<超心理学と懐疑論者たち(18-3)>
第18章:結論―楽な立場を超えて
強固な懐疑論者として知られたスーザン・ブラックモアは、
心理学者として「独断が生まれる構図に認知的不協和がある」
などと冷静な解説をしている一方で、自らは独断的な信奉者
として超心理研究を始めたと回顧している。ところが今では
「完全な否定論者だ」(ニューサイエンティスト2000年)と言って
はばからない。
ヘンリ・バウワーは、こうした主張の一方の端から他方の端へと
大きくスイッチする例が、歴史上の人物に多く見られることを
指摘し、徹底した信奉も徹底した否定もともに、独断で済ませ
られる「楽な立場」なのだ、と説明する。
独断を排して深く考えると、その両極の立場とも維持できない
ことがわかる。ブラックモアは超心理学を引退するにあたって
「心を開いて考えることに疲れた」と言っているが、不確実な
状況を維持するのが結構難しいことの現れであろう。
若くして亡くなった超心理学者のホノートンが死の直前に遺した
ように、科学的な探究には、先入観にとらわれず謙虚に耳を
傾ける姿勢が必要なのだ。
(終)
第18章:結論―楽な立場を超えて
強固な懐疑論者として知られたスーザン・ブラックモアは、
心理学者として「独断が生まれる構図に認知的不協和がある」
などと冷静な解説をしている一方で、自らは独断的な信奉者
として超心理研究を始めたと回顧している。ところが今では
「完全な否定論者だ」(ニューサイエンティスト2000年)と言って
はばからない。
ヘンリ・バウワーは、こうした主張の一方の端から他方の端へと
大きくスイッチする例が、歴史上の人物に多く見られることを
指摘し、徹底した信奉も徹底した否定もともに、独断で済ませ
られる「楽な立場」なのだ、と説明する。
独断を排して深く考えると、その両極の立場とも維持できない
ことがわかる。ブラックモアは超心理学を引退するにあたって
「心を開いて考えることに疲れた」と言っているが、不確実な
状況を維持するのが結構難しいことの現れであろう。
若くして亡くなった超心理学者のホノートンが死の直前に遺した
ように、科学的な探究には、先入観にとらわれず謙虚に耳を
傾ける姿勢が必要なのだ。
(終)