不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

海外のニュースより

政治・経済・社会の情勢について書かれた海外の新聞や雑誌の記事を選んで翻訳しています。

「グリーンスパンとバブル」と題するポール・クルーグマンの論説。

2005年08月30日 | アメリカの政治・経済・社会
彼の退任を祝って行われた先週の理事会でアラン・グリーンスパンが言ったことの多くは、十分理解できる。だが、彼の智恵ある言葉は、出るのが遅すぎた。彼は、家畜小屋の扉を少し開けておいて、馬が出てしまってから、この動物を適切に閉じこめておくことの重要性を講義する人に似ている。
定期的な読者なら、私が今日の財政赤字を作り出した役割に対してFRBの議長を許したことは一度もないことを知っている。クリントン政権の間、頑固な財政監督であったグリーンスパン氏は、2001年に、ブッシュ政府の無責任な減税に対して断固たる支持を与え、ブッシュ政府がその負債を余りに急速に完済しないように、議会に連邦政府の財源を減らすように促した。
それ以来、連邦政府の負債は急増した。だが、私の知る限り、グリーンスパン氏は、自分が議会に間違った忠告をしたということを一度も認めたことはない。しかし、彼は赤字財政の害悪について講義することに戻ったのだ。
現在、彼は住宅バブルについて同じゲームをやっているように見える。
理事会で、グリーンスパン氏は、分かりやすい英語で、住宅価格が適正の範囲外にあるとは言わなかった。だが、彼は分かりやすい英語でものごとを言ったことは一度もない。
高騰する住宅価格の最近の経済的重要性を強調した後で、彼が言ったことは、「資産権利の市場価値におけるこの巨大な増加は、部分的に投資家がリスクに対する低い保証を受け入れることの直接的結果である。市場価値のこのような増大は、市場参加者によって、構造的で恒久的であるとあまりにしばしば見なされる。」そして、彼は、「歴史は、低いリスクのプレミアムの時の結果を親切に扱ったことはない」と警告した。これは要するに「はじけつつあるバブルに気をつけろ」と翻訳される。
だが、去年10月には、グリーンスパンは、住宅バブルについて語ることを拒否して、「地域経済が重大な価格の不均衡を経験するかもしれないが、国家的な価格のねじれは、ありそうには見えない」と言ったのだ。
待ってくれ、事態は悪くなる。最近、グリーンスパン氏は、「利息のみのローンの横行と調節可能な金利の抵当のより風変わりな形態の導入」によって作り出された財政的リスクについての関心を口にしている。だが、昨年、彼は家庭にこれらのリスクを取るように励まし、調節可能な利率の抵当の長所を宣伝し、「貸し手が伝統的な固定金利抵当に対する代替としてより大きな抵当を提供するならば、アメリカの消費者は、利益を得るかもしれない」と断言したのである。
グリーンスパン氏が、2年前に、彼が今言っていることを言ったとすれば、人々は、より少なく借り、もっと賢明に買い物をしただろう。だが、彼は言わなかったし、今では遅すぎる。住宅市場は既にピークを過ぎたか、それとも間もなく過ぎるだろう。バブルの結果をどうするかは、グリーンスパン氏の後継者に懸かっている。
その結果はどれほど悪くなるだろうか?アメリカ経済は、現在、双子の不均衡に罹っている。一方では、国内消費は住宅バブルでふくれあがった。人々が彼らの家庭から純価をひきだすので、それは建築における莫大な増加と高い消費者の消費に導いた。他方、われわれは莫大な貿易赤字を抱えており、それをわれわれは外国人に国債を売ることでカバーしている。最近ではアメリカ人は、お互いに家を売ることで生計を立て、中国から借りた金で支払っているのだ。
何らかの仕方で、経済は、両方の不均衡を消去するだろう。だが、貿易赤字が小さくなる前に住宅バブルがはじけるならば、そのプロセスはそれほどスムースには、行かないだろう。われわれは経済的なスローダウンを持ち、場合によっては景気の後退をもつだろう。事実、増大する数のエコノミストは、2006年に対してRで始まる語(多分resessionを指している)を使っている。
ここにグリーンスパン氏がまだ馬鹿げたことを言う場所がある。彼の結びのコメントで、彼は「住宅ブームの終わりは、個人の貯蓄率のかなりの増大と輸入の減少と、それにともなう現在の財政赤字の改善をもたらすかもしれない」と述べた。私の考えでは、これは、「住宅バブルの終わりは、自動的に貿易赤字も治すだろう」と訳せる。住宅建築がスローダウンすれば、住宅建築とサービス産業における多くの仕事の喪失が導かれるだろうが、貿易赤字には直接影響を及ぼさないだろう。そういうわけで、これらの仕事は、ドル価値の下落のような出来事がアメリカの商品を世界市場で競争可能し、輸出の増大と輸入の低下をもたらすまでは、新しい仕事によって置き換えられないだろう。
そういうわけで、アメリカ経済にとって前にあるのは酷い仕打ちである。そして、それは部分的にグリーンスパン氏の過失である。
[訳者のコメント]連邦準備制度理事会(FRB)の議長であるグリーンスパンに対するものすごい批判だと思います。多分、クルーグマン先生の言っていることが正しいのだろうと思います。グリーンスパンの英語は、本当に意味が理解できない酷いものです。ブッシュ大統領がグリーンスパンの言ったことを正しく理解できたかどうか極めて疑わしいです。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「われらが不満足の夏」と題するポール・クルーグマンの論説。

2005年08月27日 | アメリカの政治・経済・社会
過去数ヶ月間、アメリカ経済について以下のような論争が行われた。
アメリカの家族:「われわれは余りうまく行っていない。」
ワシントンの役人:「あなたたちは間違っている。あなたたちの業績は素晴らしい。これらの統計を見なさい。」
行政府と何人かの政治解説者は、アメリカ人が経済について不幸であることを示す世論調査を見て頭をひねっている。結局、彼らの指摘によれば、国内総生産(GDP)の成長率のような数字は、かなり良いように見える。そこで、なぜ彼らは喝采しないのかという問いが生まれる。
ある人は、イラク問題の否定的な効果を非難する。他の人は、ニュース・メディアが適切に良い経済ニュースを報道していないと不平を述べる。だが、数字が人々は良い気持ちになるべきだと語っているのに、人々は良い気持ちではない場合、このことが意味しているのは、あなた方は間違った数字を見ているということである。
アメリカ人の家族はGDPについては気にしていない。彼らが気にするのは、仕事が手にはいるか、これらの仕事がいくらになるか、その給与がどの程度生活費に匹敵するかということである。最近のGDPの成長は、雇用に例外的なプラスを産み出すことに失敗し、他方では、大抵の勤労者の給与は、インフレについて行っていない。
雇用について:経済が二年前にやっと仕事を増やし始めたということは本当である。だが、多くの人々が、まるでそれが驚くべき成果であるかのように、「2年間に400万人分の仕事」だと恭しく言うけれども、実際は、それは約5%の増加であり、同じ時期の労働人口の増加より速くはないのだ。最近の仕事の増加は、昔ならば、平均以下と考えられただろう。雇用の増加は、ブッシュ政権の最善の二年間のほうが、クリントン政権中の二年間よりも、ずっとゆっくりしている。
歴史的基準から見て、失業率がかなり低いことも本当である。だが、一週間あたりの平均的労働時間や、失業期間の平均的長さなどの他の尺度は、労働に対する需要が、供給と比べてまだ弱いことを示唆している。
雇用者には、労働者を見つけるのに困難はない。ウオール・マートがカリフォルニア州北部で400職種について、約1万1千人雇用すると発表した。
雇用者は、労働者を見つけるのに賃金を上げる必要はない。賃金は、生活費を下回っている。労働省の統計によれば、平均的非管理職労働者の購買力は、2003年の夏以来、1.5%落ちた。これでも多くの家庭に対する圧力を低く見積もっている。生活費は、その家族の状況が多量のガソリンを買う必要のある人たちにとっては、急激に増加している。
ある解説者がガソリン価格に対する関心を忘れる理由は、これらの価格がまだ以前のピークに達していないからである。だが、それは、論点をつかみ損なっている。ガソリンが1ガロン、165円かそれ以下だったときに、アメリカ人が自動車を買い、どこに住んだらよいかを決めたが、現在、突然、1ガロン、286円かそれ以上払っている。これは突然の衝撃であって、私の概算では、典型的な家族の支出を年額9万9千円増やしている。
経済成長が賃金に反映されないとしたら、経済成長はどこへ行くのかと問われるかもしれない。これに対する答えは簡単だ。それは企業利益になっており、医療費を高騰させ、管理職の給与や補償の増額になっているのだ。『フォーブス』誌の記事によると、アメリカの500社の大企業のCEOの補償は、昨年一年間に、54%増えた。
そうすると、最終結果は、以下のようになる。大抵のアメリカ人は、ワシントンのお好きな統計が何を言おうと、経済に関して不幸だと感じる十分な理由がある。これは少しづつ漏れてきた経済拡大ではない。多くの人々は、一年前より困窮している。人々をもっと幸せだと感じさせるために、刷新された政府のセールス・トーク以上のものが必要になるだろう。
[訳者のコメント]経済成長が大きくても、配分が偏っていれば、多くの国民が幸せだとは感じないというのは、今の日本でも同じだとおもいます。冨の公平な配分が必要でしょう。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「イラク憲法の驚くべき条項」と題する『ワシントン・ポスト』紙の記事。

2005年08月25日 | イラク問題
これまでに公表されたテキストの二つの翻訳から判断すると、イラクの憲法がどうして新しいイラク国家を統合する記録として、あるいは統治の明確な指針として役立つのかを理解することは難しい。
憲法は、その最も基本的な宣言において曖昧である。第二条には次のように書かれている。
「イスラム教は、国家の公的宗教であり、立法のための基礎的源泉である。
a.いかなる法律も、イスラム法の本質的な真理にと矛盾してはならない。
b.いかなる法律も、民主主義の諸原則に矛盾してはならない。
c.いかなる法律も、この憲法において枚挙された諸権利や基本的自由に矛盾してはならない。」
われわれは、法的審査を迷わせるであろう一つの矛盾を持っている。特に女性にとって、イスラム法は、民主主義と基本的自由の諸原理と矛盾している。そうだとすると、どちらの条項が優先するのか。
イスラム教が、立法の「唯一の源泉」だと宣言されるのか、それとも「一つの源泉」だと宣言されるのか、について起草会議で多くの議論がなさされた。草案には「一つの基本的源泉」と書かれているが、ブロッガーのジュアン・コール教授が述べているように、これは「唯一の源泉」と殆ど同じことである。アラブ系の出版物で入手可能なバージョンから翻訳したコール氏は、a項は、「イスラム法の本質的真理」に言及しており、AP電のバージョンのように、「イスラム教の基準」とはなっていない。後者ならば、より広い解釈に対して開かれている。「イスラム法」ならば、「シャリア」(イスラム法体系)を重視しているように見えるが、これは女性に対して権利や自由を拒んでいるだけでなく、宗教的法学者に対して世俗的立法を疑うことを可能にする。憲法はこの重要な問題について曖昧である。
第二条は、イラク国民の宗教的同一性とすべての他の宗教的権利を保障している。第39条は、宗教的儀式を守る権利を保障しているが、それは「この問題が法令によって組織される」とも述べている。そうだとすると、宗教の自由は、憲法によって護られた市民権なのか、それとも立法に任された問題なのか。第13条や第118条から見ると、事態はもっと不吉であるように見える。なぜなら、これらの条項は、地域的地方的法令が国民政府の法律あるいは憲法に矛盾することを禁止しているからである。
スンニー派は、曖昧でなくて、余りに明白すぎるある項に関して、憤慨している。第114条は、「地方」とは、「地方」を形成するように住民投票で選ぶ一つあるいはいくつかの「州」であると定義している。住民投票は、非常に簡単に行われる。例えば、関係する州議会のメンバーの3分の1か、これらの州の有権者の10分の1によって請求が可能である。
さらに、二つ以上の「地方」は、単一のもっと大きい地方を作る権利がある。
ここに、スンニー派の悪夢がある。クルド人は、石油の豊かなイラク北部に単一の大きな「地方」を作ることが許されているのに、スンニー派は、石油のでない中部に取り残される。
第110条は、この措置から出てくる不公平を扱っているように見える。「中央政府は、生産する地方と州の政府とともに、現在の油井から取り出される原油とガスを管理するが、
総収入は、国中の人口配分に合った仕方で、配分される。」
しかし、この条文の冒頭をよく見ると、この条項は、「現在の油井から取り出された原油とガス」と書かれていて、「将来開発される油井」は、はづされている。「現在の油井からの総収入は、人口比に応じて配分される」という保証には、奇妙なところがある。人口の配分に「合った」(suit)という句は、不適切な翻訳なのか、それとも熟慮された上の曖昧さなのかを知ることは有用だろう。
最後に、第129条は、以下のように述べている。「地方政府は、地方を統治するのに必要なことを行う。特に、警察・保安隊などの内部の治安部隊を創設する。」デッドラインに迫られていない翻訳は、これが地方警察局を認めるということなのか、それとも倫理警察を設置することも意味するのか明らかにするだろう。
この憲法には、高貴な点もある。第7条は、人種主義、テロリズム、民族浄化を禁じている。第35条は、「人間の自由と尊厳」を保障している。第36条は、表現の自由と報道の自由を保障している。だが、これらの条項と残りの部分とを調和させることは困難である。
ところどころ馬鹿げた条項もある。例えば、第22条は、すべてのイラク国民に雇用の権利を保障している。
いずれにしても、憲法は、この国がどのように統治されるべきかについては、何も言っていない。第66条によれば、大統領候補者は、少なくとも40才で、イラク生まれで、二人のイラク人の両親を持つだけでなく、「候補者は、評判が良く、政治的経験があり、正直で、国家に対して忠誠でなければならない。」第75条は、首相に対しても同じような条件を述べている。しかし、どちらの人物に対しても、義務・権力・責任の組み合わせは枚挙されていない。
憲法草案は、議会の権力や中央と地方の政府の厳密な区分や、法を解釈する部門の存在については何も述べていない。
起草会議は、火曜日までにこの草案についての残る議論を解決すると述べた。この遅延そのものが現行法に違反している。状況の見通しの暗さの指標として、憲法が却下されるか、それとも強引に可決されるか、どちらのコースが、より悪いかは賭である。いずれにしても、この憲法があってもなくても、この戦争とこのプロセスがどんな種類の政府、どんな種類の国を産み出すかは、全く明らかではない。
[訳者のコメント]フレッド・カプランが書いた記事です。イラク新憲法の問題点が指摘されています。憲法とイスラム法とがうまく両立するのかということが、西欧から見ると一番問題になる点だと思われます。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「謎めいたピアノマンは、バイエルン州の出身」と題する『ヴェルト』紙の記事。

2005年08月23日 | 人物
ロンドン・ベルリン発:「ピアノマン」を巡る謎が解けた。言葉を話さない正体不明の男がイギリスの精神病院に送られて、4ヶ月経つが、月曜日に、ベルリンのドイツ外務省は、彼がドイツ人であり、先週土曜日に自宅に帰ったと公表した。彼は20才でバイエルン州の出身であると政府筋は述べた。イギリスの新聞『デイリー・ミラー』によれば、この青年は、何ヶ月も医師達をペテンにかけた。彼は記憶喪失に罹ってもおらず、職業的なピアニストでもない。
この患者は、一度もしゃべらないで、ピアノをうまく弾いたので、「ピアノマン」というあだ名を付けられた。月曜日の『デイリー・ミラー』紙によれば、この青年は、先週、金曜日に突然、口を開いた。「あら、今日は私たちと話をするの?」と看護師が尋ねると、彼は、「うん、そうだよ」と答えた。それに引き続いて、彼は、彼が病院の人たちをだましたことを認めた、と『デイリー・ミラー』紙は述べている。このドイツ人は、以前に精神病患者と仕事をしたことがあり、彼らの行動の仕方をまねしたのである。
この男は、4月7日に、英国東南部の海浜都市シーアネスの海岸で、ずぶぬれになった黒い背広を着たままで海中から現れた。彼が意識が乱れており、言葉を発しなかったので、彼はダトフォードの病院に送られた。『デイリー・ミラー』紙によると、彼はパリで仕事を失った後に、自殺しようとしたのだそうだ。
病院の医師達は、彼に紙と鉛筆を与えた際、彼に音楽的才能があるのを見つけた。その後で彼はピアノを指さした。そこで彼をピアノのところへ連れて行くと、彼はピアノを弾き初め、二時間も弾き続けた。
この事件は、国際的にセンセーションを巻き起こし、英国の行方不明者に関するホットラインでは、この不思議な患者に関する情報が1,000件も寄せられた。ある時は、彼は、チェコの音楽家トマス・ストマドだと言われたり、別の場合には、フランス人の街頭音楽家と同一人だと言われた。
[訳者のコメント]「ピアノマン」の正体がようやく分かったようです。しかし、『ヴェルト』紙は、もっぱら、『デイリー・ミラー』紙の記事の引用に終わっていて、独自の取材は一切していません。ドイツの週刊誌あたりがそのうち追いかけるでしょう。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「大統領選挙の問題点」についてのポール・クルーグマンの論説。

2005年08月20日 | アメリカの政治・経済・社会
原題「彼らが去年の秋にしたこと。」です。8月19日付け『ニューヨーク・タイムズ』紙に掲載されました。
上院議員に出馬するために、元フロリダ州の州政府閣僚のカザリン・ハリス女史は、ある記憶が重要であるという理由で、ある醜い記憶を思い出させた。2004年の上院選挙には、2000年のそれと同じだけの悪行があった。それは結果を変えはしなかったが。そして次の選挙はもっと悪いかもしれない。
『この票を盗め』という最近の本の中で、イギリスの新聞『インデペンデント』の在米通信員アンドリュー・ガンベルは、私が見た2000年のフロリダ州選挙について最も優れた外観を与える。「2000年の大統領選挙に勝ったのは、アル・ゴアだった」という真理を、彼は立証している。
二つの異なる新聞協会がフロリダ州の投票を概観している。どちらも、人力をつかった集計は、ゴア氏に軍配を挙げている。最も有名なのは、カザリン・ハリス女史の「重罪犯人除外」であって、それは有効な選挙権者の大部分から投票権を奪った。
だが、この事実を聞いたアメリカ人は殆どいない。多分、新聞記者達は、ブッシュ政府の合法性に疑いを抱かせることは、不和を生じるだろうと感じていた。もしそうなら、国民感情に対する彼らの優しい関心は、無駄であった。(息子をイラク戦争で失った)シンディ・シーハンの支持者達は、クロフォードにキャンプを張った。そしてアメリカは、今までになかったほど、分裂している。
ともかくも、2000年にフロリダ州で起こったことを誤魔化すことは、選挙結果の変更は、罰を受けないということを示している。例えば、2002年には、共和党は、ニュー・ハンプシャー州で、ある会社を雇って、選挙日に民主党と労働組合の電話バンクを押さえ込んだ。
2004年はどうだったか?
ガンベル氏は、出口調査と最終結果との間の食い違いを投票が盗まれた証拠だと考える人たちに冷水を浴びせる。(この本が慎重な本だということは私が請け合う。)彼はまた、最初読んだ印象では、オハイオで起こったことを過小評価している。しかし、彼の本のテーマは、「アメリカには、両党の汚い選挙の長い歴史がある」ということである。
彼は自分はオハイオ州における重大な問題を無視ししていないが、「これはアメリカの民主主義が典型的にどう見えるか、特に大統領選挙では、実質的に一つの政党によってコントロールされている勝敗を決する州においてどう見えるかということです」と私に言った。
それでは、アメリカの民主主義はどう見えるのか。2004年のオハイオ州については、二つの民主党のレポートがあった。一つは、ジョン・コンヤーズによって依頼された報告であり、もう一つは、民主党全国委員会によって依頼された報告である。
後者の報告は、大変慎重であり、「この調査の目的は、選挙結果に挑戦したり、問題視することではなかった」と述べている。いくつかの票が、ジョン・ケリーから移されたという証拠はないとこの報告は述べているが、それは多くの潜在的なケリー票が抑えられたということを示唆している。コンヤーズの報告は、より慎重ではないけれども、間違った候補者がオハイオ州の票を得たという主張には達していない。
だが、両方の報告は、投票が、不適切な数の投票機械によって引き起こされた投票所の長い列によって抑えられたということ、--しかも、行列は、民主党に投票する可能性のある地域で不釣り合いに起こったということを示している。両方の報告は、また、暫定的投票をするように強いられた投票者を含む問題にも触れている。それらの投票は、無視されたのだ。
コンヤーズ報告は、更に進んで、選挙役人の見え透いた党派心に光を当てている。特に、オハイオ州におけるブッシュ=チェイニーキャンペーンの共同議長を務めたオハイオ州の役人ケネス・ブラックウエルの振る舞いは、2000年の選挙におけるハリス女史の行為をまだましだと思わせる。
更に、選挙当夜の物語がある。ウオレン郡は、F.B.Iによるテロリストの脅威を引き合いに出して、その行政ビルを閉鎖し、公的監視人を得票計算の場所から閉め出した。マイアミ郡は、投票総数は、登録された投票者総数の98.55%に達したと報告した。これはあり得ない数字である。
われわれは過去三回の選挙をやり直そうとしているのではない。しかし、未来はどうか。
2006年に、議会の与野党が変わるとしたら、あるいは、2008年に大統領が変わるとしたら、現在の政治指導者達は非常に困るだろう。イラク戦争の売り込みから、政治的に結託した会社による暴利のむさぼりまで、沸騰するスキャンダルの蓋が取れるだろう。共和党は、必要な手段によって選挙に勝つのを確実にするように誘惑されるだろう。われわれが見てきたすべては、彼らがその誘惑に屈するだろうということを示唆している。
[訳者のコメント]大統領選挙で不正があったという噂にはかなりの信憑性があるようです。選挙の公平さがなくて民主主義国だと言えるのでしょうか。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「日本の与党分裂、郵政民営化の反対者、新政党を立ち上げる」と題する記事。

2005年08月18日 | 日本の政治と経済
8月17日、東京発:日本の政権与党のもと党員と議論の多い郵政民営化法案の反対者は、新しい政党の創立を告知した。彼らはこれによって、九月の総選挙で政治的生き残りを目指している。
数年前から深刻な意見の対立を抱えていた日本の与党自由民主党は、ついに形式的にも分裂した。水曜日、小泉首相の党内反対派であった数名の人は新しい政党の創立を告知した。「国民新党」という名称で9月11日の選挙に臨む集団の本来の主唱者は、亀井静香である。自民党の元政調会長はここ数年小泉首相の厳しい批判者として目立った。さしあたり5名の党員からなるこの党の代表になったのは、綿貫民輔である。これらの保守的な政党の創設者に共通しているのは、小泉が努力している郵政事業の民営化と首相の頑なな政治スタイルに対する抵抗である。
1.反対者を放り出す。
 これらの政治家は自発的に政党創立を決断したのではなかった。結局、彼らは彼らの古い党から放り出されたのである。こうして、小泉首相は、10日前に郵政民営化法案が参議院で否決される後で、衆議院を解散しただけではない。彼は衆議院で郵政民営化法案に反対の投票をした37名の自由民主党員の代議士を党が支持せず、候補者名簿に記載しないことを強調した。こういう仕方で自民党から改革反対派を半ば粛正し、選挙民に9月11日に新しい自由民主党を提示しようとする首相の努力は、意見を異にする人達を、無所属の候補者して選挙に立候補するか、それとも新しい党の党員として選挙に臨むかという微妙な選択の前に立たせることになった。亀井の周りの議員達は、第二の選択肢を選んだが、おそらく、無所属の候補者に対する政党メンバーの法的特権を考えての選択だと思われる。
2.はちまき締めた小泉
小泉によって臆することなく自民党から放り出された36人の反対派の何人が、新しい政党に参加するかは、目下見て取るのが難しい。新党は明らかに少数派にとどまるかもしれない。元経済企画庁の長官であった平沼赳夫のような民営化法案を批判した人は、いずれにしても既に無所属として立候補することを断言している。彼らは、小泉以後の時代について思いを巡らせているかもしれない。この時点で彼らが目指している自民党への復帰は、新しい政党のメンバーになるより、彼らが無所属候補であることによって、より理由付けが簡単である。
このような復帰には到らないこと、したがって、37人の反対派が再選されないこと、これを目指して小泉は圧力を加えている。反対派が出る選挙区に、首相は、彼の党の最も人気のある候補者、例えば小池百合子を送る。党の中では、これらの候補者は、「刺客」と呼ばれている。その際、小泉は、非常に大きなリスクを冒している。特に新しい自民党と古い自民党との対決が野党に政権奪取の機会を与えるというリスクを冒している。しかし、首相は、彼が既に殆ど取り憑かれたように推し進めている郵政民営化を諦めるぐらいなら、政権交代を甘受するように見える。
[訳者のコメント]スイスの『新チューリヒ新聞』オンライン版で見つけた記事です。賛成派と反対派の立場を公平に捉えていると思います。少し、物足りないような気もしますが。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「戦後60年、アジアのかたち」と題する『ヘラルド・トリビューン』紙の記事。

2005年08月15日 | アジアと日本
シンガポール発:日本の敗北の60周年記念は、アジアにおける日本の経済的支配の衰退を示している。
百年前、1905年に日本は日ロ戦争でロシアを打ち負かした。この勝利は、日本がアジア地域を支配し始めるのを助けた。今や、中国が、増大する経済とこの地域での外交上の侵略によって、今世紀は俺たちのものだと主張し始めた。
「今、私たちが見ているのは、一つの時代の終わりである。日本がアジアにおいて圧倒的な勢力として占めていた場所を中国が奪い始めたのだ」と『敗北を抱きしめて』の著者ジョン・ダワーは言う。
「それは将来の全形勢を変える。あの力はどのように共有されるか?あの力はどのように動揺するか?前世紀の歴史的荷物を抱えながら、どのような種類の協力が展開されるるだろうか?」
日本と中国という二つの国が彼らの新しい関係にうまく適応しないので、癒されることのない戦争の傷は、苦痛を引き起こし、今日の政策に影響し続けている。
同様の厳しさは、日本と韓国との関係も害している。
東南アジアでは、傷は殆ど癒されたが、戦争の遺産はもっと広範囲に及んでいるかもしれない。
東南アジアの植民地後の国民国家は、戦争の廃墟の中から生まれ、形成された。
1941年から45年までに、日本の占領地域で戦争に関連する原因で、2,400万人が死んだ。それは大量虐殺、大量強姦、大規模の強制労働によるものであった。300万人の日本人が死に、インドでは戦争と関係のある飢えのために、350万人が死んだ。
ホノルルにある「東西研究センター」の政治学者ムティア・アラガッパは言う。「アジアがどこまで来たか見て欲しい。殆どすべての国は、植民地支配から抜け出すために、内戦の最中だった。今度は冷戦に覆われ、朝鮮とベトナムでは熱い戦争が勃発した。」
ミャンマー・ラオス・カンボジアという最貧国を除けば、東南アジアは、沸き立っている。5億の人口をもつこの地域は、7,370億ドルの国内生産と7,200億ドルの総貿易額を持っている。
「実際、東南アジアとして知られるこの存在は、それ自体、戦争の産物だ」と「東南アジア研究所」の理事長であるワン・グンウは、この研究所の主催で、今月初めシンガポールで開かれた戦争に関する会議で言った。
何世紀も続いたインド亜大陸との結びつきは断たれ、中国は冷戦のカーテンの向こうに姿を消した。
戦争は、アジアにおける何世紀もの植民地支配に終止符を打った。
このことはケンブリッジ大学のティム・ハーパーが「パレード・グラウンド好きのナショナリズム」と呼ぶものを台頭させた。それは近代国家の中央支配と民族的同一性である。
孤立した民族少数派を徴兵し、武装させることによって、戦争は、また彼らにアイデンティティの感覚を与えたが、同時にゲリラとの対立も始めた。それがミャンマーでは今日も続いている。
この地域における戦後の役割を調整するにつれて、「日本は極端にナショナリスティックな局面に移りつつある」とカリフォルニア大学「日本研究所」のチャーマーズ・ジョンソンは言った。
日本は、戦力の国際的使用の禁止を和らげるために、戦後憲法を書き直しつつある。その結果、戦時の軍国主義に対する謝罪となったもの(憲法第9条を指している)を引っ込めることになる。
過去数十年の間、日本は、隣国の不信に対抗して、文化外交として知られるもの、つまり研究・教育・美術・歴史的保存プロジェクトにに何百万ドルも注ぎ込んだ。この地域での拡大をスムースにするために、中国は文化外交においてそれ自身のプロジェクトを始めた。
戦時の残虐行為を認め、適切な補償をしなかったと見ることによって、中国と韓国は未だに怒り狂っているが、東南アジアの国々では、記憶はもっと和らげられている。
「戦争の政治的インパクトは、いまなおある政府によって現代の利害関心に役立てるために用いられている」と「東南アジア研究所」のワンは言う。「記憶は変わるものだ。人は自分に合ったものを取り出し、選ぶのだ。」
戦争のインパクトは、殆ど完全に戦闘を免れたタイとインドシナから、戦争で荒廃したミャンマーとフィリピンまで非常に異なる。
ベトナム・カンボジア・ラオスというインドシナの国々は、主要な戦場の外にあった。だが、短い日本の占領はフランスの植民地支配の終結と1945年のホー・チーミンの独立宣言の基礎を置いたと、オーストラリアのモナシュ大学の研究員であるデイヴィッド・チャンドラーは言う。
バンコクのチュラロンコーン大学の政治学者ティティナン・ポンスディラクによれば、タイ国は、戦争から殆ど無傷で現れたことで有名だが、ここでもインドシナと同様、戦争は未来を形成するのに役立った。つまり、それは軍人政府を台頭させ、それは、1947年から1973年まで国家をコントロールした。
尺度の反対側に位置するのがミャンマーであり、それは戦争で荒廃し、未だに回復していない。
フィリピンにとっては、破壊的戦争は、大部分、米国との兄弟関係の感傷的な感じを伴う英雄的記憶となった。アメリカは、一旦戦争が終わると、その独立を認めた植民地の主人だった。
いくつかの記念碑は、「私はきっと戻る」と言う約束通り、徒歩で海岸に上陸したマッカーサー将軍による日本人からの解放を祝って建てられた。
日本自身にとっては、トラウマ的な破壊的戦争は、にもかかわらず、一世紀に及ぶアジア支配の中断に過ぎない。
興味深い歴史のねじれによって、真珠湾攻撃に導いたのは、東南アジアの資源に対する日本の欲望とアメリカの干渉に対する関心であった。
戦争の後に続いた反共産主義的地政学において、日本が東南アジアへ進出するのを助け、日本が求めていた経済的支配領域を作るのを助けたのは他ならぬアメリカだった。
「中国よりも東南アジアのほうが資源のための場所に適していると日本人に対して言われた。これはかなりアイロニックだ。なぜならば、これこそ彼らが戦争を始めた理由だったからだ」とジョン・ダワーは言う。
この支配は、次の30年間、一つのモデルになった。それは日本のエコノミストによって「雁行」と呼ばれている。それは日本を先頭にして、そのパートナーが経済的な伴流において前進するというモデルである。
世紀の変わり目に、この勢いは緩やかになった。日本経済は沈みつつある。台湾と韓国は、引き離している。中国は、前進中である。雁行の綺麗な形は消えてしまった。
[訳者のコメント]セス・マイダンス記者の記事です。第二次大戦がアジアの国々にどのような影響を与えたか。戦後60年間のアジア史の総括と言ったら褒めすぎでしょうか。アジアにおける日本の役割もプラス・マイナス両方の評価がうまくできていると思いました。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「戦争で破壊された香港は、甘んじてそれを忘れる」と題する記事

2005年08月13日 | アジアと日本
8月13日、香港発:香港政庁の優雅な丸屋根からワンチャイのけばけばしい歓楽街やスタンリーにあるごみごみした商店街に到るまで、今の香港はアジアのどこよりも平和で繁栄した都市のように見える。
60年前、この都市は、第二次世界大戦の最悪の破壊のいくらかを蒙った。現在香港政庁のビルがあるところは、日本軍の憲兵隊の拷問センターだった。日本兵によって、地域住民がレイプされた後で、日本軍が経営する売春宿が建てられた。スタンリーには、連合国側民間人のための収容所があった。近くの海岸で処刑される危険を冒して規則を犯した人たちも含まれていた。
注目に値することは、160万人の人口が、飢えと殺害とより食糧の得られるコミュニティのための戦闘によって60万人に減った戦時の恐怖にもかかわらず、ここでは戦争は殆ど思い出されない。8月15日の日本降伏60周年記念が近づいていることを示すものは、博物館での退役軍人による話を含むいくつかの小さな集会と日曜日に行われる数百人あるいは数千人が参加する抗議デモだけである。
中国と韓国では、何百万の人たちが、今年、日本が子供達に戦時中の残虐行為について教えたがらないことに抗議して、インターネットの請願に署名したり、街頭デモに参加した。日本では多くの人が公然と戦争の記録を弁護した。だが、香港の住民は、戦争を忘れ去ろうとする驚くべき傾向を示した。
「60年というのは、思い出すのに良い機会だ。でも人々は経済発展により多くの注意を払っている」と香港大学歴史学者ホー・プイインは言う。
ホーやそのほかの歴史家は、戦争のことを気にしないこの町の傾向をいくつかのファクターのせいにしている。660万人の香港の人口の大多数は、戦時の生き残りの子孫ではなく、後に共産主義の台頭を恐れて大陸から逃げてきた家族の一部である。
大陸では化学兵器や武器の貯蔵庫や戦時の危険な材料が時々発見されたりすることが、中国の民衆に戦争を思い出すのを助ける。しかし、最近は香港ではこのような発見は少なかった上、歴史的研究は衰えた。
第二次大戦中のこの町の歴史は、徹底的に露天掘りされたので言うべきことは余りない」と地方史家のジェイソン・ワードは言った。「日本ではまだ封印されたままの軍事記録の広範な公開が新しい研究に火をつけるには必要だ」と彼は言った。
英国も、日本軍が既に征服した中国本土で集結した1941年に、この領土の防衛から中国人を排除した。そういうわけで、中国人の退役軍人は少ない。
最近、フィリップ・スノウが『香港の陥落』(The Fall of Hongkong.)という本で立証したように、特にその四年前に起こった南京包囲戦の際の恐ろしい話を聞いた後では、香港の中国人達は、日本人と戦うのを助けるのに熱心だった。しかし、イギリス人達は、特に1920年代の植民地支配に対するアジテーションを忘れていなかったので、地域住民を武装させることを躊躇した。
真珠湾攻撃の数時間後に始まった日本軍の攻撃に直面して、イギリス軍の防衛は崩壊し、1941年のクリスマスに降伏で終わった。
戦後、英国は、親共産党ゲリラだったという理由で、日本軍と戦った中国人に特に注意を払わなかった。日本降伏後、香港の英国の主権への復帰は、半世紀の間、8月末に祝われた。その際、イギリス人の退役軍人は二つの大戦の戦死者に敬意を表して、市の中心の柱の周りに並んだ。
しかし、この町が日本軍の手に落ちた後で、もっとも効果的な抵抗運動を行った親共産党の「イースト・リバー・コラム」の生き残りは、これらの集まりには出席しなかった。
「われわれは、このような式典に一度も招かれたことはない」と80才のチャイ・ソンインは言った。彼は、戦時中、香港九竜独立旅団の宣伝将校だった。かってのイギリス将校達は、ゲリラ達がもし来るのを選んでいれば、彼らは歓迎されただろうと言った。
チャイは、イギリス人が1947年にこの旅団が日本軍部隊を攻撃するのにもっとも積極的であった村や住民に賞賛の旗を送ったのを覚えている。もっとも旗には、襲撃を指導した親共産党のグループについては何も書かれていない。
1997年にこの領土が中国の支配に返還されることによって、政治における突然の移動がなされた。香港の最初の行政官である董チーフアは、「イースト・リバー・コラム」の生存者を英国総督の邸宅に招いて、かってのゲリラに感謝した。董はまた、生存者に対する政府病院の無料の医療看護を認めた。ある場合には、政府の年金も認めた。「イースト・リバー・コラム」の戦死者のリストは、議事堂の中の小さな祠に収められた大英帝国の戦死者のリストと一緒に置かれた。この祠での毎年の式典には、英国の退役軍人と中国人ゲリラとが招かれるが、それがかっての市の中心の柱の周りで行われた式典に取って代わったのだ。
[訳者のコメント]香港で日本軍に抵抗したゲリラがいたということは、私は知りませんでした。「イースト・リバー・コラム」というゲリラ組織は中国語では何と呼ばれるのかどなかたご存じではないでしょうか?
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「小泉は、日本のゴルバチョフか」と題する『ツァイト』紙の記事。

2005年08月12日 | 日本の政治と経済
多分、日本をかってのソヴィエト連邦と比較すべきではないだろう。しかし、50年前から殆ど絶え間なしに政権を握り、絶望的なほどもつれ合っている自由民主党は、大いにソビエト共産党を思い出させる。そして、その党首である小泉純一郎は、ゴルバチョフを思い出させる。
ゴルバチョフと同様、小泉は、長い不景気の最中に権力の座についたが、その理由は、彼が青年のようなライオンのたてがみを持っていて、彼のミイラのごとき前任者達と違った外見を持っていたからでない。小泉も改革を約束した。だが大部分、お話しに終わった。そのわけは、ゴルバチョフのように、彼は党の金蔓に触れないで、党に対して権力を維持するように期待されたからである。
ゴルバチョフは、民衆に訴えたが、保守派と結託した。小泉もまさにそのようにしていた。彼が日本の戦争犠牲者と戦争犯罪人のための巡礼地である、靖国神社に参拝するたびに、それによって、彼は歴史修正主義者に対する約束を果たした。
ゴルバチョフは、挫折した。その理由は、彼が共産党を見捨てることを躊躇ったからである。二歩前進する前に、彼はいつも一歩後退した。
小泉のもとで日本の経済は、確かにいくらか回復し、銀行改革は、貸し方に記入された。しかし、それ以上のことは、彼は達成しなかった。月曜日に、彼は参議院で彼の中心的関心事である郵政民営化法案を通すのに失敗した。保守派の党友が彼に反対したからである。9月11日に総選挙が行われる。
小泉は正しいと考える経済人は多い。271,000人職員を抱えて、郵便は、日本の最大の雇用者であり、300兆円の預金を持っているから、世界最大の貯金局である。この巨人は、減量ダイエットに耐えることができるかもしれない。けれども、ほんの僅かの日本人しか首相を理解できない。なぜよりによって、郵政が問題なのか。なぜよりによって今なのか。小泉はもっと外交政策に頭を使うべきだと彼らは言う。彼の指導の下で、日本はすべての隣人と対立することになった。中国との関係が、何十年来これほど悪くなったことはない。ブッシュ大統領との献身的な近さは、日本政府の地位を保安官助手に引き下げた。国連の安全保障理事会への座席の要求は、みじめに失敗した。
新し選挙でもって、自分は議会から言うことを聞かない議員を粛正するつもりだと小泉は言った。日本人は、9月11日に、郵政改革について投票しないだろう。選挙は小泉と自民党に対する信任投票になるだろう。つまり、日本が気持ちの良い戦後の秩序から抜け出るかどうか、それとも、それがもう少しの間つづくのかどうか、に対する投票になるだろう。
[訳者の感想]『ツァイト』紙のクリストフ・ナイトハルト記者の記事です。小泉さんは今度の選挙は国民が「郵政民営化法案」に賛成か、不賛成かを問うものだと言っていますが、私はむしろこの記事に書かれているように、戦後体制をどう変えるのかを問うものだと思っています。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「アメリカ代表団、北朝鮮との会談について楽観的見通し」と題する『ニューヨーク・タイムズ』紙の記事。

2005年08月11日 | 北朝鮮問題
8月10日、ワシントン発:北朝鮮との六者協議に出席したアメリカ代表団の代表は、ワシントンが核非武装を解決する努力を妨げているという平壌の不満を無視した。北朝鮮の代表は、「意図の真剣さ」を見せたと彼は述べた。
ヒル国務次官は、来月には基本的原理について基本的合意に達するかもしれないと述べた。
「政策の変更は、アメリカ次第である」という火曜日の北朝鮮の代表団代表金桂寛のコメントを無視しているように見えた。
ヒルは、ワシントンの外国報道センターにおける主としてアジアの報道に関わる人々の前でのブリーフィングでコメントした。彼は、一日前にアメリカ人記者団に対して行ったコメントにおけるよりもより楽天的であるように見えた。
今日(8月10日)、彼は他の参加国つまり、米国、中国、ロシア、韓国、日本が北朝鮮が軽水炉を持つことを認めるならば、北を同意に引き込むことができるかもしれないという新しい推量を軽視した。
北朝鮮が、数年前に合意された協議内容を破った後では、平壌に対する完全な信頼を推し進めることは、ワシントンにとって困難であるとヒルは言った。しかし、彼は、もっと大きな問題は、参加国のどの国も、このような何十億ドルもかかる装置の建設費を負担する用意はないことであると示唆した。
韓国の代表団代表は、今日、自分は他の4ヶ国が北朝鮮に平和的な核計画を持つことを認めるように促すだろうと述べた。
「われわれの立場は、北朝鮮がその核計画を放棄することであり、彼らが主権国家として平和的な核計画を追求する道をならすように相違を調整することである」と韓国外務省の代表宋ミンスンは述べた。
エネルギー不足のせいで衛星から見ると夜は殆ど真っ暗な北朝鮮は、平和的核エネルギーを持つ権利があると主張している。
韓国の高官は、平壌が核兵器の追求を断念し、NPTの条項を尊重することにもう一度同意する場合に限り、北朝鮮の平和的核計画を支持することができると述べていた。
軽水反応炉は、米国にとって一つの問題を提起し、この議論を追求することは議論が拡散する危険があるとヒルは述べた。
「彼らが彼らの計画全体を取り除く必要があるというのがわれわれの見解である。この国は、平和的計画を平和的しておくことができなかった国なのだ。」
「誰も軽水炉の費用を払う覚悟はない」と彼は言った。
ヒル氏は、13ヶ月の中断後に開かれた13日間の協議において北朝鮮の論調について肯定的なメッセージを送ることに熱心であるように見えた。「協議に戻ろうとする意図が重要だ。何らかの前進をしたいという現実的な欲求がある」と彼は述べた。
米国は、進行中の二組の核協議に大きな関心がある。イランも北朝鮮も民間の核計画を保持すると主張している。先週、ヨーロッパ人は、アメリカの支持の下で、イランが厳密な監視の下に留まる限り、イランにおけるこのような計画を受け入れると提案した。
ワシントンは、北朝鮮に対するこのような計画には反対している。
この二つの協議の間に何らかの複雑な相互関係があるのか、北朝鮮はこの影響力を得るためにこれを利用しているのかと尋ねられて、ヒル氏は次のように答えた。「彼らは、それをしなかったのだから、それは仮定的なものである。」
ヒル氏は、ワシントンはその主権を尊重し、北朝鮮を攻撃する意図はないということを平壌に保証した。
どの程度、核合意に到達した場合、アメリカ側は、関係正常化に向かう用意があるのかと尋ねられると、ヒル氏は、「この核の障害が道から取り除かれるならば、われわれは正常化の道をかなり先まで進むことができる」と答えた。
[訳者の感想]ヒル国務次官補は、かなり楽天的ですが、どうも北朝鮮外交は一筋縄ではいかないような気がします。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「小泉首相、改革の支持を得ようとして選挙を要求する」と題する『ワシントン・ポスト』紙の記事。

2005年08月09日 | 日本の政治と経済
8月8日、東京発:日本の小泉純一郎首相は、月曜日、世界第二の経済の速やかな改革に対する支持を得ようと努力して、衆議院を解散し、9月11日の選挙を要求することによって、自分の職務を危険に曝した。
この動きは、与党の代議士が、小泉の経済改革十字軍のメイン・テーマを効果的にブロックすることによって、日本の巨大な郵政事業を民営化する首相の企てに反旗を翻した後で起こった。この決定は、小泉の4年半の行政に対する信頼を公的投票に置くと同時に、第二次大戦以来殆どの時代日本を統治してきた自由民主党を作り直す彼の努力に対する信任を問うものとなる。
アジアにおけるブッシュ政府の最も親密な同盟者であり、1980年代以来、最も永く首相の座にある小泉は、与党が選挙で負ければ、首相の座から降りるだろうと言った。
彼の敗北は、野党の民主党に政権を譲ることになるだろう。民主党は、イラクにおけるアメリカの軍事的努力に対する小泉の支持に反対しており、沖縄からアメリカ海兵隊を引き上げるように要求している。
アナリストによると、自称一匹狼である小泉は、彼を特徴付ける向こう見ずな政治に従事している。最終的に初めから彼の改革に強力に抵抗してきた党内の反対派を粉砕することを可能にするために、彼は公衆が彼の改革を志向している自由民主党員の候補者を支持することを期待して彼の政治生命を賭けている。権力闘争は、参議院自由民主党の大きな派閥が彼の郵政民営化法案に対して反乱を起こした後で、山場を迎えた。
日本の郵便局の網は、何百万もの人の300兆円以上の預金高を有する世界最大の銀行を形成している。何十年も、自由民主党の政治家は、それを金のかかる建設費や選挙区の票を獲得するのに役立つ政府補助金を導入するための裏ドアとして利用してきた。だが、このシステムは、経済に対する障害物として役だった。
小泉は、14年間の経済的スランプの後で日本を上昇させる唯一の道は、日本の大量の官僚政治を打破すること、特に郵政事業を改革することであると主張した。月曜日に、彼は日本の支配政党の内部からの変化を強制する彼の公約を果たすために、登場した。
「四年前、私は自民党を変えるだろう。もしそれが変わらなければ、それをぶっ壊すだろうと言った」と記者たちに語った。
合意政治が長い間通例であったこの国で、ウエーブのかかった髪をした63才の小泉は、2001年4月、日本の政治的恐竜をやっつけると誓って、政権を握った。彼は国民的アイドルとなり、ロックスターのごとく人気があった。だが、それ以来、大衆の彼に対する支持は、退潮している。多くの人は、彼は約束に対してナマケモノのような前進をしただけだと考えている。アナリストたちは、小泉が40%の支持率を記録する世論調査にかけているように見えると言う。この支持率は、自民党や民主党に対する支持率よりも遥かに高い。
小泉のタフなアプローチは、自民党をひどく分裂させた。彼は自分の民営化案に同調するように党員にものすごい圧力をかけた。民営化案は、先月、衆議院で、僅差の賛成を得た。このとき法案に賛成した一議員は、派閥の仲間から言葉で攻撃されて、投票したあとで自殺した。
ある小泉の批判者は、彼の将軍スタイルと月曜日に法案に反対の投票が多い場合には、衆議院を解散するぞという彼の脅しを引用した。彼は衆議院解散の署名を拒否した島村農水相を罷免した。
小泉は、彼の改革案に反対の投票をしたすべての自民党議員を推薦しないと決めた。これは彼を支持する人たちだけが選ばれることを確実にすることができるだろうが、支持しない議員は、いまや公然と自民党からの脱党を議論している。
「四年半の間、彼は党首としての彼自身の立場と彼の改革に対する党の反対者との間の矛盾を保ちつづけたが、ついにこの矛盾が爆発した」と「政治的PRのためのセンター」の代表者である宮川タカヨシは言った。
小泉が、衆議院を解散した理由は、日本の首相は、参議院を解散する権利がないからである。そして、彼の計算によれば、もし世論が彼を支持すれば、参議院は法案に賛成するだろう。
しかし、1993年にも自民党は党の分裂によって、短期間政権を失った。しかし、日本の多党制度では、民主党は実行可能な交替政党として現れる。民主党が自民党と交替したとしても、アナリストによれば、彼らは、連立政府を作るためには、いくつかのより小さな政党とのパートナーシップを必要とするだろう。
切り札を持つのは日本の公衆である。世論調査は、多くの人が小泉の複雑な郵政民営化案を十分に理解していないことを示している。自民党の地盤である地方の郵便局は、遠隔の局は閉鎖され、重要なサービスができなくなることを恐れている。それは、小泉の弱点である。
小泉は、疎外された保守派の支持を取り戻そうとするかもしれない。月曜日に彼は死刑判決を受けた戦争犯罪人を含む日本の英霊に敬意を表するために靖国神社に参拝することを示唆した。彼の過去の参拝は、日本に侵略された中国と韓国を憤激させた。しかし、今度の参拝によって、彼は日本の右翼の間にある重要な支持をとりもどすかもしれない。
[訳者の感想]日本の政治について、アメリカの一流紙がどのような報道をしているかに興味があったので、訳しました。アンソニー・ファイオラという記者の書いた記事です。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ポール・クルーグマンのネオコン批判。『ニューヨーク・タイムズ』紙の論説。

2005年08月06日 | アメリカ社会
「混乱させるためのデザイン」と題する8月5日の論説です。
私は、『パブリック・インタレスト』の元編集長アーヴィング・クリストルを、「知的デザイン」の父に指名したい。確かに彼はこのドクトリンを展開するのに何の役割も演じなかった。だが、彼は「知的デザイン運動」の背後に横たわる政治的戦略の父である。この戦略は、経済的右派によって用いられて大きな成功を収め、現在宗教的右派によって採用された戦略である。
1978年に遡ると、クリストルは、企業に強力な私的セクターの保存を弁護したがる学者や機関に対して博愛的な貢献をするように促した。それは微妙な物言いであったが、はっきりした含意は、どれほど妥当であろうと大学の研究を好まない企業が彼らの好みに合うことを言いたがる人々を支えるべきだということだった。
彼は、『パブリック・インタレスト』誌を利用することによって、サプライサイドの経済学を促進するようにあるドクトリンを指導した。減税は経済に奇跡的な影響を及ぼすから十分引き合うというそのドクトリンの中心的主張は、一度も証拠によって裏打ちされたことはない。後には彼は「自分は財政赤字に対して騎士的態度を取った」と認めた。
「政治的有効性が優先であって、政府の財政上の赤字が優先ではない」と彼は1995年に書いた。
企業は彼の指導に従って、シンク・タンクに多額の資金をつぎ込み、シンクタンクは、ある種の並行した知的世界を、「学者」達の世界を作り出した。この学者達の経歴は、彼らの同僚の吟味に耐える研究をするよりは、イデオロギー的な路線に従うことに基づいていた。
あなた方は、都合の悪い研究結果について疑いを生ぜしめる戦略は、経済学のようなソフトな分野でのみ有効だと考えたるかもしれない。だが、この戦略はハードな科学に対して用いられた場合にも同じぐらい有効である。
最も劇的な例は、地球温暖化についての研究の信用を傷つける運動である。圧倒的な科学的合意にも関わらず、多くの人々はこの問題はまだ解決されていないという印象をもった。この印象は、保守的なシンクタンクの絶え間ない作業を反映している。それは同僚の検査を経た研究のように見える懐疑的報告を生産し促進している。このシンクタンクの背後には、エネルギー産業、特にエクソン・モービル社からの気前の良い財政援助がある。
インチキな研究がこれほど有効であるにはいくつかの原因がある。一つは、非科学者達は時に研究と弁護との間の違いを言うことが困難だと思っている。それが数字を手に入れ、それでチャートを作る場合、それで科学にならないだろうか。
報告者達が研究と弁護の違いを知っているとしても、「誰々がこうこう言った」と言うジャーナリズムの慣行が知識を読者に伝達する仕方に入り込む。ブッシュ大統領が地球は平らだと言ったら、新聞の見出しは「地球の形について意見が分かれる」と書くだろうと私は冗談を言ったことがある。知的デザインを巡る論争についての多くの記事の見出しはこれに近い。
最後に、科学の自己検閲的な性質、つまり、科学的真理は、世論によってではなく、同僚の検査によって決まるという性質は、文化的反感を持つ熟練した御用学者によって悪用されるかもしれない。すべての生物学者がダーウインは正しかったということに同意するだろうか。これこそまさに彼らが俺たちは他の連中よりも頭が良いと考えるエリートだということを示している。
最後に知的デザインに戻ろう。アメリカの最も有力な何人かの政治家達は、ダーウイン主義に対して深い憎悪を抱いている。下院の多数派の指導者であるトム・ディレイは、コロンバイン高校の乱射事件を理由に進化論を非難した。進化論は、圧倒的な科学的支持を得ている。そしてこの国は、公立学校で宗教的教義を教える用意はまだない。
だが、もし、(世界は神によって創造されたと主張する)創造論者達が、企業の関心が地球温暖化に対してしたことをしたら、どうだろうか。つまり、科学的合意は、ぐらぐらした基礎付けしかもたないという広められた印象を作り出すだろう。
創造論者は、彼らが宗教的教え込みではなくて科学に関わっているような振りをした場合は失敗した。「創造科学」は余りにお粗末で、だれもだますことはできなかった。だが、あからさまに宗教的であることなく、進化についての疑いを広める知的デザインは、創造科学が失敗しても、成功するかもしれない。
思い出すことが大事なのは、「サプライサイドの経済学」や「地球温暖化に対する懐疑」と同様、知的デザインは、実際の研究者からの支持を取り付ける必要はない。知的デザインがしなければならないことは、混乱を作り出すこと、進化論について実際に論争があるかのような見せかけを作り出すことである。それは、宗教的右派の政治的腕力と一緒になると、教室からダーウインを追放することで終わるプロセスを始めるには十分であるかもしれない。
[訳者の感想]ブッシュ大統領がキリスト教右派に取り入るために、創造説を信じると公言したと新聞で読みました。この論説は宗教的保守派の中にあるそういう反知性的な風潮に対するクルーグマンの憂慮を示していると思います。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ユダヤ人のテロリスト、リンチで殺される」『ヴェルト』紙の記事。

2005年08月05日 | テロリズム
イスラエル警察の述べたところでは、ユダヤ人の暗殺者がバスの中で5人のアラブ系イスラエル人を射殺したために、憤激した群衆によってリンチされた。
エルサレム発:イスラエル警察の発表によると、一人のユダヤ人の過激派が今週、木曜日バスの中で5人のアラブ人を射殺した。キッパを被り、イスラエル軍の軍服を着た髭を生やした暗殺者は、目撃者の証言によると、興奮した群衆によって、圧倒的にイスラレル国籍を持つアラブ人が住んでいるシュファラムでリンチの結果殺された。シャロン大統領は、この惨劇を「一人の血に飢えたテロリストの忌むべき行為」と断罪した。
イスラエルの政治家やメディアは、このアラブ系イスラエル人への攻撃を、8月17日に予定されているガザ地帯からのイスラエル軍の撤退を阻止しようとする試みであると考えている。保安省の大臣ギデオン・エズラは、「酷いテロ的な攻撃」について語った。イスラエル南部の都市オファキムでガザ地帯からの撤退に対して抗議デモを行っていたユダヤ人入植者達もこの行為を非難した。「殺人は殺人である。完全な拒否以外の反応はあり得ない」とデモの指導者であるベンジ・リーバーマンは言った。
イスラエルのテレビは、暗殺者を19才のエデン・ズベリであると確認した。彼はヨルダン川西岸の過激なユダヤ人居住地域の出身である。しかし、この地区の住民は、この言い分を退けて、ズベリは、タプア地区に住んだことはないと述べた。
イスラエルの保安省は、数ヶ月前から、ユダヤ人過激派の攻撃について警告た。彼らはあらゆる手段を使ってガザ地区のユダヤ人居住地域を明け渡すことを妨げようとしていた。「それは撤退とは切り離せない」と退職した元イスラエル軍大将ヨムトヴ・サミヤは述べた。アラブ系イスラエル人の国会議員モハメド・バラケはテレビの10チャンネルでテロの
犠牲者はすべてもっぱらアラブ人が居住しているイスラエル北部の町シュファラムの出身であると述べた。
過去において、既に、ユダヤ人過激派のアラブ系住民に対する攻撃がいくつかあった。最も酷い例は、1994年にヘブロンにあるアブラハムの墓の記念広場で、29人のアラブ系住民を射殺したバルーフ・ゴルドスタインである。
[訳者の感想]われわれはイスラエル国籍をもったアラブ人がいることを忘れがちですが、この事件で、ユダヤ系イスラエル人もまたアラブ系イスラエル人に対してテロリストになりうることが分かります。テロはイスラム教徒の専売特許ではなさそうです。統計によるとイスラエルでは、全人口の80%がユダヤ人、20%が少数派民族のようです。この大半がアラブ系のイスラエル人だろうと思われます。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「イスラム狂信主義の背後に隠れている無信仰」と題する『ヴェルト』紙の記事。

2005年08月02日 | テロリズム
ロンドンの地下鉄テロの一年前、イギリス人の監獄精神科医セオドア・ダルリンプルは、英国の監獄に入っている若いイスラム教徒が、他の少数派に所属する者を出し抜いていることに気づいた。それどころか、彼らはジャマイカ出身の若者をも追い抜き始めた。彼らの数だけでなく、彼らの犯罪の重さにおいても他の少数派を追い抜いた。もっと別の点もダルリンプル博士は気づいた。若いモスレム達は、彼らの宗教にいかなる関心を全く持たなかった。彼らが固執した唯一の問題は、女奴隷が家にいるが、白人の下層出身の愛人と楽しんでいるという彼らの結婚の伝統だった。だが、それ以外には何も彼らが固執するものがない。若いモスレムは、獄中ではお祈りをしない。彼らはハラルの掟に従ってされた肉を望まなかった。(イスラム教徒は、普通、ハラルの掟に従ってされた肉しか食べてはならないと定められている。訳注)彼らは『コーラン』を読みふけらない。彼らはイマムが彼らを訪問することを望まない。彼らは宗教的な所属を示すいかなるシンボルも身につけず、ただ前歯に金をかぶせる。それは彼らが犯罪的な下部組織のメンバーであることを示している。この目印を彼らはジャマイカ人と共有しているが、ジャマイカ人と彼らとの間には敵意しかない。
セオドア・ダルリンプルは言う。「イスラム教は、私の町のモスレムの若い男に対していかなる道徳的に改善する影響も、道徳的に妨げとなる影響も持っていなかった。彼らの驚くべき数がヘロインの常習者だった。それは、彼らと同年代のシーク教徒やヒンヅー教徒では知られていないも同然の習慣である。彼らはヘロインの取引をし、この商売に属するあらゆる形の犯罪をやってのける。」
この描写の中に、7月7日の爆弾テロについての意味を見るとしたら、それは行き過ぎだろうか。そうだとするなら、狂信主義の秘密、彼らの閉じられ、閂をかけられた部屋は、全くの無信仰であるだろう。コーランの暴力的レトリックによって非常に野蛮化されて、彼らの犠牲者達と一緒に自爆するしかなかったあの若いモスレム達は、彼らの大音響の爆発でもって、アラーに対する密かな疑いにけりをつけようと試みたのだろう。イスラムの狂信者達が、言葉巧みに乱暴に西欧の魂のなさ、精神的価値の欠如、デカダンス、唯物論、不品行を非難する場合、その背後には、ポルノ映画館で耳をつんざくロック音楽に合わせてバケツ一杯のコカコラを頭から被りたいという深い願望が隠れている。
女流作家カミラ・シャムシーは、ロンドンの地下鉄テロの実行犯は、全く普通のイギリス人であったことを指摘している。それは、疑いもなく正しい。しかし、それからは彼らがまた全く普通のモスレムであったという認識は出てこない。彼らを犯罪に導いたのは、イギリスの多数派社会の人種主義であったとしたら、直ちに問われるのは、なぜ、他の少数派に所属する者、例えば、ヒンヅー教徒やシーク教徒や中国人は、生きた爆弾にならないのかという問いである。このテロ攻撃が英国人がイラクに侵攻したことに対する罰だと言うなら、サダム・フセインに対する戦争に参加しなかったエジプト人は、なぜ、シャルム・エル・シェイクで罰せられなければならなかったのかと問われなければならない。
実際には、西欧の死に値する罪は、その「ジャーヒリア」である。もともとは、この言葉は、「無知」を意味し、アラブ人達がまだ偶像を崇拝していたモハメッド以前の時代を意味していた。イスラム原理主義の精神的基礎を築いたエジプト人サイード・アル・クトブは、しかし、「ジャーヒリア」を何か別のものであると理解した。われわれの時代に国家と信仰との分離において頂点に達しているコーランからの背反であると解した。それは彼にとっては、野蛮の最も悪い形式であった。若いロンドン子が自分の周りに「ジャーヒリア」しか見ず、それゆえ激しい憎悪を感じるようにし向けたものは何であろうか。答えは次の通りである。彼らはモスレムである。彼らを内部から浸食していたのは、この色とりどりの、開かれた、あらゆる点で彼らよりも絶望的なほど優れている社会に対して対置することのできるものをモハメッドの宗教は彼らに何も与えないだろうという予感である。
[訳者の感想]8月2日付けのハンネス・シュタインの記事です。テロリスト達を捉えていたのが一種のニヒリズムだったとするかなり大胆な推測が展開されています。かなりイスラム教徒に対する悪意がむき出しになっている文章だと思います。なぜ、ヨーロッパ育ちのイスラム教徒が、アラブ育ちの若者と同様に、テロに走るのか、もっと社会学的な解明が必要だろうと思います。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「中国政府、社会の安定に対する脅威について警告」と題する『ニューヨーク・タイムズ』の記事。

2005年08月01日 | 中国の政治・経済・社会
7月31日、北京発:トップの指導者達が農村の動揺について憂慮を募らせている兆候の中で、中国政府は、市民に法律に従うよう、社会の安定を脅かすものは、容赦されないと警告している。
この警告は、先週木曜日に出た中国共産党の機関紙『人民日報』の一面の社説に掲載された。社説に与えられた重要性は、指導者達が間違いようのないメッセージを送ろうと望んでいることを示唆している。
「安定を護ることが一切に優先する。安定を損ない、法に挑戦するいかなる行為も国民の基本的な利害を直接損なうだろう」と論説は注意した。
この論説で注目すべき点は、胡錦涛主席のキャッチフレーズである「調和のある社会」に全く言及していない点である。彼は農村の貧困者の困窮に敏感なポピュリストの役割を演じようとしてきた。「調和のある社会」という文句には、中国の発展の不均衡な行き過ぎや腐敗が正されなければならないという考えが含蓄されている。
だが、論説は、拡大する不平等は発展の避けがたい局面であるという態度を取った。「現在は、発展の黄金期である。だから、それは対立がはっきりする時期でもある。改革を絶えず深めることは、利害の調整を含むことは避けがたい」と論説は述べている。
「異なる人々や異なる集団が異なる程度において改革と発展の成果を享受することは避けがたい。」
しかし、この成果を13億の人口の3分の2を占める農民ほど享受できない集団はない。
多くの不満な農民達は、抗議し始めた。最近では、内モンゴルで2千人の農民が地方の役人が彼らの土地を接収するのを遮った。
他の最近の暴動では、村人が川や農地を汚染する産業廃棄物に抗議するのが見られた。セッコウ省では、何万人もの農民が3千人の警官を撃退したので、彼らは地方の化学プラントに対する抗議を続けることができた。
ボストン大学の国際関係論と政治学担当教授であるジョセフ・フュースミスによれば、胡錦涛主席と温家宝首相が取ってきたポピュリスト的な輝きは、最近の政治変化には反映されていない。2月に政府は、農民が政府についての不満を送るシステム、つまり請願とか訴えとか呼ばれるシステムを変えた。
この変更以前には、農民達は土地収用や汚染や他の問題に抗議するように励まされたので、記録的な数の農民が助けをもとめる請願のために北京に流れ込んだ。
「トップの指導者達はこういったことをもはや好まないと決心したと思う」とフュースミスは言った。
強硬路線に対する明らかな例外は、温家宝首相の農村問題についての顧問であるチェン・シーウエンである。香港の『サウス・チャイナ・モーニング・ポスト』紙とのインタービューで、チェンは、抗議のあるものに付随した暴力は遺憾であるとしたが、自分たちの権利のために立ち上がる農民の意志を賞賛して、「彼らの民主的意識は進んでいる」と言った。
北京在住のリベラルな政治学者リュウ・ジュンニンは、「農村の動揺はトップの指導者をいささか困惑させ、農村の貧困に対する彼らの本当の態度を暴露した」と述べた。
「それは初めから一種のリップサービスだったのだ。指導者達が一般国民に実際はどのような関心を持っているかを示すために、本質的なことは何もなされなかったのだ。私たちが見てきたことは、彼らが一般国民に対しては無関心だということだ。」
[訳者の感想]中国政府が農民暴動に手を焼いていることが分かります。果たして、国家権力は、これを力で抑えることができるのでしょうか。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする