MELANCOLICO∠メランコリコ!

ゆめと心理と占いのはなし
Por donde, amor, he de ir?
 Rosalia de Castro

fbでシェアされる涙がとまらないストーリー

2013-05-09 16:30:04 | 日記
fbのアカウントを持っている人なら、よく友達がシェアする「匿名の話し」なんかが自分のページに表示されてくると思う。ぼくはしっかり読む方だけど、「本当にあった話し…」とかいうものには、かなりの割合でウソっぽいものがある。もちろん、ウソっぽい話しがあっても、それはそれでいいんだけど、それに本当にあった話しと銘打たれると少し嫌悪感が残る。そんなつくり話しをアップするのも、それをシェアするのも個人の自由なので、その行為を非難するつもりは全くない。

それに、偉そうなことを言うつもりはさらさらない。ぼくも、やるべきことをやれないでもどかしさを感じたり、自虐的な感情に陥ることがよくある人なのだ。むかし、カルカッタのドーミトリー(相部屋の安宿)に泊まってたとき、スコットランド人ナースが「昨日までマリア・テレサの施設でボランティアしていたんだけど、遠くの人に親切にするより、自分の近くの人に親切にするのが難しい。あなたは家に帰って近くで困っている人のために働いてくださいと言われて、これから帰るところだ」と話してくれた。もう20年近く前の体験だけど、ぼくの記憶に今もとても鮮明に残っていて、こころのどこかでいつも、ものごとを考えるときの基準として、それが機能している。でも、今もって、その「自分の近くの人」たちへの貢献なんてぜんぜんできていないけど・・・。

最近、感じるんだけど、こうした「美しい話し」に共感する人が少なからずいるってことは、現実社会があまりに美しくなかったり、身近で「美しい行為」をしたくても恥ずかしかったりしてできないでいたり、精神的、物理的に苦境に追い込まれながら、藁をもつかむ気持ちで生活している人が多いからなのか…。今日も、ふと、そうしたシェアをする人の背景にあるものを考えてしまった。

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