イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「ザ・セカンド・マシン・エイジ」読了

2017年03月19日 | 2017読書
エリック・ブリニョルフソン,アンドリュー・マカフィー/村井 章子 訳 「ザ・セカンド・マシン・エイジ」読了

セカンド・マシン・エイジとは18世紀半ばにおこった産業革命をファースト・マシン・エイジとして、それに匹敵するモーダルシフトの時代という意味で名づけられたものだ。

ファースト・マシン・エイジは機械化という、“動力”の革命の時代であったのに対して、セカンド・マシン・エイジはIT技術をもとにした情報革命の時代と位置づけている。
産業革命が始まったとき、人口の増加も指数関数的に増加した。それは人々が極端に豊かになったという証拠である。その意味で動物の家畜化、宗教、哲学、戦争と帝国の成立も比べ物にならないほどの衝撃を人類に与えた。それまでの発明やイノベーションではこれほどの人口増加はおこらなかった。だから産業革命を別格としてファースト・マシン・エイジと名づけている。

そして、現代はそれに匹敵するほどの変化の時代に入ってきたという。
「人工知能 人類最悪にして最後の発明」では情報技術は人類を破滅に追いやるという悲観的な見解が主流をなしていたが、この本では「ばら色の未来が訪れる。」とかなり楽観的な見解が前半をなしている。
その理由は、産業革命時、人々は機械に仕事を奪われ失業者があふれて大恐慌が起こると危惧されていたがそれは杞憂に終わり逆に所得は増え、人々は豊かになり人口も増えた。
セカンド・マシン・エイジでもイノベーションが底を尽き、人々は人工知能に仕事を奪われ失業者があふれるのではないかと言われているが、IT技術の進歩はとどまる事を知らず、イノベーションも、まったく新しい技術を生み出さなくても既存の技術を組み合わせる続けることによっていくらでも新しいイノベーションを生み出すことができる。失業問題についても、単純作業的な職は機械やコンピューターに奪われるかもしれないが、人々はITができない仕事である創造的な仕事(文化的なものも含めて)にシフトしてゆくことができる。また、所得についてもセカンド・マシン・エイジがもたらす便利さ、合理性によってもっと少ない所得で豊かな暮らしができる。証拠として、現在でも音楽や書物などは過去に比較にならないほど簡単に安価に手に入れることができるし(海賊版も含めて)、シェアリングサービスの発達は財産を持たなくても快適な暮らしをすることができる。何かを調べるにもインターネットの検索機能をつかうと驚くべき速さで答えを見つけることができる。GDPの増加が豊かさの指標ではなくなってきたのだ。というようなバラ色まではいかなくてもちょっとピンク色っぽい生活が約束されているようである。

しかし、後半では社会構造の変革への提言が続く。セカンド・マシン・エイジでは富の集中が極端になる。2012年次、アメリカでは全所得の半分以上を上位10%の所得層が占めている状態であったがそれがもっと極端になってゆく。その再分配に失敗するとセカンド・マシン・エイジは灰色にも真っ暗にもなってしまう。新しい税制、社会保障、交付金、移民政策などいくつかの提言がなされている。
人類は産業革命を豊かな生活を送れるチャンスにしたように、セカンド・マシン・エイジでもさまざまな工夫で問題を乗り越え、さらに豊かな時代をきっと作り上げるに違いないというのが著者達の描く未来像だ。

こういう政策が効果を発揮してIT技術がどんどん進化し豊かな生活ができるような時代になる可能性は大きいような気はするが、はたしてそれが本当に幸福につながるのであろうか。
僕みたいな薄っぺらい頭で考えると、IT技術が進めば、目で見たり音で聞いたりするような情報は豊かになりたくさんの人々ともつながりあえるようになることでコミュニケーションも豊かになっていくとは思うけれども、そこには触感であったり、温度を感じたりするような、そう、生身の体で感じるような豊かさというものはどれほどなのだろうと思ってしまう。すべてはモニターを通しての豊かさになってしまうのではないだろうか。
海面や木々の間を吹き抜けてゆく風の感覚、乾いた葉の触感、土の匂い、そういうものを置き去りにして本当に人々は豊かになれるのだろうか。
いやいや、VR技術の進歩はそんな心配をかき消してくれますよ。なんていうことになっていくのかもしれないが、なんだかゴム手袋をはめたままで生活をしてゆくようでぼくにはなじめそうにない。

本書、「人工知能 人類最悪にして最後の発明」、「LIFE SIFT・・・・」と近未来の生き方を考えるような本を続けて読んでみたがどれも時代が変わるのだから人も変わっていかなければならないと動きの鈍い人たちのお尻を叩いているように見える。ファーストリテーリングの柳井会長はコラムのインタビューで、シンギュラリティはすでに訪れていると言っていたが、それが地上を覆い尽すにはもう少し時間がかかるだろう。だから僕の世代は今までの生き方でもなんとか人生を逃げ切れるぎりぎりの世代かもしれないように思う。会社では新しい考え方だの、業務改革だの部下に向かって変革を求めるような偉そうなことを言っているが、実は僕が一番変わりたくないのだ。今までどおりがよくも悪くも一番楽だと思っている。変身をすることには臆病であり、怖さがあるし、そもそもそんな能力がないのだ。
だから、あとは運を天に任せてのらりくらりとこれから現れてくるいくつかの困難を乗り切りたい。乗り切れればそれでいい。

情報技術が進歩してゆく中、どんな職業が生き残れるかということも少し触れられていた。その業種とは人と接する仕事で、しかも人の心を読みながら接するような仕事・・・。
よく考えると今の僕たちがやっているような仕事だ。中核価値に比べて実体価値の比率が異様に大きいものを売ったり、人の文句を聞くような仕事だ。これはよくわからない理屈でねじ込んでくるクレーマーさんたちを相手することも含まれるような気がする。僕にお鉢が回ってくるお客様の大半はこんな人たちだ。たしかに、ロジカルでないことを真顔で言う相手にはロジックの塊であるであろう人工知能は太刀打ちできないのもうなずける。自分の言っていることがちょっとおかしいと思いながらしゃべってくれるのなら、人の表情を読めるくらいの高性能な人工知能は突破口を見つけることができるかもしれないが、そんなクレーマーさんは皆無だ。
もう衰退してゆくしか道はないようにしかみえない業界だが、ところがどっこい意外とコンピューターでは勤まらない世界のようだ。まあ、裏を返せばまったく効率的でないことの証拠にもなっているのだろうが。なんとも皮肉な話だ。

この業界も、僕の世代でシュリンクしてしまうことはないだろうから、変身とは無縁の僕は職業でも逃げ切らなければならないし、人生設計でも逃げ切らなければならないという悲しい宿命を負っているらしい・・・。
なりたい自分になれる最後のチャンスではあるはずなのだが・・・。



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