海外のニュースより

政治・経済・社会の情勢について書かれた海外の新聞や雑誌の記事を選んで翻訳しています。

「ビタミンは、死のリスクを増やしている」と題する『シドニー・モーニング・ヘラルド』紙の記事。

2007年02月28日 | 健康
 病気を予防することを意図している人気のあるビタミンのサプリメントは、実際は死のリスクを増やすかもしれないということを画期的な国際的研究が見出した。
ビタミンAは、サプリメントについての68の試験検査で最悪の成果を示した。それは死のリスクを16%増やした。
 密接に関係する栄養剤のベータ・カロテンは、死のリスクを7%増やした。ビタミンEのサプリメントは、『アメリカ医学会雑誌』によると、死のリスクを4%増やした。
デンマークの研究者達は、ビタミンCは、長生きに何の効果もない。積極的効果も消極的効果もない。研究者達は、またセレニウム・ミネラルについて増大するリスクの疑いを晴らした。
 彼れらは、「西欧の成人の10%から20%は、病気を予防できる信じてサプリメントを飲んでいるとすると、「この公衆衛生の帰結は決定的である」と結論した。
検査は23万人以上の成人の死に対してベータ・カロテン、ビタミンA、E、Cが及ぼす影響を検査した。
 彼らはビタミンの使用と死との間に何ら顕著な繋がりがないことを見出した。
だが、分析された高い性質の結果は、ビタミンAとEとベータ・カロテンとを併用した場合、平均5%リスクが増大することを明らかにした。
 「補助的医学と研究のためのセンター」所属のオーストラリア人専門家ルイ・ヴィテタは、この結果は「非常に厄介だ」と言い、ビタミンが良い影響よりはむしろ悪い影響を与えるという証拠を強調した。
 「人々は自分自身を特別なリスクに曝すならば、疾病を予防できるという考えに基づいて何十億ドルものビタミン産業が存在する」とクイーンズランド大学のヴィテタ教授は言った。
 サプリメント製造業者は、これらの製品にはアンチ・オキシダント効果があり、特に疾病と結びついたいわゆる酸化ストレスに責任があるフリー・ラジカルの「メッセンジャー分子」を解体する効果があると主張している。
 だが、批判者は、そもそも酸化ストレスと言うものが存在するかどうか疑っている。この研究では、フリー・ラジカルを絶滅することは、生き延びることに関わる本質的な防衛機制を妨げると述べている。
 ヴィテタ教授は、もっと小さな研究は、ビタミンを大量服用した人たちは、最も高いリスクを持ったことを示しており、「非常に慎重な服用」を呼びかけた。
 彼は、ビタミンの服用についてもっと具体的な忠告を提供できる医師が必要だと述べた。
 「これらの結果が示しているのは、これがわれわれが更に注目すべき非常に関心のある領域であるということだ。」
 ビタミン産業の代表者を含む「補助的ヘルスケア会議」(CHC)は、結果は古いデータに基づいており、オーストラリアでは受け入れられていないビタミン服用量を認めたテストを含んでいると述べた。
 CHCの執行役員のトニー・ルイスは、この研究の主張についてはコメントしないが、「証拠は薄弱だ」と述べた。
 オレゴン州立大学のライナス・ポーリング研究所長のバルツ・フライは、研究と研究されたデータは、どちらも、欠陥があると言った。その理由は、検証された以前の調査の3分の2は、心臓疾患か、ガンか、あるいは他のリスクをもった人々で、彼らはサプリメントが効き目があるかどうか見るために治療をうけた人々を含んでいるからである。
「この種のアプローチはうまく行かない」と彼は言った。「数年の間に、これらの臨床的試みから、アンチ・オキシダントは、病気の治療では効果がないことが明らかになった。」
 サプリメント販売業者グループである「自然食品協会」は、この研究は、何らのリスクの増大も示さなかった大規模の臨床的研究とは非常に対立している」と述べた。
 協会の副会長であるダニエル・ファブリカントは、メタ・アナリシス研究と呼ばれる現存の研究の審査はしばしば効果があったが、この研究の場合は、過程に偏りがあったと述べた。「その理由は、死亡率に貢献する他の多くのファクターがあり、それは単純には評価されなかったからだ。」
[訳者の感想]サプリメントが命を伸ばすのに貢献せず、むしろリスクを増やしているという研究結果について、改めて研究者にテストをして貰いたいと思います。
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「私にとって、イラク戦争は間違いではなかった。」と題するロバート・ケーガンのインタビュー。

2007年02月26日 | イラク問題
ヴェルト紙:ケーガンさん、イラク戦争は、避けられる戦争でしたか、それとも不可避の戦争でしたか?
ケーガン:米国の歴史を振り返ると、不可避だった戦争なんて思いつかないね。だから、私なら、イラク戦争は避けられる戦争だったと言うだろう。アメリカが遂行した大抵の他の戦争と同様に。
ヴェルト紙:それは驚くべき言葉です。あなたは第一次大戦が、・・・
ケーガン:第一次大戦への参戦が不可避の歩みだったと言うアメリカ人は沢山は見つからないだろう。第一次大戦を不可避の戦争だったと言う十分な根拠があったとしたら、イラク戦争をこのカテゴリーに入れる十分な根拠もある。われわれがある戦争の助けを借りてより大きな災害を防がなければならない場合、その戦争は不可避だと言うならば、それはイラク戦争にも当てはまる。
ヴェルト紙:どの程度、当てはまりますか?
ケーガン:沢山の理由からだ。あのときわれわれには大量破壊兵器についての情報があった。だが、もっと根本的にならせてくれ。サダム・フセインが今日もなお政権を握っていたら、世界はもっとましだったと言えるとは思わないね。中近東は、まさに安定性の場所
ではないし、過激派がいない場所ではない。サダム・フセインがいたら、この不安定性と予測不可能性とはもっと高めるだろう。だから、私にとっては、イラク戦争は間違いではないのだ。
ヴェルト紙:米国がイラクで犯した最大の誤りは何ですか?
ケーガン:最大の誤りは、合衆国がイラク人達によって占領軍と見られることが分からなかったということだ。「占領」という概念を避けるために何でもやった。その際、「占領」とはあらゆる社会的分野で責任を引き受けることを意味すると言うことを排除した。だが、われわれは最初の日から街頭や行政や治安部門で秩序を作り出すために何でもやるべきだったのだ。それには、もっと沢山の部隊が必要だったろう。ラムズフェルド国防長官は、戦争が終わった後でわれわれを深刻な困難に導いたある戦争指導の哲学の権化だった。
ヴェルト紙:米国はイラク軍を維持すべきだったのですか?
ケーガン:サダムの恐怖政治の象徴を維持することが賢明だったかどうか、私には自信はない。ひょっとしたら、何人かの解説者が言うように、30万人のアメリカ軍を派遣すべきだったかもしれない。でも、それも解決にはならなかったかもしれない。
ヴェルト紙:異文化を完全に誤解したという事実も一役演じているのではないか?イラクを1945年当時のドイツや日本にたとえるというのは、初めから馬鹿げていた。
ケーガン:誰もそう単純には考えていなかった。ドイツ人や日本人は、もうおしまいだと感じた本当に被占領国民だったというのは、大きな違いだ。イラクではそうではなかった。それはアメリカの戦争遂行の仕方に懸かっている。戦争が総力戦ではないように気をつけた。われわれはイラク国民に対して戦争しているのではないということをはっきりさせた。だが、第二次大戦後の状況に戻ろう。当時、われわれは平和な民主主義に達する道
への一歩一歩を進んだ。アメリカ人がそれを突き動かさなかったら、何も起こらなかった。それはイラクでは違っていた。問題は、本当にまだコントロールできる時点を既に通り越してしまったのか。われわれがこのコントロールを再び手に入れうることを私は望んでいる。
ヴェルト紙:あなたがそういわれるのなら、部隊を数千人増やすという最近のブッシュ大統領の決定に満足できるのですか?
ケーガン:一方では、私は満足している。というわけは、部隊の増援が決まったからだ。そして大統領は、米国や世界の中の声に屈しなかったのだ。他方では私は、イラクに関する行政の能力が相変わらず最善のものではないということが分かっている。必要な決断がしばしば欠けている。私はわれわれのイラクの新しい司令官に期待している。彼は彼の前任者のように、できるだけ迅速にイラクから帰ることを考えるのではなくて、本当に何かを達成することを考えているからだ。
ヴェルト紙:イラク戦争は、テロに対する戦争の枠内で遂行されていると言われていました。そのことは、アメリカ国民に今日も明らかなのでしょうか?
ケーガン:明らかだ。世論調査がそのことを示している。われわれが2003年にイラクへ侵攻したとき、それはテロに対する戦争の一部としての武器の行使では必ずしもなかった。
皮肉なことに、今日、イラク戦争は対テロ戦争だ。アメリカがイラクで敗北することは、彼らに信じがたい力と信頼性とを与えるだろうと言うことをアルカイダは、非常によく知っている。
ヴェルト紙:だから、早期の撤退は民主党にとっても選択にはならないのですね?
ケーガン:その通りだ。もっとも、ヒラリー・クリントンが現在そこまで行くのに驚いたが、多分それは、彼女の党の雰囲気のせいだろう。アメリカが来年イラクを出れば、イラク戦争の原因となった出来事が再び起こって、われわれはまたもや介入しなければならないだろう。だから、早期撤退を要求することは近視眼的である。(以下省略)
[訳者の感想]ネオコンのイデオローグと言われるケーガンのインタービューを訳しました。彼自身がイラクを簡単に民主化できると考えていたように見えます。
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「共産党幹部から、環境保護論者へ」と題する『ヴェルト』紙の記事。

2007年02月25日 | 中国の政治・経済・社会
北京市の西北にある自分の小さな住まいの窓から外を見るたびに、リウ・ダシャンの目に入るものは余りない。今週も、よりによって中国の春節に、そいつはいた。つまり濃い霧である。「目の前の自分の手が見えないのよ」と54才の母親は言った。多くの北京市民と同様、彼女はどうしても必要なときにしか、外には出ない。出るときはマスクを付ける。
というのも、視界を遮っている雲は、激しいスモッグなのだ。
何ヶ月も前から、リウは、普通の排気ガス以外には何もこの霧には含まれていないのかどうかについて思いをめぐらしている。国家のメディアは、地球温暖化についていろいろ報道している。それはチベットの氷河を溶かしている。それは川や海で水量を増やしている。それは、北京の160年間で一番暖かだった異常に暖かい冬にも責任があるかもしれない。この穏やかな気候が霧の発生に好都合だった。「これは、不安にさせるわ」とリウは言う。
共産党指導部もそう考えている。3月5日に開かれる全人代の会議でも、環境というテーマは、温家宝首相の報告の中で大きな場所を占める予定である。それどころか、四月末までに、政府は「国家気候保護計画」を提出する予定だ。それはこれまでの態度の転換である。中国は、確かに「京都議定書」に署名はしたが、その低開発国という地位に固執した。先進工業国とは違って、それは炭酸ガス排気量の減少を義務づけられてはいない。
だが、北京の指導部は、京都で約束した以上のことをするつもりだ。中国は、既に炭酸ガスの排出量では、世界最大であり、二酸化硫黄の排出量では、世界第二位である。中国は、責任を取ろうとしており、その環境政策をこれまで怠ってきた分だけ拡大しようとしている。つまり、気候保護を拡大しようとしている。この計画は、三年以内に、気候に有害なガスを減らすために、党幹部に法的指針を提出する予定である。
「気候変動についての国連報告は、政府の注意を引いている」と「気候変動に関する政府間パネル」(IPCC)の認識について、気候局長のチン・ダヘは言う。その原文では、「ヨーロッパや米国の政治家や市民と同様、われわれは目覚めた。これまで自然を犠牲にして経済成長を追求してきた中国で、新たな革命が、気候保護のための革命が始まった」と書かれている。
国連の研究者達は、地球温暖化が個々の地域にどのような影響を及ぼすかを詳しく示した。今まで以上に旱魃や洪水があるだろう。僅かな資源の不平等な配分のために、北の砂漠化と南の大量の流水のせいで、世界中で一番多い人口13億人の国家は、特に気候変動に対して敏感である。揚子江と珠江の三角州にある人口が集中した沿岸地域と工業地帯は、海中に水没するかもしれない。何百万もの人間が家を失うだろう。気候変動は、「調和ある繁栄」への途上にある中国を数十年後退させるかもしれない。(以下省略)
[訳者の感想]これまで環境問題を無視してきた中郷政府も今度の国連報告を見て政策を大転換するようです。石油の消費量や排気ガスの排出量を減らすように努力するでしょう。
筆者は、『ヴェルト』紙の東アジア特派員のキルスティン・ヴェンク記者です。
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「北朝鮮、国連の核査察官を招待」と題する『ガーディアン』紙の記事。

2007年02月24日 | 国際政治
ウイーン発:北朝鮮は、昨日、核兵器計画に関する更なる和解を提案した。その際、北朝鮮は、国連の武器査察官の長が来月訪問するように招待した。この動きは、北朝鮮が、3年前に国連の武器監視官を追放して以来、初めてその核計画を外部の人間に公開する用意があることの最初の兆候である。
「国際原子力機関」(IAEA)の事務局長であるモハメド・エルバラダイは、彼と北朝鮮当局とは、この国の核計画の廃止の細部について議論するだろうと述べた。その際、30億ドル(3600億円)の援助と引き換えに、核兵器廃棄に向けての第一歩を取るという、今月北京で開かれた「六ヶ国協議」の合意にしたがっている。
エルバラダイ事務局長は、北朝鮮が、「IAEAの構成員に戻ることを望んでいる」と言い、「最初の争点は、寧辺の核処理施設を凍結する計画をどのように進めるかということで、もっと重要なのは、彼らがIAEAの一人前の構成員として復帰することを確実にすることだ」と付け加えた。
オーストリアを公式訪問中のバン基文・国連事務総長は、「この招待が、朝鮮半島からの核兵器撤去への具体的な一歩になると期待している」と述べた。
「エルバラダイ局長の平壌訪問が合意文書の履行に大いに役立つだろうと確信している」とバン事務総長は、2月13日に北朝鮮と五カ国との間で成立した合意に関して述べた。
「エルバラダイ局長と彼の一行は、北朝鮮当局と核施設の凍結の方法と核兵器及び施設の解体について議論できると望んでいる。これは幸先のよい始まりである」とバン事務総長は述べた。
[訳者の感想]今回の合意が成功して、北朝鮮の核計画放棄が行われ、それに対して見返りが与えられるかどうかは、北朝鮮が六カ国合意をどこまで忠実に実行するかに懸かっていると思います。
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「アマチュア映画は、ケネディの死について論議を呼ぶ詳細を明らかにする」と題する『ヴェルト』紙の記事。

2007年02月21日 | 人物
ジョン・F.ケネディの暗殺から40年以上経って、ダラスの大通りを通過中の大統領についての新し映像が明るみに出た。これまで公開されなかった個人の映画フィルムは、暗殺90秒前のケネディとジャックリーヌ夫人とを驚くほど近距離から撮影している。この映像は、陰謀説支持者の間の推測を煽るかもしれない。
シネカメラの愛好家であったジョージ・ジェフリーズの40秒間の音のない映像には、最初、大統領を待っている群衆が見られる。大統領の車列がカメラの前を通り過ぎるとき、当時のファースト・レディは、非常に鮮明な鋭さで、彼女がどれほど明るい顔で見物人のほうに視線を投げているかを示している。数瞬間の後、大統領の上着の首のところに大きな皺がよるのが認められる。これは陰謀説を唱える人たちが直ちに飛びついて議論する細部だ。
「私は、この映像をすでにインターネットで陰謀説の立場から見た」とダラスの「六階博物館」の館員のゲイリー・マックは言う。ジェフリーズと彼の義理の息子のウエイン・グラハムとは、このフィルムを同博物館に寄贈した。ケネディの背広の首の後ろで持ち上がっているので、遺体の貫通銃創と背広の首筋の箇所とは一致しない。まさにこの小さな細部が過去数十年間、陰謀説を唱える人達にただ一人の暗殺者しかいなかったという公式の声明を疑わせ、暗殺の背後に多くの射撃手による共謀があったと推測させる切っ掛けを与えた。
ケネディ大統領は、1963年11月22日に射殺された。犯人として、リー・ハーヴェイ・オズワルドが同定されたが、彼もそのすぐ後で射殺された。今日まで、ケネディは、ワシントンの暗黒街の陰謀あるいは兵器産業と結託した、軍の陰謀の犠牲であるという噂が絶えない。陰謀説によれば、マフィアや共産主義キューバも暗殺の背後にいた可能性がある。
[訳者の感想]ザップルーダーが撮った映像でも前から撃たれたと解釈される画面があったと思います。この事件、確かに、オズワルド一人が計画し、実行したと考えるのは難しいような気がします。
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「中国は、頭脳流出を憂慮」と題するドイツの『ネット新聞』の記事。

2007年02月18日 | 中国の政治・経済・社会
特にヨーロッパ諸国でこの現象はよく知られ、文句が言われている。それは高等教育を受けた若い人たちが、彼らに自国よりもよい労働条件が提供される外国に流出する現象である。例えばドイツ人医師は、スカンジナビア諸国やスイスに引っ越している。だが、このいわゆる頭脳流出は、その間、そんなことが考えられなかった国々で起こっている。例えば、中国は、高度の資格をもった頭脳の流出に悩んでいるのだ。
『中国日報』の報じるところによると、北京にある「中国社会科学院」は、そういう認識に到達した。2002年以来、毎年約10万人の中国人が外国で勉強するために、海外に渡航する。だが、そのうち三分の一も帰国しないのだ。2005年には帰国者の数は、3万人と把握されている。2003年には、帰国者の数は、2万人だった。
頭脳流出は、中国では、世界中のどこよりも酷いといわれている。ヨーロッパや米国やオーストラリアが、中国人が一番残留したがる場所である。「専門家をどうしても必要としている中国にとって、これは大きな損失である」とこの研究報告書の著者であるリ・シャオリは言った。彼は、国が彼らに沢山金をつぎ込んだのに、多くの資格のある人々が移住してしまうことを嘆いた。
勿論、リは、頭脳流出の中に中国の世界市場への統合が進んでいることを見ている。それゆえ、ある程度の進展は不可避であると彼は言う。「先進国での比較的高い収入は、後進国からの移民を引きつけている」とこの専門家は述べている。「多くの先進国は、低い出産率と人口の老化とを示しているから、中国からの移住者がその隙間を埋めているのだ。」
 2005年に出されたこの研究報告によると、30万人以上の高等教育を受けた中国人が、外国で、高度の資格を要求する職業に就いている。北京大学経済学教授ヤン・カイジョンは、頭脳流出についての憂慮は、行き過ぎていると思っている。中国は移住者からも大きな利益を得ていると彼は考えている。
 2005年度の「世界銀行」の報告書によると、中国は「離散効果」を感じている。人民共和国と中国人が人口の1%以上住んでいる国々の間の貿易量は、2005年以前よりも60%増大した。
けれども、ヤン教授も、母国の労働市場を外国にいる中国人専門家にとってもっと魅力あるものにするように、政府に要求している。いずれにしても、外国から帰国する企業家に対しては、低利の融資が用意されている。この報告によると、約3500万人の中国人が、世界150ヶ国に分かれて住んでいるそうだ。
[訳者の感想]華僑は単純労働をする人として海外に出て行ったが、今や中国人の頭脳労働者が引っ張りだこになっているようです。
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「アンネの父親の手紙、アメリカで見つかる」と題する『フランクフルター・アルゲマイネ』紙の記事。

2007年02月17日 | 人物
 自分の家族をナチから守るために、彼は何週間も入国ビザを求めて努力した。アンネ・フランクの父、オットー・フランクの空しい試みを驚くほどの詳しさで証明する手紙や記録文書が、最近、アメリカで見つかった。ニューヨークの「ユダヤ研究のためのYIVO研究所」が伝えるところによると、それらの文書は、研究所の保管倉庫で発見されたのだが、それらは殆ど30年間そこに置かれ忘れられた。
 約80ページで物語られるこの話は、その感動的な直接性を失っていない。この物語は、オットー・フランクが彼の学友であるナータン・シュトラウス・ジュニアに宛てた手紙から始まる。シュトラウスは、高位の官僚であり、エリノア・ルーズベルトの親しい友達であっただけでなく、ニューヨークのメイシー百貨店の共同所有者の息子として、多くの人間関係を持っていた。
 「君は私がお願いできる唯一の人間だ」とフランクは彼に書いた。だが、彼の入国申請に必要な5千ドルは、十分でなかった。これに続く手紙のやりとりや、役所の文書が記録しているように、繰り返し、彼は新たな障碍の前に立つことなる。
 身元保証人も金もフランク一家には役に立たなかった。なぜ米国がフランク夫妻とその二人の娘であるアンネとマルゴットの入国に対して関心を持つべきかという説明も役に立たなかった。それどころか、フランク一家に肩入れした国務長官も、入国規則を厳格にした官僚主義に対しては歯が立たなかった。
 オットー・フランクの最初の手紙が着いた一月後の1941年6月以降、ドイツに近い親戚のいる人物は誰も入国を許可されなかったのだ。アメリカ人達は、ナチがスパイを送り込むことを、ドイツに親戚を残した避難民が脅されてスパイを働くことを恐れていた。
だが、キューバに逃げようとしたオットー・フランクの試みも失敗した。先ず、自分自身のためのビザ申請は、確かに認められたが、それが彼の手に渡ったかどうかは、もはや確かめられない。それは無駄だったかもしれない。ヴィザ発行の数日後、ヒトラーは、アメリカに宣戦布告し、その後、キューバは、入国を取り消したからである。新しい発見は、これらの日々の心を締め付けるドラマを見せつける。「YIVO研究所」は、それらの記録文書を、文書館からの文書や写真で補って、3月20日まで展示する。
[訳者の感想]アンネ・フランクの父オットーがアメリカに移住しようとあらゆる努力をしていた証拠が65年後に明らかになったようです。
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「爆弾を作っているのは誰か」と題する『Economist』誌の記事。

2007年02月16日 | イラク問題
バグダッドの西郊外のガザリアで、アメリカ陸軍の工兵隊が操作機械を動かすにつれて、爆弾探知用ロボットが交差路をはい上がっている。主要道路にいる武装勢力からの時たまの射撃は、害を与えることなく頭上を飛んで行く。交差路の一番上には、「爆発のために作られた侵入者」あるいは略して「EFP」の疑いのある仕掛けがある。それはイラクの武装勢力がアメリカ人を殺傷できるようにイランによって供給された致命的な道ばた爆弾である。そうだとすると、これまで専らシーア派民兵によって使用された仕掛けが、スンニー派の居住地域であるガザリア南部で初めて発見されたことになる。最後にロボットが爆発物に点火する。黒い煙の柱が空に立ち上り、その後に雷鳴のような爆発音が続く。仕掛けは、EFPではないことが明らかになった。兵隊達は、彼らの巡視に付きまとうもっと多くの普通の道ばた爆弾や狙撃兵のことを気にすることに戻る。
イラクのEFPは、第二次大戦以来、戦車に対して使用された指向性爆薬技術の進歩版である。爆発は、解けた金属の鉛玉を形成し、それが大抵の車両と乗員とを貫通して引き裂く。アメリカ軍部隊は、それがイラクで使われた二年かそこらの間に、この爆弾は、専らシーア派民兵組織であるマフディ軍の拠点に現れた。これがアメリカ人アナリスト達が、それらの爆弾がイランから来たと言う根拠になっている。さらにこの武器は、イラクには存在しない金属加工機械によって作られている。この武器は、最初は、レバノンのイスラム主義者グループであるヒズボラの手元に現れたと考えられている。彼らの武器はイランから供給されている。自分達は自分たちの情報源を守るために漏洩しないもっと多くの情報をEFPについて持っているのだとこのアメリカ人達は言う。
信頼に基づいていると思われている新しい兵器についてのアメリカ人の主張は、疑いの目で見られた。それはイラク侵攻の原因の一部となった移動可能な武器実験室を思い出させるからである。「このような非難は証拠に基づいていない」とイラン外務省の広報官は言った。「アメリカには証拠を作り出す長い歴史がある。」
だが、この武器がシーア派居住地域にしか現れないことは、イラクとの繋がりを暗示している。民兵は、主にシーア派を目標に対する攻撃に応えて節約して使っているそうである。武器を供給するイランの動機は、緩やかに結びついたマフディ軍の間のネットワークを促進することであり、アメリカがイランを攻撃した場合にもっと多くの暴力行為を引き起こしうることであるだろう。
[訳者の感想]虚々実々の駆け引きというか、イランも相当な国だなと思いました。
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「陰謀に対するチェキストの恐れ」と題する『ヴェルト』の論評

2007年02月14日 | 国際政治
ロシアの民衆は、ゴルバチョフよりも、エリツィンを信じた。彼は民衆の一人だった。彼は酒を飲み、思っていることを口に出した。だが、それは全くの錯覚だった。われわれは身体的な巨人を政治的巨人と取り違えた。民衆に民主主義を与えるために、彼は何でもやった。その後で彼は民衆に背を向けた。国民がその蓄えを失った経済改革のショック療法の意味を誰も人々に説明しなかったが、それは国民を憤激させた。
旗をなびかせながら、民衆は、共産主義者やジリノフスキー型の煽動的なナショナリストに走った。改革派には、内心ロシアの民衆を馬鹿者の集まりだと説明する以外にましなことは思いつかなかった。民衆に落胆して、改革者達は、むしろ自分の物質的繁栄を心配した。他方でチェチェン戦争に首を突っ込んだエリツィンは、オリガルヒやチェキスト達に味方を求めた。彼が彼の大統領職の終わりまで、ロシアのメディアの自由に手を触れなかった点は高く評価されるべきだ。
今日、1990年代の混乱の時代を振り返ると、どれほど多くのチャンスが見逃されたかが分かる。時間が経つほど、それだけナイーブなゴルバチョフの高貴さがエリツィンの間抜けさ加減が明らかになる。民衆は、強力な手腕を、法と秩序とを希求し始めた。
エリツィンが政治的に瀕死だったとき、彼はプーチンを自分の個人的安全を保証する人物だと感じた。自分自身の保護ばかり考えていたエリツィンには、もはや国のことは念頭になかった。ソビエト時代、KGBは、巧みにソビエトの秘密警察は、国家の最良の息子であるという神話を世界中に広めた。民衆はプーチンの中に、この神話の権化を見た。
プーチンの下での7年間の政治の後で、今日、大統領の長所と弱点は、彼が分析家である点にあるように見える。分析家プーチンの長所は、複雑で矛盾した現象を合理的に把握する用意がある点にある。彼は、ロシアの民衆と多くの共通した性質を持っている。それは強い国家権力、強力なロシアに対する信念、あらゆる役立つものを西欧から引き継ごうとする努力、だが、その際、自分のロシア魂を売らないでおくという性質である。古いチェキストの学校に多くを負っているプーチンの分析は、ロシアの価値や利害とは区別される価値や利害の防衛が問題になる場合には、陰謀や挑発をかぎつけがちである。
結局、ロシアの官僚的保守主義の伝統では、禁止政策が健全な常識に打ち勝つ。従順な議会は、急いですべてに「ニエット(否)」と言う。知事の自由な選挙であれ、カジノの禁止であれ。自由は常に恣意や、違った考えと同一視される。高い原油価格は、確かに経済の安定に貢献すが、中国やインドで見るように、生産の発展には貢献しない。ロシアの労働者が冷静に非常に動機づけられて工場でコンピューターを組み立てることを想像するのは難しい。国家権力は、選挙民に愛国主義を呼びかけることによって、ただ、外面的にしか選挙民をコントロールできない。共通の国民的理念が欠けているから、選挙民は、自分たちの利己的な利害の中に取り込まれており、排他的な性格を持っている。この国は、民主主義的な道からは外れ、円を描いて動いている。
この円環の中には、恐怖の塊がとぐろを巻いている。人口上の破局、拙劣な医学的看護、「デドウシュチーナ」、酒浸り、麻薬中毒、老人の貧困、外国人嫌いなどなど。
だが、肯定的な契機もある。プーチンのロシアにおける重要な功績は、中間層の成立である。そのことを証言しているのは、大量の建築と外国旅行である。最後にだれが勝利を担うのか。社会の近代化の象徴である中間層か、それとも、より貧困な社会階層の古くさい意識の怠慢さか。真の権力政党か、それとも腐敗した官僚階級か。
このことに、ロシアの未来が懸かっているだけでなく、ロシアの未来の存在が懸かっている。私の国の未来は予言できないのに、過去の教訓は明白だ。20年前には、ロシアは、正しい選択をした。しかし、自由に至る複雑な道の途中で、それは、残念ながら自分の両足に気付いた。
[訳者の感想]最近のロシアの情勢が知りたくて、このヴィクトル・イェロフェーエフの論説を訳してみました。「自分の両足に気付いた」というのは、過去のロシアの非民主的で個人の自由を認めない伝統のことを言っていると解釈しました。この論文は、日本人にとっても教訓的であると思います。
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「ガンジス河は、余りに汚いので祭儀的水浴ができない」と題する『ヴェルト』紙の記事。

2007年02月13日 | 環境問題
アラハバード発:ガンジス河での水浴びは、罪を洗い落とし、死と再誕生との輪廻を断ち切るために、ずべてのヒンヅー教徒の生涯の義務と考えられている。毎日、8万人の人間が聖なる河に巡礼している。だが、その間、ガンジス河には非常に多くの汚物と糞尿が漂っているので、インド人の行者は、インドの最大の宗教的祭りをボイコットするように呼びかけた。12年ごとに行われれるマハ・クンブ・メラの祭りだ。マハ・クンブ・メラは、見た目には華々しい輪舞である。祈り、歌う人間、灯明のきらめき、花輪で飾られた犠牲台、香の匂いの靄などが、この河を人間が神々と出会う超越的な場所に変えるのだ。
だが、線香は、ガンジス河から立ち上る悪臭を誤魔化すのに役立っている。サフラン色の衣をまとった行者にとってさえ、汚染は酷くなりすぎた。「水は非常に汚く誰もそこに身を浸すことができない」とアラハバードでヒンヅー教の僧院を指導しているシャンカラチャリア・ヴァスデヴァナンダ・サラスヴァティは言う。
 ガンジス河のほとりで祈る者には、大量のゴミの塊が漂い流れて行くのが見える。ガンジス河では、死者も荼毘に付されるので、焼かれた死体の部分が漂っていることも稀ではない。だが、それは大昔から行われたことだ。比較的新しい事実は、何百万トンもの産業廃棄物と下水がガンジス河に捨てられた結果、聖なる河は、毒物の下水道に変わった。ガンジス川流域に住む3億5千万人は、赤痢菌から肝炎に至る疾病に曝されている。推定によると、ガンジス河畔では、毎分、一人の人間が、水から取り入れたバクテリアのせいで死んでいる。
2月16日に終わるアラハバードのマハ・クンブ・メラ祭りが、ざらなる負担をかけている。この祭りは、世界でもっとも多の人間が集まる。約7千万人の信者は、ガンジス川とヤムナ河と第三の神話的な河の合流点に巡礼する。伝承によるとこの第三の河に、神々が
不死の霊液を一滴垂らしたのだ。
この場所で水に身を浸すことによって、人々は生と死との苦痛に満ちた輪廻から解放されるのだ。だが、実際には、そうすると早死にすることになる。検査の結果、ここの水には世界保健機構の許容値の4,000倍のバクテリアが含まれていることが分かった。行者達は警鐘を鳴らした。聖なる都市ヴァラナシから来た行者のハリ・チャイタニヤ・ブラマチャリは、政府が何もしないのであれば、溺死するぞと脅した。「巡礼達は、罪を洗い落とすためにここに来るが、ここで水に浸かれば、皮膚病にかかる恐れがある。」
ダムを開くことで、新鮮な水が導き入れられ、一時的に水質は改善された。「ガンジス河を浄化するという政府の数百万ドルもの計画は、失敗した」と環境保護運動家のM.C.メータは言う。2千年前からの古都ヴァラナシも僅かに「悪臭の穴」に過ぎず、ガンジスは、糞尿からできた汚泥に過ぎない。
ガンジス河にはいくつかの名前がある。大抵はそれは「ガンガ・マ」(母なるガンジス)と呼ばれる。「どうしてこんなことが人間にできるのか?」ともう一人の行者であるチャンドラ・マダシュは問う。「彼女が汚くても、私は私の母が好きだ。」
[訳者の感想]時々、テレビにガンジス河が映ると、どう見ても汚い河なので、よくあんなところで体を洗ったりしているなと感心していました。事態はかなり、深刻なようです。
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「ロシアの小さな冷戦」と題する『ヴェルト』紙の評論

2007年02月12日 | 国際政治
新たな脅威の分析という点では、両者は一致している。大量破壊兵器と中距離弾道弾、テロと組織犯罪、イスラム教徒の憤激、崩壊する国家、地中海とペルシャ湾の間の戦争と危機、これらすべてを彼らは大きな相違なく高度に危険だと見なしている。
だが、アメリカはなぜ今になって、東欧でロケット探知用の大レーダーやロケットを設置仕始めなければならないのかと、ロシアは問う。これに対して、ロシアはなぜイランにその中東の発火点にあることが暗鬱な推測を可能にしているFIa型ロケットを供給するのかとアメリカは問う。アメリカ人によれば、将来のロケット防御は、ロシアとは無関係で、イランに関係があるのだ。ロシア人によれば、イランが大陸間弾道弾をまだ当分組み立てられないのだからそれは馬鹿げている。プーチンの驚くべき理由付けに依れば、FIa型ロケットを提供したのは、イラン人達が孤立していると感じないためだ。
モスクワとワシントンの間のやりとりは、注目に値するほど、敵対的である。プーチンほど冷たく語ったロシア大統領は冷戦時代以来いない。新たな危険な状況に関して、小規模での冷たい戦争に対する必要が存在するかのように、両者は、内政のメカニズムと関係する駒の運びを敢えてしている。この駒の運びは、外交の強制とは余り関係がない。
ヨーロッパ人にとっては、彼らがどうやって再び安全保障を見出すかという問題が重要だ。アメリカ人と協力してロシアに対してできるだけ対立したくないのだ。ドイツ人が好むような全方向的善意の保証でもって、こちらには北大西洋同盟と海の向こうには戦略的パートナー関係では、もはや多くのことはできなくなった。
[訳者の感想]プーチン大統領が猛烈なアメリカ批判をしたので、ヨーロッパの国々は、これではまた1989年以前の冷戦時代に後戻りするのかと困惑しています。余りロシアを怒らせないような外交政策が必要でしよう。メルケル首相はアメリカとロシアが仲直りするような仲立ちをしたいようです。
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「反捕鯨抗議行動のメンバー、南極海で救助」と題する『ガーディアン』紙の記事。

2007年02月10日 | 環境問題
2月9日、シドニー発:二人の抗議行動メンバーは、今日、環境保護団体と日本の捕鯨船の乗り組み員とのあいだの衝突後南極の凍り付く海から救助された。
日本の年間の捕鯨を止めさせようと努力している活動家のグループの一人は、彼らの試練をかなり危険であると述べ、強風から身を守るために氷山を投げ縄で捕らえ、風で流されるのを止めようとしていたと述べた。
 ジョン・グラヴォアと彼の仲間のカール・ニールセンとは、彼らの壊れて航行不能になった小舟で八時間凍り付く霧と雪とみぞれの中で身を寄せ合った後、「シー・シェファード・コンサーヴェーション協会」の旗艦「ファーリー・モウワット」号の甲板に安全に救助された。
 「彼らが私たちを見つけたとき、助かったという感情を持った」とグラヴォア氏は言った。
 このロサンジェルスからやってきた反捕鯨活動家と彼のオーストラリア人の仲間は、日本の捕鯨船のスクリューにロープを絡まそうとしていたが、近づきすぎて船体と衝突した。
 彼らの小型船は、浸水し始め、彼らは捕鯨船の活動をサボタージュしようとしていた船隊の後ろで海中に落ちた。彼らが救助を求めてラジオを使おうとしたが、それは動かないことが分かった。
 捕鯨船と抗議行動隊とは休戦を結び、共同で海中に落ちた二人を捜索した。彼らは救命胴衣を付けていたので助かったと述べた。
 「シー・シェファード」グループの会長で、旗艦「ファーリー・モウワット」の船長であるポール・ウイルソンは、救助行動における日本人の協力を認めた。だが、彼はまた彼の船と他のシー・シェファード協会の船舶が「日新丸」とそのキャッチャー・ボートの追跡を再開するだろうと述べた。
 彼はここ数日のうちに、もっと多くの対決があるだろうと予言した。金曜日の早朝、抗議行動者は、6リットルの酪酸を皮剥甲板に吹き付けた。酪酸は、コロイド状の化学物質で、皮膚に触れると酷い炎症を起こす。二人の日本人乗組員は、攻撃で負傷したと共同通信は報道し、「抗議行動は、海賊的テロ行為だ」という日本の農水省の役人の抗議を引用している。
 商業捕鯨のグローバルな停止は、1986年以来存在するが、日本は、毎年、科学的な捕鯨計画の下で何百頭も鯨を殺している。
「シー・シェファード・コンサーヴェーション協会」は、1977年に設立され、議論の多い海洋哺乳動物を保護するグループであり、特に非合法の捕鯨やアザラシの捕獲に焦点を当てている。その行動は、その方法が余りに過激であると見る他の環境保護組織と衝突しているが、このグループは、自分たちの行動は過激でないと主張している。
 ワトソン船長は、日本の政府の資金で創設された「鯨研究所」によって「環境テロリスト」と呼ばれている。この研究所は、今年はミンク鯨850頭とひれ鯨10頭を捕獲するための資金を出している。
[訳者の感想]私は鯨肉が食べたい方なので、こんな過激な反捕鯨行動には賛成できません。環境保護団体にもピンからキリまであるという例です。
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「タリバン、決戦を求める」と題する『ヴェルト』紙の記事。

2007年02月09日 | アフガン問題
シンガポール発:北大西洋条約機構とタリバンとは、アフガニスタンで決戦のために武装を強化している。来週中に春がヒンズークッシュ山脈にやってくると、この国がどの方向に向かって展開するかが、明らかになるはずである。解放後4年経って、すべての進歩を窒息させる石器時代のイスラムでもって人間を軽蔑する原理主義者達の手中にもどるのか、それとも困難な道を通って、近代的な国家として引き続き希望に満ちているが同時に不確かな未来へと進むのかという二者選択である。
カブールでは、気温は既にマイナス13度から1度へと上昇した。NATOもタリバンも、攻撃ラッパを吹いている。武器庫は一杯になり、部隊は集められた。アフガン支配を巡る最後の戦争の開始は目前に迫っている。
 数ヶ月前から、カブールの政府は絶望的に正常化の見かけを得ようと努力しているけれども、アフガニスタンでは、再建も民主化も問題ではない。すべては、軍事的安定に懸かっている。それゆえ、すでに多すぎる人間を彼らのコントロール下に置いたタリバンの前進を食い止めることが問題である。彼らの保証つきの戦術で、彼らはイスラム的プロパガンダで新たな支持者をリクルートし、彼らの支配のビジョンを教え込む場所を確保している。
 中央アジアにイスラム国家を樹立するという彼らの計画は、再びつかめるほど近づいた。1994年にパシュトウーン人のコーラン学校によって設立されたタリバン運動は、その成立以来、スンニー派のワハーブ主義を追求した。その本来の目標は、常に非常に政治的であった。17世紀以来ヒンズークシュ山脈を支配してきたドラーニ族のエリートが権力を握るべきだということである。
 昨年、タリバンは、アフガニスタンの多くの地域でこの目標に驚くほど近づいた。アフガン南部と東部では連日ゲリラ攻撃が行われた。道ばた爆弾や自殺爆弾テロは、この国の広範な地域で、再建を停止させ、外国の援助団体を追い出し、必要な開発の仕事にブレーキをかけた。この戦術は、多くの場所で、政府に対する信頼を失わせ、カブール政府は、治安と安定性を作り出すこともできず、まして、進歩を推し進めることもできなかった。
相変わらず志を同じくする者達が「神の戦士」を自分の周りに集めている。軍閥と民兵指導者達は、タリバンと同様、過激であるが、彼らは皆彼らを危険な戦線に寄せ集めている同じ大きな目標が彼らを結びつけている。彼らは憎むべき外国兵を国から追放し、カルザイ大統領を中心とする米国の言いなりになっている傀儡政権を追い出したい。政府は、オリーブの枝を振っている。アフガンの下院である「オルシ・ジルガ」は、25年間の内戦に巻き込まれたすべてのアフガン人にアムネスティーを保証している。これには、悪名高いタリバンの指導者のオマール師も元首相のグルブラディン・ヘクマチアルも含まれる。これは、敵が最後のラッパをふいているのに、彼らを束ねようとする絶望的な試みだ。
 昨年、タリバンとその同盟者は、推定4万人の歩兵を握っていた。彼らの2006年の目標は、カンダハルをコントロールし、彼らの部隊を戦略的に配置することだった。新たな戦士の大部分は、パキスタンから国境を越えてヘルマンド州へ来た。クナール州やヌリスタンを通ってカブールへと進軍するために、さらに数千人が準備ができていた。
一週間前、数百人がヘルマンド州のムサ・カラの町を占領した。タリバンの白い旗は、政府の建物の上に翻っている。先週末、NATO軍は、再占領は、時間の問題であると述べたが、アフガン駐留軍の側からは、急いではいないと発表された。
昨年夏中、英国軍がムサ・カラをコントロールしていた。10月に、英国軍は、族長と平和協定を結び、その中で、英国軍の撤退とタリバン不在地帯とを結びつけた。批判者は、それが致命的な降伏文書だった言うのももっともだ。なぜなら、ムサ・カラの族長は、タリバンのシンパであることが明らかになった。目撃者の証言に依れば、英国軍の撤退と同時に町はタリバン兵で一杯になった。彼らは公然と金を集め、民間人の中に浸透した。
(以下省略)
[訳者の感想]アフガンでも北大西洋軍は、タリバンを撃滅するどころではないようです。
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「サダムの将軍、大攻勢を指揮」と題する『ヴェルト』紙の記事。

2007年02月08日 | イラク問題
バグダッドで、抵抗と兄弟戦争に対する戦争が勝利するように望まれる。軍事作戦の計画にしたがって、9万人の兵士が投入される。以前から期待されていた治安攻勢は、イラク軍とアメリカ軍部隊によって遂行される。
この作戦を指揮するのは、イラク人のアブッド・ガンバル大将である。このシーア派のイラク人は、スンニー派が牛耳っている防衛省を素通りして、直接、マリキ首相に報告する義務を負っている。
 最近の激しいテロ攻撃の後、アル・マリキ首相には、圧力が加えられている。「計画の実行を躊躇うことは、作戦の反対者達や、治安部隊の志気を低下させようとしている者達によって利用される。」
 「世界中が首都バグダッドにおける部隊の動きに注目し、勝利を期待している」とマリキ首相は述べた。特に米国は、成功を見たがっている。ブッシュ大統領は、既に繰り返し、治安状況を改善するためにイラク政府に対して断固たる態度を要求した。米国の忍耐には限りがあるとブッシュは脅した。
 治安攻勢の成功を確実にするのに、ガンバル大将は、まさにうってつけの男だ。彼にはいくつかの戦争の経験がある。彼はイランとの戦争に参加し、1991年には第一次湾岸戦争では、旅団長として、戦った。クエイトのフィアラカ島で、米軍の捕虜となり、サウディ・アラビアに収容された。そのすぐ後で、彼はサダム・フセインのイラクへ帰った。  元来、それでガンバル大将の軍歴は終わるはずだったし、場合によっては命も失ったかもしれない。偏執狂的な独裁者は、彼の将校の間にいる元戦争捕虜を全く評価しなかったからである。にもかかわらず、釈放されたガンバルは、再びフセインに仕えた。彼と彼の旅団は、フィアラカ島の勇敢な防衛のために表彰された。
 明らかにフセインは、ガンバルの忠誠心を疑わなかったのだ。恐らくマリキ首相も疑っていない。多分、ガンバル大将は、首相の第一選択ではなかった。AP通信によると、米軍からのかなりの圧力で、彼は司令官の地位を得たようだ。この情報の出所として、イラク人の将軍達が挙げられている。彼らによると、マリキ首相には、同じシーア派のモハン・アル・フレジ大将のほうが好ましかった。しかし、この人物は、「余り柔軟性がなく、十分に従順でない」と思われた。ガンバルの任命は、治安攻勢の本来の戦略家が相変わらず米軍であることを疑わせない。
 ガンバル大将の指揮下で、バグダッドは、9つの地域に分けられた。その一つ一つに、イラク軍を支援するために、600人のアメリカ軍兵士が投入されると米軍筋は述べた。多くの人たちは、この大きく構想された作戦にバグダッドと周辺の暴力を抑える最後の機会を見ている。
 公式の記録では、イラクの暴力で、2006年には、16,273人のイラク人が犠牲になった。
民間人14,298名、警察官1,348名、兵士627名が殺された。最近では、暴力が非常に激しくなったので、国連の統計では、毎日、100人のイラク人が殺されている。
[訳者の感想]イラク治安部隊を率いているのが、シーア派の大将というのが注目されます。彼が果たしてシーア派のサドル師の率いる民兵まで鎮圧できるのかが問題でしょう。
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「石油が大事である場合には、中国にとって人権はどうでもよい」と題する『ヴェルト』紙の記事。

2007年02月07日 | 中国の政治・経済・社会
ベルリン発:「自分は一種の『アフリカの再植民地化』を憂慮しながら、見ている」とセネガルの作家でジャーナリストのアダマ・ゲイエは、最近『南ドイツ新聞』とのインタービューで述べた。けれども、彼の非難はアメリカ人やヨーロッパ人に向けられたものではない。アフリカを経済的に支配しようとしている勢力、アフリカを「資源の倉庫と売り込み市場としてのみならず、外交的訓練場としても利用している勢力とは、中華人民共和国である。
 それと同時に、民主主義的原理や人権の確立に対する要求のようなアフリカ大陸に対するヨーロッパの望ましい影響が消えつつあると、ゲイエは、アフリカにおける増大する中国の参加について彼がフランスで最近出版した本の中で述べた。問題は、中国が自分自身の国民を搾取し、国民の一部に対して公然たる戦争を遂行している政権のために、その経済力を投入している点である。
 そういうわけで、中国は、スーダン西部のダルフール地方で数十万人を殺し、数百万人を隣国へ逃亡させた責任のあるスーダン政府を支持している。国連の安保理で拒否権を行使することによって、中国は数年前から、ダルフール地方に住む黒人を保護するための国連の効果的な処置を妨害している。ダルフールの黒人達は、スーダンの首都ハルツームにあるアラブ人が支配する政権によって迫害されているのだ。
 結局、最近のアフリカの八ヶ国訪問の際に、胡錦涛中国主席が国連の平和部隊をダルフール地方に派遣することを承認するようにカルツームの政府に働きかけるだろうということに国際社会の希望が懸かっていた。中国は、紛争当事者の間の対話による解決に決定的な役割を演じるつもりだと先週、胡錦涛の出発前に、中国外交部は述べた。
 それがどれぐらい真剣なものであったかは、先週金曜日の胡錦涛のハルツーム訪問の結果が示している。彼とアル・バシル・スーダン大統領とは、総額数百万ユーロに達する協力協定を結んだ。特に中国政府は、スーダンにおける1,600キロに及ぶパイプラインの建設と産出量の半分の原油の買い取りと、密接な友好関係の印しに、新しい大統領宮殿の建設を約束したのだ。
 腐敗し犯罪的な政権に対する中国の寛大さは、それなしには、大陸の経済的政治的発展に対する見込みが失われる良いガバナンスの原理を打ち立てようとするあらゆる試みを駄目にする。中国が、むやみに前提条件なしにジンバブエのロバート・ムガベ大統領のような独裁者に金をばらまくことによって、このような政権を孤立させ、あるいは譲歩を強いる国際社会のあらゆる努力は無駄になり、大陸の民主的発展のための努力を後退させるのだ。それは決して、他の国々がこの分野で模範的に振る舞ったということを意味しない。だが、米国がこれほど開けっぴろげに、無反省に窃盗癖のある政権と協定を結び、公然たる民族虐殺を犯しているスーダン政府を支持すると想像するが良い。しかし、中国の場合は、殆ど誰の関心も引かないのだ。グローバリゼーションの批判者の国際的運動の興味も引かないのだ。
 問題は、北京がこの無責任な外交政策を近視眼的な経済的利己主義からやっているのか、それとも中国指導部がそれで長期的な力の政治的戦略をしているのか、ということである。中国が数年来、大量に軍備拡張を行い、人民解放軍の防衛的な構想を投げ捨てたということ、宇宙空間においても軍事的に地歩を固めようと努力し、台湾に対して脅迫的な態度をとり続けているということは、われわれを不安にする兆候である。(後省略)
[訳者の感想]筆者は、ヴェルト紙の常連寄稿家リヒャルト・ヘルツィンガーです。
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