海外のニュースより

政治・経済・社会の情勢について書かれた海外の新聞や雑誌の記事を選んで翻訳しています。

「アメリカン・ドリームの終焉」:リフキンの近著『ユーロピアン・ドリーム』紹介。

2006年03月31日 | アメリカ社会

 アメリカの新聞でジェレミー・リフキンの近著『ユーロピアン・ドリーム』の書評を読み、原著を読んでみた。この本の副題には、「ヨーロッパの未来像は、静かにアメリカン・ドリームをしのぎつつある」と書かれいる。その冒頭の箇所を要約してみた。 「アメリカン・ドリーム」(アメリカの夢)という言葉は、歴史家のジェームズ・アダムズが1931年に『アメリカの叙事詩』(The Epic of America.)という著作で初めて使った言葉である。 「アメリカン・ドリーム」は、アメリカ人に固有のものだと考えられる。アメリカ人は、アメリカン・ドリームはアメリカという土壌の上でだけ実現可能な夢だと思っている。 英国からアメリカに最初にやってきた「ピルグリム・ファーザーズ」と呼ばれる清教徒達は、自分たちの危険な旅をイスラエル人のエジプト脱出の物語と重ね合わせた。彼らは古代イスラエル人と同様、自分たちは「神によって選ばれた民」であると確信していた。アメリカにやってきた清教徒達の目には、アメリカの自然は、神の栄光のために征服されべき自然であり、そこに新しいエデンの園を建設することが神によって与えられた使命であると考えた。この「選ばれた民」という観念は、その後「アメリカの夢」の通奏低音となった。多くのアメリカ人が自分たちは選ばれた民であり、アメリカは、「約束の地」だと考え続けた。彼らはアメリカが偉大になるように運命づけられており、「アメリカのやり方」は「神のやり方」であると信じた。自分たちが成功することは、自分たちが本当に神に選ばれているということの証拠であると信じた。 大抵のヨーロッパ人にとって、「神の選民」という考えは、奇妙であり、ちょっと恐ろしい。 ヨーロッパでは教会へ出席する人は、ますます減っているが、アメリカではかなり多くの人が熱心なキリスト教信者である。リフキンによると、アメリカ人の48%が米国は神に特別に護られていると信じている。ある福音主義教会の指導者は、世界貿易センタービルとペンタゴンがテロリストによって攻撃され、3千人近い人命が失われた理由は、神がアメリカの誤ったやり方を喜ばず、もはやこの選ばれた民に特別の加護を与えなくなったからだと示唆した。 これに対してヨーロッパ人の多くは、もはや神の存在を信じていない。デンマーク人、ノルウエー人、スエーデン人の約半分は神は、自分たちにとって問題にならないと考える。リフキンは、この点で、アメリカ人の考え方は、低開発国の人々の考え方に近く、他の工業化社会とは折り合わないと主張する。 自分たちは選ばれた民であるという信念は、アメリカ人を世界中で最も愛国的な国民にしている。ある調査によると、アメリカ人の72%は、自国に誇りを持っているおり、この割合は、26ヶ国中の第1位である。 イギリス、フランス、イタリア、オランダ、デンマークなどの西欧の民主主義国の国民の半分以下は、自分の国を非常に誇らしいと感じていない。 アメリカ人の10人中6人が、自分たちの国民は完全ではないが、自分たちの文化は、他の文化より優れていると思っている。これとは対照的に、英国人の37%、ドイツ人の40%、フランス人の3分の1しか自分たちの文化が他の文化よりも優れていると思っていない。ヨーロッパや他の地域では、ジェネレーションが若くなるに連れて、国民としての誇りが下がっている。 この意味で、ユーロピアン・ドリームは、グローバル時代の最初のトランス・ナショナルな夢だとリフキンは言う。そして彼は自分たちは選ばれた民であるというアメリカ人の信念のほうが新しい時代には有害だと言う。 [訳者の感想]アメリカン・ドリームよりもユーロピアン・ドリームのほうが、21世紀のグローバルな世界では役に立つというのがリフキンの主張のようです。 

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「どうしたら中国はもっと豊かになれるか」と題する週刊誌『Economist』の記事。

2006年03月24日 | 中国の政治・経済・社会
1940年、中国共産党が政権を握る9年前、毛沢東は、「新しい中国」のための計画を立てた。「共和国は、地主から土地を押収するのに必要なある段階をとるだろう」と彼は言った。「土地を耕作者に」という原理の下で、共和国は土地を農民の私的所有に返すだろうと彼は言った。
「必要な段階」は、広範な殺戮を含んでいた。何十万、ひょっとしたら何百万人もの土地を所有する農民とその家族が殺され、農民によって撲殺された。農民達は彼らの小さな土地を手に入れたが、長い間ではなかった。1950年代の末に、私的な土地所有制は廃止され、農民達は「人民公社」の財産を持たないメンバーになった。全国的な飢饉で数百万人が死ぬことになったのは、この大変動のせいで、それに悪天候とアメリカの工業生産のレベルに追いつこうとした気違いじみた試みが加わった。
われわれの調査が示すように、中国はこのときの損害をまだ取り戻さなければならない。毛沢東の死後数年して、1976年に「人民公社」は、廃止された。小平の指導の下で農業生産は急上昇したが、それは初めて農民に土地が配分されたからである。だが、完全に土地を所有するのではなくて、独立に耕作するように小さな土地が割り当てられただけだった。これは今日世界を金縛りにしている経済改革の始まりを印しづけた。だが、外国のビジネスを虜にしているのは、中国の都市の繁栄である。1980年代初めのブーム以来、農村は、都市に遅れている。
小平は、毛沢東主義者の農村秩序の二つの柱を維持した。つまり、集団的土地所有と農民の都市への移住を禁止する制度を維持した。第二の制度は、製造業ブームを支えるために安価な労働力が必要になったために、崩壊し始めた。だが、第一の制度は厳然と残った。
 今や、毛沢東の最初の土地所有制度を復活すべき時である。これが、農村暴動を減らし、成長に火をつけ、指導層が望む本当の市場経済を発展させるのに役立つだろう。農民に所有権を与え、所有権を守るための法的制度を展開することは、莫大な経済的利益を生み出すだろう。農民が彼らの土地を抵当に入れることができれば、彼らは生産を上げるための資金を手に入れることができるだろう。所有権は、彼らにそうしたいというインセンティブをあたえるだろう。農民が農地を売却すれば、彼らは、都会で新たに生活するために十分な資本を手にれるだろう。これは消費を増やし、非生産的な農業労働から都市への移動を増やすだろう。中国がその印象的な成長率を維持し、不平等をなくすこと、何千万人の農民を土地から解放して、冨を生み出す仕事につかせることが、必要である。この都市への脱出は、農村に残って土地を広げもっと効果的に利用することを助けるだろう。
(以下省略)
[訳者の感想]このイギリスの雑誌『エコノミスト』は、サッチャーやレーガンの経済政策に賛成した雑誌です。農村を捨てた何千万、いや、何億もの人に都市で仕事が簡単に見つかるのか疑問だと私は思います。むしろ、出稼ぎを認める方がましではないしょうか。
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「処刑者とのビジネス」と題する週刊誌『シュピーゲル』の記事。

2006年03月22日 | 中国の政治・経済・社会
北京発:ケンイチロウ・ホカムラの腎臓が働かなくなったとき、彼には選択があった。適合する臓器を待つか、自分でそれを探すかどちらかである。事実はそれ自体語っている。イギリスの新聞『インデペンデント』紙によると日本では、過去9年間に40の臓器が提供された。ホカムラの住む県だけで、約100人の人が移植希望者のリストに載っている。「提供者を見つける前に私は死んでいただろう」とこの新聞はホカムラの言葉を引用している。つまり、この62才のビジネスマンは、自分の努力で臓器提供者を探し、日本人の仲介者をインターネットで見つけた。
 10日間後にホカムラ氏は、上海の病院の手術台に寝て、新しい腎臓を手に入れた。「あまり速く行われたので不安になったぐらいだ」とこの日本人は言った。彼の通訳が新しい臓器の提供者が誰であるかを彼に漏らした。少し前に犯罪者として死刑になった若い男である。だからホカムラ氏は良心の呵責は感じない。中国では臓器の取引は、法的に禁じられているのだが。「提供者は、社会に貢献することができたのだ。そのどこが間違っているというのか。」
 とっくに腎臓の提供を受けたものは、一人だけではない。『インデペンデント』紙によれば、中国にいる一人の仲介者だけで、2004年以来、100人以上の日本人に臓器移植の機会を提供した。その際、臓器移植は、中国では公式には、提供者と受け取り人とが結婚あるいは親族関係で結びついていることを証明できる場合にのみ許される。
 だが、この商売は、非合法であるにもかかわらず、ブームになっている。この間、中国の病院経営者も、腎臓、肝臓や他の臓器でどれほど多くの金が儲かるか理解した。この新聞の報道によると、腎臓一つで4万7千ユーロ、肝臓一つで12万7千ユーロがもらえる。
 『インデペンデント』紙の述べるところでは、中国全土の病院の多くの壁に手書きで、携帯電話の番号と腎臓という言葉がかかれている。このような広告は、小さな怪しげな個人病院だけでなく、広告紙や壁新聞の形で有名な施設でも見出される。「われわれはこのようなニュースを何べんも消さないといけません」と上海のフアシャン病院の泌尿器科の教授であるディン・チアンは、報告している。「これらの人々は、医師を訪問し、絶えず電話をかけたり、繰り返し広告メールを書いてきます。」このような臓器提供では、高い確率で禁じられた臓器売買が問題となっている。
 病院がどこから非常に安価な移植用臓器を入手するかは、しばしば不透明である。患者が質問することは稀である。だが、『インデペンデント』紙の報道では、大抵の臓器は処刑された人たちから取られ、病院の医師に更に転売される。この出所は、中国では全く尽きることがない。推定によれば、毎年、8千人が処刑される。処刑された人の臓器を誰が獲得するかは、謎である。
 『インデペンデント』紙によると、腎臓病患者や肝臓病患者は、中国に救いを見出す。これに対して、隣国の日本では、臓器提供者は殆ど見出されない。その理由は、日本人の一般的な信念によると、臓器を取り出すことは身体から完全性を奪うことになるからである。だから、ますます多くの病人が、手術をうけるために、中国行きの飛行機に搭乗する。両国政府は、これまで、増大する臓器観光と臓器売買に歯止めをかけることができないでいる。
 ホカムラ氏の例は、日本人の間で中国からの臓器に対する関心が増大するのに貢献した。自分が快癒した喜びから、このビジネスマンの家族は、中国の臓器移植についての経験をインターネットのブログに公開した。何年も臓器の提供を待たなければならないずべての人が気の毒だとホカムラ氏の娘は書き、彼女の記事に上海の臓器商人へのリンクを添付した。
[訳者の感想]ロマン・ヘーフリック記者の書いた記事です。
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「陳水篇の支持者、反中国集会」と題する『アルジャジーラ』局の記事。

2006年03月19日 | 国際政治
台湾の大統領陳水篇によって組織された土曜日の集会は、台湾が独立国家であることを宣言した場合、北京政府の「一つの中国」政策に反するものとして、戦争を正当化する「反国家分裂法」成立一周年を印しづけた。
 中国と台湾は、1949年、中国の内戦の終わりに分裂した。
「ミサイルに反対し、平和を望む」と歌いながら、赤い風船と中国製ミサイルの模型を手に持って、陳水篇の与党民進党は、巨大な群衆が民主主義的な生活を守ろうとする台湾国民の決意を世界に示したと述べた。
 宋ウェンリン(60)は、言った。「台湾は中国の一部ではない。中国はミサイルや鉄砲玉でわれわれを脅すのを止めるべきだ。」
台湾政府は、北京が台湾に標的に800発のミサイルを集め、1年間に75発から100発を武器庫に加えていると述べた。
 何人かの安全保障アナリストは、台湾海峡は、アジアで最も危険な地点であると言う。
48歳の技師である李グオチンは、言った。「台湾は民主制である。中国から独立するか、中国の一部になるかはわれわれ次第である。われわれは中国の脅しに屈するべきではない。」
 陳水篇は、大統領官邸で終わる行進には加わらなかった。だが、集会の終わりの演説で、陳は、「国家統一会議」と呼ばれる組織を廃止しようとする彼の決意は変わらないと述べた。
 「台湾は独立した主権国家である。台湾の国家主権は、その2,300万人の国民に属している」と陳は言った。
 「台湾の国家主権や台湾の未来を決めるのは、中国の1億3000万人ではない。」
台湾の人々にとっては、再統合か、独立かという問題は、常に厄介な問題であった。世論調査によると、台湾国民の80%は、現状のほうが望ましいと言う意見であることを示唆している。
 先週、中国との統一を望む野党の何万人もの支持者が台北を行進し、陳水篇の政策を批判した。
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「中国風の開放」と題する『ヴェルト』紙の記事。

2006年03月15日 | 中国の政治・経済・社会
北京発:温家宝首相は、新たな国内政策が資本主義的に脱線しているという攻撃に対して中国の改革政策を弁護した。彼は5日間の全人代の終わりに開かれた二時間の記者会見で、彼の政府の下では、「改革の停止も改革からの後退」も存在しないと保証した。北京政府は、経済政策の成功に際して間違った発展に対して、新たな農民計画と成長過程を社会的環境的に修正することで応えた。それらの改革は、千年も前の詩人欧陽修の次のような言葉によって始められた。「冷静に行為する者は、危険な状況を避け、混沌を秩序付け、没落することなく前進することができる。」「われわれはわれわれの改革政策と開放政策とを躊躇せずに推し進めるだろう。われわれは両方の政策でもって中国のやり方で社会主義の道を歩む」と首相は言った。
 それに先だって、温家宝の決算報告は、2,900名の代議員を前にして圧倒的多数で承認された。代議員は、50票の反対で2006年から2010年までの五カ年計画に賛成した。その計画は、北京政府の開発哲学を反映している。これまで殆ど二桁だった経済成長率は、平均7.5%に下げられ、投資は、農業と破壊された環境と技術革新に向けられる予定である。同時に、中国は、エネルギーと資源の消費において持続的な節約路線を取る。この国の巨大な需要は、原油・金属など他の資源に対する世界市場を上方へ押し上げた。
 社会科学院や伝統的な経済研究所の周囲からの、あるいは共産党の中位層出身のイデオローグ達は、先月、インターネットや大学での講演において、改革の資本主義的行き過ぎについて苦情を述べた。彼らは新たな農民問題、社会的格差、腐敗、富者と貧者への社会の二極化を指摘した。彼らはその責任が遠慮のない私有化にあるとし、銀行や国有企業の売却、国家計画の放棄を厳しく責めた。改革経済学者呉ジンリアンは、1981年から84年までと1989年から1992年までにあった経済発展の後で出てきた反改革論争について語る。人民会議が所有の拡大についての議論の的になった法案の決議を一時先に延ばしたのは、保守派の影響のせいである。
 中国政府は、土地に対する所有改革を否定した。「農民の土地は集団に属している」と温家宝首相は、昨日、断言した。だが、私的な土地利用権は、15年か30年、換言すれば永久に不変のままである。社会的対立を和らげるために、農民から土地が恣意的にあるいは力づくで奪われないように厳しい法律と統制で防ぐことを温家宝首相は約束した。人民会議での報告によると、毎年、百万人の農民が土地を奪われている。2005年に起こった8万5千件の暴動の大部分は、土地の収用と環境事故が発生源になっている。
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「ムスリムの味方は、無神論者」と題するジージェクの論説。

2006年03月14日 | イスラム問題
ロンドン発:何世紀もの間、われわれは宗教がなかったら、われわれは自分の分け前をもとめて争う利己的な動物以上のものではないと言われてきた。宗教だけがわれわれを精神的なレベルへと高めることができると言われた。宗教が世界中で殺人的な暴力の源泉であることが明らかになりつつある今日、キリスト教やイスラム教やヒンズー教の原理主義者達は、彼らの信仰の高貴な霊的メッセージを悪用し、転倒している。ヨーロッパの最大の遺産であり、恐らく平和のためのわれわれのただ一つの機会である無神論の尊厳を回復するのはどうだろう?
 一世紀以上前に、『カラマゾフの兄弟』や他の作品で、ドストエフスキーは、無神論的な道徳のニヒリズムの危険に対して警告した。もし、神が存在しないとしたら、一切がゆるされている。フランスの哲学者アンドレ・グリュックスマンは、ドストエフスキーの無神論的ニヒリズムの批判を、9.11事件に応用した。『マンハッタンのドストエフスキー』という彼の著書の表題は、そのことを示唆している。
 この主張は間違っているとは言えないだろう。今日のテロリズムの教訓は、もし神が存在するとしたら、何千人もの罪のない第三者を吹き飛ばすことを含めて何でも許されているということである。少なくとも神のために直接に行動していると主張している人たちにとっては、神との直接の結びつきが暴力行為を正当化するがゆえに、何でも許されている。要するに原理主義者達は、無神論的なスターリニストの共産主義者と違わなくなった。彼らにとって、すべてが許されていたわけは、彼らが自分自身は彼らの「神」、つまり、「共産主義に至る過程の歴史的必然性」の直接の道具であると見なしたからである。
 聖王ルイに率いられた第七回十字軍の遠征中、イーヴ・ル・ブルトンは、次のような出来事を報告している。彼は右手に火の燃える鉢を持ち、左手に水の一杯入った鉢を持って通りを下ってくる老婆に出会った。なぜ二つの鉢を持っているのかと聞かれて、彼女は次のように答えた。右手の火で、私は天国を何も残らないほど燃え上がらせるだろう。だが左手の水で、私は地獄の火を、何も残らないほど消すだろうと。「なぜならば、私は誰も天国の報酬を受け取るために、あるいは地獄を恐れて、善をして欲しくない。ただ、神に対する愛からだけ、善をして欲しい。」今日、このキリスト教的なスタンスは、たいていは無神論の中で生き続けている。
 原理主義者達は、神の意志を満足させ、救いをえるために、善行だとみなすことをしている。無神論者達が善行をするのは、それが正しいことであるからである。これは道徳性についてのわれわれの最も基本的な経験ではないだろうか?私が善行をする場合、私は神に気に入られるためにそうするのではない。私が善行するのは、もしわたしがそれをしなければ、私は鏡の中の自分を見ることができないからである。道徳的行為は、定義によるとそれ自身が報酬である。神を信じていたデービッド・ヒュームが、「神に本当の尊敬を示す唯一の仕方は、神の存在を無視しながら、道徳的に行為することである」と述べたとき、彼は非常に感動的な仕方で、このことを強調したのだ。
二年前、ヨーロッパ人は、ヨーロッパ憲法の前文がヨーロッパの遺産の鍵となる構成要素そとしてキリスト教に言及するべきかどうか議論していた。いつものように、妥協が図られ、ヨーロッパの「宗教的遺産」という形で言及されることになった。だが、ヨーロッパの最も貴重な遺産である無神論は、どうなったのか?近代ヨーロッパをユニークにしているのは、そこでは無神論が完全に合法的な選択であって、いかなる公職に対しても障害ではないことになった最初の唯一の文明であると言うことである。
 無神論は、そのために戦う値打ちがあるヨーロッパの遺産の一つである。それが信者に足して安全な公共的空間を作り出すからではない。憲法論争が沸騰したとき、私の祖国であるスロベニアの首都リュブリアナで、荒れ狂った議論を考えて欲しい。「(旧ユーゴスラビアからの移住者である)モスレムに、モスクを建てることを許すべきか」という議論である。保守派は、文化的政治的建築的理由まで持ち出して、モスク建設に反対した。リベラルな週刊誌『ムラディナ』は、終始一貫、モスク建設に賛成の意見を表明し続けた。他の旧ユーゴスラビアからの移住者の権利に対する配慮も持ち続けた。
 驚くべきことではないが、『ムラディナ』は、ムハンマドの風刺画を印刷した数少ないスロベニアの刊行物の一つだった。そして、反対に、これらの風刺画に対するモスレムの暴力的な抗議に対して最大の「理解」を示したのは、ヨーロッパにおけるキリスト教の運命に常々関心を示す人たち(例えば、ローマ教会の枢機卿)だった。
 これらの奇妙な同盟者は、ヨーロッパのモスレムに困難な選択を迫る。彼らを二級市民に格下げせず、彼らが宗教上のアイデンティティを表現する余地を認める唯一の政治的勢力は、「神を信ぜぬ」無神論的リベラルであるが、モスレムの宗教的社会的実践に最も近いのは、彼らの最大の政治上の敵である。パラドックスは、モスレムの唯一の同盟者は、ショックの価値のために、風刺画を最初に印刷した保守派ではなくて、表現の自由の理想のためにそれをリプリントした人たちである。
 本当の無神論者は、信者を冒涜によって挑発することによって自分自身のスタンスを強調する必要がなかったが、彼はムハンマドの風刺画の問題を他人の信仰に対する尊重の一つに還元することを拒んだ。最高の価値として他人の信仰を尊重することは、二つの事物の内の一つしか意味しない。つまり、われわれは他人をパトロン的な仕方で扱い、彼の幻想を壊さないように彼を傷つけることを避けるか、あるいは、多元的な「真理体制」という相対主義的スタンスを取って、真理に対するどんな明確なスタンスも暴力的な押しつけとして拒否するかどちらかである。
 しかしながら、すべての他の宗教と一緒に、イスラム教を敬意に満ちた批判的分析に従わせるのはどうだろうか?これだけが、イスラム教徒に本当の敬意を示す道である。つまり、彼らを彼らの信仰に対して責任を持った真剣な成人として扱う道である。
[訳者の感想]スラヴォイ・ジージェクは、バークベック大学の「人文学研究所」の所長です。無神論的リベラルだけが、イスラム教徒に対して寛容であり得るという主張だと思います。しかし、大多数のイスラム教徒にとっては、キリスト教徒も無神論的リベラルもどちらも信仰の敵だということになるのでしょうが。ジージェクの論文の中では珍しく論旨が分かりやすいと思いました。
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「政治家や経営者や官僚を信用しないドイツ国民」と題する『ヴェルト』紙の記事。

2006年03月12日 | 政治と文化
ドイツは、不信の国になった。国民の五人に四人は、政治の指導者達を全く信用していない。政党と政府が社会の福祉のために行為するだろうという希望は消えた。この結論に達したのは、ベルリンにある「フォルザ研究所」の代表的な研究である。連邦首相アンゲラ・メルケルについての世論調査の良い結果もこの冷静な結果を何ら変えない。
確かにドイツ人は、メルケルが有能であり、大連立は安定していると思っている。だが、この判断は、政治に対する彼らの不信に殆ど影響を及ぼさない。たいていの人の目には、新しい政府は前の政府よりはましなイメージを与えている。だが、それは国家の先頭に対して信用を置く理由にはならない。今週、木曜日にベルリンで「信頼喪失」をテーマとする会議を開催する「アルフレート・ヘルハウゼン協会」のために「フォルザ研究」は作成された。「信頼の危機:ドイツ人と彼らの政治家」という題目で、学者、政治家、メディア関係者は、「失われた信頼を取り戻すために何がなされなければならないか」について議論する。
 国民の79%は、この世論調査の中で「政治の成果について不満である」と意見を述べた。特に目立つのは、評価の上位を占める数値である。回答者の43%は、彼らの不信は、大きい」と回答した。更に回答者の36%は、「非常に大きい」と述べた。同様な世論調査は、連邦共和国が成立してから繰り返し行われた。その際、不信の割合は、常に増大した。そうこうするうち、不信の割合は、記録的な数値に達した。国民の60%は、ドイツで政治が行われる仕方について満足しておらず、東ドイツでは、政治に不満な人の割合は、74%に達している。
 回答者は、偶然にこの判断に達したのではない。彼らは彼ら自身のまずい経験によってこういう判断へと押しやられたのだ。全回答者の32%は、自分たちは失望したと述べ、8%は、「憤激」を感じている。それどころか2%は、「軽蔑」を感じている。10%の人たちでは、怒りは、「無関心」に変わった。
 失望した人たちは、その理由として、社会的に不公平な政策を挙げ、政治家達は、無能で、腐敗しており、彼らの約束を守らなかったという印象を持っている。国民は、諸政党に対しても、破滅的な点数を与えている。回答者のうちの16%だけが、政党は選挙民の利害関心を適切に代表していると感じている。これに対して、73%は、政党は、何よりも先ず、支持団体、ロビイスト、あるいは他の利害集団の欲求に応えていると思っている。
 だが、政治家だけでなく、他のエリート達も国民の信頼を失った。このことは、特に、企業の経営者に当てはまる。回答者の76%は、経営者に対して信頼を失ったと述べた。高級官僚も同様である。ドイツ人の38%は、官僚に不信感を持っている。これに対して、ドイツ人が一番信頼している役所は「警察」であり、回答者の76%がそう答えている。
 国民がその代表者達をもはや信用していないとしたら、国家はどのように機能したらよいのか?政治家達が選挙民の利害の代弁者であると理解されないなら、良い政治はどうして行われるだろうか?国民が選択の余地はないと感じるなら、選挙制度は何の価値があるか?これらの問いに対する答えを『ヴェルト日曜版』の今号は与えようと思う。さらに木曜日の会議で答えが追求される予定である。
 状況が改善される見込みは悪くはない。と言うわけは、フラストレーションを感じているにもかかわらず、国民は政治への関心を失ってはいない。46%は、政治に大きな関心を持っている。回答者の38%は、政治に対する関心はここ数年の間に増えたと述べている。国民は、確かに不信感は持っている。だが、自分を非政治的だとは思っていない。
「コントロールがなくなったところで、信頼が始まる」と信頼研究者のマルチン・シュヴェーアは書いている。ある政治的決断がその複雑性ゆえに正しいか間違っているかわれわれが判定できない場合、われわれは他人がわれわれのために正しく決断すると信じなければなるまい。まさにこのコントロールを断念する用意のある国民が少なくなっている。国民は不信が第一の国民の義務だと理解しているとシュヴェーアは言う。ドイツ人は数年前ほどお上に頼らなくなった。自己理解が変わった。政治家は、経営者や高位の官のと同様
、自然発生的ではない。彼らは信頼を勝ち得るようにしなければならぬ。勤勉と勇気と知性と国民の福祉のための仕事によって。大事なのは業績原理である。
「われわれはみなわれわれの民主主義を維持するために参加しなければならない。ワイマール共和国は、その敵のために挫折したのではなく、無関心だった数百万人のために挫折したのだ」とハンス・ヨッヘン・フォーゲルは、この研究の中で書いている。多くの国民はそうする用意がある。だが、彼らは政党は魅力的でないと思っている。民主政治は、その国民をもっと良く束ねなければならない。そうした場合にのみ、民主政治はその信頼の危機を解決するのだ。
[訳者の感想]ドイツでも政治不信が酷いようです。この論説はかなり格調の高いものになっていると私は思います。日本の状況ほうがドイツよりももっと悪いでしょう。なぜなら、政治に関心がないと答える人が多分大多数をしめると思うからです。そういう状況は民主政治にとって致命的だとこの論説は主張しているのです。
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「産業の大躍進の陰に農民の困窮」と題する『ヴェルト』紙の記事。

2006年03月11日 | 中国の政治・経済・社会
豊都発:ぼろぼろの作業着を着たその老人は、長江の対岸を曖昧に指した。セメントの建造物が夕霧の中で茶色の長江の上に灰色に立ち上がっているところに、新しい豊都がある。11万人の移住者と同様、そこに彼は今住んでいる。その町は彼の気に入らない。その老人は、自分の家がなく、彼に新鮮な野菜を供給した彼の畑がないのを残念に思う。現在、彼は長江のための新しい堤防での労働で生活している。その水位は、三峡ダムの建設以来次第に高まっている。口にタバコをくわえて、彼は堤防の階段の上のコンクリート屑を掃いている。新しいセメントの匂いがする。山間からは、労働者のハンマーの音が響く。彼らは南岸の新しい町でもう一度使用するために、古い豊都の家々の最後の壁石を水が来る前に救っているのだ。「ダムができて以来、私たちみんなにとって暮らしは悪くなった。誰もダムを好んでいない」と彼は言った。
 この老人は、三峡ダムの建設で故郷を失った1,200万人住民の一人である。長江沿岸の人間は、そこら中に四散した。北西部の沙漠や上海やダムの周辺に四散した。「私たちは、移住の後で人々の暮らしがより良くなるように援助している」と重慶市長のフアン・チファンは、保証する。「どの家族においても、少なくとも一人は職を得るはずだ。」
だが、現実はずっと暗く見える。「長江沿岸からの移住者の五人のうち四人は、再び故郷に戻った」と環境組織の代表であるリアン・チョンジエは言う。他郷で生活の根を失い、人との接触もなく、職もなく、彼らは新しい住まいと一人につき28万円の補償金を貰っても故郷の喪失を慰藉することはできない。その際、誰もが彼の権利である補償を貰った訳ではないのだ。
 資本と国家との不正によって、半分しか自由化されていない不動産市場においては、農民を搾取するのに好都合になった。中国では、土地の私有は存在せず、土地利用権は最大70年間だけ貸与される。「国家は、農地の入手を独占している」と重慶市で都市計画の顧問をしているマンフレート・シリーは言う。「国家は望むときに土地を収用うすることができる。」1998年末以来、176万平米の農地が建設用地に変えられた。あるトリックがこの過程を促進し、ますます多くの農民が何も貰わないで土地から出て行かされた。1998年以来国家委員会が農民から土地利用権を買い取った。それ以前は、建設会社が直接に買い取ったのだが。その際、役人は、せいぜい過去三年間の収穫と同じ価格の金を支払っただけで、利用権を30倍から40倍の値段で建設会社に売却した。建設会社の代表には、党幹部がいることは稀でない。
 これに対して、ますます多くの農民が憤慨している。土地収用は、社会不安の一番多い原因である。農民の暴動は、2005年には8万7千件に達し、前年よりも1万3千件多かった。今年、1月半ばには、警察は広東省の南部のサンジャオで土地収用反対を力づくで終わらせた。若い娘が警官の電気ショック棒で死んだ。昨年、12月には、広東省の東州市で300人以上の農民が抗議をした。彼らは、彼らの漁業区域に発電所が建てられることに抗議した。公式には3人が殺された。住民は、30人以上が死んだと言っている。政府は、農民が警察に発砲したと言う。目撃者は、デモ隊は爆竹に火をつけただけだと言っている。
 農村での反乱は、指導層に警告を発した。現在北京で開かれている全人代で、胡錦涛主席は、何十年も無視されてきた農村の建設のため10億ユーロに登る計画を紹介した。中央は、土地収用に対して厳格な承認システムを導入しようとしている。投資計画と農業税の廃止と農民のための学費免除とは7億4500万人の農民が、ブームを起こしている都市との繋がりを作り出すのを援助する。既に農村と都市との所得格差は、1対4になっている。社会保険と健康保険の優遇を加えると、所得格差は、1対6になる。農民は都市住民の持つ特権を持たない。「農民は飢えと困窮に対する代償として土地を貰うべきだ」と革命家毛沢東は断言した。すべての農民に1ムー(666平米)の土地が保証された。その代わり彼らには都市に移住する自由がなかった。申告制度が彼らを土地に縛り付けた。今日、政府は、毛沢東の時代よりはこの制度を緩やかにしている。だが、都市と農村の間の不平等はまだ存続している。
「誰かが先ず豊かになるべきだ」と1980年代に小平は述べた。それは前例のない経済的躍進の始まりであっただけでなく、党幹部資本主義における遠慮のない略奪欲の出発だった。中国は、最も大きな社会的格差をもった社会へと発展した。取り残されたのは農民である。多くの人がどれほど悲惨な生活をしているか、都市住民は今日新聞で読むことができる。胡錦涛主席の周辺の指導層が「調和のある社会」の建設を告知して以来、農民達の悲惨は、もはや隠されていない。けれどもそれは共産党支配の正統性を疑問視する微妙な問題である。と言うわけは、かって毛沢東は、農民を解放しようと一歩を踏み出した。農民がいなければ、1949年の革命は存在しなかっただろう。
[訳者の感想]これも『ヴェルト』紙の中国特派員であるキルスティン・ヴェンクさんの記事です。かって中国革命の担い手だと言われた農民がその後、経済的社会的に無視され、搾取され続けたということは、中国現代史の最大の悲劇と言うべきでしょう。
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「もはやエネルギー確保がすべてではない。」と題する『フランクフルター・アルゲマイネ』紙の記事

2006年03月08日 | 中国の政治・経済・社会
イラン問題で、中国の新しいエネルギー外交は、安全保障政策上の考慮と衝突している。中国のエネルギー需要、特に石油に対する需要は、中国の外交政策の重要な新しいパラメーターになった。中国経済は、来年度も少なくとも8%の成長をする予定であるから、エネルギー確保は中心的な意味を持っている。李肇星外相は、このことを全人代で古い共産党の言葉遣いで次のように述べた。「外交は、中国の経済発展に役立つべきである。」
中華人民共和国は、昨年、世界第二位の石油消費国になり、世界第三位の石油輸入国となった。さらに、中国ではエネルギーの70%は石炭から得ているが、石油化学と中国社会の増大する自動車のためには石油が必要とされている。更に中国は、エネルギー使用において環境に負担をかける石炭の割合を下げたいと思っている。
 石油と天然ガスの供給を確保するために、中国の国営エネルギー企業の交渉人と北京から来た外交官達は世界中に散開している。更に指導部は、潜在的なエネルギーと原料の供給者を求めて、政治局の高位チームを派遣する。アフリカの諸国は、負債免除や開発援助で誘惑されている。中国の石油輸入の29%は、アフリカから来ており、スーダンだけでも5%に達している。ラテン・アメリカは、中国の努力の中心になった。胡錦涛主席自ら中国を代表してそこに旅行した。オーストラリアとも天然ガス供給協定が結ばれた。
 中央アジアの隣人のなかでは、特にカザフスタン共和国が言い寄られているが、それは、そこから石油をパイプラインを通じて中国に導くためでである。中国とロシアと中央アジア諸国から構成される「上海機構」は、そこでエネルギーと原料について議論される場となっている。ロシアとの友好関係は、エネルギー政策上の理由からも念入りに育まれている。
 パキスタンとの古い友好関係においては、これまで軍事的な協力が最大の場所を占めていたが、二月にムシャラフ大統領が北京を訪問した際、エネルギー政策が全面に置かれた。中国は、グワダールの港湾設備建設の援助をする。そこから、中央アジアを越えて中国へ達する陸路が建設される予定である。
 中国の外交政策は、エネルギー政策的な配慮から、中近東地域に向けられている。中国の石油輸入の45%は、中近東諸国から来ている。イランは特に中国にとって大きな可能性を持っている。中国は石油の11%をイランから輸入しており、天然ガスの活用と供給についての長期的協定を締結した。中国のイランに対する投資は、既に1,000億ドルに達したとする推定がある。イランとの協力が中国にとって関心がある理由は、経済観察者によれば、中国へのパイプラインの建設の可能性である。
 潜在的に重要なパートナーであるイランにおいて明らかなことは、中国の外交政策とって、エネルギー確保問題に先立つ別の考慮があると言うことである。「勿論、イランは核不拡散条約に対する義務を守らなければならない」と李肇星外相は全人代で述べ、テヘランに対して明確な警告を与えた。シュタインマイヤー・ドイツ外相との非公開の話し合いでは、中国政府は、イランの核武装を望まないということを明らかにした。
 北京の外交筋によると、中国政府は、イランに対して、彼らが安保理において中国の支持をあてにすることはできないと明言した。中国はアメリカとの対立を望んでいない。ワシントンとの良好な関係は、胡錦涛主席の「非常に重要な」アメリカ訪問を前にして、北京の外交政策の至上命令である。
 イランの件では、中国の安全保障上戦略上の考慮が新しいエネルギー外交にブレーキをかけた。このことは、中国外交が西欧によって非難されている国々とのエネルギー政策上の協力の他のケースでも国際共同体の憂慮に耳を貸すだろうという楽観論にきっかけを与えている。
[訳者の感想]かなり強引なエネルギー政策を推し進めた結果、アメリカから敵視されかかっている中国政府としては、安全保障政策のほうを重視するようにかわったということでしょうか。
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「ハマスは、アルカイダの支持を拒否する」と題する『BBC NEWS』の記事。

2006年03月06日 | イスラム問題
ハマスの政治的指導者であるカレド・メシャールは、自分たちの運動は「独自のビジョン」を持っており、アルカイダの忠告を必要としないと述べた。
彼は先月パレスチナの選挙で勝ったハマスにイスラエルとの戦闘を継続すべきだと語ったザワヒリのビデオによる呼びかけに応えた。
メシャール氏は、モスクワでのロシア高官との話し合いの後で語った。
1990年代初めからイスラエルの目標に対して、数百の致命的攻撃を遂行したハマスは、パレスチナ行政府を形成しようとしながら、国際的正統性を求めている。
しかしながら、そのスタンスを変えろという国際的圧力にもかかわらず、それは相変わらずイスラエル国家の存在権を認めようとしない。
ザワヒリのビデオによるメッセージは、日曜日に「アル・ジャジーラ・テレビ」によって放映された。
「パレスチナ当局の世俗的なグループは、パンくずのためにパレスチナを売り渡した。彼らに正統性を与えることは、イスラムに反する」とザワヒリは語った。
ザワヒリは、ハマスに武装闘争を継続することを要求し、その前任者がイスラエルとの間に調印した合意を拒否するように求めた。
彼は「パレスチナ、イラク、それ以外のどこにいようとモスレムに対して「政治的プロセス」と称する新たなアメリカのゲームに対して用心せよと呼びかけた。
このザワヒリのメッセージに応えて、メシャール氏は、次のように述べた。
「われわれの運動は、常にパレスチナ人の利害のために行動し、注意深い思慮の後でしかその戦略を変更しない。」
ハマスの国会議員であるマームード・アル・ザッハールは、パレスチナの選挙に参加することで、自分たちの運動がアメリカの罠に落ちたということを否定した。
「これらの制度に参加することは、われわれが他の党派のカーボン・コピーになるだろうということを意味しない」と彼は「アル・ジャジーラ」テレビに語った。
先週末のモスクワでの会談後、ハマスは、イスラエルを承認しないという立場を変えることを拒否した。
「イスラエルがパレスチナ人の権利と完全に独立したパレスチナ国家を承認するならば、われわれはわれわれの立場を表明する用意がある」とハマスの代表団の一人モハメッド・ナッザルは、AFP通信に述べた。
「あなたがたがハマスに政策を変えることを望むなら、イスラエルにも彼らの政策をかえるように頼まなければならない。」
イスラエルの首相代行エフド・オルメルトは、日曜日に、ロシアのプーチン大統領に「ロシアのハマスとの接触は間違いだった」と語った。
プーチン大統領との電話会談で、オルメルト氏は、「このような接触は、国際社会が要求している変化をしないように勇気づけるだけだろう」と述べた。
プーチン大統領は、ロシアはイスラエルの利害や安全に反するいかなるステップも踏まないだろうとイスラエルに保障した。
そうこうするうち、ファタハの国会議員は、彼らのグループに新しい行政組織に参加するようにととの招きを拒否するように要求した。
彼らが参加しない理由として、彼らはハマスが中東の和平プロセスを拒否していることを挙げている。
[訳者の感想]中東情勢は、シャロンの病気と選挙でのハマスの勝利で、先行きがますます読めなくなったように思います。しかし、政権を握ったハマスが簡単に武装闘争を放棄するとは思えません。イスラエルとアメリカにとって頭の痛い事態だと言えます。
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「ハマスは、取引を拒否すべきだとアルカイダが要求」と題する「アルジャジーラ」テレビの記事。

2006年03月05日 | イスラム問題
「権力を手に入れることが目標そのものではない。いかなるパレスチナ人も、一粒の土地も渡す権利はない」とザワヒリは、「アルジャジーラ」局が放映したビデオで語った。
「パレスチナ当局の中の世俗者は、パンくずと引き替えにパレスチナを売り渡した。彼らに正統性を認めることはイスラムに反する。」
パレスチナとイラクについて語りながら、ザワヒリは、「われわれは政治過程と称するアメリカのゲームに気をつけなければいけない」と言った。
多くのヨーロッパの新聞に掲載された予言者ムハンマドの漫画に関して、ザワヒリは次のように述べた。「彼らはそれを目標があってやったのだ。彼らはそれを謝罪もしないで、やり続けるだろう。もっとも、誰もあえてユダヤ人を傷つけようとはせず、ホロコーストについてのユダヤ人の主張に挑戦することもせず、同性愛者を侮辱することもあえてしないくせに。」
ザワヒリは、黒いターバンを被り、カーテンが引かれた窓の前に座り、熱心に自分の言葉を強調するように右手をひらひらさせた。
「予言者ムハンマドに対する侮辱は、言論の自由の結果ではなく、何が神聖であるかがこの文化では変化したからである」と彼は言った。
「ユダヤ人とホロコーストと同性愛が、神聖だとされているのに、予言者ムハンマドとイエス・キリストは、もはや神聖ではないのだ。」
「アル・ジャジーラ」の局員は、誰かがこのビデオテープを局に渡したと言った。
オサマ・ビン・ラディンの副官であるザワヒリは、昨年いくつかのビデオとオーディオ・テープを公開した。1月31日付けの彼のビデオでは、彼はアメリカに対する新たな攻撃をするぞと脅した。
ビン・ラディンとザワヒリは、険しいパキスタンとアフガンの国境地帯に潜伏していると信じられている。アル・ジャジーラ局が部分的に放映したビデオ・テープは、もっと以前にインターネットに投函された。
[訳者の感想]イスラエルやアメリカは、ハマスをテロリストと称して交渉の相手にする気がないようですが、アルカイダからは、ハマスもまだ甘いと見られているようです。この記事を見るとやはり、アルカイダがハマスよりももっと過激であることがはっきりします。
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「中国台頭の暗い側面」と題する雑誌『外交政策』の論文。

2006年03月02日 | 中国の政治・経済・社会
中国よりももっと急速に台頭しているものは、中国に関する誇大宣伝である。今年、1月に中国の国内総生産(GDP)は、英国とフランスを抜いて、世界第4位の経済大国になった。昨年、12月には、中国は、アメリカに代わって、世界最大の工業製品の輸出国となった。多くの専門家は、中国経済は、2020年にはアメリカに次いで世界第二の国内総生産を達成し、2050年にはアメリカを抜くだろうと予測している。
西欧の投資家達は、中国の強力な経済のファンダメンタルを歓迎している。特に、高い貯蓄率、高い労働力の蓄積、力強い労働倫理を歓迎して、好んでその不完全さを無視している。ビジネスマンは、中国が世界最大の生産者であると同時に最大の市場であると語る。私営の証券会社は、顧客獲得のために中国を磨きたてている。中国のインターネット会社は、ナスダック市場でドット・コム時代の価格で売れている。バンク・オブ・アメリカやシティ・バンクやHSBCを含めて世界の指導的な金融機関は、中国の国家によって統制された銀行に対して、それらの多くは技術的に支払不能であるとしても、少数派出資金を出すことによって、この国の金融の未来に何十億ドルも賭けた。取り残されないために、すべてのグローバルな自動車業界の巨人は中国に新しい設備を建設したか、あるいは計画中である。もっとも市場は車で溢れ、利益のマージンは落ち込んでいるのだが。
なぜ、彼らは大宣伝を信じているのだろうか?過去20年間の中国の成長の記録は、ペシミストが間違っていて、オプティミストも十分オプティミスティックでなかったことを証明した。だが、中国語を学び中国共産党の成果に驚嘆する前に、われわれはちょっと立ち止まりたいと思う。よく調べると、中国の記録は、その栄光のいくらかを失う。1979年以来の中国の経済的成果は、実際には、東アジアの隣人である日本や韓国や台湾と成果よりは印象的でない。中国の銀行システムは、北京政府にとってGDPの30%に及ぶ緊急援助を必要としていて、不良債権を抱えており、アジアで最も脆弱である。インドとの比較は特に驚くべきものである。1999年から2003年までの(自動車からテレコムまでの)六つの主要な産業セクターで、インドの会社は、彼らの中国の同業者よりも80%から200%高い投資のリターン率を見せた。中国の経済改革についての知識は、中国の軌道についての多くの予測を誤り導く主要な欠点を見逃している。
 白熱した見出しの背後には、中国の新レーニン主義に根ざす基本的なもろさがある。毛沢東主義と違って、新レーニン主義は、一党独裁制と経済の主要部門の国家統制と部分的市場改革と世界経済からの自らに課した孤立という目的とをブレンドしている。毛沢東主義的国家は、平等主義を唱え、労働者と農民の忠誠心に依存していた。新レーニン主義の国家は、エリート主義を実践し、テクノクラートと軍隊と新しい社会的エリート(専門家と私的な企業家)と外国資本から支持を引き出す。彼らはすべて毛沢東主義では、中傷されていた。新レーニン主義は、中国共産党をより元気づけたが、同時に自己破壊的な力を生ぜしめた。
たいていの西欧の観察者にとって、中国の経済的成功は、新レーニン主義的国家の略奪的性格を曖昧にしている。だが、北京政府の権威主義的政治は、クローニー資本主義と激しい腐敗と広がる不平等との混合を生み出す。この国の経済的自由化がいつか政治改革に導くだろうという夢は、遠いままである。実際、現在の潮流が続けば、中国の政治体制は、民主主義よりは衰退を経験する可能性が大きい。中国の最近の経済的業績は、共産党に新しい活力を与えた。けれども、高度の経済成長を生み出すために党が採用した政策そのものが政治的病気と社会的病気を混ぜ合わせているのだ。そしてそれが長期の生き残りを脅かしている。(以下省略)
[訳者の感想]筆者はペイ・ミンシンという人で、「国際平和のためのカーネギー基金の中国プログラム」の所長だと記事の最後に紹介されています。彼はハーバード大学出版局から『中国の罠にはまった移行:発展的独裁国家の限界』という本を出したようです。文中の「技術的に支払い不能」という意味が良く分かりません。どなたかお教え頂けると有り難いです。
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