イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「大地の五億年 せめぎあう土と生き物たち」読了

2024年05月15日 | 2024読書
藤井一至 「大地の五億年 せめぎあう土と生き物たち」読了

この本の著者は、「土  地球最後のナゾ 100億人を養う土壌を求めて」の著者だ。
「大地の・・」のほうが出版年度は古いが順序としてはこの本を後に読む方がよいという気がする。適当に読んでいたが偶然にもよい順序で読んでいた。

先の本は世界に分布する土壌の種類について書かれていたが、この本はその土壌と生物はどのようにかかわってきたか、そして人間はどうやって土とともに生きてきたかということが書かれている。使われているキーワードは「変化」と「酸性」。この切り口がシンプルでわかりやすかった。

このキーワードをもとに、5億年前に植物が地上に進出したあと、砂や粘土の堆積層(レゴリス)から生まれた土壌がその後どんな形で動植物と関わり変化してきたか、そしてさらに時代が進み、人類が農耕を始めたとされる1万年前から現代までの人間と土壌との関わりの2本立てで書かれている。

「土」の定義は、先の本にも書かれていたが、『岩の分解したものと死んだ動植物が混ざったもの』ということなので、地上に「土」が現れたのは5億年前ということになる。最初に地上に進出した植物は地衣類とコケだ。岩石にはリンやカルシウム、カリウムなどのミネラル分が豊富に含まれている。岩石のままでは地衣類やコケはミネラルを吸収することはできないが彼らは岩との接触面で有機酸を放出して岩を溶かして吸収する。その大部分は吸収されずに残存し、風化という作用もあるけれども、植物たちも自分で岩を分解して残存物を混ぜこんで土を作り始めたのである。
そして、この土が次のシダ植物の繁茂するベースを作った。シダ植物はタフな植物で、強度の酸性土壌でも生きてゆける。重金属の汚染地帯でもOKだそうだ。
地衣類やコケが創り出した土は㏗4という強酸性だったのである。それに加えて、シダ植物が繁茂し始めた4億年前の空気はCO₂濃度が現代の10倍もあった。これも土壌が酸性になる要因であった。
湿地帯に多かったシダ植物は水の中では分解が進まず泥炭となって残る。この泥炭は数千万年から数億年の間に地中深く埋まり、高熱・高圧条件で変成し、石炭になった。熱帯地域ではシダは巨木となる。40メートルくらいの大きさになったという。シダというのはあまり強度がなく、巨木といっても風が吹くとすぐに倒れる。ここでも折り重なったシダが泥炭層をつくる。その量は膨大なもので、空気中のCO₂を大量に固定し、逆に光合成によって酸素を放出し続けた。大気中の酸素濃度は現代の2倍にもなり、巨大な昆虫を生み出せるような環境になった。

3億年前になると裸子植物が生まれる。裸子植物の特徴は、「リグニン」を持つというところだ。植物に強度を与える、“木質”という部分だ。化学的にはポリフェノールが複雑に結合したものだそうである。それまでの植物の主成分であったセルロースは簡単に微生物に分解されるが、リグニンは分解されにくい。未処理の木質はどんどん土の中に残され、石炭紀という地質時代を創り出した。
こうなってしまうと栄養分の循環が途絶えてしまうのだが、救世主となったのが白色腐朽菌と言われる種類のキノコだ。シイタケ、ナメコ、エノキ、マイタケなどである。このキノコはベルオキシターゼという酵素でリグニンを分解する。石炭紀を終わらせたのはキノコだったのである。そして再び栄養の循環が始まったのである。

裸子植物の時代はその後の恐竜の時代も続く。この時代になるとプレートテクトニクスによって巨大大陸(パンゲア)は分裂し、海が入り組むことで温暖湿潤な気候は内陸まで広がり森林が拡大した。
雨が多くなるとカリウムやカルシウムが流されて酸性になる。加えて、先に書いたようにコケやシダをはじめ植物たちは岩石に含まれる栄養分を得るために酸性物質を放出するのでさらに酸性化が進む。しかし、酸性化してしまった土壌にはミネラル分が少なく、有害なアルミニウムイオンまで溶けだしているという、植物にとっては過酷な環境である。ある意味それを自らが作り出してしまっているということなのである。こういった作用で生まれる土壌はポトゾル土と呼ばれる土である。
しかし、北欧の松などは外生菌根菌と呼ばれるキノコ(マツタケの仲間たち)と共生することで少ないリンや窒素を吸収して2億年間を生き抜いてきた。
針葉樹たちは2億年を生き抜いたとはいえ、現代では北極圏や南半球のごく一部へ追いやれてしまっている。ジュラ紀や白亜紀になると熱帯地域は鬱蒼とした被子植物の森にとって替わられた。それほどの鬱蒼とした森林を維持できるほど熱帯の土壌はさぞ栄養豊富だろうと思うのだが、まったく違うらしい。有機物の多い肥沃な表土層は薄く、その下は風化した養分の乏しい土壌が深く続いている。酸性とリン不足の土壌だ。有毒なアルミニウムイオンも溶けだして根の成長を妨げる。原住民が農業をするために焼畑農業するが、これも酸性土壌を中和するためだ。

では、熱帯の植物はどうしてあれほど鬱蒼とした森を作れるのか。それはやはり外生菌根菌との共生のたまものだ。フタバガキという植物は薄い落ち葉層の下に広く根を張りその周りに共生している菌糸からは有機酸が放出され、アルミニウムや鉄の酸化物に閉じ込められたリンを溶かし出す。それを広く張り巡らせた根でかき集めるのである。
熱帯地域では放出された有機酸は短時間で微生物に分解されてしまうので菌糸は有機酸を出し続けなければならない。このためにフタバガキは菌糸に栄養分である糖分を配給し続けなければならない。そのために地上60メートルまで葉を茂らせ養分を送り続ける。
だから、伐採によってこの循環が分断されてしまうと元々栄養分が少ない条件では回復が難しくなるのである。この、フタバガキであるが、別名を沙羅双樹という。お釈迦様が亡くなったときにさっと枯れてしまったという植物で、平家物語の冒頭にも出てくるやつだ。この植物はギリギリで盛者必衰の理を防いでいるのである。
土と植物の歴史はこんな感じであった。

人間は土とどう付き合ってきたか。それは1万年前の農耕の始まりから始まる。
人間も「酸性」と戦ってきた。森林では土が酸性になる現象はあるものの、生態系全体としては養分が失われにくい仕組みが存在している。しかし、畑で収穫物が畑から持ち去られるので植物が吸収したカルシウムやカリウムが収穫分だけ持ち去られることになる。
人間が食べた分が何らかの形でが畑に戻っていけばそれなりに循環してゆくのだろうが現代はそうでもない。
それを克服ようとして考えられてきたのが焼畑農業や灌漑農業であった。

農業の起源は文明の発祥地と同じ場所であると言われる。ナイル川流域、チグリス・ユーフラテス川、黄河流域だが、共通しているのは半乾燥地帯であるということだ。乾燥した地域ではミネラル分が雨で流されないので栄養分が土壌に残る。そしてミネラル分が残っているのでほぼ中性を保っている。
あとは水があれば植物を育てることができる。そこで生まれたのが灌漑農業だ。文明が生まれるには乾燥地を流れる大河が必要であったのだ。
しかし、農業生産量は等差級数的にしか増えないが人口は等比級数的に増大する。ヒトを源にする環境問題が勃発するのだ。それは灌漑の失敗が端緒となる。
人が増えると住むところが必要である。チグリス・ユーフラテス川流域では建築需要を満たすため、レンガを作った。日干しレンガだけでなく焼成レンガも作るのだがそのためには木材を燃やす必要があり、川の上流で木材の伐採が極端に多くなってゆく。雨の少ない地域では森林の再生が追いつかず風雨にさらされた土壌が流出し灌漑水路を埋めてしまった。灌漑施設が無くなってしまうと水分が蒸発してしまい地下から塩分が上昇してくる。塩分濃度が高くなると植物は育たなくなる。土壌の劣化は食料生産の場を破綻させ、文明を破綻させてしまったのである。
エジプトでは事情が少し違った。定期的に氾濫するナイル川は上流から次々と養分を運んでくるので酸性化ともそもそも水路が埋まるということとも無縁であった。エジプトは最近までずっとナイルの賜物であったのである。しかし、それを止めてしまったのはアスワンハイダムであった。ダムを造ったおかげで養分を蓄えた土砂の流入が途切れてしまったのである。
どちらにしても人の営みが最適なサイクルを止めてしまったということだ。

焼畑農業はどうだったか。湿潤な気候では土壌は酸性化するというのは先に書いたとおりだ。それを中和するために森林を焼いた灰が役に立つ。灰はカルシウムやカリウムなどのアルカリ成分を含んでいる。そして、森林の下の日が当たらないところに堆積した落ち葉などは直射日光を受けて温度が上がり、分解が進む。マイナス電荷を持った有機物は分解されるときに水素イオンをひとつ消費するので酸性物質を中和させる。そんな効果もある。
しかし、灰は雨に溶けて流れやすいため有効期間は短い。この本ではタイ北部の陸稲と水稲で比較されているが単位面積あたりの収量は水稲の2分の1以下にしかならないそうだ。だから、焼畑農業では森林を休めながら転作を続けるしかない。5年に一度が適当なサイクルなのだそうなので実質は10分の1である。しかしここでも人口増加のために休閑期間を短くせざるを得ず土壌は劣化していった。

特殊なのは水田である。田んぼの地下の土は青いそうだ。田んぼに水が張られると水の下では酸欠状態になり還元状態が進むことで土の中の鉄酸化物が溶け始める。元々赤や黄色だった鉄酸化物が溶けると2価イオン(Fe₂₊)に変化する。これが青い色の原因となるのだが、この還元反応は電子だけではなく水素イオンも3つ消費するので酸性土壌を中性に変えることに貢献する。㏗が上がることでリンが溶けだし稲の養分になる。
田んぼに水を張る効果とは特殊であり絶大なのである。これがアジアの高い人口密度を維持しているのである。

次は窒素についてだ。三大栄養素(窒素、リン酸、カリウム)のひとつであるが、供給減が限られている。大気中には大量に存在するが、かつては動物の糞尿か豆の根っこに共生する根粒菌による空中窒素固定プロセスに頼るしかなかった。世界の人口は土の窒素量によって制限されていたといっても過言ではなかった。
19世紀の鳥の糞の化石であるグアノの争奪戦を経て1906年、ドイツの科学者フリッツ・ハーバーが大気中の窒素ガスからアンモニアを合成する方法を発明し、カール・ボッシュが実用化したことで大量生産が可能になった。中学校か高校の教科書で習った、ハーバー・ボッシュ法というやつだ。同時にこの窒素は火薬増産の原料にもなった。
20世紀初頭には世界の農地への窒素供給量は1億2千万トンだったものが人工の窒素肥料の登場でさらに1億トンが上乗せされた。この間、世界の人口は70億人になり、そのうち50億人は人工の窒素肥料がないと生存できないとされている。しかし、硫酸アンモニウムという種類の肥料はアンモニウムイオンが吸収されたあと硫酸イオンが残るので土が酸性になってしまう。土に残ったアンモニウムイオンも硝酸イオンに変化しイオンひとつについてふたつの水素イオンが発生することで酸化を進めてしまう。だから、酸性肥料という異名ももっているという。
本題とは異なるが、戦前戦後にかけてこの肥料を作っていたのが水俣のチッソ株式会社だ。水俣病の原因となったのも硫安肥料だったのである。先日、水俣病患者の懇談会での問題が大きなニュースになっていた。すべての批判の矛先はマイクをオフにした環境省に向いていたが、患者団体は3分では足りないと思っていたのならどうして事前に反発しなかったのだろう。メールでしか通知されていなかったというのもなんだか環境省の逃げ腰のようにも思えるがどちらにしても反発しなかったのならそのルールを守るのが民主主義だと思うのはおかしいことだろうか・・。それを後押ししないマスコミも世論の番人としては失格だと思う。土壌も危機に瀕しているが日本の民主主義も瀕死の状態のようである。

土壌の劣化というのは畑で進行しているのであるが、その引き金を引いたのはその奥にある政治や経済、歴史であると著者はいう。
温暖化の元凶とも考えられている地下資源の採掘もしかりである。石炭を露天掘りで掘るとその跡地は㏗2という強酸性の土壌が残る。多くの生物が折り合いをつけてきた土壌の限界は㏗4だそうだからはるかに酸性度は高く、植林をやってみても成功はしない。そんな中でも頑張るのはシダ植物らしいが、そこから自然の森林が回復するまでには途方もない時間がかかる。

この本にはその解決策としての提案はまったく書かれていない。それはあまりにも難しいからだそうだ。『酸性土壌と戦ってきた植物やキノコの進化には数億年という時間がかかっている。このデリケートな土と人間が付き合ってきたのはっずっと短い1万年前後である。まだまだ無駄や失敗があって当たり前だ。酸性土壌にも自らの色を変えながらしなやかに対応しているアジサイのように、私たち人間も土壌とうまく付き合いたいものだ。』(アジサイはアルミニウムをクエン酸と結合させて解毒することができるそうである。その時に花の色が青くなる。)と締めくくられているのだが、なんともデストピア的な締めくくり方だなと思ってしまった。

僕の家の庭の小さな生態系はどうなのだろう。毎年、剪定した葉っぱはゴミとして捨てられて庭の土壌に戻ることはない。それでも毎年、僕はいじめられているのではないかと思えるほどいっぱい葉をつける。刈るのが大変なのだ。彼らは一体どこから栄養分を得ているのだろうか・・。



その庭に去年は失敗したミントを再度植えてみた。



ほとんど葉を出さなかったということは僕の家の庭はかなりの貧栄養であるのだと思う。やはり、あの庭木たちは一体どこから栄養を得ているのだろうかという疑問は残る・・。
今年は土づくりのため、ワカメ、アマダイの尾びれ、焚火でできた少しの灰、港の近くの畑の隅に積みあがっていた堆肥を失敬したものを混ぜ込んだ。すべては2冊の本から得た知識をヒントにしたものだ。上手く育ったならばこの本の内容を深く理解できていたということだろう。

そのほかのエピソードで面白いと思ったことを最後に書いておく。
カブトムシの幼虫の食料は腐葉土だが、どうやってそれを消化しているかというと、腸の中ほどには強アルカリ性の部分があり、リグニンなどの芳香族化合物を溶かしてしまう。後ろのほうの大腸では腸内を中性に戻すとともに酸素の少ない状態にすることで発酵細菌が過ごしやすい環境を提供し、グルコース(セルロースが分解されたもの)を有機酸に変換して吸収する。ひと以上に複雑な消化をしている。

ミミズとヒトの腸内細菌はよく似ているそうだ。酸素が欠乏した条件で発酵を担う細菌が多い。この細菌たちはセルラーゼという酵素を持っていてセルロースを分解する。ミミズは環形動物門の動物で、ヒトの直接の祖先である。食べるものが変わっても消化の過程も似ているというのは間違いなくミミズは僕たちの先輩なのである。

江戸時代、糞尿は専門業者によって回収され窒素肥料として利用されていたが、ウンコよりもオシッコのほうが栄養価が高いそうだ。オシッコはその成分のうち、尿素が栄養源になる。それも、裕福な人のオシッコほど価値があったそうで、5段階に分けられていたそうだ。最上のオシッコは大名屋敷から出てくるもので最低は牢獄のものだったらしい。多分、僕のオシッコは下から2番目くらいだろうと思うがそれでも港でやっている立小便も少しは役にたっているらしい。(ウンコはもめ事の元にしかならないが・・)

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