イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

タラノメ採り 2回目

2017年03月27日 | Weblog
そろそろ第2ポイントのタラノメも大きくなっているだろうと思い、今年2回目のタラノメ採りに出発。

しかし、今年は3月になっても気温が上がらず芽は小さいままだ。小さいというより小さいまま成長してしまっているようだ。なんだか変な表現だが、よく見るともうトゲが出始めている。



多分、今年はこのまま待ってもトゲが固くなっていくだけのような気がする。
第2ポイントをあきらめて第1ポイントへ向かったが、前回残してあった芽はことごとく見えざる敵に盗られてしまっていた。

毎年、春というのは楽しみも多いが周りの環境が変わったり、歳をとってくると気温の変化に体がついてゆけなかったりで何かソワソワ、気分も落ち着かず、収穫や獲物がないとますます気分が落ち込むばかりだ。



港に向かい引っ越ししてきた前の職場の同僚の船の様子を見て自分の船の上でちょっと一服。




家に舞い戻り今度は陸路帝国領内へ侵攻しテングサ採り。
この海域で魚を釣り上げる自信が完全になくなってしまった今、海藻なら逃げないからなんとかなるだろうという魂胆だ。情けない・・・。



しかし、テングサを採るのも3年ぶりで、寒天をきな粉と黒蜜でいただくのもおつなものだ。少しだけ採るつもりが、家に持って帰ってくるとけっこうな分量になってしまっていた。
ゴミを取り除いてカゴに干して今日の作業は終了。



ゴミの中にはこんな生物が・・・。なんだかタラバガニのミニチュアみたいな形をしているが、大きくなるまで育てたら美味しく食べられるのだろうか・・・。

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加太沖釣行とタラノメ採り

2017年03月23日 | 2017釣り
場所:加太沖
条件:若潮 9:52干潮
潮流:7:35転流 10:25下り1.9ノット最強
釣果:ボウズ

今日もボウズだ。
なさけない言い訳だが、こんなに潮の動かない日は珍しい。
そのせいか、帝国軍は中ノ瀬戸に集結している。ひょっとしてあそこに行けば何とかなるのかもしれないが、間違いなく撃沈直前の戦艦大和状態になるだろう。



下りの潮だったので沖ノ島の南からコイズキ周辺を流していたのだが、この場所で仕掛けが真っすぐに下りていくというのは初めてではないだろうか。大概は潮が早すぎて退散するというパターンなのだが・・・。

ここでも潮が動き始めると少しだが帝国軍が移動してきた。毛糸とビニールの混成仕掛けで敵艦の間を縫いながら攻めてみるが触っても来なかった。



完全玉砕であった。


今日の帝国軍。
またまた異常接近してきたので威嚇行為を受けるのかと思いきや、そのまま釣りを始めてしまった。



高速で移動し、リバースをかけて急停止。敵船(僕のこと)のA.T.フィールドをいとも簡単に打ち破り、仕掛けをサッと下して金庫破りがダイヤルを回すように操舵輪をくるくる回して船を安定させる。
全く動きに無駄がない。他人の存在など気にせず、我が道を行く。今日は本当の侍を見た気がした。
だから、この場所がまったく見当はずれの場所ではないのは確かなのだ。だから、言い訳をするしかないのだ・・・。


なんとか夕食のおかずは確保しなければならない。そろそろ大きくなってきているはずのタラノメも採りに行った。クーラーボックスや竿を船に乗せ、港近くの山へ向かう。
ちょっと小さいが十分食べられる大きさにはなっている。本当の採り頃は明後日というところだろうか。
海に向かって山の幸とはこれいかに・・。



今夜はとりあえず天ぷらにありつける。

与太話をもうひとつ。
本線航路を大型客船が通過していた。10日ほど前だと神戸に向かうQEⅡを見ることができたのだが、今日のはちょっと小さい。



外洋船の現在位置やトラックを見ることができるサイトがあって、それで調べると、この船は昨日の午後、東京湾を立って大阪に向かう途中らしい。
タンカーや海保の船の現在位置を船名を打ち込めば見ることができる。


まさしく写真を撮った位置が地図上に表されている。

半径10キロでしか生活していない身ながら、こんなサイトを見て世界旅行をした気分になっているのだ。

記録:




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ワカメ採り2回目

2017年03月20日 | Weblog
今年は休みと天気がうまく合致している。小潮で潮位は高いがなんとかやれるだろう。
朝7時にいつものポイントへ入ると、やはり潮は高く水も少し濁りが入っている。太陽もまだ低いので水中はほとんど見えない状況だ。
しかし、ワカメは大体岩の割れ目か切り落ちた壁に生えているのでそれらしいところに金具を突っ込んでグルグル回し続ける。
今日も約1時間。前回よりも少し成長しているのか、干した数はほぼ同じだったがちょっとだけ嵩が増しているような印象だ。



港に来る前にタラノメのポイントへ様子を見に行ったが、今年はまだ大きくなっていない。なんとか食べられそうなものを少し採って終了。



ワカメを干し終わって今度は第2ポイントへ。こっちはもっと成長が遅く、1週間後くらい後が採り頃のようだ。



第2ポイントは雑木の伐採が進み、あと数年ですべて刈り取られてしまうのではないかという印象だ。
なんとか生き残ってくれ!!
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「ザ・セカンド・マシン・エイジ」読了

2017年03月19日 | 2017読書
エリック・ブリニョルフソン,アンドリュー・マカフィー/村井 章子 訳 「ザ・セカンド・マシン・エイジ」読了

セカンド・マシン・エイジとは18世紀半ばにおこった産業革命をファースト・マシン・エイジとして、それに匹敵するモーダルシフトの時代という意味で名づけられたものだ。

ファースト・マシン・エイジは機械化という、“動力”の革命の時代であったのに対して、セカンド・マシン・エイジはIT技術をもとにした情報革命の時代と位置づけている。
産業革命が始まったとき、人口の増加も指数関数的に増加した。それは人々が極端に豊かになったという証拠である。その意味で動物の家畜化、宗教、哲学、戦争と帝国の成立も比べ物にならないほどの衝撃を人類に与えた。それまでの発明やイノベーションではこれほどの人口増加はおこらなかった。だから産業革命を別格としてファースト・マシン・エイジと名づけている。

そして、現代はそれに匹敵するほどの変化の時代に入ってきたという。
「人工知能 人類最悪にして最後の発明」では情報技術は人類を破滅に追いやるという悲観的な見解が主流をなしていたが、この本では「ばら色の未来が訪れる。」とかなり楽観的な見解が前半をなしている。
その理由は、産業革命時、人々は機械に仕事を奪われ失業者があふれて大恐慌が起こると危惧されていたがそれは杞憂に終わり逆に所得は増え、人々は豊かになり人口も増えた。
セカンド・マシン・エイジでもイノベーションが底を尽き、人々は人工知能に仕事を奪われ失業者があふれるのではないかと言われているが、IT技術の進歩はとどまる事を知らず、イノベーションも、まったく新しい技術を生み出さなくても既存の技術を組み合わせる続けることによっていくらでも新しいイノベーションを生み出すことができる。失業問題についても、単純作業的な職は機械やコンピューターに奪われるかもしれないが、人々はITができない仕事である創造的な仕事(文化的なものも含めて)にシフトしてゆくことができる。また、所得についてもセカンド・マシン・エイジがもたらす便利さ、合理性によってもっと少ない所得で豊かな暮らしができる。証拠として、現在でも音楽や書物などは過去に比較にならないほど簡単に安価に手に入れることができるし(海賊版も含めて)、シェアリングサービスの発達は財産を持たなくても快適な暮らしをすることができる。何かを調べるにもインターネットの検索機能をつかうと驚くべき速さで答えを見つけることができる。GDPの増加が豊かさの指標ではなくなってきたのだ。というようなバラ色まではいかなくてもちょっとピンク色っぽい生活が約束されているようである。

しかし、後半では社会構造の変革への提言が続く。セカンド・マシン・エイジでは富の集中が極端になる。2012年次、アメリカでは全所得の半分以上を上位10%の所得層が占めている状態であったがそれがもっと極端になってゆく。その再分配に失敗するとセカンド・マシン・エイジは灰色にも真っ暗にもなってしまう。新しい税制、社会保障、交付金、移民政策などいくつかの提言がなされている。
人類は産業革命を豊かな生活を送れるチャンスにしたように、セカンド・マシン・エイジでもさまざまな工夫で問題を乗り越え、さらに豊かな時代をきっと作り上げるに違いないというのが著者達の描く未来像だ。

こういう政策が効果を発揮してIT技術がどんどん進化し豊かな生活ができるような時代になる可能性は大きいような気はするが、はたしてそれが本当に幸福につながるのであろうか。
僕みたいな薄っぺらい頭で考えると、IT技術が進めば、目で見たり音で聞いたりするような情報は豊かになりたくさんの人々ともつながりあえるようになることでコミュニケーションも豊かになっていくとは思うけれども、そこには触感であったり、温度を感じたりするような、そう、生身の体で感じるような豊かさというものはどれほどなのだろうと思ってしまう。すべてはモニターを通しての豊かさになってしまうのではないだろうか。
海面や木々の間を吹き抜けてゆく風の感覚、乾いた葉の触感、土の匂い、そういうものを置き去りにして本当に人々は豊かになれるのだろうか。
いやいや、VR技術の進歩はそんな心配をかき消してくれますよ。なんていうことになっていくのかもしれないが、なんだかゴム手袋をはめたままで生活をしてゆくようでぼくにはなじめそうにない。

本書、「人工知能 人類最悪にして最後の発明」、「LIFE SIFT・・・・」と近未来の生き方を考えるような本を続けて読んでみたがどれも時代が変わるのだから人も変わっていかなければならないと動きの鈍い人たちのお尻を叩いているように見える。ファーストリテーリングの柳井会長はコラムのインタビューで、シンギュラリティはすでに訪れていると言っていたが、それが地上を覆い尽すにはもう少し時間がかかるだろう。だから僕の世代は今までの生き方でもなんとか人生を逃げ切れるぎりぎりの世代かもしれないように思う。会社では新しい考え方だの、業務改革だの部下に向かって変革を求めるような偉そうなことを言っているが、実は僕が一番変わりたくないのだ。今までどおりがよくも悪くも一番楽だと思っている。変身をすることには臆病であり、怖さがあるし、そもそもそんな能力がないのだ。
だから、あとは運を天に任せてのらりくらりとこれから現れてくるいくつかの困難を乗り切りたい。乗り切れればそれでいい。

情報技術が進歩してゆく中、どんな職業が生き残れるかということも少し触れられていた。その業種とは人と接する仕事で、しかも人の心を読みながら接するような仕事・・・。
よく考えると今の僕たちがやっているような仕事だ。中核価値に比べて実体価値の比率が異様に大きいものを売ったり、人の文句を聞くような仕事だ。これはよくわからない理屈でねじ込んでくるクレーマーさんたちを相手することも含まれるような気がする。僕にお鉢が回ってくるお客様の大半はこんな人たちだ。たしかに、ロジカルでないことを真顔で言う相手にはロジックの塊であるであろう人工知能は太刀打ちできないのもうなずける。自分の言っていることがちょっとおかしいと思いながらしゃべってくれるのなら、人の表情を読めるくらいの高性能な人工知能は突破口を見つけることができるかもしれないが、そんなクレーマーさんは皆無だ。
もう衰退してゆくしか道はないようにしかみえない業界だが、ところがどっこい意外とコンピューターでは勤まらない世界のようだ。まあ、裏を返せばまったく効率的でないことの証拠にもなっているのだろうが。なんとも皮肉な話だ。

この業界も、僕の世代でシュリンクしてしまうことはないだろうから、変身とは無縁の僕は職業でも逃げ切らなければならないし、人生設計でも逃げ切らなければならないという悲しい宿命を負っているらしい・・・。
なりたい自分になれる最後のチャンスではあるはずなのだが・・・。



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「LIFE SHIFT(ライフ・シフト)―100年時代の人生戦略」読了

2017年03月13日 | 2017読書
リンダ グラットン,アンドリュー スコット/緒 池村 千秋/訳  「LIFE SHIFT(ライフ・シフト)―100年時代の人生戦略」読了

2007年に生まれた日本人の半分は107歳まで、今50歳前後の人も100歳まで生きる時代になっているそうだ。
この本はそんなに長くなった人生を生きるには現在のほとんどの人がたどるライフサイクル、すなわち教育を受けた後仕事をし、引退をする(これを3ステージの生き方)という形では生き抜くことはできない。新たなライフサイクルへシフトしなければならない。そのために読者と社会にに変身を促すために書かれたということだ。

代表的な人生のモデルとして、ジャック(1945年生まれ)、ジミー(1971年生まれ)、ジェーン(1998年生まれ)の3名が出てくる。
ジャックの世代は3ステージの行き方で十分経済的にも社会的にも満足した生き方を送れそうだが、ジミーの世代となるとそれは難しいことになる。ほとんどすべての人は85歳を超える人生を送ることになるので現役で働かなければならない時間を増やさなければ経済的に行き詰るし、社会とのかかわりも長く維持しなければならない。そのためには今までのキャリアを生かした少しだけ新しい生き方(これを3.5ステージ、もしくは4.0ステージ)をすることによって金銭面での安心と社会とのつながりを維持した生き方をすることができるかもしれない。
3.5ステージとは今までのキャリアを生かし、パートタイムで働きながら住んでいるコミュニティーとのかかわりも維持するというポートフォリオワーカーという生き方であり、4.0ステージとはキャリアを生かした独立(=自営業)という生き方だ。会社を大きくするのではなく自分の生活費をまかなえるだけの範囲で活動するインディペンデントプロデューサーという生き方である。

ジェーンの世代となると半数以上が100歳まで生きることになる。ジミーよりももっとさまざまな生き方を組み合わせなければその長い人生を維持できなくなる。3.0ステージでは教育を受けたあとはすぐ仕事のステージに向かうが、自分を見つめる時期(エクスプローラー)をいくつかの段階で取り入れることで活力を取り戻し、キャリアを変身させる必要がある。雇用形態も、サラリーマンやインディペンデントプロデューサー、ポートフォリオワーカーである時期を繰り返してゆくことになる。
そしてそのような生き方をするためには社会構造も変わっていかなければならない。
そんな内容になっている。

僕はまさしくジミーの世代に当てはまる。
ジミーのモデルでは、フルタイムで働きながらキャリアを生かしてコミュニティーでおこなわれる講座の講師なんかをする生活か、小さなコンサルティング会社を興し、地域内での活動をして生活費をまかなうというようになる。
僕もそんな生き方を想像してみる。しかし、ここで大きな問題がある。約30年この会社でキャリアを積んできたが、これがどう見てもほかの社会で通用するものとは思えない。そうなるとポートフォリオワーカーなどという道はまったく閉ざされている。一足飛びにジェーンのライフスタイルをモデルにして、まったく新しいキャリアをスタートさせるためにインディペンデントプロデューサーという道はどうだろうか?釣り番組なんかを見ていると、釣り好きが嵩じて釣り船の船長になりました。なんて人がちょくちょく出てきたり、自慢の仕掛けやルアー、ウキを商品化して会社を作っている人がいたりして、こんな生き方ができれば最高だな、なんて思うけれどもそうなるためにはまったく釣りの腕前が足らない。ヘッポコ釣り師の作った道具など誰が買ってくれるだろうか・・・。
親戚の叔父さんは農業を辞めて畑は休業状態で、それを借りて百姓暮らしというのもナチュラルライフっぽくっていいじゃないかと思えども、この腰痛では1年も持たないように思う。
結局、65歳までの雇用延長に応じて、あまり味気のない仕事を続けてその後は少しの年金を頼りにささやかな暮らしを続けるという3.1ステージくらいの生き方に納まってしまうんだろうなと、読みながらかなり凹んでしまうのだ。

そのときに僕は今の船を維持できるだけのお金を持っているだろうか・・・。
給料は全部奥さんに渡しているのでいったいいくら貯金があって、今はいくらの生活費を使っているのかなどまったく知らないで生きてきた。それでもちゃんと生活をさせてくれている奥さんは大したものだが、はたして僕たちの老後までも見据えた人生設計をしてくれているのだろうか、そしてその中には船の維持費も含まれているだろうか・・・。

ジミーはリタイアの頃になると、次のステージに向かうためにキャリアのブラッシュアップをすべく、余暇を利用して自分自身に投資をしなければならないことになっている、そうすることによって3.5ステージや4.0ステージの人生を送れる。しかし、余暇といっても釣りに出るだけで、その時間を削って何かを学ぼうという気力は搾り出せそうにない。キャリアに磨きをかけるといっても磨き始める尻から刃がポロポロこぼれるように擦り切れて本体が無くなってしまいそうだ。
そうは言っても生きている以上はなんとかしなければならない。最初のリタイアの年齢まであと8年足らず、答えが出なくても何かを本気で考えなければならないのかもしれない。

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ワカメ採り

2017年03月13日 | Weblog
今日はどうも昼前から雨が降ってきそうなのだが、風がないので出てみることにした。休みと風がない日が合わさる日を待っていたらいつになったら行けるのかがわからなくなる。
それに3月の上旬に採れるワカメはやはり美味しいのだ。

雨が降る前に採り終えて干す作業までやりたいので大潮で満潮という最悪の時間帯での操業になる。


去年はかなり少なかったが今年はどうだろうかといつものポイントへ。水位が高いので海面からはワカメの姿は見えないが、岩の切り落ちたところが薄っすらと黒く見える。
その辺りを狙って金具を突っ込むともっそりとした感覚が手に伝わる。
クルクル巻き取ると立派なワカメが上がってきた。
軸は細くて幅の広いいいワカメだ。
小雨が降り始め、1時間も採っていなかったのであまり嵩はないが、まあ、最初のワカメ採りとしてはこんなものか。
確実に去年より多いようだ。



家に帰るころには本降りになってしまっていたので車を路上に放り出してカーポートの下でワカメ干し。
ワカメ干しはやっぱり日が当たって風が吹いているときのほうがいいと思うのだが今日は仕方がない。




エンジンの調子が悪い。
アイドリングの時に止まってしまったりスロットルを上げると止まりそうになる。
またインジェクションあたりが悪くなってしまったのだろうか。
悪いところを調べてみようにもまったく機械のことがわからない。
またお金が必要になる・・・。

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加太沖釣行

2017年03月05日 | 2017釣り
場所:加太沖
条件:小潮 10:29満潮
潮流:6:15 下り1.5ノット最強 9:25転流 12:20上り1.2ノット最強
釣果:ガシラ 6匹

しかし釣れない。釣れないというのは間違いだ。“よう釣らん”という言葉が正しい。

あまり潮のよくない日とはいえ、高仕掛けをやってもチョクリをやっても歯が立たない。
保険のつもりで持って行ったイワシの切り身でなんとかおかずを確保できただけだ。

ボウズという名の屍を累々と積み上げている・・・。

いつになったら・・・。


記録:
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「歌がるた小倉百人一首」読了

2017年03月02日 | 2017読書
田辺 聖子 「歌がるた小倉百人一首」読了

高校1年の夏休みの古文の宿題が、この百人一首の暗記だった。
そして僕の高校生活の挫折の始まりでもあった。百の短歌と作者の名前なんて覚えるのは僕のヘッポコ頭では当然ながら覚えるのは不可能・・・。

しかしながら、40年近くぶりに読んでみて、確かに古文の文法や当時の文化、加えて歴史を学ぶことについては最適の教材でもあるのだと認識した。
当時の先生は、百人一首を深く勉強することによって古文の実力をつけさせようとしてくれたと思うのだが、そんな親心がわからずに棒覚えをしようとしたのが間違いであった。まあ、こんな解説書を読んで理解しながら記憶をしようとしても無理だとは思うが・・・。
20番目くらいまではなんとなく読んだことがあるような記憶があったが、それ以降は77番目の崇徳院の歌くらいだ。これはたまたま落語のネタにあったので知っているだけでそれだけだ。
なんとも頭が悪いというのは悲しいものだ。

師は長い旅に出るとき、百人一首と聖書を必ず持って行ったそうだ。和歌というのは読むその時の心模様、季節によって受け取り方が違って見える。そんな感慨を師も感じていたのだろうと思う。
そこまで人間ができていない僕はやっぱり記憶力の無さに我ながら悲しく思うのだ・・。
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「佐治敬三と開高健 最強のふたり」読了

2017年02月26日 | 2017読書
北 康利 「佐治敬三と開高健 最強のふたり」読了

著者があとがきで書いているとおり、この本は元は佐治敬三伝として書き始められたが、調べれば調べるほど師の姿が合わせ鏡のように浮かび上がってきたことで師の物語が書き加えられることになったということだ。

師について書かれている部分は前に読んだ、「大阪で生まれた開高健」「壽屋 コピーライター 開高健」とそれほど変わらないが、この本は、“断絶”という言葉をふたりの共通のキーワードとして物語を進めていく。
ここでいう断絶とは、過去を捨てて新しい世界、市場に向かってゆくことを言っている。「失敗の真実」でも書かれていたが、組織が生き残るためには変革である。イノベーションである。それを断絶という言葉で表している。そのエネルギー、さすが、就職したい企業トップの常連というのも納得できる。(僕みたいな人間は逆立ちしてもこの会社では長続きしないだろう。)
サントリーはまず、ワイン(赤玉ポートワインというやつ)で頭角を現し、その後ウイスキーを主力商品に転向し、ビール市場に打って出た。事業が好調なときにあえて新しい事業に挑んできたというのが佐治敬三とその父親である鳥井信治郎の断絶の歴史である。
師の断絶はベトナム戦争の視察であった。確かにこの前後で師の小説のイメージは素人が読んでもまったく異なったものになっているように思う。いわゆる、遠心力の表現から求心力で書くと言われた変化だ。

ふたりは人生の折々の場面で影響を及ぼしあってきたというのがこの本の趣旨であるが、そこが具体的に書かれていないのが残念だ。
多分、実業家の決断は時として孤独の中でおこなわれるそうするとどんな影響を師からうけたか、師についても、はやり小説はひとりで書かれるもの。どこにそれを求めてゆくというのはかなり難しいことであったようで、ふたりの物語が独立して綴られていってしまっている。そこはなんだか別の本を読んでいるような感覚になる。
本当のところは、深い友情というものはお互い何も言わなくてもわかり合えるというものなのではないだろうか。そして無理に干渉しあわないということも必要であったはずである。だから、表立ってはふたりの人生にビジネス書に書けるような事実として残る接点もなかったのだろう。

師がよく訪れたバーの指定席には今でも「Noblesse Oblige」という言葉が刻まれたプレートが貼り付けられているそうだ。「位高きものは責重し。」という意味だ。多分、好きな言葉というより、そういう気構えが欲しいと自分に言い聞かせるための言葉であったと思うが、僕はずっと違和感を感じていた。小説家というのはもともとそんな秩序や役割を超えた存在であるはずなのに自分に責を負わせるというのはどういうことだろうと。あえて言うなら、ベトナムで人の死をまざまざと見てしまった人間としてはそれをどんな意味であれ、世間に伝えなければならないという責であったと思っていたけれども、もうひとつ、多忙を極め、多分自分というものをどこかに追いやらねばならない立場にある佐治敬三に対して贈る励ましの言葉ではなかったのかと考えられるようになった。

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「失敗の本質―日本軍の組織論的研究」読了

2017年02月23日 | 2017読書
戸部 良一、寺本 義也、鎌田 伸一、杉之尾 孝生、村井 友秀、野中 郁次郎 「失敗の本質―日本軍の組織論的研究」読了

太平洋戦争で日本軍がどうして敗北したのかを軍事力の面ではなく、組織論を中心として分析した内容だ。

その要因の主なものは陸軍と海軍の戦略思想の齟齬、参謀本部と前線の意思疎通の無さと日清、日露戦争時代の成功体験を引きずり、敵戦力の変化に対して自ら変化をすることができなかったというものだ。
アメリカ軍との比較される違いをいくつか挙げると、その組織構成の部分では、人員の任命について日本軍は陸、海軍大学や士官学校での席次で序列が決まり、昇進についても年功序列が普通であり、敗戦の将であっても責任を問われることは少なく、逆に名誉挽回の機会を請い、そのまま認められるというような状況であったのに対し、アメリカ軍では抜擢人事や参謀クラスでもジョブローテーションがおこなわれ、敗戦の責任は厳しく問われていた。
人的配置については、日本軍は常勤が当たり前であったのに対し、たとえば海軍では艦上勤務、地上勤務、休暇とローテーションを組んでおり、ガダルカナル戦では後方でテニスをしながら休暇を楽しんでいた将兵を見た日本軍側はびっくりしたそうだ。米軍はそれだけ余裕をもって将兵のモチベーションを高めていた。
というようなものであった。
戦力配備の部分では米軍は真珠湾の戦闘の教訓から、艦隊戦中心の戦闘形態を空母を中心にした空中戦形態に変更したが日本軍はソ連軍との日本海海戦の成功体験から抜け出すことができなかった。陸戦もそうで、すでに世界は戦車戦となっていたが気合で乗り切る白兵戦が基本戦術であった。装備も驚くことに、明治40年代に制定されてからは更新されずにいたらしい。
日本軍は情緒主義、アメリカ軍は成果主義と人にやさしい組織と言ったところだろうか。

このような日本軍側の組織構造というものは勝っているとき、成長期には絶大な威力を発揮するが、いざ、負けが込んできたり停滞時期を迎えると激変する環境に対応できなくなる。この本には、「組織が進化するためには新しい情報を知識に組織化しなければならない。つまり、進化する組織は学習する組織でなければならないのである。組織は環境との相互作用を通じて、生存に必要な知識を選択淘汰し、それらを蓄積する。」と説明されているが、これが日本軍にはできなかった。
また、このような痕跡は日本政府の官僚機構に色濃く残り、逆に戦後、財閥の解体を経験した一般企業ではそれを克服したと書かれてはいるが、この本が書かれたのは1984年、まだバブル経済の絶頂期を迎える直前だ。まさに連戦連勝の時代で、著者たちにもその後のバブル崩壊を想像することはできなかったのであろう。バブル後、リーマンショック、ひょっとしたら東日本の大地震もそうであったかもしれないが、まさしく著者たちが分析したとおりになってしまった。

この本は小池百合子東京都知事が座右の書としているというので読んでみたのだが、実は日本企業にも旧日本軍の組織構造を根強く引き継いでおり、急激な環境変化に大多数の企業が対応できなかったということを図らずも証明してしまった。
近々でもシャープや東芝というような巨大企業があっけなくも崩壊してしまった要因もおなじようなことに言及されそうだ。

組織が進化、永続してゆくための方法というのは、ビジネス書によく書かれている経営戦略論に見られるような、外部環境の分析、SWOTと呼ばれるような自社の強みと弱みの分析から戦略を導き出す。それを効率的に運用する組織作りとイノベーションが必要であるというものであった。
おそらくシャープは自社の液晶技術を過信してサムスンにしてやられ、東芝は世界が反原発に動いている中で、東日本大震災は想定外ではあったものの、俺たちのやっていることに間違いはないと錯覚をしてしまったのだろう。そしてそれが間違っていることに気付いた人がいたとしても、それを意見できないような会社の雰囲気と硬直した組織構造が出来上がってしまっていたのに違いない。

インパール作戦の立案の際、ある参謀は兵站確保に関して、「われらが空に3発銃を発したら敵はすぐに降参するからそこから兵站を確保すればよい。」と言ったそうだ。ウチの会社でもそうだが、上の人の言うことにおいそれと意見具申を言うことは恐ろしい。(僕だけが持っている印象かもしれないが・・・。)そうやってなんだかそうしなければならないというような、“空気”みたいなものが生まれてくるというのは今の時代もこの時代も変わっていないようである。特に負け組みに属するような企業ではそんな伝統をずっと守り続けているに違いない。


「組織の行為と成果にギャップがあった場合には既存の知識を疑い、新たな知識を獲得する側面があることを忘れてはならない。既知の知識を捨てること、つまり自己否定的学習が必要である。」ということも著者たちが導き出した教訓である。
“自己否定”・・・いまさら自分を否定して新しい知識を獲得することはできるだろうか。
無理だ。絶対無理だ。大好きな魚釣りでさえ変革を望まずに愚直に今までの釣り方を守ることしかできないのだ。会社で自己否定して新しいことを提案して実行するなんてことは絶対に無理だ。ビジネスの成功事例なんかで、よく、周りから、絶対に成功しないから止めておけ。と言われながらやり続けたことが成功をもたらしたというようなものが出てくるが、たとえ新しいことを提案できたとしても、止めておけと反対されたらすぐに手を下してしまう。
それが現実だ。やっぱり戦場では地面に深く顔を埋めて攻撃が治まるのを待つのにかぎるのだ。そして船上では今まで使ってきた仕掛けを使い続けるのが確率的には一番いい。会社ではなんとか逃げ切れる方法を考える。釣れなければさっさと帰る。というのがいまのところの僕の最強の戦略だ。


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