goo blog サービス終了のお知らせ 

超心理マニアのためのブログ

マット・イシカワによる超能力研究の文献ガイド

科学とは何か:社会面

2008-04-30 | 懐疑論争
<超心理学と懐疑論者たち(15-1)>
第15章:科学とは何か
(1)社会面

PA(超心理学協会)は1969年AAAS(米国科学振興協会、
日本の学術会議のような組織)に加盟が認められた。61年と
63年の加盟申請が拒絶されたのちの、3度目の正直である。
このとき、加盟の後押しをしたのは、人類学者のマーガレット・
ミードであり、超心理学方法論がいかに確固としたものであるか、
そして、科学の大きな進展が、信じられてない現象の探究から
もたらされてきたことを主張した。

10年後の1979年、物理学者のジョン・ウィーラー(例の意識が
量子観測の決め手になると斬新な主張をしたひとり)がニセ科学
の撲滅キャンペーンを行なって、超心理学がやり玉にあげられ、
PAのAAASからの除名が議論された。しかし、超心理学は批判
を耐え抜いて、今日に至っている。

この事実によって、超心理学の科学としての地位は(少なくとも
形式的には)社会的に認められていると言える。


懐疑論の衰退

2008-04-28 | 懐疑論争
<超心理学と懐疑論者たち(14)>
第14章:懐疑論の衰退

超心理の懐疑論は今や、有効な立論が行なえない状態にある。
ブラックモアやハイマンも手詰まり状態だ。

※この章は、これまでの議論の繰り返しのようである。

新しい世界観に向けて

2008-04-27 | 懐疑論争
<超心理学と懐疑論者たち(13)>
第13章:新しい世界観に向けて

超心理の存在に抵抗を続ける理由は、次の4つ:
・実験的証拠に目を向けないこと
・懐疑論者たちの嘲笑キャンペーンへの恐れ
・古い科学的世界観への固執
・現状の生理学や心理学との矛盾

超心理の存在に対する抵抗を反転させるようなパラダイム
転換は、容易なことではない。旧来のパラダイムを信奉
する人々の宗旨変えは困難を極める。量子力学の創始者
のひとりマックス・プランクが独白したように、古い考えの
人々が第一線から退くのを待つ必要があるかもしれない。

先に述べたように超心理現象は、現代物理学が示唆する
世界観と矛盾するわけではない。かつて、科学的世界観
の改訂がなされたように、今われわれは、意識現象の
科学的理解に伴って、大きな改訂がなされるところにきて
いると言えよう。超心理現象は、現在の科学的世界観が
不完全であることを的確に示している。将来の歴史学者は
19・20世紀とは、超心理現象が信じられなかった、ごく
短い特異的な期間である、と語ることだろう。


超心理と物理学

2008-04-26 | 懐疑論争
<超心理学と懐疑論者たち(12)>
第12章:超心理と物理学

懐疑論者のハイマンは、超心理が存在すると物理理論が成立
しなくなると主張したが、当の物理学者の多くが、理論自体の
拡張可能性を指摘している。

哲学者のダニエル・デネットは、心物二元論は物理的に不可能だ
としたが、物理学者のローゼンブルームとクットナーは、それに
反論している。

物理学の発展は基本法則が改訂される歴史でもある。ブロードは、
懐疑論者が前提としている基本法則は「超心理現象は起きない」
ことそのものだ、と指摘する。

物理学は本来「物」の記述であるが、その拡張は心や意識にまで
およぶ可能性もある。超心理は、物と心を結ぶ要になる貴重な
現象なのかもしれない。


懐疑論者のスタンス

2008-04-25 | 懐疑論争
<超心理学と懐疑論者たち(11)>
第11章:懐疑論者のスタンス

超心理学のデータを前にして懐疑論者たちはどのような
スタンスをとっているのか。1951年に、ラインの実験
データを吟味した心理学者(でニューロンの学習則を
提案した)ドナルド・ヘッブは、ラインの研究が受け入れ
難いのは、自分の「偏見」のせいだと吐露している。

結局のところ、懐疑論のスタンスはホノートンがまとめた
次の3つに集約されよう。

(1)統計的分析に誤りがあって、実は有意でない。
これは、心理学者の懐疑論者によって何度も主張され、
そのたびごとに、統計学者によって問題がないと正当化
されている。もはやこのスタンスはとり続けられない。

(2)実験方法のどこかに欠陥があるにちがいない。
超心理学者は具体的な指摘には対処してきている。
現状の批判は、きっとどこかに欠陥があるのだという
消極的な指摘にとどまっている。

(3)そんな現象はあるはずがないと、頭から否定する。
超心理現象が科学的な基本原理と矛盾するというのだが、
絶対に矛盾すると、はっきり示されたわけではない。


現代科学と古典科学:意識の意義

2008-04-23 | 懐疑論争
<超心理学と懐疑論者たち(10-11)>
第10章:現代科学と古典科学
(11)意識の意義

私たちは何故意識をもつのだろうか。人間の行動のほとんどは
無意識であるが、新規の環境で習慣的でない行動をするときには
とりわけ意識が重要になる。

意識に何の効力もないのであれば、進化の過程で生物が意識を
もったというのは奇妙である。むしろ、意識をもつことで環境へ
の適応能力があがり、生存競争に有利になったと考えるべき
だろう。脳は物質世界でうまくふるまう必要性のゆえに、意識を
創発させたのかもしれない。


現代科学と古典科学:意識力

2008-04-22 | 懐疑論争
<超心理学と懐疑論者たち(10-10)>
第10章:現代科学と古典科学
(10)意識力

超心理現象が存在するならば、心が心に働きかけ、心が物に
働きかけることが可能であるということだ。心は、物に従属
した何の効力もない随伴現象(エピフェノメナ)ではありえない。

随伴現象は、古典科学の世界観である唯物論の帰結であり、
現代科学の進展とともに、考え直されるべきである。能動的な
力をもった意識観が求められるのだ。


現代科学と古典科学:意識革命

2008-04-21 | 懐疑論争
<超心理学と懐疑論者たち(10-9)>
第10章:現代科学と古典科学
(9)意識革命

70年代には、先のスーペリーらの主張により、
心の独自性を認める考え方が注目されるように
なった。それは「意識革命」と言える潮流となって
今日に至る。

量子物理学者のヘンリー・スタップは、300年間
哲学者までが古典物理的な世界観に染まったと
指摘し、量子物理学がいかに新しい「意識の議論」
を可能にするか、を論じている。

※たしかにアリゾナ州ツーソンの意識国際会議や
 論文誌JCSの発刊等で、意識への注目度は上昇
 しているが、「革命」というのは大げさだろう。


現代科学と古典科学:自由意志について

2008-04-20 | 懐疑論争
<超心理学と懐疑論者たち(10-8)>
第10章:現代科学と古典科学
(8)自由意志について

真の自由なる選択は、物的な信号に左右されないことであるが、
その存在を示すことは難しい。自由に選択したと思っているだけ
かもしれない。

ベンジャミン・リベットの実験では、命令によって指を曲げるのに
5分の1秒かかるのに対し、自由に指を曲げたと思う瞬間よりも
3分の1秒前に脳波に前駆信号が出ることがわかった。これは
時間的にかなり前に自由意志の準備がなされていることになる。

自由に指を曲げたという意志の一部は、思い込みにすぎないの
かもしれない。しかし、リベットは自由意志による「指曲げの拒否」
の可能性は依然として残されていると言う。

リベットの別な実験では、2分の1秒前の皮膚刺激知覚を大脳
刺激によって消し去ることができた。このことから、人間は0.5秒
前の過去に生きていると言われるが、0.5秒後の将来を予知し
ながら生きているのかもしれない。ラディンの数秒先の未来が感知
できるとする「予感実験」の知見とも整合的である。

※リベットの実験は確実に観測できる現象なのに対し、ラディンの
 予感実験は多くの観測値を積算して初めて現れる不確実な現象
 なので、類比的に論じるのは、少々こじつけのような気がするが。


現代科学と古典科学:心身関係について

2008-04-19 | 懐疑論争
<超心理学と懐疑論者たち(10-7)>
第10章:現代科学と古典科学
(7)心身関係について

心に独自な世界があるとすると、物(身体)とどのように
かかわりあっているのか。唯物論では、物の相互作用として
因果が語られ、そこに心が入る余地が無くなっている。

しかし、かつてデイヴィッド・ヒュームが指摘したように、
論理的には、あらゆるものがあらゆるものの原因となりうる
のであり、観察が因果関係を決めるのである。

ある事象が起きる前には、ある特定の事象が必ず伴っている
とすれば、それは必要条件であり、原因と呼べる可能性がある。
私の腕が動く原因に「私の意志」を設定できないというのは、
心を世界から排除した物だけの世界観の帰結であるのだ。


現代科学と古典科学:唯物論について

2008-04-17 | 懐疑論争
<超心理学と懐疑論者たち(10-6)>
第10章:現代科学と古典科学
(6)唯物論について

世界には物しかないという唯物論は、デカルトやニュートンに
端を発し、ディドロやヴォルテールによって普及してきた。
心理学においては20世紀の前半に、行動主義という唯物論の
世界観が席巻したため、現代でも唯物論は、神経科学や心理学
に深く根付いている。

唯物論に反して心に独自の世界を認める主張は、たとえば、
科学哲学者のカール・ポパーが行なっている。彼はダーウィン
の著作から、生物進化の生存競争の過程で心的力が獲得された
という主張を見出して取り上げた。この背後には、知覚や感情や
意志判断が、生存に有意な物理的効力があるという考えがある
と指摘している。


現代科学と古典科学:因果の流れについて

2008-04-16 | 懐疑論争
<超心理学と懐疑論者たち(10-5)>
第10章:現代科学と古典科学
(5)因果の流れについて

諸科学では、複雑な全体から部分への因果の流れはないことに
なっている。しかしそれでは、意識は説明の倹約のために導入
された(道具的)存在になってしまう。神経生理学者ロジャー・
スペリーや生物学者ドナルド・キャンベルは、部分から全体だけ
でなく全体から部分への因果も認める主張をしている。

人間の文化は人間の行動を制約しているが、それは全体から
部分への因果ではないか。それと同様に意識も身体へと働き
かけられるのではないか。

※これが認められないのであれば、私の意志で私の手を動かす
 ことはできないことになり、自由意志は幻想だということだ。


現代科学と古典科学:還元性について

2008-04-15 | 懐疑論争
<超心理学と懐疑論者たち(10-4)>
第10章:現代科学と古典科学
(4)還元性について

還元性は、諸科学において当然のこととして扱われている。人間は
細胞の集まりであり、細胞は生化学プロセスであり、化学のプロセス
は量子物理学で説明できる、ということだ。心理学は生物学の応用と
いうことになる。

しかし、何かが集まったところで、部分から説明できない「創発的な
特性」が生まれるという考え方も、あながち否定できない。意識は
脳の生理学の応用なのだろうか。脳の生理学では説明できない、
特有の性質があるように思える。


現代科学と古典科学:局所性について

2008-04-14 | 懐疑論争
<超心理学と懐疑論者たち(10-3)>
第10章:現代科学と古典科学
(3)局所性について

離れた物体同士は、他の粒子(あるいは力)による近接作用によってのみ、
互いに影響しあうとする、古典物理学における局所性の概念は、量子論に
よって破られた。かねてより、量子論は離れた粒子同士の相関を理論的に
予測していたが、1980年代にフランスの光学研究所の物理学者アラン・
アスペが、測定法を高速に変えることで、離れた位置の物体の特性が互い
に通信をすることなく相関することを示した。物体が離れていても、あたかも
ひとつの物体のようにそれらの特性が「からみあって」いるのである。

この相関の現れ方は、テレパシー実験のターゲットとコールの間の相関と
類比的にとらえることもできそうだ。


現代科学と古典科学:観測者の役割について

2008-04-13 | 懐疑論争
<超心理学と懐疑論者たち(10-2)>
第10章:現代科学と古典科学
(2)観測者の役割について

古典物理学における観測者から独立して存在する物理系の概念は、
量子論によって観測に依存する物理系へと様変わりした。状態の
重ねあわせとして発展した(波動関数が記述する)存在は、関数が
予測する確率に従って、「観測によって」どれかひとつの状態へ
と確定する。「観測」とは何かが問題であるが、物理学の内部で
合理的に観測を起こさせる理論的変更が難しいので、理論家の
一部は「意識」が観測の役割をするのではと考えている。

超心理学では乱数発生器実験を開拓したシュミットが、観測時に
心理的影響で確率分布が変わるという要素を量子力学に導入した。
また、プリンター用紙に印字した誰も見ていない記録を、過去遡及
的に念力で変更するという実験を成功させた。

観測理論による超心理の説明:
http://www.kisc.meiji.ac.jp/~metapsi/psi/5-6.htm

過去遡及的PK実験:
http://www.kisc.meiji.ac.jp/~metapsi/psi/3-5.htm