まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第49番「延暦寺」~西国四十九薬師めぐり・49(とうとう満願)

2022年02月10日 | 西国四十九薬師

1月29日、坂本からのケーブルにて比叡山に上る。この延暦寺で、西国四十九薬師めぐりも結願となる。無理やりこの時季にねじ込んだかのようだが・・。

受付で国宝殿とのセット券を購入し、中に入る。拝観料は西塔、横川エリアと共通だが、冬季は山内のバスも運休のため移動手段がなく、根本中堂、東塔エリアしか行けないが仕方ない。

係の人が雪をかき集めて、トラックに載せるための作業をしているところ。この日は穏やかな天候だったが、大雪の直後はもっと大変な作業だったことだろう。

根本中堂に向かう。根本中堂は2016年から約10年かけて大改修が行われており(当初は平成の大改修として始まったが、元号はいつしか令和となった)、主に屋根の葺き替えと塗装の塗りなおしが行われる。前に来た時は外側にフェンスが張り巡らされ、屋根に足場が組まれている途中だったが、現在は根本中堂、回廊ともすっぽりと覆われている。

根本中堂の前に納経所がある。混雑を避けるための工夫として、朱印の方は納経帳を先に預けて参詣するようにとの案内がある。もっともこの日は参詣者もほとんどいないため、その場でバインダー式の西国四十九薬師の朱印に日付を入れてもらった。そしてこれで満願となった旨を告げ、満願の証もいただく。

申請書に住所、氏名を書いて渡すが、特に料金はかからず、バインダー式と同じサイズの用紙に名前を書いてもらう。これなら額に入れるよりは納経バインダーと一緒に綴じるのがよさそうだ。

第1番の薬師寺に始まり、ここまでくじ引きとサイコロで次の札所を決めながらやって来た。寄り道が多く長い時間がかかったように思うが、ようやく満願である。近畿2府4県プラス三重県・・さまざまに回ったことを思い出す。

さて、根本中堂である。大改修中ではあるが「不滅の法灯」はやはり不滅で、参詣は可能である。従来なら回廊歩いてから根本中堂に入ったが、現在は仮設の通路をまっすぐ進み、靴を脱いでそのままお堂に入る。ちょうど中庭を横切る形だ。

ろうそくの灯りだけの中、満願のお勤めとする。ちょうどお参りのスペースには電気毛布が敷かれている。

改修工事中、「修学ステージ」というのが設けられていて、参詣者はそこに上がって工事の様子を見学することができる。今回の大改修、参詣を最小限にすれば6年で終わるそうだが、こうしたステージを設けたために期間が10年になったそうだ。ただ延暦寺はあえてそうしたという。多少工事期間が長くなっても、少しでも信徒の方、参詣の方が根本中堂に接することができるように配慮したそうだ。

ちょうど屋根の高さまで上がることができ、工事中ならではの貴重な視線を体感できる。このステージからは写真撮影も可能で、またスマホアプリから工事完了後のイメージ画像をVRで見ることもできる(もっとも、私の手持ちのスマホは最新でないからとかいって却下されたが)。

現在の根本中堂は江戸時代初期に徳川家光の命で再興されたものだが、今回の大改修では、古文書に記された資料や技法をもとに、当時の姿を再現するという。工程でいえば現在は半ばを過ぎたところで、完工後の姿が楽しみである。

開運の鐘を撞き、大講堂に向かう。ここでも僧侶が長靴を履いて雪かきの最中である。大講堂じたいは昭和の建物でもともと丈夫なところ。こちらの本尊は大日如来で、その左右には比叡山で修行した各宗派の祖たちの木像とともに、上部には天台宗やその流れを汲む各宗の名僧たちの肖像画が列伝のように並ぶ。法然、親鸞、栄西、道元、日蓮、一遍など、今に続く仏教各宗派の祖が並ぶ中、ここ比叡山で「いないことになっている」のが弘法大師空海である。まあ、そこは大人の事情ということで・・。

ちょうど僧侶によるお勤めの最中で、大日如来の脇に並ぶ各像を前にして般若心経を早口で唱え、最後に「南無親鸞聖人」のように付け加える。そして隣の像に移って般若心経を唱え、「南無〇〇上人(大師)」と結ぶ。毎日こうしてお勤めしているのだろう。

この後、国宝殿で各時代の薬師如来や不動明王などを拝観し、東塔の阿弥陀堂と法華総持院東塔を拝む。上り坂で凍結しているところもあったが、これで一通りお参りを済ませたとして延暦寺を後にする。

それにしても、くじ引きとサイコロによるものとはいえ、お参り順がばらばらだったなと改めて思う。

1薬師寺~8室生寺~33石薬師寺~34四天王寺(三重)~17国分寺~22鶴林寺~31総持寺~42勝持寺~41正法寺~12禅林寺~2霊山寺~20東光寺~30多祢寺~44神護寺~15家原寺~37浄瑠璃寺~14野中寺~9金剛寺~40雲龍院~13弘川寺~45三千院~3般若寺~4興福寺~5元興寺~6新薬師寺~43神蔵寺~23斑鳩寺~24神積寺~29温泉寺~28大乗寺~21花山院~27天寧寺~26長安寺~25達身寺~32西明寺~46桑實寺~47善水寺~10龍泉院~11高室院~36弥勒寺~35神宮寺~48水観寺~7久米寺~16四天王寺(大阪)~19昆陽寺~38法界寺~39醍醐寺~18久安寺~49延暦寺

12時発のケーブルカーで比叡山を後にする。下りの便もガラガラ。この次に比叡山を訪ねるのはかなり先になると思うが、その時は参詣の人たちで賑わう光景を見たいものだ。

坂本比叡山口駅まで戻り、ちょうど昼時ということで駅前の「鶴喜そば」に入る。札所めぐりに出かけると店に入るのを躊躇して昼食を取り損ねることが多いのだが、この日はこちら一択である。それでも行列ができているならあきらめようと思っていたが、シーズンオフのためか待ち客もなくすぐに入る。

温かいそばで落ち着き、比叡山めぐりも無事に締まった気持ちになる。

さてこの日は夕方の「こだま」で新大阪を出発するとして、時間はまだまだある。坂本比叡山口から京阪大津京まで出て、湖西線に乗り換える。山科で新快速に乗り換えて新大阪に到着し、そのまま天王寺に向かう。

天王寺ではこの日のもう一つの目的地へ・・・。

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西国四十九薬師めぐり~いよいよ満願の比叡山へ

2022年02月09日 | 西国四十九薬師

令和のはじめから回ってきた西国四十九薬師めぐり。後半からは大阪から広島に異動となったことで距離が遠くなり、札所をめぐるペースも遅くなったが、さまざまなイベントとくっつけて何とか満願となる第49番の延暦寺にたどり着くになった。現在中国、九州とさまざまな札所めぐりが重なっている中、一つ区切りをつけることにする。

今回は日帰りでまず延暦寺を訪ね、帰途に大阪天王寺に立ち寄る。その目的は後ほど記事にするとして・・。

新幹線に乗るなら「新幹線直前割きっぷ」や日本旅行の「バリ得こだま」で「こだま」・「ひかり」限定で割安で行くところだが、同じ日本旅行の予約サイトにて、「日帰りで行っちゃお!京阪神」という商品を見つけた。先日福山まで「岡山」版を利用したが、その新大阪版である。1月末までの限定商品で、「のぞみ」にも乗ることができて往復10,500円(ただし「みずほ」・「さくら」は選べない)。この商品を利用するために、1月29日に出かけることにした。

広島6時44分発の「のぞみ92号」で出発。たまには「のぞみ」に乗るのもいいだろう。

比叡山に行くのなら京都まで乗りたいところだが、山陽新幹線限定の旅行商品のため新大阪で下車。新快速に乗り換えて、京阪大津線との乗り換えである山科に向かう。

比叡山の玄関口である坂本まではいくつか乗り継ぎのパターンがある。新快速でそのまま石山まで行って京阪石山坂本線に乗ってもいいし、タイミングが合えば湖西線に入り、大津京で石山坂本線に乗り換え、あるいは比叡山坂本まで行ってそこから歩くルートもある。その中で今回の往路は、逢坂越えの景色や道路上を走るところを見ようということで山科乗り換えを選択した。

なお、1月の比叡山はコロナとは関係なく完全なシーズンオフで、正月3ヶ日を除けば公共交通機関で行く場合坂本からのケーブルカーに限られていて、京都側、八瀬からのルートは全面運休である。また比叡山に上がっても山内のシャトルバスも冬期運休で、西塔、横川エリアに行くなら徒歩しかない。何もそんな時季に行かなくても・・と思われるかもしれないが、あえて人の少ない時季を選んだこともある。今回、西国四十九薬師めぐりの札所は根本中堂のため、東塔エリアに行ければそれでよしとして・・。

坂本比叡山口から穴太積みの石垣が並ぶ一角を通る。

ケーブル坂本から10時発の便に乗る。乗客は数人しかいない。これはコロナの影響というよりはシーズンオフのため、また根本中堂が10年がかりの大改修中のためだと思いたい。この日はまだ穏やかな天候で、薄雲が広がっているものの、車窓に琵琶湖周辺の景色を望むことができる。

日本最長のケーブル線を11分かけてゴトゴトと上っていく。さすがに標高が高くなるに連れて外には雪も広がるが、この日は路面の雪は完全に溶けておりケーブル駅からの徒歩にも支障ない。大雪の当日は大変なことになったのだろうが。

山上に到着。駅内の温度計を見ると4度ほど。確かに寒いが、朝広島を出た時とさほど変わらない。標高670メートル地点でこの気温だと穏やかなのだろう。

駅から歩いて東塔エリアに向かう。延暦寺は何度か訪ねているが、札所の満願ということで気持ちも改まって・・・。

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西国四十九薬師めぐり~能勢電鉄乗り継ぎで雪の能勢妙見山へ

2022年01月13日 | 西国四十九薬師

池田の久安寺に参詣した後、どこに行こうか考えた結果思いついたのが、池田からほど近い能勢電鉄の乗車である。過去に途中の駅まで訪ねたことはあったが、終点の妙見口まで乗ったことがなかった。

池田から1駅、川西能勢口に到着。池田と川西、県境をまたいでいるが川西池田というJR駅もあるように一つのエリアと見ることができる。能勢電鉄も両市をまたいで運転する路線である。

阪急とはホームの一部を共有しており、朝夕には阪急~能勢電鉄直通の特急「日生エクスプレス」も運転される。運賃も合算される。車両も阪急から譲渡されたものである。「阪急能勢線」といってもいいくらいだが、子会社とはいえあくまで独立した会社である。車両にも「のせでん」のマークが入るし、駅名標も周辺のスポットをデザインしたイラストも入ったオリジナルのものが続く。

列車はしばらく猪名川近くの住宅地が並ぶ中を走る。かと思うと周囲が山の景色に急に変わるところもある。日生中央への線が分岐する山下を過ぎると単線になり、急カーブとトンネルも続く。地図を見るとその山の上に住宅地が開かれていて決して過疎地を走っているわけではないのだが、大阪近郊なのにローカル線に乗っているかのような雰囲気を味わえる。

光風台、ときわ台というニュータウン風の駅名を過ぎると周囲は一気にローカルムードとなり、終着駅の妙見口に到着。ホーム1本、行き止まり式の無人駅である。

能勢電鉄は能勢妙見山への参詣客輸送と、沿線の特産物の輸送を目的として建設された。経営が厳しい中早くから阪急が資本参加するなどで持ちこたえ、沿線の住宅開発で利益を上げることで何とか経営も安定させることができた。

終点の妙見口は大阪府最北端の駅だが、来るのは初めてである。長いこと大阪府に住んでいたにもかかわらず乗ったことがない路線があったとは、乗り鉄を名乗っていてもいい加減なものである。

ここまで来たのならと、能勢電鉄が建設された当初の目的である能勢妙見山にお参りすることにしよう。能勢妙見山へは、同じく能勢電鉄が運行する鋼索線(妙見の森ケーブル)と索道線(妙見の森リフト)を乗り継ぐことになる。

能勢妙見山への参道は、途中駅の名前でもある一の鳥居から続くそうだが、妙見口駅からだと花折街道を通って妙見の森ケーブルの駅まで20分ほど歩く。

なお、この日は突然思い立ってケーブルとリフトを乗り継いで能勢妙見山に行くことになったが、いずれも冬季は運休する路線である。ただし、正月3ヶ日と、能勢妙見山のお祭りがある2月11日に限り運行するとあった。もし前日の大晦日に来ていたら妙見口でそのまま折り返すところだった。

大阪府にもこんなところがあるのかと感心する里山の景色を歩く。途中に八幡宮があり、そちらに初詣で訪ねる人の姿もちらほら見る。ただここに来て、晴れ間が出たかと思うとまた雲が覆い、風も出てきた。

そしてケーブルの黒川駅まで来ると、軌道に沿って雪が積もっているのが見える。元日早々、大阪でこうした景色を見るとは思わなかった。それもオモロイやないかと、ともかくケーブルとリフトの往復セット券を買って乗り込む。座席がほぼ埋まるくらいの乗客があった。

5分ほどで山上駅に到着。リフト乗り場であるふれあい広場まで坂道が続くが、周囲は数センチの積雪。ケーブルに乗り合わせていた子どもたちがわざと雪道を歩いたり、雪を手に取って投げたりして親から「やめとき!」と言われていたが、そりゃ遊びたくもなるだろう。

リフトに乗り継ぐ。かつてはここからもケーブルカーが運行されていたが、戦時中に不要不急路線として撤去されたそうだ。戦後再建するにあたり、建設費などを考慮してリフトにしたという。係の人がビニール座布団を用意してくれて、リフトが回って来るとそれをシートに置く。その上に座っての出発である。

リフト沿いは桜をはじめとして四季の花が楽しめるそうだが、今は雪景色である。繰り返しになるが、まさかこういう展開になるとは思わなかった。ただ元日から珍しいものを見てうれしい気持ちである。もっとも、リフトに乗るのに雪が降っていたら大変なことになっただろうな。冬は正月3ヶ日と2月11日だけ運行とあるが、もし大雪だったら運休もあるのかな。

妙見山に到着。すぐ横に展望台があるので、雪を踏みしめて立ち寄る。その展望台からは六甲山、大阪平野、大阪湾が一望できる。なかなかの眺めで、今朝方降り立った大阪南港の辺りも見える。こちらはどんよりと曇っているが、平野部には日が差しているのがわかる。そのくらいしか離れていないのだが、晴れの大阪南港から一転して雪の能勢という眺めを楽しむことができて、急に思い立ってやって来た甲斐があった。

能勢妙見山へはもう少し参道を歩くが、一面の雪である。ただ、関係者の人が整備してくれているおかげか、歩行に難儀するほどではない。足元のこの感触も久しぶりだ。

参道の鳥居の近くに駐車場があり、多くのクルマ、そして初詣客で賑わっている。ケーブルやリフトは冬季運休だが道路は通年走ることができるし、そもそも、能勢妙見山にお参りするのはクルマが主流なのかもしれない。タイヤがノーマルなのかスタッドレスなのかは気になるが。

能勢妙見山という寺、大阪北部では有名なところで、こうして鉄道やケーブルカーが敷かれるくらいだから参詣者が多いのだが、私がさまざまな札所めぐりをするようになったにも関わらず、これまでご縁がなかった。改めて能勢妙見山について調べて納得したのだが、その理由が、ここが日蓮宗の霊場だったからだ。

確かに、これまでの札所は天台宗や真言宗が中心で、鎌倉仏教系でごくたまに浄土宗や臨済宗、曹洞宗が入ってくるが、日蓮宗、浄土真宗はこれらとは一線を画しているところもあり、そうした札所めぐりに登場することがなかった。これは別にどちらがいい、悪いというものではない。私の父方の宗旨が高野山真言宗ということもあり、そちらのほうにシンパシーを感じていただけのこと。

能勢妙見山は正式には「真如寺境外仏堂能勢妙見山」と呼ぶそうで、あくまで真如寺の飛び地にあるお堂の扱いだそうだ。近くにもう1ヶ所、能勢妙見山本瀧寺という寺があるそうだが、そちらは無関係な別の寺だという。

古代中国には北極星信仰があり、これに仏教の思想が混じって「妙見菩薩」が生まれた。平安時代、源氏の流れを汲む能勢氏がこの地の領主となると妙見菩薩を篤く信仰した。

後の戦国の世、当主の能勢頼次は能勢の地を失うのだが、関ヶ原の戦いの活躍で再び能勢の地を領地として与えられ、旗本として家を再興した。この頼次が帰依していたのが日蓮宗の日乾で、新たに妙見菩薩を祀った。これが現在の能勢妙見山の開基である。その後、「能勢の妙見さん」として人々からの信仰を集めた。現在は「北極星信仰の世界的聖地」としてPRしているところだ。

参道には馬の像が目立つ。馬は妙見菩薩のお使い・守護とされていて、また武士にとって大切な乗り物であったことから能勢氏も大切にして奉納したとされる。

屋台も出ている石段を上りきると、独特の形の建物に出た。「星嶺」という信徒のための建物である。これも能勢妙見山のシンボル的な建物だという。信徒の行事の時など、限られた時だけ開放されるそうだ。

そして山門へ。ふと見ると、ここに大阪府と兵庫県の境界の表示がある。ここまで大阪府と兵庫県を行ったり来たりしていて、川西能勢口で能勢電鉄に乗ったのは兵庫県。そして妙見口は大阪府。駅からケーブル黒川駅まで歩く途中で兵庫県に入ったようで、ケーブルとリフトは兵庫県である。そして石段を上がり、この山門から先は大阪府だ。昔は同じ摂津国だったから何の不思議もなかったことで、逆に現在の大阪府と兵庫県に分かれるにあたり、境界を引く基準がどうだったのかが不思議なところだ。

本堂にあたる開運殿にお参り。能勢頼次により開かれ、再建を経て現在に至る建物だ。ここに妙見菩薩が祀られている。他には日蓮・日乾などを祀る祖師堂や、経堂などがある。いずれも少し雪をかぶっている。一瞬、東北か北陸の寺にいるのかと思わせる。別に日蓮宗の寺だからといって他を寄せ付けないわけではなく、お参りする分には普通の寺である。鳥居が残っているのは神仏習合の名残ではあるが。

初詣の「おかわり」の形になったが十分満足し、境内を後にする。再び雪道を歩き、リフトでふれあい広場まで下りる。その降り口のところにあるのが「妙見の水」。妙見山の地下から湧き出る自然の恵みで、ペットボトルに汲んで持ち帰る。

ケーブルカーに乗り継いで黒川まで来た。すると乗り場前に阪急バスが到着した。この3ヶ日に合わせての運行で、せっかくなのでバスに乗って妙見口まで戻る。

帰りは途中の山下までの列車に乗り、タイミングよく日生中央から来た川西能勢口行きに乗り継ぐ。この日はこのまま宿泊地となる新大阪まで移動することに・・・。

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第18番「久安寺」~西国四十九薬師めぐり・48(池田の里での初詣)

2022年01月12日 | 西国四十九薬師

九州西国霊場の札所を回った後にフェリーに乗り、そして大阪に上陸して今度は西国四十九薬師めぐり・・札所めぐりでそれぞれで手を合わせてお勤めはしているというものの、はたから見れば完全にスタンプラリーかなとも思う。まあ、もとよりそこに他の観光スポットやら夜の一献やらも交えているので純粋な巡礼ではないのだが、それもいいだろう。

阪急宝塚線の急行にて池田に到着。池田には日清食品の創業者である安藤百福がチキンラーメンを発明した縁から「カップヌードルミュージアム」もあるし(カップヌードルはお世話になることもしばしば)、「池田の猪買い」などの噺の舞台となったことから「落語みゅーじあむ」というのもある。いずれも私にとって楽しめそうなスポットだが、年末年始のため休館である。まあ、もとより年末年始はいわゆる「ハコモノ」は休館するところがほとんどで、元日に池田に来ても入れないのは仕方ないと当初から割り切っていた。その点、この時季に旅行を楽しむなら年末年始よりは次の成人の日絡みの連休のほうがいいかもしれない。その時は「ハコモノ」や飲食店含めほとんどが通常営業に入っているので・・。

さて向かう久安寺へは池田からの路線バスである。日中は30分~1時間に1本の間隔での運行である。西国四十九薬師の一つである寺だし、元日は初詣客でバスも混雑するのかと思いきや、乗ったのは数人。それも地元の人のようで久安寺に初詣に向かうわけではなさそうだ。

特に道路が混むわけではなく、猪名川に沿って走る。阪神高速池田線の延伸区間も池田木部まで来ている。

先ほど落語「池田の猪買い」について少し触れたが、落語では雪も降る冬の寒い季節に、男が猪の肉を買いに大坂の丼池からどうにかこうにか歩いて向かっている。今なら阪急電車ですぐに行けるところで、駅周辺をはじめとして宅地化も進んでいるが、それでもバスで抜けると畑も広がり、山がちな景色となる。こうしたところなら、かつて普通に猪が獲れていた場所だといっても違和感はない。また「池田の牛ほめ」という噺もあり、立派な家を普請して、普通に牛が飼われていたとしてもうなずける。

現在は「不死王閣」という立派な温泉旅館もある。大阪市内からでも気軽にアクセスできるので有名だ。

そこからもう少し進んで久安寺のバス停に着く。バス停横の駐車場から境内に入れるが、そこはいったん通り過ぎた山門に向かう。山門そのものはくぐれないが、横の扉から入る。その扉も閉めるようにとの札がある。猪・鹿・犬通行止めとある。今も「池田の猪買い」の世界が残っているようだ。

久安寺は聖武天皇の勅願で行基が開いたとされ、弘法大師空海が真言密教の道場として建てた安養院が前身である。後に焼失したが、平安後期に近衛天皇の勅願で再興され、その頃から久安寺と呼ばれるようになった。先ほどの山門は室町時代には建造されていたもので、後に何度かの修復を経て現在に残る。

受付で拝観料を納め、バインダーの納経帳を預ける。まず出たのは「開運の鐘」。大晦日には除夜の鐘としても撞かれたそうだ。ここは新年を祝ってゴ~ンと一撞き。また年が明け、先ほどまで新年の勤行、護摩祈祷などが行われていたそうだ。境内で焚かれた火がまだ残っている。

本堂に上がる。今回、西国四十九薬師めぐりで訪ねたが、寺の本尊は千手観音である。平安中期、後一条天皇の勅願で定朝が彫ったとされる秘仏である。元日の勤行の後のためか椅子がずらりと並び、まずはそこに腰かけてお勤めとする。

本堂から三十三所堂、御影堂へと回廊が続き、スリッパでそのまま向かう。三十三堂には西国三十三所の本尊がずらりと並ぶ。新年早々、オールスターのお出迎えに恐縮する。久安寺は摂津国三十三所霊場の札所の一つでもある。

そして御影堂へ。ここも勤行の後のためか椅子や座布団が並ぶ。摂津国八十八ヶ所霊場の札所の一つでもあり、手を合わせる。この奥には四国八十八ヶ所のお砂踏み霊場のコースが広がっている。気候のいい時なら回るのも面白そうだ。

で、薬師如来は・・?と境内を回るうち、本堂から見て左手、山門から見て右手に新しい建物がある。薬師如来は8世紀の作で、池田市最古という。もっとも、直接見ることができるのは平成作の御前立ちの像である。ここでもお勤めとする。

それにしても、開運の鐘に始まり、千手観音、西国三十三所本尊、弘法大師、薬師如来・・と、初詣にふさわしいスポットに出会ったものである。このタイミングで順番が回ってきてよかった。帰りに受け取った朱印の用紙には「元日」の文字が入っていた。

西国四十九薬師めぐりはこれで48ヶ所まで回り、残るは第49番の比叡山延暦寺のみとなった。ここは日を改めて向かうことにする。

とりあえず、一度バスで池田に戻る。時刻はちょうど昼時、新大阪のホテルには夕方チェックインするとして、時間はまだある。そういえば、池田駅の近くに呉服(くれは)神社というのがあったな。その昔、正月に阪急宝塚線沿線の「七福神めぐり」をしたことがあり、七福神の恵比寿が祀られているスポットとして参詣したことがある。

・・ただ、元日の昼間、拝殿から阪急の高架まで長い行列ができていた。境内がそれほど広くないこともあるのだが、ここまで並ぶものかと驚いた。特に長時間並んでまで拝むか・・と言われればパスする。特に本日ここがメインというわけでもない。

ならばどうするか。宝塚線で宝塚まで行き、今津線を南下する乗り鉄でもいいかなと思ったが、路線図を見るとすぐ近くにまだ終点まで乗ったことのない路線があるのに気づく。その路線とは・・・。

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西国四十九薬師めぐり~まずは海上から謹賀新年、初日の出

2022年01月11日 | 西国四十九薬師

早いもので年が明けてからもう10日が経ったが、記事は新門司港からの名門大洋フェリーの船上にて新年を迎えた2022年(その瞬間は個室の中で寝落ちしていたのだが)。

さて、正式に眠りについて、そして目覚めたのは6時前。日の出の時刻は7時すぎ、ちょうど明石海峡で迎えることになる。となると、それまでが慌ただしい。

まずは朝風呂である。前夜にも入っているし、普段朝風呂の習慣があるわけではないが、こういうところで1泊すると朝風呂に入らなければもったいない気がする。貧乏性なのかな。入口には余裕あり、入浴中1名との表示が出ていたが、更衣室に入ると結構な人出。この表示もあまりあてにならない。まずは髭を剃り、体を洗って湯船に浸かり、新たな気持ちになる。

その後は朝食。前夜と同じバイキング形式。お椀に餅が1つ入って、出汁を注いで出来上がりの雑煮や、蒲鉾、伊達巻、田作りなどの簡単なお節料理もあり、それぞれ少しずつつまむ。旅の途中でこうした料理はありがたい。

そして甲板に上がる。明石海峡大橋はもう通過していて、大阪湾に入ってきた。上部甲板にはすでにかなりの人だかりができている。前方には神戸から大阪の湾岸部、さらには生駒~紀伊の山あいが見えるが、あいにく雲がかかっている。

初日の出を狙うが、先ほどまで左舷の方角が明るかったところ、フェリーが左に舵をきった。すると甲板の人たちが一斉に右舷に移った。どうやらこちらから日の出が拝めそうだ。

ただ、山上には厚い雲。日の出の時刻はとうに過ぎているが、太陽はなかなか顔を出さない。雲の一角に明るくなっているところがあり、そこから顔を出すのだろうと皆待ち構えている。

そして雲の隙間から・・・。

きれいに真ん丸なわけではないが、きちんとした日の出である。少しずつ明るくなり、光線が水面を走る。甲板にいた人たちから拍手が起こる。2022年がよい年になりますように・・・。

大阪南港が近づく。そろそろ着岸である。12時間半あまりの航海ももうすぐおしまい。船上での年越し、そして初日の出・・よい思い出になった。無事に大阪南港に到着。

さて元日の過ごし方。藤井寺の実家には2日に顔を出すとして、元日は大阪近郊で過ごす。元日、2日は新大阪に連泊することにしている。実家に宿泊してもいいし、親からもどうするのか訊かれたが、スペースの問題もあるし、一応コロナ禍の中で気をつかうとして・・・まあ、お互いそのほうが気楽でいいだろう。

そこで、タイトルにあるように西国四十九薬師めぐりである。ここまで49の札所のうち47ヶ所まで回っている。最後に比叡山延暦寺に向かうとして、その前に残っているのが池田の久安寺。ちょうど大阪ということでいいのではないかと思う。ならばそのまま延暦寺にも行けばよいのではという声も聞こえそうだが、延暦寺については満願として改めて参拝したいと思う。そこにはある思惑もあって・・。

目的地は池田だが、まずは宿泊地の新大阪に向かうことにする。大阪南港から新大阪に向かうのはコスモスクエア経由が近いのだろうが、これまでの経験からか住之江公園行きに乗る。そのままニュートラム~四つ橋線~大国町同一ホーム乗り継ぎの御堂筋線~で新大阪に到着。

新大阪に先に来たのは荷物をコインロッカーに預けるためだが、コインロッカーなら阪急の池田にもある(はずだ)。それを新大阪まで行ったのは、宿泊地に近いこともあるし、元日の夕食を確保しておこうという思いもあった。そのことはまた改めて触れるとする。

何だか無駄な動きをしているようだが、新大阪からまた御堂筋線で1駅西中島南方に戻り、阪急京都線に乗り換えて十三に到着。さらに乗り継ぎ、阪急宝塚線の急行で池田に向かう(新幹線と阪急の乗り換えも近いようで遠い・・・)。

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第38番「法界寺」~西国四十九薬師めぐり・46(親鸞聖人生誕の地)

2021年12月02日 | 西国四十九薬師

日本シリーズを前にした西国めぐり、2ヶ所目は法界寺。西国四十九薬師めぐりの第38番である。

京阪の六地蔵からバスに乗る。法界寺には門前に日野薬師というバス停があるのだが、そこに行くのは40分に1本ほど。ただその他に、醍醐寺方面に向かうバスが走っていて、石田バス停から歩いても10分くらい。着いたタイミングでやって来たのが醍醐寺方面のバスだったのでとりあえず乗り込み、石田で下車する。場所は宇治市から京都市伏見区に移る。

バス停の角に、「乳薬師日野法界寺」と「親鸞聖人日野誕生院」の石碑が建つ。薬師の文字があるのはわかるとして、親鸞聖人の文字があるとは。

住宅が並ぶ中を歩く。周囲には各政党のポスターが目立つ。写真は撮らなかったがその中で目立つのは「泉ケンタ」。正面に向かい、右手を差し出すポーズである。先日立憲民主党の新代表に選出された泉健太議員である。こちらの選出だったのね。

日野薬師のバス停を過ぎて山門に立ち、境内に入る。

この辺りは藤原北家の流れを汲む日野家の領地で、法界寺はその菩提寺として平安中期に建てられた。日野資業という人が薬師如来を祀り、その胎内に伝教大師作と伝えられる薬師如来の小さな仏像を納めた。そのことから子授り、安産、授乳のご利益があるとして「乳薬師」の信仰を集めた。

また、当時は末法思想の影響で浄土教が流行したこともあり、合わせて阿弥陀堂も建てられた。法界寺の本堂はこちらの阿弥陀堂である。

さてまずは本堂にお参りしようと思うと、拝観料が必要である。納経所も兼ねていて、先に西国四十九薬師のバインダー式の朱印をいただく。

「本堂を案内しますので」と扉を開けていただき、通される。中は撮影禁止なので画像はないが、中央に国宝の阿弥陀如来が祀られている。平等院鳳凰堂の本尊に近い定朝様式の仏像である。さらに内陣には天人を描いた壁画が残されている。ありがたく拝む。

本堂の前に薬師堂が建つ。「乳薬師」の薬師如来立像は東京国立博物館で11月21日まで開かれていた特別展「最澄と天台宗のすべて」に出展されていて、帰りを待つところだった。外陣にてお勤めとするが、多くのよだれかけが奉納されている。住所を見ると京都市内はおろか、関西、さらには東京からの祈願もあった。私には経験がないのでわからないのだが、母親たちの子どもに対する思いの強さというのを感じる。私の母も、どこかでこうした祈願をしてくれたのかな?

さて、法界寺を建てたのは日野氏だが、そこから出たのが親鸞である。生誕の地には日野誕生院という別の寺が建てられたが、親鸞が幼い頃に初めて仏との縁を結んだのがここの阿弥陀如来だという。もっとも、法界寺じたいは現在は真言宗の別格本山なのだが・・(パンフレットを見て初めて気づいた)。

ちなみに日野氏といえば、時代が下るがもう一人有名なのが、室町8代将軍義政の正室・日野富子である。

この次は醍醐寺である。先ほど下車した石田バス停まで戻り、そこから乗り換えなしで行ける。醍醐寺は西国四十九薬師の札所でもあるが、西国三十三所めぐりの札所である。そして、西国三十三所の3巡目は醍醐寺で満願を迎えることに・・・。

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西国四十九薬師めぐり~日本シリーズとともに・・・

2021年11月26日 | 西国四十九薬師

日本シリーズ第6戦がほっともっとフィールド神戸で行われることになった。広島から向かうこともあり観戦するのは勝っても負けても第6戦のみだが、大阪、神戸の両方で開催というのも球団統合の時を見た者からしても感慨深いものがある。

そういえば、近鉄とブルーウェーブの統合が決まった2004年の最終戦が行われたのもこの神戸で、確かその時は雨天中止の振替試合だったと思う。平日だが仕事が公休にあたっていて藤井寺から神戸に参上して、近鉄バファローズがなくなることの寂しさ、また一方で仰木監督が引き受けた新たなチームへの期待を持ったものだ。この試合を観たから、その後は楽天イーグルスに走ることなく(こちらを近鉄の後継球団とするファンもいらっしゃる)、またプロ野球観戦を止めることもなく現在に至ったと思う。

さてこれで神戸に行くわけだが、仮に日本シリーズ第6戦が行われなかったとしても関西に行く予定は立てていた。そのお目当ては、西国四十九薬師めぐり。前週には第19番の昆陽寺を訪ね、残りは久安寺、法界寺、醍醐寺、そして結願の延暦寺となるが、もうサイコロは関係なく、西国三十三所めぐりと合わせて京都の2ヶ所をささっと回り、夕方に神戸に入ることにする。宿泊だが、神戸三宮近辺は高級ホテルかゲストハウスくらいしかなく、エリアを離れて西明石に確保した。JRなら遅くまで運転しているのでよほどのことがない限りチェックインも間に合うし、新幹線接続ということで翌日の行程も便利だ。

そして今回投入するのが、「JR西日本どこでもきっぷ」。JR西日本エリアが3日間乗り降り自由、新幹線・特急の指定席も6回まで利用できて22000円。広島~関西を往復するだけでも同じくらいの値段で、そこにプラスアルファすればお得である。27日は京都の札所をめぐってバファローズの必勝祈願、そして翌28日はこのきっぷを活かす行程を組んでみる。

あ、バファローズが27日に勝って第7戦にもつれた場合、テレビ観戦せにゃいかんでしょう。あまり遠くまでウロウロするわけにもいかないな・・・。

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第19番「昆陽寺」~西国四十九薬師めぐり・45(日本シリーズの第2戦は??)

2021年11月24日 | 西国四十九薬師

11月20日、日本シリーズの第1戦を観た後に弁天町で宿泊。明けて21日は久しぶりに藤井寺の実家に戻る予定である。ただ、朝一番に行く必要はなく、姉夫婦も集まって実家で昼食でも取ろうということになった。

その前にどうするか。せっかくなのでホテルでチェックアウト時間ぎりぎりまでゆったりしてもいいし、その間に第1戦の観戦記をパソコンで書いてもいいかなと思ったが、早めにチェックアウトする。

この20日~21日で予定していたわけではないが、西国四十九薬師めぐりの残り札所のうち、ここから近い第19番の昆陽寺に行くことにする。阪神エリアには昆陽寺と第18番の久安寺が残っているが、この時間を利用して片方だけでもお参りしておくのがよさそうだ。久安寺にしても、次の週末には参詣していることだろうし・・(そのココロは?)。

昆陽寺は伊丹市にある。ルートとしては、梅田から阪急神戸線で塚口、あるいは伊丹線乗り換えで伊丹まで行き、伊丹市営バスで昆陽里まで行くのかなと思っていた。ただ、弁天町起点でスマホで検索すると表示されるのは阪神の尼崎を通るルート。尼崎と宝塚を結ぶ「尼宝線」を通る阪神バスにも昆陽里のバス停があり、寺にも近い。

ホテルにはパンとスープの軽朝食が無料でついているが、前夜、ホテル1階に入っているセブンイレブンでいろいろ買っていたのでそちらで朝食とした後、出発する。まず弁天町から1駅、西九条まで移動して阪神に乗り換える。かつての通勤ルートの再現である。

阪神なんば線で尼崎に到着。ここも懐かしいスポットである。前夜は弁天町に泊まったが、ここ尼崎に泊まってもよかったかなと思う。時間的に一献はなかったとしても、ドームからは阪神1本で来ることができるし、「尼」ならではの雑然とした雰囲気を楽しんでもよかったかな。

さて、昆陽里に向かうバスは東にある杭瀬発ということで、国道2号線まで出た阪神尼崎北バス停から出発する。まずは国道2号線を走る。先月尼崎にて、女性が別れた夫にメッタ刺しにされて殺された事件が起こったが、その現場となったマンションの前も通る。テレビでニュースを見た時、周囲の景色から「あの辺やな」と驚いたものだ。

国道2号線から尼宝線を北上する。この道も何度も通っていて周囲に見覚えがあるが、バスで走るのは初めてである。阪神尼崎から20分あまり走り、昆陽里バス停に到着。ちょうど国道171号線と立体交差している。

国道171号線の歩道を歩き、伊丹市営バスの昆陽里バス停を過ぎる。そのまま行くと地元の人たちが整備している憩いの場がある。その奥に山門が建つ。国道171号線はかつての西国街道沿いで、そのことを記す灯籠も残されている。

寺の北西に昆陽池公園というのがあるが、それも含めてこの地一帯を開拓したのが奈良時代の行基である。伽藍を建て、薬師如来をはじめとした仏像を祀ったのが昆陽寺の始まりとされている。ただ、西国街道沿いにあったからかどうかは別として、その後は戦乱に巻き込まれて焼失と復興を繰り返したという。

その中で近年最大の災禍というのが、1995年の阪神淡路大震災である。確かあの地震では地形のため伊丹でも大きな被害に遭ったはずだ。実際、山門、本堂をはじめとした諸堂も損壊したが、その後見事に復興を果たした。大震災の時も本尊の薬師如来は無事だったそうで、寺ではそれまで秘仏としていたが震災を機に法要の時には開帳するよう変更したという。

まずはその薬師如来が祀られている本堂の前でお勤め。

その後、奥に建つ観音堂や行基堂、鎮守堂などにも手を合わせる。これらの建物も阪神淡路大震災で被災し、3年ほどかけて解体修理が行われた。その寄進に協力した人たちを顕彰した石碑もある。地元の人たちとすればそれだけ親しまれてきた寺院といえるだろう。

境内全体には緑が広がっていて、それをめぐるように四国八十八ヶ所めぐりのお砂踏みがある。境内の前は交通量の多い国道だが、一歩中に入ると静けさが感じられる。その代わり何やらパチパチと落ちるような音がするが、どんぐりか何かかな。

納経所に向かう。本坊の庭の外に木の扉が閉ざされているが、インターフォンを鳴らすと中に入るよう案内があった。薬師めぐりはバインダー式の朱印用紙をいただくスタイルで、バインダーがなくても四十九薬師のバインダー式といえばその用紙をいただける。急に思い立ってやって来たが、これでよかったと思う。

この結果、2019年6月、改元直後に始めた西国四十九薬師めぐりもようやく残すところ4ヶ所となった。第18番・久安寺、第38番・法界寺、第39番・醍醐寺、そして第49番の延暦寺である。久安寺は近く機会を設けるのでその時参詣するとして、洛南の2ヶ所、そして延暦寺は一気に行っていいかなとも思う。まあそこは追々考えることにしよう。

ここを訪ねることがメインならば、少し足を延ばして昆陽池公園に行くとか、池田まで行って久安寺も一気に参詣するところだが、この日は昼食に合わせて実家に戻ることにする。同じ阪神バスで尼崎まで戻り、阪神~JR~近鉄と乗り継いで藤井寺に向かう。

・・・さて、実家で少しばかりの時間を過ごした後、広島に帰宅すべく大阪駅に出る。今回選んだのは高速バス「グラン昼特急5号」。大阪を16時に出発して、広島へは5時間余りかかる。その移動中と日本シリーズ第2戦の時間は被るのだが、それも致し方ないと割り切る。

阪神高速の工事の影響で福島入口に入るのに時間を要したが、その後は順調に走る。進むうちに日本シリーズの試合開始となり、スマホのサイトで逐一情報を入れる。

この後は途中の休憩を挟みつつ、ただ試合のほうは途中で終わった。

第2戦はバファローズ宮城、スワローズ高橋といういずれも若手投手の先発で、終盤まで投げ合いとなった。8回に青木が放ったヒットが先制、そして決勝のタイムリーとなり、2対0でスワローズが勝利した。スワローズの高橋がプロ初完封を日本シリーズの場で達成し、対戦成績は1勝1敗となった・・・。

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第16番「四天王寺」~西国四十九薬師めぐり・44(聖徳太子、1400年の信仰の歴史)

2021年10月20日 | 西国四十九薬師

9月30日付で緊急事態宣言、まん延防止等重点措置が全都道府県で解除となった。その最初の週末である10月3日、日帰りにて京セラドーム大阪でのバファローズ対ホークスの試合を観戦した。ちょうどバファローズがマリーンズとの争いの中で再び首位に立ち、イーグルスとホークスの3位争いもまだ競っていた時期だったが、この試合は3対0でバファローズの勝利(観戦記はすでに書いている)。

その1週間後に福岡で観戦した同カードはホークスが3対1で勝ったのだが、その時点ですでにホークスの優勝はおろかクライマックスシリーズの進出も厳しいものになっていた(こちらも観戦記はすでに書いている)。

そしてペナントレースも大詰め。10月19日終了時点でマリーンズにマジック6が点灯しているものの、仮にバファローズが残り3戦全勝したとして、残り6試合を全勝(または5勝1分)しなければ優勝できないという展開。逆にマリーンズが連敗でもしようものならバファローズにマジック点灯、一気に優勝・・・ということになる。最後まで期待させてくれる。あるネットの記事で、残り試合の両チームの勝敗の組み合わせが280通りほどあるそうで、その組み合わせでどちらが優勝するかというのを色分けしていたが、ざっと見て6対4くらいの割合でバファローズが優勝とあり・・(20日のイーグルス戦が敗戦となり、また少し展開が動いたが)。

さて、話を10月3日まで戻す。この日の野球観戦前に札所めぐりである。今回は西国四十九薬師めぐりでここまで残っていた大阪の四天王寺が目的地である。これまでに何度となく訪ねている寺院だが、西国四十九薬師としてはようやくお目見えである。

当初は前日に広島から夜行バスに乗ることも考えたが、ちょっとしんどいかなということで当日の早朝に出ることにした。広島6時14分発の「ひかり500号」で、指定席利用の「新幹線直前割きっぷ」が使える。16両編成の「ひかり」なので指定席の座席数も多く、好きなところを選ぶことができる。順調に各駅に停車し、8時46分新大阪着。

今回の札所めぐりでは、同じ大阪ということで西国三十三所の総持寺とセットと考えていた。ただ場所は同じ大阪でも天王寺と茨木ということで離れている。もし夜行バスで早朝に大阪に着いたならば京セラドームに向かう前に余裕で回ることができるが、朝9時新大阪スタートとなると慌ただしいかなと思う。そこで、今回は四天王寺を優先することにして、総持寺については改めて考えることにする。

新大阪からは大阪メトロ御堂筋線に乗り換えて天王寺着。ここまで来れば実家も近いのだが・・。

御堂筋線の地下ホームからJR天王寺駅のコンコースを歩いていると、巨大広告画面に「聖徳太子 日出づる処の天子」の文字と、聖徳太子らしき人物の肖像画が表示された。天王寺公園にある大阪市立美術館で開催中の特別展で、「千四百年御聖忌記念」とある。2022年は聖徳太子が亡くなってちょうど1400年ということで、聖徳太子ゆかりの寺院を中心にそれに向けた様々な法要、イベントが開かれている。四天王寺はその最たるものと言える。この特別展は10月24日までとあるので、ここはぜひ鑑賞したいところだ。ということで、総持寺には悪いのだがこの日は四天王寺一択とする。寺の参詣後、大阪市立美術館にて特別展を見て、その後で大正に出てドームに向かうコースにする。

四天王寺近くの仏具店で数珠を買い求める。実は、これまで数々の札所めぐりで使ってきた数珠(略式)が、房のところが切れてボロボロになってしまっていた。四天王寺に来たということで思い切って買い直す。

石鳥居をくぐり、西大門から境内に入る。西大門の柱の四隅には転法輪があるのだが、コロナ対策のために回すことはできない。

両脇の親鸞聖人、弘法大師に手を合わせて、中心伽藍に向かう。

数年前、これも千四百年御聖忌記念事業の一環として耐震改修工事が行われ、今また新しい姿を見せている。秋晴れの下、五重塔や講堂、金堂の朱色がよく映えている。聖徳太子の本地仏である救世観音などに手を合わせる。

その千四百年の御聖忌、100年ごとに執り行われる事業だが、その中のメインとして各宗派回り持ちで「慶讃法要」が行われる。10月18日から来年4月22日までだが、スタート、ゴール、そして命日の2月22日が四天王寺となっている。他にも三井寺、西本願寺、浅草寺、延暦寺、鞍馬寺、東大寺、金剛峯寺、知恩院、法隆寺、薬師寺、金峯山寺、醍醐寺・・・と、主に天台宗、真言宗、浄土宗、浄土真宗系の著名な寺院で順番に執り行われる。こう見ると、現在多くの檀家・信徒を抱える宗派の中では、曹洞宗や日蓮宗の系統はないものの、聖徳太子と日本の仏教の歴史のつながりの深さ、広さがうかがえる。

そして、石舞台、六時堂に出る。四天王寺は1400年以上の歴史を持つといっても、これまで幾多の戦乱、災害、果ては空襲にも遭ってほとんどの建物が戦後の再建である。その中で江戸時代の姿を残すのが石舞台と六時堂である。この六時堂に薬師如来が祀られていて、西国四十九薬師の札所となっている。

これまで六時堂に来た時は、祈祷、供養の人しかお堂の中には入れないものの、一般のお参りは本堂のすぐ外で手を合わせていた。ただ現在はコロナ対策ということで祈祷、供養の人もお堂の中に入れず、外での受付、読経を聞く方式になっているようだ。そのため一般のお参りでは石段の上に上がることができず、その下でのお勤めとなる。

納経所に向かう。関西、大阪のさまざまな霊場めぐりの札所にもなっている。四天王寺の幅の広さをうかがわせる。

ここでサイコロ。もう、西国四十九薬師のシリーズ選択肢も絞られていて、

1、2、3・・阪神(久安寺、昆陽寺プラス西国22番総持寺)

4、5、6・・京都(法界寺、醍醐寺プラス西国10番三室戸寺、11番醍醐寺)

結局総持寺は阪神シリーズに入れた。そしてサイコロは・・・「5」。京都洛南シリーズである。どのタイミングで行こうかな。

これで四天王寺を後にして、聖徳太子の特別展が行われている大阪市立美術館に向かう。そういえば、大阪出身、在住歴長かったとはいえ、この美術館に来たのはほんの数回でしかなかった。

特別展のテーマは、千四百年御聖忌に合わせて、没後の聖徳太子信仰の広がりを紹介するものである。最澄や親鸞をはじめとした各宗派の開祖たちがなぜ聖徳太子を尊んだのか、また1400年後の人々が聖徳太子ゆかりの寺院を訪ねるのはなぜか・・ということも解くとしている。最近の学校の歴史の時間では聖徳太子についてもあまり取り上げることがないともうかがっているが・・。

「十七条憲法」や「隋書」もあるが、さまざまな展示がある中で目立つのは「聖徳太子絵伝」である。「聖徳太子絵伝」は古くは奈良時代には描かれていたようだが、現存する中で最も古いのは平安時代のものという。聖徳太子の事績について年代順に描かれていて(一部、順番が入れ替わる場面もあるが)、さまざまな伝説はここから世に広まっていったと言われる。

展示品の一つ一つの内容が濃く、じっくり鑑賞するならそれこそ1日がかりである。結局駆け足で回ることになったが、それでも1時間があっという間に過ぎていた。

最後のコーナーでは、聖徳太子が肖像として使われた明治以降の紙幣(一定年齢以上の方にとっては、これが聖徳太子のイメージだろう)も並ぶ。また、特別展のタイトルにある「日出づる処の天子」といえば、1980年代に発表された漫画「日出処の天子」があり、作者の山岸涼子さんの原画も展示されていた。この作品、学生の時に姉が持っていたのを読んだことがあるが、聖徳太子(作中では厩戸王子)と蘇我蝦夷(作中では蘇我毛人)を中心として描かれている。厩戸王子を天才、超能力者、さらには同性愛者?というキャラクターにしていて、少女漫画の世界も複雑やのう・・という感想を持ったものだ。

さてこれで大正に向かうのだが、野球観戦前の景気づけ、久しぶりに天王寺~阿部野橋に来たということで、昼食代わりにあるところにちょっと立ち寄るとするか。

その場所は、ヴィアあべのウォークにある立ち飲みの「赤垣屋 あべの店」。大阪時代には何度も通った店で、昨年のコロナ禍で営業休止や時短営業もある中で足が遠のき、そのうち私が広島に移った。それ以来初めての訪問である。

狭いカウンターやテーブル席をアクリル板で区切っているが、それでも結構な入りである。期間限定で薦められたキリンの「秋味」をベースに、小鉢料理をあれこれ楽しんだ。

そしてドームの熱戦へ・・・。

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在来線と新幹線乗り継ぎで広島へ

2021年09月11日 | 西国四十九薬師

橿原の久米寺の参詣を終えて、橿原神宮前から大阪阿部野橋行きの「区間急行」に乗る。15時01分発。

私が沿線に住んでいた昨年までのダイヤでは、日中は吉野~橿原神宮前~大阪阿部野橋の「急行」が1時間に2本走っていた。ただ、コロナ禍の影響かダイヤの見直しが行われ、「急行」だと通過する橿原神宮西口、坊城、浮孔にも停車する「区間急行」を設定し、従来の「普通」を減らした形である。

「区間急行」は時刻表上では橿原神宮前始発だが、実際は吉野発橿原神宮前行きの「普通」がそのまま「区間急行」に変わる。何だかややこしい話だが、列車種別や車両編成数を柔軟にやり繰りする近鉄らしい。

大阪阿部野橋に戻り、JRの天王寺へ。ここで青春18きっぷに日付を入れる。16時近くという時間からだが、このきっぷの消化が進んでいないのでここで投入する。この時間から鈍行乗り継ぎで行くと広島に着くのは23時すぎ。

大阪から新快速に乗り、姫路着。ここに来るとやはり「えきそば」である。

青春18なら、次の18時06分発の三原行きに乗り継ぐところだが、ここで新幹線ホームに上がる。これから岡山まで新幹線でワープするのだ。翌日は仕事、さすがに23時を回っての帰宅はしんどい。事前に「新幹線近トク1・2・3」を購入していた。自由席利用で、姫路~岡山間は2500円である。

そして乗るのは、17時34分発の「みずほ611号」。自由席ならどの列車でも乗車可能だ。空席があるかなと思いつつ車内に入ると、気の毒なくらい空いている。岡山まで20分の乗車だが、スマホの充電などで過ごす。

もう40分乗れば広島に着くのだがそこはきっぷのルール通りで下車して、岡山から再び在来線での移動だ。次に乗るのは18時10分発の糸崎行き。岡山を出た時は立ち客も出るくらいだったが、駅ごとに乗客は減り、福山を過ぎるとガラガラになった。

糸崎からはすぐに接続の19時39分発の広島行きに乗る。が、次の三原で下車。実は「新幹線近トク1・2・3」を三原~広島間1500円で購入していた。在来線より時間短縮する効果があるのと、乗車時間20分あまりの新幹線車内で夕食にしようというものである。

暗くなった駅前に出る。駅前には竹原行きの呉線代行バスが待っているが、乗客はほとんどいないようだ。7月、8月の大雨の影響で運転見合わせが続いている。この後、いったんは9月5日からの運転再開を予定していたが、9月2日からの大雨でその予定も見送りとなった。なお、この記事を書いている時点でも運転再開の目途は立っていない。

三原から20時09分発の「こだま865号」に乗る。この列車は新大阪17時32分で、これなら新大阪から6200円で「新幹線直前割きっぷ」を購入してもよかったかなと思う。

「こだま」もガラガラで、車内で夕食(というより、軽く一献)を取るうちに東広島を過ぎ、広島に近づく。ちょうどカープ戦のナイターが行われていて、マツダスタジアムの照明塔が煌々と輝いている。どうやらナイターの客より早く帰宅できそうだ・・。

今回の「WEST EXPRESS銀河」紀南コースの乗車がかなった旅。列車そのものもそうだが、車窓、味、そして祈り・・実に盛りだくさんだった。また出会いたいものである・・・。

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第7番「久米寺」~西国四十九薬師めぐり・43(熊野から橿原に出て・・・)

2021年09月10日 | 西国四十九薬師

8月27日~29日にかけて、「WEST EXPRESS銀河」の紀南コースに繰り上げ当選で参加することができ、「銀河」への乗車、熊野三山めぐり、新宮での一献、「くろしお」の乗車と、ぜいたくに回らせていただいた。

もともとこの29日は、京セラドーム大阪でバファローズ対ホークス戦を観るつもりでいた。29日は12時半すぎに天王寺まで戻ったのだから、乗り換えて大正に出れば試合開始直後にはドームに着ける。ただ、やはり球場で観るなら試合前の雰囲気込みで・・という思いもあるので、今回はあえてそうしなかった。(この日時点では)パ・リーグの首位を行くチームのせっかくの観戦機会をフイにするのは申し訳ないと思うが、ペナントレースはまだまだ混戦模様だし、次の機会をうかがうことにする。

その代わりではないが、天王寺に来たということで、西国四十九薬師めぐりで次の行き先になっていた久米寺に向かうことにする。久米寺は橿原神宮前駅が最寄りで、これまで知らなかったのだが近鉄の線路を挟んで橿原神宮の南側にある。今回は八咫烏、神武天皇の熊野三山からの流れで来ているので、熊野を出て特急乗り継ぎで橿原に来た、そのついでに西国四十九薬師めぐりも一つ進めることにする。

大阪阿部野橋13時10分発の吉野行き特急に乗る。2両編成の後1両の席を取ったが、阿部野橋からこの車両の乗客は私一人だけである。近鉄もコロナ禍の影響で特急の減便も行われており、気がかりなところだ。

橿原神宮前に到着。せっかくなので久米寺に行く前に橿原神宮に参詣するとしよう。この日も暑い中、駅前から伸びる道を歩いて境内に向かう。橿原神宮にお参りするのは久しぶりだし、このブログで登場するのはおそらく初めてのことである。

「日本書紀」において、「日本建国の地」と記されたのが橿原である。高千穂からの東征の末、ここで初代天皇に即位したとされる。畝傍山の麓にあり、隣接して神武天皇陵もある。

橿原神宮が創建されたのは1890年のこと。その後、1940年には「紀元2600年」を祝う式典が開かれているし、現在も時々皇族の参拝がニュースになる。そういえば、橿原神宮前駅やその周辺で厳重な警備が行われているなと思ったら、上皇ご夫妻(当時は天皇皇后両陛下)がちょうど列車から出口に向かうところを見かけたこともあった。

「紀元二千六百八十一年」と大書された額が掲げられている。「紀元」じたいは明治時代に定められたそうだが、やたら多用されるようになったのは昭和の第二次世界大戦あたりのころだったという。ただ、「令和3年」ならまだしも、この「紀元○○年」あるいは「皇紀○○年」という呼び方、今の日本国内でもどこまで通じるのだろうか。まあ、日本の国ができたその起こりをどこかに求める必要はあったのかもしれないし、橿原神宮のプライドなのだろうが、個人的には昭和の軍国主義の臭い(あくまで、この字を使います)がしてあまり気持ちのいいものではない。

まあ、その歴史はともかく、境内そのものは畝傍山を背景に緑が広がっており、木の下や拝殿の屋根の下に来るといくらか涼しく感じる。熊野三山に詣でて、そして橿原神宮まで来たことで、「WEST EXPRESS銀河で行く熊野三山詣で」はこれでひと段落とする。

さて、ここからは「西国四十九薬師めぐり」の続きとして、久米寺に向かう。橿原神宮の境内の南側から近鉄南大阪線の踏切に出ると、線路の向こうに久米寺の入口がある。寺としては裏口に当たるようだが、橿原神宮と久米寺が線路を挟んで一体になっているかのように見える。もちろん、創建の歴史から見て久米寺が橿原神宮の神宮寺だったわけではないのだが。

本堂に到達する。外陣に上がってのお勤めとする。

久米寺が開かれたのは白鳳時代とされるが、詳細ははっきりしていないそうだ。また開いたのは聖徳太子の弟・来目皇子(くめのみこ)とも、大和政権に仕えた久米部に属した人たちの氏寺だったとも言われている。

その中で伝説として伝えられているのが、久米仙人が開いたというもの。久米仙人は欽明天皇の時代に生まれ、修行の末、神通飛行術を習得して自由に空を飛び回っていたという人物である。ある時、いつものように空を飛んでいると、川辺で洗濯する若い女性の白い脚を見て興奮し、神通力を失って墜落した・・と、「今昔物語」や「徒然草」でも取り上げられた。

その話には後日談があり、久米仙人は墜落した後、その女性を妻として普通の人間として暮らしていたが、東大寺の大仏建立の時に人夫として材木を運搬していた。そこへ、周囲の者から「仙人」と呼ばれているのを知った役人が、「仙人なら神通力で材木を運べ」と持ち掛けた。久米仙人は修行をして神通力を回復し、吉野山から切り出した材木を空中に浮かべて飛ばし、建設予定地に着地させた。

その甲斐もあって大仏建立が速やかに成就し、聖武天皇から土地を賜ってそこに寺を建てたのが久米寺だという。もっとも、これは大仏建立ではなく藤原京、または平城京の造営の時の話だともいわれているが、いずれにしても、そうした国をあげての工事の際に貢献した有力者が開いた寺ということではないだろうか。

本堂の前には久米仙人の像が建てられている。その下にはかわらけの破片が無数に転がっている。かわらけに願い事を書いて、石の上に置いて木槌で割ると願いが叶うという。その石も3つあり、両側には「除一切悪」、「招一切福」の札が立てられている。確かに、お願いの仕方もその両面があるだろう。で、どちらでもない場合は真ん中の石で割るとのことで、私は真ん中を選んだ。久米仙人とかわらけにどのような結びつきがあるのかはわからないが・・。

また、久米寺は弘法大師にもゆかりがある。若き日の空海が修行中、夢枕に立った人物のお告げで「大日経」を感得したとされる。それがきっかけで唐に渡り、帰国後に大日経の講義を久米寺で行った。そのため、久米寺は真言宗発祥の地ともされている。

現在の境内はそれほど大きなものではないが、歴史は詰まっている。そんな中で、西国四十九薬師の次の行き先である。

1・2:京都(醍醐寺、法界寺プラス西国10番三室戸寺、11番醍醐寺)

3・4:大阪(四天王寺プラス西国22番総持寺)

5・6:阪神(久安寺、昆陽寺)

とうとう選択肢が残り3つになって、サイコロの出目も2つずつ割り当てられる。そこで出たのは・・「4」。大阪編である。

次が大阪なら、今度こそ京セラドーム大阪での野球観戦と組み合わせることにしよう。また、一緒に回る西国三十三所めぐりも総持寺に行くことで、3巡目の満願は三室戸寺・醍醐寺のいずれかとなった。この2つの寺でどちらが最後にふさわしいかとなると・・・それは明らかだ。

再び踏切を渡り、線路に沿って歩いて橿原神宮前駅に戻る。ここから大阪阿部野橋に出て広島まで戻るのだが、その戻り方はちょっと変化球で・・・。

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特急「くろしお」で大阪へ

2021年09月09日 | 西国四十九薬師

8月29日、朝の新宮から大阪に戻る。「WEST EXPRESS銀河」の上り便はこの後12時に新宮を出発する。こちらは途中の停車駅でさまざまなおもてなしを受けて、新大阪着が21時51分、京都着が22時24分とゆったり走る。こちらはこちらで楽しそうだ。

これから乗るのは8時32分発の「くろしお16号」新大阪行き。今回、ここだけ追加料金を払ってグリーン車を手配した。

車両は「オーシャンアロー」の愛称がある283系。この形式には過去に短区間乗ったことはあるが、もちろんグリーン車は初めてである。新大阪行きだと最後尾なので運転席越しの前面展望を楽しむとはいかないが、1-2列のゆったりシートが並ぶ。車両の前と後で1-2列の配列が入れ替わっているのが珍しいが、この車両が振り子式で車両重心のバランスを取るためだという。私が指定されたのは2列側のシート。ただ、海側の席である。2列シートといっても隣に客が来ることはないだろう。

他の車内も見て回る。3号車には座席が海側に固定された展望ラウンジがあり、早速ここに陣取っている人もいる。ここで4時間過ごすのも悪くないかな・・と思う。

1号車グリーン車は数人の客で出発。まずは王子ヶ浜の景色を楽しむ。さすがに徐行運転はなく、そのまま走っていく。

那智勝浦を過ぎ、前日のダイヤでは「WEST EXPRESS銀河」とすれ違った湯川を通過する。海側の線路からだとその近さがより感じられる。

太地を過ぎ、玉の浦、古座川などの海岸沿いを行く。さすがはグリーン車で、静かな乗り心地の中を過ぎていく。

9時22分、本州最南端の串本に到着。今回は訪ねることができなかったが、潮岬や大島といったところにもまた行ってみたいものである。

串本までは日差しが照りつけて暑さを感じ、後の席の客は通路側の席に退避するほどだったが、ここからは向きが変わる。海の色もくっきり見えるようになった。

10時19分、白浜着。ここで列車が行き違うわけではないが、特急にしては長い7分の停車である。改札の外には出られないが、車外に出てみる。ここまででちょうど半分の道のりである。この先紀伊田辺からは複線となり、「くろしお」の速度も上がる。

この先、南部あたりの雄大な太平洋の景色、海水も澄んでいる。ただその後は結構長い時間うとうとしており、気づいたら和歌山到着の直前だった。まあそこはグリーン車の乗り心地がよかったということで・・。

和歌山からは阪和線に入り、紀伊山脈を越えて大阪府に入る。

そろそろあべのハルカスが見えてきた。

12時33分、天王寺に到着。「くろしお16号」は新大阪行きだが、ここで下車する。近鉄に乗り換えれば実家のある藤井寺。ここまで来たのなら立ち寄ればいい話だが、そこは一応緊急事態宣言中ということで会うのは控える(私も両親もワクチン2回接種済みではあるが)。別に今回紀南コースに乗ることも伝えていない。

とか何とか言っているが、天王寺で下車して、構内の立ち食いそばで昼食を済ませた後、大阪阿部野橋に向かう。何や近鉄に乗るんか・・というところだが、藤井寺は素通りである。

これから目指すのは橿原神宮前。前日に熊野三山を訪ねた時に八咫烏について触れたが、神武天皇が八咫烏の導きで向かったのが橿原の地である。

今回目指すのは、その橿原神宮のすぐ近くにある久米寺。西国四十九薬師めぐりの札所である。前回、三井寺境内にある水観寺での行き先選択で出た久米寺だが、経路は違えど熊野~橿原と行けば話がつながるところである。

せっかくなので特急に乗っていこう。13時10分発の吉野行きに乗り込む・・・。

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第48番「水観寺」~西国四十九薬師めぐり・42(第14番「三井寺」~西国三十三所めぐり3巡目・30)

2021年08月25日 | 西国四十九薬師

広島から延々と青春18乗り継ぎでやって来た大津。京阪石山坂本線の三井寺で下車。途中の乗り継ぎ時間を含めると、自宅を出てすでに8時間近くかかった。

三井寺駅に「三井寺妖怪ナイト」の看板があるが、その上から「中止」のお知らせが貼られている。8月7日~9日の期間、夜の三井寺を妖怪がさまよう肝試しイベントだが、コロナの影響を受けての中止である。

少し雲が出てきた中を歩き、大門で拝観料を納めて境内に入る。三井寺は天智・天武天皇の頃からの歴史を持つ寺院だが、建物の多くは豊臣秀吉の桃山時代~江戸時代にかけてのものである。まずは右手にある食堂に向かう。現在は釈迦如来が祀られている。

そして本堂に当たる金堂へ。秀吉の正室・北政所により再建された建物で、本尊弥勒菩薩を祀る。この弥勒菩薩は用明天皇の時に百済から伝えられ、天智天皇も深く信仰したといい、三井寺が何度も兵火にさらされたり、秀吉の怒りをかって一時廃寺扱いになったりする中でも無事に残ったという。

靴を脱いで上がり、弥勒菩薩に手を合わせて外陣をぐるりと回る。三井寺を再興した智証大師円珍像や、平安時代以降の大日如来、不動明王など数々の仏像が四方を護るかのように祀られている。この金堂だけでも見ごたえは十分ある。

金堂の前に、近江八景の「三井の晩鐘」で知られる鐘楼がある。除夜の鐘で撞かれることで有名だが、平常でも撞くことはできるそうだ。ただ、鐘楼の前に行くと一撞き800円・・。さすがにいいかなと思う。

三井寺でもう一つ有名な鐘として「弁慶の引摺り鐘」がある。その昔、山門(比叡山)と寺門(三井寺)で争いがあった際、山門の修行僧だった弁慶がこの鐘を奪い、叡山まで引き摺って帰った。そして山門で撞いてみると「いのー、いのー(去のう、去のう)」と響いたので、弁慶は「そんなに三井寺に帰りたいのか!」と鐘を谷底に投げ捨ててしまった。

弁慶と言えば、三井寺のゆるキャラ「べんべん」の由来にもなっている。三井寺から見れば「敵方」だった比叡山の僧をゆるキャラにするのも妙な話だが、弁慶関連では他に門前の名物で「弁慶力餅」や「ひきずり鐘まんじゅう」というのもあるそうだ。三井寺にしても「引摺り鐘」伝説がある弁慶のおかげでずいぶん儲けさせてもらっているというところか。

引き続き、三重塔や唐院などを見ながら境内を歩く。それぞれのエリアが独立していてもいいくらいの規模だ。他にも文化財収蔵庫があるが、こちらはコロナ対策のため休館中(トイレのみ開放)だった。

さて、境内も進んできたところでいよいよ水観寺に入る。境内周辺には「三福神」の幟が目立つ。

水観寺は平安中期に明尊大僧正によって三井寺の別所寺院の一つとして創建された。三井寺には5つの別所寺院があったそうだ。京阪石山坂本線の三井寺の隣の駅である大津市役所前は数年前まで別所という名前で、水観寺もかつてはその辺りにあったようだ。

現在の水観寺の本堂は江戸時代前期の再建だが、1988年に現在地に移転してきた。結構最近のことで、その辺りの事情はわからないが、結果、別院寺院を三井寺の本体が吸収した形に見える。一体で管理しているのだろう。

本堂といっても小ぢんまりとしたもので、さしずめ三井寺の薬師堂といった感じである。その扉も開け放たれてオープンな雰囲気だ。本尊の薬師如来、日光・月光菩薩、十二神将がまとまって祀られている。ここでお勤めとする。

そして、次の間には七福神のうち弁財天、大黒天、毘沙門天が並んで祀られている。元々は三井寺の金堂などで別々に祀られていたが、コロナ終息祈願として昨年の11月から水観寺に集めて公開しているという。薬師如来は病苦、災難から人々を救うとして信仰されていて、それに福をもたらすとしての取り組みである。この三福神をお目当てにお参りする人の姿も見られた。

納経所は独立してあり、西国薬師のバインダー式の朱印をいただく。第48番ということで「もう一周終わられるんですね」と声を掛けられる。いや実際はもう少し残っているのだが・・。

これで水観寺を回り終えたとして次の行き先を決めるサイコロにするところだが、今回はそのまま同じ三井寺の境内で西国三十三所の本尊である観音堂に行くので、それを終えてからにする。

石段を上がり、観音堂の前に出る。三井寺の駅から寺の境内を歩いただけだが、この日は蒸し暑く汗だくになる。観音堂は大津市街を見下ろす高台の上にあるので多少は涼しいかと思ったが、ほとんど変わらない。こちら観音堂は平安時代に創建され、室町時代に現在地に移された。現在の本堂は元禄期のものである。板張りの堂内にそのまま上がり、ここで観音経のお勤めである。

先達用の納経軸に重ね印が入る。これで西国三十三所3巡目も残すは第10番・三室戸寺、第11番・醍醐寺、そして第22番・総持寺の3ヶ所となった。そして、このうちどこで満願となるかは、西国四十九薬師めぐりの出方次第となる・・。

そして次の行き先を決めるサイコロの出目は、

1.大阪(四天王寺プラス西国22番総持寺)

2.橿原(久米寺)

3.阪神(久安寺、昆陽寺)

4.京都(法界寺、醍醐寺プラス西国10番三室戸寺、11番醍醐寺)

5.振り直し

6.振り直し

・・・観音堂から琵琶湖を見渡す展望台でのサイコロ(アプリ)。その結果は、「2」。この前に名張の弥勒寺を切り離されて残った橿原の久米寺である。西国三十三所めぐりがどこで満願になるかは、これでひとまずおあずけだ。

何やかんやで1時間以上三井寺に滞在し、気づけばそろそろ帰りの新幹線も気になるところ。そのまま三井寺駅に向かい、往路と同じびわ湖浜大津乗り継ぎで山科に戻る。帰路は新快速で新大阪に向かい、予定の新幹線に間に合った。

20番線はどこからともなく熱風が舞い込む感じで、「こだま」の入替作業を待つ間、実に暑い。その中で、バファローズのユニフォーム姿でキャリーバッグを持った人を見る。こんなところで珍しいな・・あ、そういえばこの日(8月8日)は京セラドームでエキシビションマッチ(対ベイスターズ)が行われていたっけ。連休を兼ねて大阪に来ていたのだろう。東京五輪の裏で、ましてや公式戦ではないので結果が報じられることもなく、どのくらいの人が観戦していたのだろうか。

余談だがこのエキシビションマッチ、広島でも何試合か組まれていて観戦できるのかなとチェックしていたが、結局一般販売はなく、年間指定席、あるいはファンクラブ会員からの抽選での招待制だった。

今回は17時32分発の「こだま865号」に乗車。500系使用で、6号車の旧グリーン車の座席を確保。そこそこの数の乗客がいる。

帰りの車内は在来線側の売店で買った缶チューハイをカップの氷でいただく。大阪府に緊急事態宣言が出ているために、新幹線改札内の売店ではアルコールの販売を休止している。以前、それで残念な思いをしたために在来線側で飲食物を仕入れた次第。

順調に各駅に停車し(岡山では19分停車)、広島に無事に帰還。この時は台風の影響はまだなく、そのまま帰宅できた。

そして翌日9日の朝、九州を通って来た台風9号が呉付近で再上陸、中国山地を縦断していった。この時も交通機関等への影響もあり、結局9日に出かけなくて正解だったのだが、ひどかったのがその後、13日以降の豪雨である。ひっきりなしに警報音が鳴るし、広島県内も(以前の広島豪雨や西日本豪雨ほどではなかったにせよ)土砂災害が発生した。私が住む同じ広島市西区でも、山の手の住宅では家屋の損壊もあった。

そして呉線、芸備線の一部はこの記事を書いている今でも運休で・・・。

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西国四十九薬師めぐり&西国三十三所めぐり3巡目~日帰りで三井寺へ

2021年08月24日 | 西国四十九薬師

西国四十九薬師めぐりの次の行き先は第48番の水観寺である。水観寺は三井寺の別院で、三井寺の敷地の中にある。そのため、水観寺を訪ねるなら三井寺の拝観料を納める必要がある。それはともかく、西国三十三所の第14番の札所である観音堂も訪ねることになり、薬師と観音、両方の札所を一緒に進めることができる。そろそろいずれの札所めぐりも終盤に差し掛かっている。

この水観寺を含む三井寺は、もともと8月28日に訪ねる予定にしていた。翌29日は京セラドーム大阪でバファローズ対ホークスの試合を観戦する予定で(ちょうど、首位攻防のラウンドである)、先にチケットを確保しておいた。そこに、28日に訪ねる札所をくじ引きとサイコロで選んだ結果、大津行きとなった。青春18きっぷで大津まで行き、参詣後は大津泊まり、翌日大阪に移動して野球観戦後に新幹線で戻る予定にしていた。

ただそんな中、先の記事にも書いたように「WEST EXPRESS銀河」で行く紀南コースの「繰り上げ当選」である。8月27日夜に新大阪から乗車して車中泊、そして28日は新宮泊、29日朝の特急「くろしお」で大阪に戻るプランを申し込んでいた。紀南コースも運行開始以来人気だというので、まさか乗車のチャンスがめぐってくるとは思ていなかった。これも熊野三山のご利益で舞い込んできたものとして、ありがたく申し込みを行う。

ならば三井寺と野球はどうするか。29日の帰りに京セラドームに行けないこともないが、時間的に中途半端かな(球場で観るなら試合前の練習やスタメン発表から観たいので)。そこはどうするかはもう少し考えるとするが、28日の三井寺については別の日である。

・・宙ぶらりんになったが、ここだけ単独で行ってしまおうか。

8月7日~9日、東京五輪閉会式が絡む3連休。その連休は予定を入れていなかったのだが、間の8日に日帰りで大津まで行くことにした。台風9号、10号が日本列島に接近中だが、8日ならまだ大丈夫そうだ。青春18きっぷ乗り継ぎで大津に行き、帰りは新大阪から「新幹線直前割きっぷ」にて「こだま」で安く帰ることにする。三井寺に行って帰って来るだけの行程。

・・・そして8日朝。関西まで青春18きっぷでの乗り継ぎで出るのも久しぶりである。まずは西広島6時19分発の糸崎行きで出発。早朝から東方面に行く時に乗っている列車だ。もっと早く、5時台に出る便もあるのだが、最寄りの広電がまだ動いておらず、かといって西広島まで歩いて行くほどでもないということでまだ乗ったことがない。

糸崎ではすぐの接続で7時57分発の瀬戸行きに乗り継ぐ。これもこのところのパターンである。この日は台風の接近を感じさせない穏やかな空で、糸崎から尾道にかけての海景色を楽しむことができた。

このまま岡山まで乗り続けてもいいのだが、今回は福山で下車する。実は岡山を過ぎて終点の瀬戸まで行っても、後続の相生行きが福山始発のため、座席を確保しようというものだ。岡山~相生間は青春18きっぷの時季は混雑するところ。9時05分発、福山からの折り返し列車は6両編成だが、相生へ行くのは前3両のみで、後3両は岡山で切り離される。

岡山に到着。乗客が入れ替わるが、思ったほど青春18らしい客の姿は見えない。時間帯もあるだろうし、まあこういう状況だからということもあるのかな。駅ごとに下車する人も多く、兵庫との県境が近づくと転換クロスシートにも空のシートが出てきた。

11時18分、相生に到着。同じホームに、播州赤穂から運行の姫路行きが到着する。日中の時間帯は相生で接続するパターンとなっていて、姫路から出る列車は播州赤穂行き。そして山陽線の列車は相生で折り返す。そのほうが車両運用などの都合がいいのだろう。

姫路に到着。すぐに新快速が発車するが、1列車遅らせて昼食とする。ここまで来れば新快速を含めて列車本数が増え、先の見通しも立つ。姫路に来たならばホームにある「えきそば」のスタンド。ここは外せないところだ。

今回は昼食が欠食になることなく、11時57分発の新快速長浜行きに乗車(乗ったのは米原までの車両)。その快走ぶりを堪能する。明石海峡大橋、須磨の海岸など、車窓の見どころも多い。

そのまま三ノ宮、大阪、京都と走り抜け、京都の次の山科で下車。山科は今年が開業100周年ということで、通路や駅前でそのPRが行われていた。

山科からは京津線のびわ湖浜大津行きに乗る。長いトンネルで通過するJRとは一味違って、逢坂山の急勾配をカーブで抜け、最後は道路上を走る区間である。ガタゴト電車の走りを楽しむ。

びわ湖浜大津から坂本行きの列車に乗り継ぐと、「伝教大師最澄一千二百年魅力交流」というヘッドマークと塗装をあしらった車両がやって来た。2021年は延暦寺を開いた伝教大師最澄が亡くなって1200年ということで、大遠忌の法要をはじめさまざまな行事が執り行われているそうだ。時期は若干ずれているが、聖徳太子が亡くなってから1400年でもあったな。弘法大師とはまた違った仏教の大きな流れである・・・。

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西国四十九薬師めぐり~熊野灘を望む宿で一泊

2021年08月18日 | 西国四十九薬師

7月31日の宿泊は熊野市の「ホテルなみ」。奇勝・鬼ヶ城の入口に近いところで、海と接する岸壁の上に建つ。熊野市駅の近くにもビジネスホテルはあるのだが、案内を見てもあまり食指が動かず、今回はレンタカーで回っていることもあってこちらのホテルを選んだ。

部屋は普通のシングルルームだが、窓のすぐ外に海を見ることができる(予約時に山側、海側を選ぶことができ、海側の部屋のほうが若干料金が高い)。オーシャンビューを売りにしているだけのことはある。ちょうど入江のところで、正面には鬼ヶ城センターの建物が見える。その鬼ヶ城は翌朝見物する予定である。

この夜は町で一献とはせず、2食付きプランとしている。食事は1階のレストランで取るが、18時台はちょっと混んでいるので時間をずらしたほうがよいとのこと。ならばということで先に大浴場に向かう。温泉ではないがそこそこの広さの大浴場で、こちらからも熊野灘を眺めることができる。ちょうど他の客もおらず、浴槽を独り占めすることができた。

19時頃にレストランに向かう。家族連れも多く、まだ食事が続いている様子だが席は空いていた。今回は「松」コースを予約しており、予約の札を出す。飲み物や単品の追加はテーブルのタッチパネルにて行う(食後にレストランのレジで別会計)。ではではということで生ビールを注文すると陶器のジョッキで出てきた。

地酒も飲もう。この辺りでポピュラーなのは、「太平洋」などの銘柄で知られる新宮市の尾﨑酒造。その中で注文したのは純米酒の「松本峠」。ちょうどホテルの横にある峠で、今は自動車用、歩行者・自転車用のトンネルが掘られているが、かつての熊野古道の一つで、峠の上からは七里御浜の景色を望むこともできる。

「松」コースは会席になっており、献立のお品書きを渡される。前菜、造り、陶板焼き、天ぷらなど品数は豊富である。

まずは先付でクボ貝の塩ゆでと、前菜三種として尾鷲のもずくと豆アジの南蛮漬け。

造りはマグロ、シマアジ、アオリイカ、タイ、オオモンハタ。オオモンハタとは聞き慣れない名前だが、本日のおすすめの魚とあった。魚そのものはスズキ目に属していて、体じゅうに紋様があることからこの名がついたようだ。

オオモンハタはこの後焼物、そしてあら汁の具でも登場した。

この他にも牛すき鍋、天ぷら盛り合わせあど盛りだくさん。料理の単品を追加する必要はまったくなく、テーブルにてしっかり堪能することができた。

後は部屋に戻ってゆったりする。こういう部屋なら窓を開けて潮風を受けて・・というのもいいだろうが、虫が入る、また転落防止ということで窓を開け放たないよう注意書きがある。それでもちょっとだけ窓を開けたのだが、潮風といえどもムワッと感じたので、そのまま閉めてエアコンの風に当たる。

ちょうどこの時は東京五輪の期間中だったが、五輪の放送は観ないと決めていたので他の番組を見ようとチャンネルをザッピングする。三重県という地理的なものか、あるいはケーブルテレビに加入しているためか、名古屋のテレビ各局、三重テレビに加えて関西の一部テレビ局が入る。まあ、それほど観たい番組もなく、持参のパソコンにてブログ記事の更新とする。

さて翌朝。この日も晴れ予報である。5時を過ぎてもう外は明るい。部屋から日の出が見えるかなと窓の外をのぞくが、ちょうど陸地の陰に当たっているのか、水平線からの朝日・・とまでは行かなかった。

朝食は同じくレストランにてバイキング形式。和洋各種のおかずが並ぶ中、各テーブルに卓上コンロが置かれている。鉄板の上に玉子を落として目玉焼きを作るのがおすすめという。最後、白身が鉄板にくっついてはがしにくかったが、ちょっと時間をかけたぶん美味しくいただいた。

さてこの日のルートは、ホテル近隣のスポットを回った後、そのまま国道42号線を南下して西国三十三所の青岸渡寺に向かうが、せっかくなので那智大社と合わせて、途中にある新宮速玉大社、そして熊野本宮大社にも参詣して、「熊野三山めぐり」としよう。

次からはブログのカテゴリも西国四十九薬師から西国三十三所にスイッチする・・・。

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