イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

水軒沖釣行

2024年05月18日 | 2024釣り
場所:水軒沖
条件:若潮9:41干潮
釣果:ボウズ

例年なら今頃からチョクリでサバが釣れ始めるころなので調査に出てみた。本当は加太に行きたかったのだが、今日はトンガの鼻の草刈りの日だ。先月はアマダイに阻まれて参加できなかったので今日はきちんと参加をしなければならないので勝負が早い釣りを選んだというところだ。


先週はかなり寝坊をしたので昨夜は早い目に寝てきちんと午前2時半に起きることができた。と言っても午前4時半の出港でもすでに辺りは明るくなっていた。



ひと月後には夏至を迎えるのでこれから2ヶ月はかなり早く家を出なければならない。つらい週末が続く。

午前7時までには終了してトンガの鼻に向かわねばならないが2時間半あればかなり沖まで出ることができる。水深50メートルまで一気に船を進める。



風は穏やかで潮の流れも緩やかだ。仕掛けもいい角度で入っている。形而上はどう見ても釣れるシチュエーションだが、形而下には魚はいないようだ。



魚探に反応らしきものがあるけれども、どうもこれは潮の境目の感じである。



こうなってくるといつまでやっていても一緒だろうと思えてくるので午前6時半に終了した。

来週は船底の塗装を予定しているのだが、船の速度は快調だ。ひょっとしたら上架する必要はないのではないかと思える。例年なら舵の周りにはかなりフジツボがたくさん付着しているのだが今年はあまり見えない。スクリューもかなりきれいに見える。理由はよくわからないが港の水質はかなりよくなったような気がするのでその影響だろうか・・。雑賀崎の人たちに聞くと、あの港では上架は1年1回でよいというのでそれに近づいているのかもしれない。
しかし、それでも何もせずに夏を越すのは無理だろう。動きが悪くなった時点で上架するという方法もあるだろうけれどもその頃は真夏になっているだろう。炎天下のなかでの作業は辛すぎる。どういった方法を選択するのが効率的で経済的なのか探る必要があるような気がする。おカネはできるだけ節約せねば・・。

港に戻って叔父さんの家で時間を潰してトンガの鼻へ。
今日はなぜだか参加者が少ない。明日はここで結婚式を挙げる人がいるということを聞いていて、念入りに作業をするのだと思っていたら肩透かしを喰ってしまった。
Fさんはちゃんと出勤していたので聞いてみると、このあとすぐ雑賀崎の灯台のリニューアルの式典があり、そっちに行かねばならないので開始時刻を早めたそうだ。なので、作業への参加者も少なくなる見込みだったので昨日までにほとんどきれいにしてしまったそうだ。
確かに、入り口から奥まで、すごくきれいになっていた。



せっかくだからあんたも見て帰りなさいと言ってくれるので灯台を尋ねてセレモニーを見てみた。



聞くところによると、灯台の塗り直しの費用は2200万円だったそうだ。それも、灯台の先端の所管は海上保安庁で、そこから下は和歌山市の所管なので塗った業者が異なるそうだ。この2200万円はおそらく和歌山市の負担分なのだろう。まあ、保安庁の部分は光源をLEDに変更する作業もしているらしく、それはそれで必要な費用であったと信じたい。
この灯台の灯りは陸の方にも届いていて、湿気のあるときや埃が漂っているときには灯台らしい光線が見えたのだが、今回の改修で陸側には光が漏れないようになってしまったそうだ。昔からの風情がまたひとつ消えてしまった。

どんな経緯で費用が出されたのかはよくわからないが、セレモニーに立ち会っている役人のひそひそ話を盗み聞きしていたら、国の「日本遺産」関連の予算からも出ていて、こういうハード部分に費用が出るのは稀なことらしい。観光協会やらなにやらの関係者の働きかけの賜物だったのだろう。“ツルホ” なんていう言葉も聞こえてきたのでそういう人の口添えもあったのかもしれない。知らんけど・・。
しかし、こういう費用というのが、欲しいと言わないともらえないのだとしたら、声を出せる人はいいけど出せない人は永遠に恩恵を受けることができず、それを分捕る団体交渉をするための組織が生まれてそれが政党というものに発展してゆくのだろうなと考えてしまった。みんなおカネに群がりたいのだ。
そんなことを考えているからか、、今、このタイミングで塗り直す必要というのはあったのだろうか・・?という疑問は残ったままである・・。

団体を持たずに、分捕るための声を上げることも拾ってもらうこともできず、奨学金を受けられない学生たちや収入を補填してくれない母子家庭などは永遠に報われないのがこの国なのだろう。昨日のニュースでは、奨学金を申請してももらえない学生は申請者の半分になっているという。
2200万円あればどれだけの人を助けることができるのだろうか・・。灯台は確かに真っ白になっていたが・・。



ニュースというと、夕方のニュースで人知れず僕の後ろ姿だけ映っていた・・。



そして一方で、こういうことができる人たちが「大人」というのだろうなと思った。人脈と駆け引きというのだろうか、人を動かしておカネを使うことができる人を大人というのだ。きっと。
和歌浦の漁港の観光用の看板も古くなっているからなんとかしろと市役所の役人に指示をしているようなひそひそ話も聞こえてきたが、民間でも役所でもこういうひそひそ話からいろいろなことが動き出すのかと、もとが人嫌いだから僕にはそういうことは絶対にできないのでいつまでも大人になれないのだと思ったのであった。

このブログの原稿は翌日に書いている。どんな人が結婚式を挙げるのかはしらないが、あまりにもきれいな思い出を作ってしまうと後々ケンカをしたり別れ話が出たりしたときにかえって邪魔な思い出になってしまうので、そんなに感動的な演出(といっても、虫がいっぱいの原っぱで感動的な結婚式ができるのかどうかも疑問だが・・)をする必要もなかろうと思っていたら朝からはあいにくの雨模様だ。まあ、神様もそういうところはちゃんと心得ておられるのだろう、雨を降らせて少しだけ水を差してくれたというところだろうか・・。

そんなことを思っている僕はやっぱり大人ではないのである・・。
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