣にあるホームセンターにいった際、
同じ消火器が3,000円で売られているのを把握していた。



ところで、
訪問詐欺のようなものに引っ掛かりかけた割に、
学生にしては、
落ち着いて対処しているように
思えるかもしれませんが、
そもそも、財布の中に12,000円どころか、
3,000円も入っていないため、
騙されようがないわけです。




いや、いや、斎藤が引っ掛かったと
断じているつもりはありません。

しっかり者の斎藤は、
当然3,000円で買ったものと思っています。

(多分)

たとえ、12,000円で買っていたとしても、
必要と思っていたものを買ったのですから、
何ら、問題はないわけです。

(多分)


・・・。

なんで、庄ちゃんの次に
斎藤のことを思い出したんだろ?


お元気にしてましたでしょうか?


by mino










庄ちゃんに当たりなし!

2022年12月11日 | 1985年から1988年の新潟大学フォーク村のこと
ちょっと思い出したので書きます。

仙台出身のしょうじくんは、
我々からは”庄ちゃん”と呼ばれ、
ちょっと大柄な、いつもニコニコの御仁だった。

サークルの旅行が中止になったとのことで、
男組だけでどっかに行きたいと
ある日の飲み会で盛り上がった。

そこで、庄ちゃん。

ゼミで行った場所で、
すごくいい川原を知っている。

というので、数日後に前田の車で向かった。

薄暗い林道が長く続いた後、
少し開けたなと思ったら、
その川原に就いた。

虫が多いなと思った。

バカ!ドアを開けるな!
との言葉が口から出る前に、
庄ちゃんがドアを開けて外に出ようとした。
いや、バタンと閉めて、
外に出てしまった。

外から、数匹の”ぶよ”が車内に入り込み、
大橋、前田は”うおー!”と叫んだ。

親指大のぶよだ。

車内で、ティッシュの箱やら、
タオルやらの武器を片手に、
ぶよとの格闘が続く中、

庄ちゃんが、車内に戻ってきて

”大丈夫ですか?”
”ぶよが大発生していて、今日はダメですね”
”また、別な日に来ましょう”
”いやー、いい場所なんだけどな~”
”あっ、ぶよは刺しませんから。”

前田!
まずは、車を出して、ここを離れよう!

這う這うの体で、ねぐらに戻ると、
反省会よろしく飲み始めたところに
しのちゃんが現れた。

(しのちゃん)
どうして、そんなところに行ったんですか?

(わたし)
だって、庄ちゃんがいい所だって言うからさ〜。

(しのちゃん)
だから、前から言ってるでしょ!
”庄ちゃんに当たりなし”って。

(わたし)
 ”・・・”
(庄ちゃんを前に笑えない。)


”庄ちゃん”と”しのちゃん”は、
キャラクター的にサークル内でかぶっていて、
先輩後輩の間ではあるが、
若干ライバル関係にあった。


さて、
”庄ちゃんに当たりなし”などと、
失礼な書き込みをしてしまいましたが、
その庄ちゃんも立派な50代後半。

大学時代の専門を生かして
鉱物関係の仕事をしていると聞いたことがある。

りっぱになってるんだろうなぁ〜
と思いに浸った後、
”庄ちゃんより太ってたら、ちょっとショックだな。”
と思ってしまいました。(ゴメン)

たしか、前に”大門さん”で会った時は、
0.1tを超えたと言ってたはず。

さすがにネ・・・。



ところで、

”ぶよ”は、刺すよ。って庄ちゃんに言ったら、
”あれー、わたしは刺されてませんけど”

だって。

いつもツッコミどころ満載の
後輩からは人気者の
庄ちゃんのお話でした。


by mino




TERASHIMAさん

2022年01月29日 | 1985年から1988年の新潟大学フォーク村のこと
名古屋の斎藤から年賀を戴いた話を書いたが、

実は!

富山の寺島さんからも
年賀状をもらっていた。

「元気ですか。」と直筆のコメントが
ボールペンで添えられていた。



最後にお会いしたのは、
新潟市内の鳥屋野であったフォーク村同窓会。

二次会で、H2Oの
「思い出がいっぱい」を二人で歌った。

実は、寺島さんと私は、
October Novennberを組む前に
一度、二人でフォークギターをもって
4曲ほどやったことがある。

その時の一曲が「思い出がいっぱい」

寺島さんは、そのことを覚えていてくれて、
カラオケボックスでかけてくれた。

当時と同じで、私のハモリは、
かなり”テキトウ”だった。

寺島さん!
私は元気に太りました。


このブログにたどり着いてくれることを願って。

by mino