ある音楽人的日乗

「音楽はまさに人生そのもの」。ジャズ・バー店主、認定心理カウンセラー、ベーシスト皆木秀樹のあれこれ

高校の頃のぼくがお手本にしようとしていたプレーヤーたち

2008年11月14日 | ミュージシャン
 姪っ子(小学生)の遠足の集合写真を見ていて、全員がピースサインでニッコリしている中、わが姪っ子だけ中指を立てているのを発見してハッとしましたMINAGIです。



 今日の昼ごろ、ふと「ベース弾き始めてから何年経つかなぁ…」とイキナリな感慨にしばしふけってみました。理由はないのです。前触れもなく、なんでそんなこと突然考えたんだろう、ボクってば。無意識に死期でも悟ったのか…。


 でも忘れてたことを思いだしたり(アイツと組んでたな~とか、コイツとはオンナのコ取り合ったな~とか)して、懐かしい気分を少々味わえたかもしれません。(たしか死の直前には過去が走馬燈のように思い出される、と言いますが…、まさか、もしや…)


 で、その頃どんなベーシストが好きだったかなぁ、ということも思い出してみたのです。
 実をいうと、手放しで「好き」と言えるベーシストには未だに出会っていません。条件つきなら何人もいるんですが。「手本にしたいベーシスト」はたくさんいます。でも、残念ながら、「手本」イコール「好きなベーシスト」ではないのです。世の中うまくいかないもんですね~。


 でもその頃は弾き始めたなりに「カッコいいな~」と憧れたプレーヤーが何人かいました。その名を挙げてみよう~~というのが今日のお題です。前置きながいですね~


 ジャック・ブルース……いわずとしれた「クリーム」のベーシスト。エリック・クラプトンのギターソロに縦横無尽に絡んでいく彼のプレイ、「ベースとは  ルートと5度を  弾くもんだ」(MINAGI詠めり)と思っていたぼくには衝撃でした。
      ジャック・ブルース

 ティム・ボガート……ベック・ボガート&アピスを聴いてまたもやクリビツテンギョウ、いやビックリギョウテン。こんなの弾けん!!と思ったものです。思っただけで、すぐに弾こうとしてみる当時の無謀なボクでした。ジャック・ブルース並み、いやそれ以上の早弾きでした。
      ティム・ボガート

 ジョン・ポール・ジョーンズ……ジミー・ペイジの相方というだけでロック・ベーシストの最高峰だと思ってました。キーボードも兼ねている、っていうのにまた意味もなく憧れてましたよ。
      ジョン・ポール・ジョーンズ

 メル・サッチャー……グランド・ファンク・レイルロードのベーシスト。ライヴ・アルバムでのブリブリ唸る低音が気持ち良く思えたものです。
      メル・サッチャー(ジャケット中央)     
     

 ピート・セテラ……シカゴの初代ベーシスト。ゴリゴリのブラス・ロック時代の彼のベースはとにかくよく動くという印象があります。けっこうこれはマジメに参考にさせて頂きました。
      ピート・セテラ     


 当時はジャズのこともよく解っていないし、ロック小僧だったし、エレキ・ベースしか弾いてなかったので、偉大なのは以上のようなプレーヤーだけなんだと思い込んでいたフシがあります。


 そして挙げてみたプレーヤーの演奏から解ること。
 ①早弾きをしようとする
 ②音数を多くしようとする
 ③ベースラインを派手にしようとする

 つまり、「ベースのくせに目立つ」 ってことですが、


 こ、これは…、、、今の自分……






 三つ子の魂百まで っていう諺の意味がよーく分かりました・・・。
 

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トライ・ア・リトル・テンダネス (Try A Little Tenderness)

2008年11月08日 | 名曲

 
 ぼくがロックを聴き始めた頃はビートルズやクイーンなどを好んで聴いていたのだが、いつしかそこからレッド・ツェッペリンやクリーム、ジェフ・ベックなどの、「ホワイト・ブルース」などといわれるブリティッシュ・ブルース・ロックにのめりこむようになっていった。
 これらは、黒人音楽であるリズム&ブルースを基盤としていたが、白人たちが彼ら流に噛み砕いていたので、耳になじみやすかったし、とてもカッコよく感じられたものだった。
 しかし本家本元のリズム&ブルースに対してはやや敬遠気味だった。黒人音楽の持つ「独特の強いにおい」が少しきつく感じられていたからだ。


 少々苦手だったブラック・ミュージックへの垣根を取り払ってくれたのは、ジャズだったり、オールマン・ブラザーズなどのブルース指向のアメリカン・ロックだったりしたのだが、それらの中で一番ぼくをリズム&ブルースの世界に近づけてくれたのが、映画「ブルース・ブラザーズ」と、スリー・ドッグ・ナイトというアメリカン・ロック・グループである。


     

      
 ぼくは、このグループの、3人のヴォーカリストという特異な編成と、「バックの4人は腕利きぞろい」という音楽雑誌の評価に興味を抱いていたので、手始めに「オールド・ファッションド・ラヴ・ソング」という、取っ掛かりやすそうなタイトルを持つ名曲を聴いてみた。これはスリー・ドッグ・ナイトの日本における最大のヒットとなった佳曲だが、ぼくはこの曲をすっかり好きになり、それをきっかけとして、スリー・ドッグ・ナイトを好んで聴くようになったのだ。


     


 スリー・ドッグ・ナイトの数ある名曲の中で、ぼくが大好きになった曲のひとつが、「トライ・ア・リトル・テンダネス」である。
 もともとはジャズにおけるスタンダード・ナンバーのひとつであり、ジャズやミュージカル畑ではフランク・シナトラ、クリス・コナー、ルース・エッティング、アン・バートンなど、多くのシンガーがこの曲を取り上げている。
 優しさに満ちた歌詞が胸をうつ、とてもいい曲だ。


 この曲は、1950年代以降はR&B系のシンガーに取り上げられることが多くなり、サム・クック、アレサ・フランクリン、ジョン・リー・フッカー、最近ではロッド・スチュワートやレジーナ・ベルらによって歌われているが、それらの中でもっともインパクトを持っていたのが、オーティス・レディングによって歌われたものだろう。


        

 オーティスは歴代のポピュラー・シンガーの中でも抜きん出た存在のひとりに挙げられると思う。全身全霊を込めたステージ・パフォーマンスも最高だ。
 そのオーティスが歌う「テンダネス」は、サム・クックのヴァージョンをヒントにして、ギターのスティーヴ・クロッパーとオーティスがアレンジしたらしい。
 イントロのホーン・アンサンブル、テーマに入ってからのオルガンとピアノがどこか感傷的なムードを醸し出しているが、ホーンとオルガンが盛り上げる曲後半の展開は劇的で、オーティスの持つディープな雰囲気がいっそうこの曲にくっきりした陰影を与えていると思う。
 とくに傑作ライヴ・アルバム「ヨーロッパのオーティス・レディング」で聴かれる熱唱は感動ものだ。


     


 スリー・ドッグ・ナイトの「テンダネス」は、基本的にはこのオーティス・ヴァージョンを踏襲していると思われる。
 3人のヴォーカリストのうち、コリー・ウェルズがリード・ヴォーカルを取っているが、その歌はオーティスに負けず劣らず黒っぽい。よりロック色を強めたバックの演奏も、エネルギーがみなぎっていてすごくカッコいい。
 オルガンによる優しいイントロに導かれて、ゴスペル・タッチのコリーの歌が始まる。中間部から入るギターは、絶妙なアクセントになっている。
 後半部分は、オーティス・ヴァージョンに比べてもいっそうドラマティックだ。「You Got To、You Got To」とオーティスばりにシャウトするコリーの熱さがたまらない。とても白人とは思えない黒っぽさだ。そのコリーにバトルを挑んでいるかのようなギター・ソロも素晴らしい。


 このグループが擁する3人のヴォーカリストは、そろってブラック・ミュージックをリスペクトしている素晴らしい歌い手だ。
 スリー・ドッグ・ナイトは、隠れた名曲をたくさん取り上げ、大ヒットに導いているが、いかんせんそれらはカヴァー作品だったため、手にした印税はレコードの売り上げほどではなかったようだ。そのため一部の評論家からは「世界一儲からなかったバンド」などと揶揄されたこともあったらしい。
 しかし見方を変えれば、彼らのおかげでニルソン、ランディ・ニューマン、ホイト・アクストン、ポール・ウィリアムス、レオ・セイヤーらの才能あるソング・ライターたちに陽が当たることになった、とも言えるだろう。


 ぼくは、スリー・ドッグ・ナイトなどはもっともっと再評価されても良い、クォリティの高いグループだと思っている。


 ぼくが最も好きな「トライ・ア・リトル・テンダネス」は、オーティス・レディングが歌っているものと、スリー・ドッグ・ナイトによるものだ。
 最近公開された映画、「トム・ダウド/いとしのレイラをミックスした男」の中では、「テンダネス」を歌うオーティスの姿が見られるそうだ。


[歌 詞]
[大 意]
彼女はやりきれない気持ちなのだろう
いつもみすぼらしいドレスを着ていたらそうなるものさ
彼女がやりきれない気持ちになっていたら
少しでいいから優しくしてあげてほしい

彼女は待っている 
手に入れたことのないものを思い望みながら
それが彼女の手に入らないなら
少しでいいから優しくしてあげてほしい

それはただの感傷ではない
彼女は悲しみと悩みを抱えている
そんな時 彼女に優しい言葉をかけてあげることで
彼女の苦しみは簡単に和らぐだろう

君は後悔することがないだろう
あの娘がその優しさを忘れはしない
愛はこの上ない女の幸せ
幸せを得るには少しでいいから優しくしてあげればいいのさ

彼女を抱きしめて
彼女を悩ませないで
彼女を置いて行かないで



◆トライ・ア・リトル・テンダーネス/Try a Little Tenderness
  ■作詞・作曲
    ジミー・キャンベル、レグ・コネリー、ハリー・M・ウッズ/Jimmy Campbell, Reg Connelly, Harry M. Woods
  ■発表
    1932年

  --------------------------------------------

  ■歌・演奏
    スリー・ドッグ・ナイト/Three Dog Night
  ■シングル・リリース
    1969年1月
  ■収録アルバム
    スリー・ドッグ・ナイト/Three Dog Night (1968年)
  ■プロデュース
    ガブリエル・メクラー/Gabriel Mekler
  ■録音メンバー
    コリー・ウェルズ/Cory Wells (lead-vocal)
    ダニー・ハットン/Danny Hutton (background-vocal)
    チャック・ネグロン/Chuck Negron (background-vocal)
    ジミー・グリーンスプーン/Jimmy Greenspoon (keyboards)
    マイケル・オールサップ/Michael Allsup (guitar)
    ジョー・シャーミー/Joe Schermie (bass)
    フロイド・スニード/Floyd Sneed (drums)
  ■チャート最高位
    1969年週間チャート アメリカ(ビルボード)29位

  --------------------------------------------

  ■歌
    オーティス・レディング/Otis Redding
  ■シングル・リリース
    1966年11月14日
  ■収録アルバム
    ソウル辞典/Complete & Unbelievable : The Otis Redding Dictionary of Soul (1966年)
  ■プロデュース
    ジム・スチュワート、アイサック・ヘイズ、ブッカーT.& the M.G.'s/Jim Stewart, Isaac Hayes, Booker T. & M.G.'s
  ■録音メンバー
    オーティス・レディング/Otis Redding (vocal)
    ブッカーT.ジョーンズ/Booker T. Jones (bass, keyboards)
    アイザック・ヘイズ/Isaac Hayes (keyboards, piano)
    スティーヴ・クロッパー/Steve Cropper (guitar)
    ドナルド・ダック・ダン/Donald "Duck" Dunn (bass)
    アル・ジャクソン Jr./Al Jackson Jr. (drums)
    ウェイン・ジャクソン/Wayne Jackson (trumpet)
    アンドリュー・ラヴ/Andrew Love (tenor-sax)
    ギル・キャプル/Gil Caple (tenor-sax)
    フロイド・ニューマン/Floyd Newman (baritone-sax)
  ■チャート最高位
    1967年週間チャート アメリカ(ビルボード)25位 イギリス46位
  
    


オーティス・レディング『トライ・ア・リトル・テンダネス』

スリー・ドッグ・ナイト『トライ・ア・リトル・テンダネス』




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世界で49番目のベーシスト!?(笑)

2008年11月06日 | ネタをたずねて三千里
RETROsimoRさんのソロ・アルバム
 「オーサカ アンダーグラウンド」です。好評発売中。


 3年ほど前だったか、大阪でレコーディング・セッションに参加してまいりました。プロデューサー兼アレンジャー兼ギタリストは大阪でぼくがかなり信頼しているミュージシャンのRYOさんです。彼のプレイはアツいし、プレイの引き出しは多いしで、前途洋々の若手トップ・ギタリストです。
 ぼくの役割はギターの重ね録りで作られたベーシック・トラックにウッド・ベースで参加することです。各々3テイクずつくらい録り、ぼくの役目は終了です。あとは山口真悟君がそのディープな大阪ソウルのこもった歌を入れるわけです。


     

 
 録音作業のあったその日は、合間にRYOさんといろんな話をしてました。その中で、話題がある世界的なベーシストのことになりまして。
 実名を出しても差し支えないんですが、へんに誤解を招いてもイヤだから、ここではそのベーシストを「A氏」とします。


 A氏はアフリカ系アメリカ人で、たいへん高度なテクニックを持つすばらしいベーシストなのです。ぼくもA氏が参加しているアルバムを何枚も持っています。 ところが、そのA氏、ジャズ畑でも大活躍しているのにもかかわらず、なんとアドリブができないそうなんです。


           
        ななななんですと!!!


 ここでお断りしておきますが、決してアドリブができること=良いミュージシャン、ではありません。ただ、自由度の高さを要求されるジャズの世界においても素晴らしい演奏を繰り広げるA氏が、そんな、まさか…、と思ったわけです。


 で、考えてみるとぼくは多少なりともアドリブができる。イコール、世界的A氏に、
       勝った( ̄▽ ̄;)!


 自分たちの勝手な基準ではありますが、A氏は世界中すべてのジャンルのすべてのベーシストの中で、
どう低めに見積もっても、
いくらなんでも、
まあ間違いなく50位には入るでしょう。いや、もしかしたら20位には入るかもしれない。
 すると!A氏に勝ったぼくは
      世界ランキング49位!!

 と、まあ、そんなアホな話で笑い合ったりしていたワケです。
 お坊さんにはお経がつきもののように、ミュージシャンにはアホな話がつきものですから、そこは勘弁してやってくださいまし。


 本気でそんなこと思うだけでもベースの神様からバチを当てられるくらいのお方なんです、A氏は。実際のところ、A氏のプレイには、もうぼくなんかひれ伏すばかりなんですけどね、はい……。


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ダンス・パーティー

2008年11月05日 | ネタをたずねて三千里
          ♪ダンスパーティー
 

 今日、ひさびさにダンス・パーティーのお誘いがありました。まだ体調が万全でないぼくにはちょっとムリなので丁重にお断りさせて頂きました。しかし※十年前というと、秋の声を聞く頃からはダンス・パーティーの数が増えてきた記憶があります。ぼくの学生時代はどこもそんな状態だったようです。ぼくの記憶でも、ダンパはとくに11~12月に集中してたみたい。今は、ぼくの周りではそれほどでもないみたいですけどね。


 高校2年の時に社会人のジャズ・オーケストラに加入して半年ほどたった頃でしょうか。秋も深まりつつあったその頃に、当市の国際ホテルで催された大掛かりなダンス・パーティーがありました。当市のジャズ好きの店が十何軒も集まって主催していたもので、400人級のホールがギッシリ満員になるという、当市でも一、二を争う賑やかなパーティーだったんです。そのパーティーのバンドに呼ばれたのが好奇心満々な17歳のこナマイキな若僧ベーシスト(註…MINAGI)を抱えたC.H.オーケストラでした。


 ディスコからジルバからロックンロールなど、ソシアルなものよりポピュラー・ダンスに重きを置いたパーティーで、参加者も主催のお店のお客さんが主体の、ちょっとカジュアルな雰囲気で、お店(クラブとかラウンジなど)の女の子もたくさん来るという情報を耳にしたぼくは、ガゼン張り切るのみだったのでした~


 バンドからは黒のダブルのジャケットとグレーのスラックスというユニフォームが支給されていました。本番当日は土曜日だったにもかかわらず(当時土曜は半日授業でした)、朝からそのダブルのジャケットを着込み、慣れないネクタイなんかして、ハード・ケースに入ったエレクトリック・ベースを抱えて電車に乗り込みます。なんのためらいもなく学校をサボッたわけですね(^^;)。ジャケットの内ポケットにはカッコつけて煙草を忍ばせて・・・(汗)。ぼくにとっては初のダンス・パーティーですから、耳にすること目にすることすべてが興味シンシンなんですよ~


 演奏は3セットだったと思います。バンドが休憩中は別のチェンジ・バンドが代わって演奏するってわけです。
 ぼくらが休憩中、ぼくらのバンマスがやってきて、ある美人のおねいさんに「こいつと踊ってやってくれないか」と紹介してくれたんです。ニッコリ笑ってOKしてくれたお姉さん(クラブのホステスさんだった)、最初に踊ったのがなななんとチークだったんですよ。満足にステップも踏めず、ダンスにまるっきり慣れていないぼくにいきなり艶かしいチークですと!文字通り頬と頬をくっつけるダンスですからふたりが密着しないと格好にならないわけなんです。ところがお姉さんはシルクかなにかのサテン織りという、抱き合うと体のラインがモロに感じられる薄手のドレスを着てたもんですから、緊張して舞い上がっていたぼくの腰が引けちゃって・・・・。このナサケナイ踊りがぼくのダンス・デビュー(というほどたいしたものじゃないけれど)だったのでした。


     
     こんな感じのサテンのドレスでした~♡


 この時の演奏、何を弾いたかよく覚えてないんですが、チークにメロメロになって、彼女にいいところを見せてやろう、と力が入りすぎたような気がします。
 バンドは「メイナード・ファーガスン」と「カウント・ベイシー」の熱心なフォロワーだったため、その2バンドの曲を主に演奏したんじゃなかったかな。あとは映画音楽とか、踊れる4ビートとか。これが学校以外で人前で演奏した始めてのことなのかもしれません。
 

 あ、チーク・ダンスをしてくれたお姉さんからは電話番号をGetしましたよ。昼間は教育関係の出版社に勤めている、というので、学校サボッて電車に乗ってはお昼ご飯を一緒に食べるためにいそいそとそのお姉さんのところへ当分通ったような記憶があります。よくバチが当たらなかったな~(^^;)


 なんていうダンス・パーティーの楽しい思い出でした。
 その後もたくさんダンス・パーティーに演奏者として参加しましたが、お客さんとお近づきになったのは「チークの君」くらいなものでした。むしろホテルや会場のスタッフの女の子やMCさんと仲良くなったことのほうが多いですね。同業者、という共通項があったから打ち解けやすかったんでしょうね。


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小島良喜 「Kojima」

2008年11月04日 | 名盤

 
 先月だったか、ジェイさんのブログで「小島良喜ソロ・アルバム・リリース」のニュースを知りました。発売予定日は10月22日。もちろん速攻でamazonに予約注文、今日か明日かとその日を待っておりました。
 小島さんは日本屈指のピアニスト、キーボーディストです。ブルーズやファンクなどの黒人音楽に根ざしたソウルフルなプレイが売り物です。米国滞在時は地元ミュージシャンからも厚い信頼を受けていたと言いますし、帰国後は浜田省吾さんや井上陽水さんらから重用されるプレーヤーとして、今や八面六臂の活躍ぶりです。


 ぼくが小島さんを知ったのは、もう何年前になるかなあ、ジャズ・ピアニストの佐山雅弘さんと組んだ「フォア・ハンズ」というユニットを聴きに行ったことに始まります。理知的ながら遊び心に富んだ佐山さんのピアノに一歩もひけを取らず、人間味が感じられるような温かさと激しさが感じられたような小島さんのピアノはかなり印象に残るものでした。


 その後、2003年だったでしょうか、あるジャズ雑誌に「コジカナツル」デビューの記事が載っておりました。メンバーにぼくの大好きなベーシスト、金澤英明が名を連ねていたので興味を持って記事を読んでいたら、ピアノがあの小島良喜だという。主にロック、ブルーズのフィールドで活躍していた小島さんは、ピアノ・トリオを組もう、という金澤さんの提案に「ぼくはジャズ・ピアニストじゃないから」と一度は断ったといいます。でも金澤さんは小島さんの幅広いユニークな音楽性に目をつけていたのでしょうね。結局ドラムスの鶴谷さんを加えてバンドはスタートすることになります。


 このトリオに興味を持ったぼくは、早速「コジカナツル」のデビュー・アルバムを手に入れました。音楽に魂を奪われたヤンチャなオトナ達が夜更けに集まってワイワイやっている、そんな雰囲気のする作品でしたね。ピアノ・トリオというフォーマットとはいえ、ジャズのそれを踏襲しながらも、自分の感性をまずあふれさせる小島さんのピアノはとてもソウルフルでした。ピアノ・トリオはピアノ・トリオであっても、ジャズの範疇に収まらない、一種型破りな彼らの存在は日本の音楽シーンの中でも稀有な存在だと思います。


 その小島さんがソロ・アルバムを出すのです。楽しみでないわけがありません。
 脇を固めるのが日本一のグルーヴ・マスターと言われる山木秀夫(Drs)、盟友金澤英明(b)、日本最高のロック・ギタリストChar(g)、ジャズ界の重鎮である峰厚介(ts)、そのほかTOKU(flh)、フライド・プライドの名ヴォーカルであるSHIHO(vo)、沖縄在住のデヴィッド・ラルストン(vo,g)らがゲストとして名を連ねています。





 1曲目の「片想い」は浜田省吾の名曲。これを小島さんは小粋で泣けるシックな4ビート・ジャズにアレンジしています。
 ハマショーの作品というと、「きみと歩いた道」にも取り組んでいますが、これはSHIHO嬢をヴォーカルに据えてエモーショナルに聴かせてくれます。
 「"A"Cat called"C"」は都会の片隅で鳴っているような、少々やさぐれた感じの4ビートです。ヴィブラフォンの音色が似合いそう。ブリッジで入るCharのギターがこれまたジミヘンも真っ青になるくらいの出来栄えです。
 「Truth」は「コジカナツル LIVE!!」にも収録されていた小島さん渾身の名バラード。エレピとオルガンの音色がとても温かいのです。
 「BASSAB」は盟友金澤さんのベースを大きくフィーチュアーしたアーシーなバラード。小島さんはこのアルバムのうち数曲でシンセサイザー・ベースを使ってますが、それ以外のベース・パートは安心して金澤さんに預け切ってますね。相当信頼関係が厚いのだと思います。


 小島さんの多面体な音楽性がよく分かるアルバムだと思います。そうはいってもテクニックを全面に出してピアノを弾きまくるという場面はあまりなく、彼の頭の中に鳴っているサウンドを具現化してみた、というほうが当たっているのではないでしょうか。つまりプレーヤーとしてより、サウンド・クリエーターとしての小島良喜を出しているのでしょうね。
 プレイそのものでは、ピアノはよく歌っているし、ダイナミクスを巧く生かして音楽を生きたものにしているし。オルガンを弾いてもツボをほんとによく心得ているというか、ここぞというところの背後でいつも温かく、優しく鳴っているんですね。さすがは小島さん、といったところです。
 しかし以前は「ジャズはよく分からない」みたいな発言をしていた小島さんが、比較的4ビートを多く取り入れてアルバムを作っているのも面白いと思います。そのへん、金澤さんの影響が大きかったりしてね。





 ぼくとしては、1曲は「コジカナツル3」に入っていた「マイ・バック・ペイジズ」のようなゴスペル・ロックをガンガンに弾いて欲しかったんですが、それはまた別の機会に期待することにしましょう。このアルバムに収められたもの以外に小島さんの引き出しはまだまだ数多くありそうです。






◆Kojima
  ■演奏・サウンドプロデュース
    小島良喜 (piano、keyboards)
  ■アルバム・リリース
    2008年10月22日
  ■録音エンジニア
    青野光政
  ■録音
    青葉台スタジオ、スタジオ・サウンド・ダリ、ワーナー・ミュージック・レコーディング・スタジオ
  ■収録曲
    ① KATAOMOI (小島良喜)
    ② "A" Cat called "C" (小島良喜)
    ③ Are You Happy (小島良喜)
    ④ "Co""J" (小島良喜)
    ⑤ Kimi To Aruita Michi (浜田省吾)
    ⑥ DRAGON FLY (小島良喜)
    ⑦ TRUTH (小島良喜)
    ⑧ BASSAB (小島良喜)
    ⑨ AWAWA (小島良喜)
    ⑩ BANG (小島良喜)
    ⑪ Stay out of my way (小島良喜)
    ⑫ NAP (小島良喜)
  ■録音メンバー
    小島良喜 (acoustic-piano①②③⑤⑥⑧、electric-piano⑦、organ⑦、keyboards④⑨⑪⑫、synthesizer②⑤⑧⑩⑪、synthesizer-bass②⑪)
    金澤英明 (acoustic-bass①②③⑤⑥⑦⑧⑨)
    山木秀夫 (drums①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑪)
    Char (electric-guitar②③⑤)
    峰厚介 (tenor-sax②③⑥)
    TOKU (flugel-horn②⑥⑨)
    Shiho (vocal⑤)
    David Ralston (vocal⑪、guitar⑪)
  ■レーベル
    ZAZZY

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ぼくにとっての「良い歌い手」

2008年11月03日 | 価値観
♪美空ひばりさんの歌は、非常に素晴らしい!!



 「歌」っていいですよね。


 好きな曲はたくさんあります。
 ちょっと数え切れないくらい。
 それらの曲を歌える立場にある「歌手」という存在には、
 強い憧れを持ち続けています。
 

 伴奏者として歌に接する場合、
 当然、リスナーとは別のスタンスで歌について考えます。


 自分は歌の専門家ではないので、
 歌唱法については語る資格はないんですが、
 「ぼくが歌い手に求めていること」というものはあります。


 その中のひとつ。


 「歌」というものは、ほぼ例外なく
 「誰かの気持ち」を表現しているものだと思っています。
 だから、誤解を恐れず言い切ってしまえば、
 ぼくは、「他人の気持ちをわかろうとしない人」
 (決して、『気持ちがわからない人』、ではありません)
 には歌は歌えない、と思っています。


 これは、
 「歌詞の意味を解釈することが上手い」という意味に限ったことではありません。
 もちろん、歌詞の解釈もとても大切なことですけど。


 当たり前ですが、
 『自分には他人の気持ちが解る』と思い込んでる人は論外です。
 例え解らなくとも、
 身を削って「解ろうとすること」が大事なんじゃないかな、と思います。


 歌詞を解釈したうえに、
 「伴奏者のおかげで自分の歌がより映えているんだ」、とか
 (もちろんこれは歌手と伴奏者とはお互いさまです)
 お客さんにもエネルギーを頂いていることがあるんだ、とか。
 そういうふうなことを理解しようとしている方は、
 たいてい、中味の詰まった温かい歌を歌おうとしています。


 そして、決して聖人君子である必要なんてなくていいんです。
 人間として未熟でも、ドロドロした人生を背負っていても構わない。
 その歌い手さんの熱くて前向きな生き様や音楽観や愛を、
 歌を通じて感じたいのです。
 そのうえでバンドを引っ張ってゆくような歌を歌ってくれれば良いな。


 そういう歌い手さんって、
 例えメジャーでなくとも、
 とっても気持ちのこもった歌を歌っていると思います。
 そういう歌い手さんを、
 ぼくは心から応援しています!


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サイモン&ガーファンクル (Simon & Garfunkel)

2008年11月02日 | ミュージシャン
 

 今夜はサイモン&ガーファンクルの気分です。
 やらなきゃならないことが結構立て込んでいるし、ほかにもいろいろな理由が重なって、ふと気づくと精神的な余裕が少なくなっている。
 でもそういう時に彼らの歌声を聴いていると、雨雲に覆われているような今の重苦しい気分が不思議とおさまってくるんです。アコースティック・ギターの音色は苛立ちを静めてくれる。すがすがしいハーモニーは、気持ちよい今日の秋空のようです。


 「明日に架ける橋」「ボクサー」「アイ・アム・ア・ロック」「早く家に帰りたい」「冬の散歩道」などがぼくのお気に入りの曲なんです。
 シンプルさと斬新さが同居しているサウンドと、美しいメロディは、心安らぐものがありますね。


 歌詞の良さも忘れてはならないと思います。人生や社会に対して疑問を投げかけているような内容のもの、結構目につきます。これらには強烈なメッセージが込められてはいますが、奥底にはさらりとした優しさが感じられるのです。


     
     「パセリ セージ ローズマリー アンド タイム」(1966年)


 愛や友情に絶望を感じて『ぼくは岩、ぼくは島。なぜなら岩は苦痛を感じないし、島は決して泣きはしないから』と歌った「アイ・アム・ア・ロック」。青春時代に襲われた疎外感や孤独感を思い出します。


 旅に明け暮れるシンガーが我が家を想って、『家、それは心の隠れ家。好きな音楽があり、愛する人が静かにぼくを待っていてくれる(早く家に帰りたい)』とつぶやきます。


     
     「ブックエンド」(1968年)


 何ものにもとらわれない自由な気持ち。人生っていいもんだね。『人生よ、君が好きだ。何もかもがグルーヴィーさ(59番街橋の歌)』


 冬の街角の景色と現代生活を重ね合わせて描いた「冬の散歩道」。『自分の可能性を捜すうちに僕がどうなってしまったかをごらん。僕はなかなか満足しなかった。あたりを見回せば木の葉は茶色になり、空はどんよりした冬の影に霞んでいる』


     
     「明日に架ける橋」(1970年)


 生きることに疲れている時、暗闇に覆い包まれる時、僕が味方になり、身代わりになってあげよう。『荒れた海に架かる橋のように、僕はこの身を横たえよう(明日に架ける橋)』


 賑やかな場所は裏に疎外感が潜んでいたりします。おおぜいの人が行きかうところが必ずしも賑やかだとは限りませんよね。寂しさを抱えた人がたくさん集うことが、逆に孤独感を浮き彫りにさせていることもある、という気がします。例えば、そういう寂しさを優しい目で見つめているのが、サイモン&ガーファンクルの歌詞であり、曲である、と思うんです。 


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ビートルズとの出会い

2008年11月01日 | 名盤
          ♪ビートルズの通称「青盤」。なつかしい~


 ぼくは小学校4年の時に転校しました。
 それまでのぼくは、とくに音楽好きというわけでもなく、野球やドッジボールが好きな、ごくごく普通の小学生でした。
 それでも音楽の授業の時や、給食の時間、下校の時間などにかかっていたクラシックの曲のメロディーのきれいなものには惹かれていたし、テレビの番組やCMなどの中で聴かれる音楽の中にも強く印象に残るものがありました。その頃に好きになった、記憶に残っている曲といえば、シューベルトの「ます」とか、ホルストの「木星」、ビル・エヴァンスの「ワルツ・フォー・デビー」などがあります。
 でも特別音楽が好きだったわけでもないし、自分が今のような音楽を手放せない生活を送るなどとは思ってもみませんでした。


 転校したての時は、「転校生」という一種特殊な存在のせいでちょっとばかり周りから浮いた雰囲気を味わったりもしましたが、それでも子供同士のこと、月日がたつにつれ友達もできたし、学校が楽しくもなってゆきました。
 授業の合間の休み時間に遊ぶだけでなく、次第に同級生の家へも行くようになったある日、クラスのリーダー的存在だったマキノ君に「今日、うちへ遊びに来いよ」と誘われました。


 何人かの友達と一緒に、学校の帰りがけにマキノ君の家に寄りました。
 そこで通された彼の部屋にはオーディオ・セットが置いてありました。まだミニ・コンポなんてない時代のことです。プレーヤーからアンプ、チューナー、カセット・デッキなんかもついた大きなコンポーネントでした。
 「アニキのレコードだけど」と言ってマキノ君がかけてくれたレコード、それは初めて聴く「洋楽」というものでした。それまでは、音楽といえば、学校で聴くクラシックと家のテレビで聴く歌謡曲ぐらいしか知らなかったぼくにとっては初体験の「洋楽」だったんです。


 その日何をして遊んだかとか、何を話したとか、他に誰がいたかなんてことは一切覚えていません。強烈に記憶に残っているのは、窓から射し込む夕日が部屋じゅうをオレンジ色に染めていたこと、そしてそのオレンジ色の中で聴いた、ピアノが印象的な曲のことだけです。ジャケットの青色が印象的なレコードでした。そう、その曲がビートルズの「レット・イット・ビー」で、レコードがいわゆるビートルズの「青盤」だったんですね。


 子供心にも郷愁を誘うような見事な夕日の中で聴いた「レット・イット・ビー」の感動、今でも忘れません。そして、この時に漠然と思ったのが、「ああ、ピアノが弾けたらなぁ。。。そしたらこの曲を弾いてみたい。いつか弾いてみたいなぁ」ということでした。
 初めて触れた「洋楽」がロックで、しかもビートルズだったというのは、今思えば、ぼくにとってみれば人生の方向が変わってしまったくらいの衝撃だったんだな、と思いますね。


 その後すぐにビートルズ熱に火が点いたか、というと、そうでもなかったんですね。なにせその頃のぼくの家にあったのは、子供用のおもちゃみたいなポータブルのモノラル・レコード・プレーヤーだけでしたから、とても音楽を聴くような環境ではなかったんです。ちなみに、当時わが家にあったレコードといえば、何枚かの童謡のほかには歌謡曲と軍歌が少しあるだけでした。覚えているのは梓みちよの「こんにちは赤ちゃん」、皆川おさむの「黒ネコのタンゴ」なんかがあったことですね。


 たしか小学校5年生になってからだと思いますが、ラジカセ(ラジオ付きカセット・テープ・レコーダー)を買ってもらいました。家でも洋楽をよく聴くようになったのはそれからです。その洋楽熱は中学に入ってから本格的に燃え上がり、ビートルズを出発点としてクィーン、ウィングス、キッス、エアロスミス、イーグルス、シカゴなどなどを聴くようになっていったというわけです。


 今日は「ぼくとビートルズの出会い」というささやかなお話でした~(^^)
 音楽との邂逅譚を心にしまっておられる方、きっと多いことでしょうね。



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コメント (12)
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