乱歩の作品の中でも傑作のひとつ、「陰獣」。その冒頭、探偵小説家・寒川が博物館で小山田夫人と初めて出会うシーンの乱歩の言葉から。
“私は、あさましいことだけれど、仏像を見ている様な顔をして、時々チラチラと女の方へ眼をやらないでいられなかった。彼女は青白い顔をしていたが、あんなにも好もしい青白さを私は甞て見たことがなかった。この世に若し人魚というものがあるならば、きっとあの女の様な優艶な肌を持っているに相違ない。どちらかと云えば昔風の瓜実顔で、眉も鼻も口も首筋も、肩も、悉くの線が優に弱々しく、なよなよとしていて、よく昔の小説家が形容した様な、触れば消えていくかと思える風情であった。私は今でも、あの時の彼女のまつげの長い、夢見る様なまなざしを忘れることは出来ない。”
“私はチラと見てしまった。彼女の項には、恐らく背中の方まで深く、赤痣の様な太い蚯蚓脹が出来ていたのだ。それは生まれつきの痣の様にも思われた。青白い滑かな皮膚の上に、恰好のいいなよなよとした項の上に、青黒い毛糸を這わせた様に見えるその蚯蚓脹が、その残酷味が、不思議にもエロティクな感じを与えた。それを見ると、今迄夢の様に思われた彼女の美しさが、俄かに生々しい現実味を伴って、私に迫って来るのであった。”
「陰獣」は寒川と小山田、この男女が出会うところに、物語の展開における最初のポイントがくる。寒川はまるで蜘蛛の網に引っかかるように、小山田の仕掛けた罠にはまっていくのである。それも大江春泥という架空の人物を媒介としながらも、小山田の妖艶な性的魅力に取り付かれていく。それは意識下にある、大義名分を必要とするため体裁を整えた理由づけをしながらも、リピドーに突き動かされる男の哀れな本能なのである。
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“私はチラと見てしまった。彼女の項には、恐らく背中の方まで深く、赤痣の様な太い蚯蚓脹が出来ていたのだ。それは生まれつきの痣の様にも思われた。青白い滑かな皮膚の上に、恰好のいいなよなよとした項の上に、青黒い毛糸を這わせた様に見えるその蚯蚓脹が、その残酷味が、不思議にもエロティクな感じを与えた。それを見ると、今迄夢の様に思われた彼女の美しさが、俄かに生々しい現実味を伴って、私に迫って来るのであった。”
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