飾釦

飾釦(かざりぼたん)とは意匠を施されたお洒落な釦。生活に飾釦をと、もがきつつも綴るブログです。

「ゴヤが描いた女たち」(大高保二郎・木下亮/編)を読む

2012-01-08 | 美術&工芸とその周辺

ゴヤの画集を見ています。<女>にテーマを絞った画集です。となると当然、美術史上において初めて陰毛を描いたという「裸のマハ」と「着衣のマハ」がまず印象深いのですが、これはどんな紳士であれ、どんな白馬に乗った騎士であれ、あるシュチエーションによっては服を着ている女性の裸を夢想してしまう男性の性(サガ)、この勝手な無意識で本能的な夢想はホントに性でどうしょうもないことなのですが、を結果的に描いたものとして好奇の心なくしては見られない作品がゴヤの代表作としてトップに位置されているのです。

 

が、ここではそのマハの絵は置いておいて、私が実にセクシーであまり美術作品ではそうした感覚を得ることができない一枚の作品について感想を述べてみたいと思います。その絵は「ラ・ベアータとアルバ女公爵」と題されたもの。背景が黒いなかで二人の女性にスポットがあたり、一人は背を向けて赤いリボンのようなものを持って老いた女中にじゃれているのか、もしくは詰め寄っている。女中は杖をつき、のけ反っていて、あたかも身を守るように十字架を振りかざしている。その目は冷ややかでもある。女中の名前、ラ・ベアータとは至福を受けた敬けんなという意味があり信心深さからついたとか。一方の、アルバ女公爵はゴヤが50歳の頃にであったトップ中のトップ貴族、夫人は35歳くらい。二人は肉体関係があったとされている。ゴヤはこの作品以外にも数点、彼女の絵を描いている。

 

 

 

私が興味を持ったのはそうした人物の背景や人の配置ではなく、後ろ姿のアルバ女公爵そのものの姿であります。彼女の背中ラインがなんともなまめかしい。そう思いませんか?しなやかな体のラインを直接裸で見せるのではなく、それを服のラインで感じさせている。斜め後ろからのゴヤの視点は胸の膨らみも捉えていて、女性らしさをさらに強調している。背中にまで伸びているフサフサとした髪の毛も、私は<女>と自己アピールしているよう。しなった背中の向こう、突き出したお尻も何か性的なものを想起させなくもない。まるで女豹の姿のようなのです。無邪気に女中をからかっているのか、なにかのミスを詰め寄っているのかわからないが、何気ない日常の一瞬を描いたこの奇妙な絵について、濃密なエロティシズムを一方で表現しているゴヤの本意はどこか?いろいろ想像を巡らすことができる。結論はわからない。すくなくともこのエロティシズムをさりげなく表現していることを、画集の解説にも記載はされていない。それを意図的に書いていないのか、見落としているのか?画集の編者としては学術的表記が先走るも、先のマハについて書いたように男は一方で違った視線を持っている。それを識者に書かせないゴヤの手腕はすごいのか?それとも遠慮しているのか?

 

 

 

ところで「裸のマハ」、モデルはそのアルバ女公爵という説もあって同家は墓を暴いて骨相鑑定までして汚名をはらそうとしたという。(ものの本によると近年はドゴイの愛人ペピータ・トゥドー説が有力であるそうだ)

 

ゴヤが描いた女たち
大高 保二郎,木下 亮
毎日新聞社
ゴヤ―スペインの栄光と悲劇 (「知の再発見」双書)
高野 優
創元社
もっと知りたいゴヤ―生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)
大高 保二郎,松原 典子
東京美術
ゴヤ (ニューベーシック) (ニューベーシック・アート・シリーズ)
ローズ=マリー&ライナー・ハーゲン
タッシェン
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