神戸まろうど通信

出版社・まろうど社主/詩と俳句を書く/FMわぃわぃのDJ/大阪編集教室講師など多様な顔を持つ大橋愛由等の覚え書き

トマトの優しい友人たち/ビーガン篇

2009年02月25日 13時49分13秒 | こうべ花気だより
忘れないうちに簡単ビーガン料理を作ったことを書いておきます。

ヴェジタブルと根菜のトマトソース〈おともだちパーティ〉です。

1.最初に鍋にオリーブオイルを敷き、スライスしたニンニクをソテー、それにみじん切りしたたまねぎ(新たまねぎだったので柔らかかった)を炒めます。

2.少し色づいてきたら、イタリア製ホールトマトを一缶あけて入れ、中火でトマトを木べらでつぶしていきます。この過程もあせらずゆっくりほぐしてあげることが大切です。そこにざくっと一口大に切ったセロリを入れましょう。セロリは溶けてもうまみを十分にだしてくれるから、いい性格をしています。

3.そこに水を少々と、同じ分量ぐらいの白ワインをいれます。私は白ワインを、どばりといれるのが好きで、アルコールさえ飛ばしたら、このワインの風味が、完成時に、味の重層感をつくるのに役立ってくれるのです。

4.今回の料理は、塩もいれません。素材くんたちが、頑張って持ち味をだそうとしてくれからです。もちろん固形ブイヨンなんてもってのほか。じっくりと時間をかけて煮込んでいくとそこにズッキーニを適当な輪切りをしていれます。最後に海老芋を入れます。この芋くん、他の里芋くんたちの中でも、煮崩れがしないようです。この海老芋くんだけは、あらかじめ皮を剥いて一口大にしてゆがき、串が通る柔らかさにしておきます(大きな海老芋くんもあるのですが、シーズンが終わりかけているのか小さな芋でした)。

5.あくまで強火にせずに火をじっくりと通していくと、あら不思議、優しいビーガン料理が出来るのです。料理の仕込みを始めてから約一時間で出来上がります。材料など適当な分量ですが、トマトソースという万能の味方は、野菜くんたちとも相性があうのですね。



大本義幸論--05

2009年02月24日 13時52分54秒 | 俳句
大本論の五回目です。
これで連載は終了です。
またの機会をみつけて、大本氏の作品を論じたいと思っています。

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《テーマ05 〈私〉というアポリア》

 わたしとは雨に濡れた三和土である  (48p)

 俳句という詩型は〈私〉というアポリアとどう対峙していくのかが、 重要な命題
のひとつであるように思う。大本作品の中で「あなた」という第二人称も表現されて
いるが(例えば、〈あなたの国の名前を食っている夜の獏〉80p)、そこに登場する
人称は〈私〉と対峙する他者としての「あなた」であったり「かれ(ら)」であるの
か、という問いはあまり有効ではない。俳句という文芸は、〈私〉というありよう
を、季語や季感、花鳥諷詠、あるいは、日本の文化体系そのものに企投することで、
〈私〉を越えた共同体的な間主観性の中に〈ゆだね〉ていくことによって成り立ち、
〈私〉が屹立していくことへの自問が溶解したり、他者との拮抗が無化されていく局
面としばしば出くわすことがあるからだ。
 
 こうした中で、大本作品の中には、〈私〉へのとどまりや、〈私〉とはいったい何
なのかを自問する句のいくつかに出会うことができる。

 「三和土」とは、農家や古い民家などによく見られるコンクリート状に固められた
屋内の土場である。そこで農作業をしたり、大きな庄屋では 村人をあつめて衆議な
どをしていたことだろう(その大きな三和土は 「にわ」と呼ばれていた)。つまり
そこは家内でありながら、家の外とも融通される場所である。そしてそこが雨に濡れ
るという家外の自然現象が侵入している。つまり〈私〉という存在は、自律している
のではなく、家外とも通じる場所(=三和土)であることを意識することで、〈私〉
が〈非・私〉にさらされることを表象しようとしている。ここには〈私〉がつねに解
体に直面していることへの底知れない不安が作品に現れているように思う。〈私〉は
常に〈非・私〉に侵入され、さらされるているのだという自覚。それは俳句性への
〈ゆだね〉の意識とは違う位相の〈私〉のありようへの書法であるのに違いない。

 〈昼月が頒つふたり我(われ)と我(かれ)〉(26p)という作品も面白い。一見
したところ、マルティン・ブーバーの「我と汝」を想起したが、全く違う発想からなっ
ていることがわかる。この句の〈我(かれ)〉はブーバーが言うところの「Sie」と
して認識される 絶対的他者としての「汝」ではないのだ。つまり〈我/私〉が「わ
れ」と「かれ」に、電極分解しているのである。これは俳句の〈私〉を考えるこのテー
マに格好の素材を与えてくれる。この句の場合の〈我(かれ)〉は〈我(われ)〉に
とっての他者としてではなく、あくまで 〈私〉が分解または自己解体したところの
〈我(かれ)〉なのであろう。この分解作用の背景には大本氏の他者に対する哀しみ
があると読む。他者と共棲しえない〈我/私〉は、〈我/私〉を分解/解体するこ
とによって〈我(かれ)〉を幻出せざるを得ない哀しさと言い換えてもいい。そして
この〈我〉を頒つのが昼月であるという。昼月というのは、ぬっさりと天空に漂って
いる存在で、〈我/私〉を頒つための鋭利さがあるとは思えない。こうしたケの道具
仕立てによって力なく〈我/ 私〉が分解していくことを書くことによって、〈我/
私〉の正体を暴こうとしている。

 このように俳句とはひたすら〈私〉と格闘して、解体あるいは、他者性にさらされ
ることで定律していく文芸なのか。大本作品の〈私〉への問いは、〈われありとおも
えば青蛾先ゆけり〉(14p)といった他者からの存在や揺さぶりによって措定され、
〈浅き夢なれ直腸に梨花帯すこと〉(105p)や〈肺門を出る血もいつか五月哉〉
(121p)などといったように、〈私〉の実体として存在する(であろう)身体部位を
描出して、その身体部位が欠損を生じることで、自覚されるものであったりする。
大本氏にとって〈私〉とは常にさらされの現場に立ち尽くす解体ぶくみの存在である
のだ。

大本義幸論--04

2009年02月21日 15時11分11秒 | 俳句
《テーマ04 あの時俳句には友がいた》

  八月の広島に入る。声を、冷やして、ね。  大本義幸

私が学生時代に接した俳句は、『京大俳句』の作品世界だった。その時のわたしは漫画誌『ガロ』を読むような感覚で、この難解な句誌と接していた。大学を卒業して神戸の小さな新聞社兼出版社に勤めることとなった一九八〇年、俳句は今よりも文学として開放的であり周囲には多くの友人たちがいた。そのひとつがコピーライティングの住人である。糸井重里が西武百貨店のコピーとして「おいしい生活。」と書いたのもこの年だった。俳句の、事象や季節感、宇宙までも一行に呼び込んで簡潔に表現するありようが、広告のキャッチコピーにも通じるところがあり、コピーの持つ半歩時代の先をいくその預言性に、俳句も刺激を受けたのである。こうして俳句とコピーの住人たちはあの時固く手を交わしていたのだった。

大本作品にもこうした八〇年代前後の息吹を感じることができる。このテーマでは作品の後に句点「。」が付されているものを抽出して考えてみたい(この書法は一時キャッチコピーの表現としておおいに流布したものだった)。今回の句集に句点つきの作品に秀句が多いのは、偶然を超えて、作者の新奇な書法に仮託して表現しようとする想像力の飛翔が発露されているからではないだろうか。

「八月の広島」とは、六日の原爆忌のことと考えた。あの日はいつも炎暑である日が多い。そうした気温の高さも、原爆忌の日に広島に入ること自体もヒートアップしてしまう中で、大本氏は「声を、冷やして、ね。」とささめくのである。この感覚は井上陽水が「傘がない」で表現した覚ましと差異化の世界を想起させる。

〈水の衣を脱ぐと樹となるのだとあなたは。〉、〈樹と竝てば肋骨に水が流れているよ。〉における「樹」は樹霊のやどる場であり、そこに連関しながら「あなた」や「水」が神話的に流出(新プラトン主義的に)するのである。また〈宇宙的霊魂に朱を入れる朝である〉や〈霊魂といるよ、無人踏切も裸灯も。〉とあるように大本氏は盛んに霊と霊的なものとの交感を作品上で展開している。この時に感じ、みたものは、キャッチコピーの持っている預言性と通底するのかもしれないし、しないのかもしれない。さらに〈溺死の月さ、鞄よりおおきな思い出。〉はフランス象徴詩のような響きがあって好んでいる。月を溺死させてしまった俳人は、手持ちの鞄の中に包含され蓄積されているいくばくかの物語より大きかったと喝破することで、一篇の詩的抒情世界を構築しているのである。

大本義幸論--03

2009年02月21日 12時41分01秒 | 俳句
《テーマ03 その鐘がなるところ》

  半鐘を打つ村にうまれた傷んだ虹と妖き雲   大本義幸  

 俳句のモダニストである大本氏の作品には、出自の場をうたっている俳句がいくつかあり、作品系譜のひとつとしてジャンルを形成している。 「半鐘」は火事など緊急な事変を集落に知らせるメディアであるが、その音は、集落中に響き渡り、その遡及力は、その集落に生きていること、緊急事変を全集落民が共用している事実を自覚することに貢献している。〈鐘が鳴ったら降りてゆけ星は泥へ水は樹を〉とも表現されていて、「半鐘」の報せと、その背景にある集落のメッセー ジを受容していることが分かる。それはかつて日本の近代文学者に通底していた出自の場 に対するあらがいや嫌悪ではなく、自分の集落は、鐘が鳴り響くところのミクロコスモスであることの気づきと真正面から向き合っていることを作品化しているものだ。その鐘の音の可聴範囲で、「傷んだ虹と妖き雲」という天象が展開していて、「星は泥へ水は樹を」という事象が生起する場であることを詩的直感力で表現しているのである。〈ドラム缶を楯に泣く僕に緑の故郷だが〉では泣いているが、故郷を否定してはいない。むしろ〈すてきれぬ血族ここにも野すみれ咲き〉と書いているように、自分を産み育んだトポスに対する愛惜の情をありていに表現することで、自らの生の座標軸の基点を確認しているのかもしれない。

 またこんな句もある。〈故郷は椎の木裂ける音である〉。この作品世界は同郷(愛媛県)出身である大江健三郎が展開する〈杜に生かされる邑・ひと〉を連想してもいいのかもしれない。〈石の岬よ石榴を剖く雨の岬よ〉、〈ああ岬(タンジョン)鉄の匂いの花の咲くらし〉といったように出自の場所の地勢が岬であることを意識した作品も見いだすことができる。 岬は海との緊張感にさらされた場であり、その先は海という絶対的な他界であることを五感へ直裁的に突きつけられる場である。そうした彼此が明確に分かれた場に響く雷に接した少年は、ただ佇ち尽くしていただけなのだろうか。〈海をてらす雷(らい)よくるしめ少年はいつもそう〉。大本氏の少年時代の苦悶と悶絶が幻視される。

大本義幸論--02

2009年02月21日 11時59分03秒 | 俳句
大本義幸論のその2です。

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《テーマ02 隣座するタナトス》

  ああごめんノートの遺す鰯雲   大本義幸  

 二〇〇三年から度重なる手術を受けた大本氏。この句集の後半は、前半に展開したコトバと表現を屹立させている俳人のイメージとは異なる作品群が登場する。あいかわらずの鋭利な詩語の表出もあるが、選択されるコトバに、平易さが引き込まれるようになる。例えば〈朝顔にありが とうを云う朝もあった〉、〈ありがとうきみのいたこと忘れず冬〉などの句に現れている「ありがとう」。〈ふんわりとただふんわりとおばあさんの帽子〉の「ふんわり」、〈がんばるわなんて云っている冬の花〉の「がんばる」。平易すぎるこれらのコトバを安直に使えば陳腐になってしまう。それを表現のレベルに押し上げているのは、他者に対する感謝の気持ちばかりでなく、「ありがとう」「ふんわり」「がんばる」という言葉を発する自分が生の持続の只中にいることへの自覚であり、自分が 〈在る〉ことの確認から発して、すべての〈有る〉もの/万象に対しての気付きと感謝の表現が込められているからなのだろう。

 しかしそうした生の明るみばかりの表現では、隣座するタナトスと 〈私〉との関係が語れないことを表現者・大本氏は充分理解している。 その経緯をさぐるために、蝶の行方を追ってみよう。若い頃の作品と思われる〈枯笹を渡る蝶よ むこうも枯原だ〉では蝶に仮託した〈私〉が翔んでいる現在の地所は「枯笹」という不毛の情況であるとの否定的な見なしをしつつ、越境しようとしている「むこう」も「枯原」であるとの失望感と諦観が表現されている。それが後の作品になると、〈死者を恋い冥きへ曲がる夏の蝶〉となり、「死者を恋」うことによって、生と死が拮抗して語られ、蝶に仮託した〈私〉 が「冥き」に近づく可能態であることを言語化している。そして何度かの手術を体験するようになってからは、〈てふてふとかかれてひくくとぶけさの蝶〉のように「てふてふ」と命名された蝶へのまなざしをむけつつ、蝶が翔んでいる姿そのもの、その自然さを作品化することで、自分が〈在る〉ことと、蝶を含む万象が〈有る〉ことを引き受けている生のありようが表現されている。

 これから大本氏の蝶/てふてふは、どこに向かおうとしているのだろう。「ああごめん」と書くのは、誰かにあやまっているのではなく、自分がいま置かれた立ち位置から切ないまでに絞り出したひとことなのかもしれない。遺ってゆくものは、ノートに筆記された自分の文字であり、描かれた鰯雲、あるいはその時にみつめていた鰯雲の記憶かもしれないのだ。〈河の名もわが名も消えていつかのどこか〉もまた心を打つ。


大本義幸論--01

2009年02月20日 17時34分35秒 | 俳句
今度の日曜日に行われる「北の句会」に提出する「大本義幸論」の一部です。
これで全体の四分の一程度でしょうか。明日までにすべて完成させなければなりません。

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大本義幸氏は、俳句と詩を横断して表現してきた人で、わたしの文学に向かう態度と通底するところがあり、深い共感を抱く人である。いわば同じ表現位相の先輩として、私より少し前の時代を疾駆していた「現代俳句の旗手」のひとりなのである。そのありようを今回上梓された句集で見届けたいとの思いで読んでみた。その読みの手法は、句集『硝子器に春の影みち』(沖積舎、2008)に掲載された全作品をひとつの共時的テキストとみなし、テーマをいくつか抽出することで、作品の解釈を試みるものである。

《テーマ01 生きながらの鳥への転生》

  月に向かう姿勢で射たれた鴨落ちる   大本義幸

 句集冒頭にこの句が配置されている。詩的衝撃力に満ちた作品である。詩の気配が濃厚にただよいながらも、俳句の形式にとどまって一行で表現されている。俳句は多くの物語、意味、背意を一行に凝縮することで成り立っていて、その作品世界を詩というジャンルに「解凍」すれば充分に一篇の作品を形成するものである(またその逆もありえるのだが)。

 今回の句集を読むかぎりにおいて、大本氏の俳句世界では、鳥類は「翔ばない」か「翔ばせない」存在なのである。鴨を「月に向かう」という想像力の飛翔の寸前に射ち、〈鳥が翔ぶこと〉と、〈月に向かう想像力〉そのものを否定しようとしている。〈夜は化石の鳥もめざめよ湖すこしゆるみ〉でも表現されているように、鳥は天空を羽ばたく存在ではなくて、飛行を中断されるための準備態であるのか、化石のごとくに固化した存在なのである。鳥が本来もっている属性である飛行を否定してみせることで、世界や存在に付着している当為であると思われている属性を拒絶しようとする詩的攻撃性を表現しているのである。

 しかし、句集を読み進めるうちに、作者の〈翔ばせない鳥〉への指向も時を経てくると、変化していることに気づく。射つ対象だった鳥に作者自身がなっているのである。〈わたしがやんばるくいな土星の輪〉という作品がある。「わたし」という存在と「やんばるくいな」が、「土星」と「輪」の関係のごとく固着したものであり、「やんばるくいな」と「輪」が、「わたし」と「土星」の主要属性であることを歌っている。また〈昼月ややんばるくいな熟眠(うまい)せり〉では、作者がヤンバルクイナになりきって熟眠(うまい)しているのである。

この変移をどう解釈すればいいのだろう。考えてみると、ヤンバルクイナは翔ばない鳥である。つまり大本俳句の中での鳥類はやはり翔ぼうとしない、翔ばせない存在であり続けている。作者自身が翔ばない鳥に変化することによって、若い頃に射った鳥そのものに〈転生〉しているのかもしれない。自らに付着する属性であるなにかを遺失/欠落したことへの自覚が、「翔ぶ」という属性を持ち得ないクイナに〈転生〉し、自らがクイナ(翔ばない鳥)であることの覚悟を表明しているのかもしれない。初期作品で射つべき他者であった鳥に〈生きながらの転生〉を果たすことで、身体性(あるいは生そのもの)への執着が作品中でも表現されているのである。

大阪に小劇場とアクトリーグ

2009年02月19日 17時17分20秒 | 文化
読売の夕刊を読んでいたら、大阪・アメ村にミニシアターが出来るという記事を発見。

「ソープオペラクラシックス」という名前で、80席ほどの小劇場だそうですが、そこを拠点とする劇団も結成されるなどさっそく地の利をいかした活動が誕生するのです。また、このシアターには、「即興演劇の勝ち抜きバトル」企画もあるというので、それは「アクトリーグ」のことだろうと理解して、姪っ子の小劇場俳優の小野愛寿香にメール連絡したら、その通りでした。第一回の公演は3月5日(木)だそうです。
「アクトリーグ」に関しては、以下のサイトを参照してください。
http://www.actleague.com/leaguewest2007/

パソコンは直ってきたのですが

2009年02月18日 13時01分13秒 | 通信
昨日、Macのこのノートパソコンが修理されて帰ってきたのですが、部品の交換はされているものの、少しずつおかしかったアプリケーションが続行して調子が悪いままなので、なんだハードの交換だけなのかと、ちょっとがっかりしています。もういちど電話をするべきなのでしょうか。特にQuarkxpressが壊れたままなので、これがイタイ。再インストールして処理しなくてはならないのでしょうか。困ったことです。

今晩みたストリートミュージシャン

2009年02月17日 23時47分10秒 | 神戸
珍しいですね。

インスツルメンタルの演奏です。フォークギターでしたが、ジャズのセミ箱型のギブソンでも演奏しても十分通用するレベルでした。

歌はなし。それでも多くのギャラリーが聴いていました。

神戸で少し毛色が変ったミュージシャンと出会うには、三宮の阪急電車の高架下か、東口周辺が好適地ですね。私もミュージシャンだったらこの地でストリートをしていると思います。

ビーガンと俳句の関係

2009年02月14日 09時35分19秒 | こうべ花気だより
最近、ビーガンの料理を作るようになって感じたことを書きましょう。

昨日二人の詩人に食べてもらったのは、「ガルバンソー豆の豆乳スープ」。

乾燥ガルバンソーを一晩水につけて翌日湯がき、シノアがないので、包丁の背でつぶしてから細かく刻み、それを鍋に入れて豆乳を少しずつ加えてスープ状にしていきます。味付けは塩と黒胡椒だけ。豆乳はどうしても甘さが残るのでその甘さをどう抑えるかがひとつのポイントです。スープには、つぶしていないガルバンソー豆をトッピングとして入れます。つぶした豆もシノアやフードプロセッサーを使った時のように細かくなりきっていない分、豆のこりこり感が残ってその食感も楽しめます。

こうしたスープやシチュウ料理のコツは時間をかけてゆっくりと作っていくことでしよう。時間がないので強火で作ってしまうと料理も怒ったような味になってしまう。

ネットでスープやシチュウの作り方を見ていると、その多くは固形ブイヨンを使うことを推奨している。確かに固形ブイヨンを入れると、一挙にスープ/シチュウらしくなって、便利です。しかし、ビーガン料理なので、固形ブイヨンは絶対使わない。考えてみると、こうした固形ブイヨンを多用すると、料理には便利なのですが、その便利をはずして味を調えていくという工夫をおろそかにになってしまうおそれがある。つまりその便利に依拠するあまり、固形ブイヨンや昆布だしの素抜きで味を調える努力をしなくなる可能性もあるのです。

これを無理に俳句と結びつけてみると、固形ブイヨンや昆布だしの素は、季語のようなものです。これを使うと、一挙に俳句らしくなる。とても便利だし、有季定型の持っている伝統的俳句の枢要でもある。しかし五七五の限られた詩型の文字数の中で、季語という固形ブイヨンを入れると、それだけ外部性に依拠する具合が大きくなり、この17音字をすべて自分の詩語で作るという文学的な格闘と無縁になってしまうような気がする。

今回の「ガルバンソー豆の豆乳スープ」、二人の詩人には好評でホッとしました。詩人と口語自由詩には固形ブイヨンという季語は必要ないのですね。やはりこれは俳句と詩を横断して表現している私なりの「気づき」かと、二人の詩人の食べる姿を見ながら考えていたのです。

ビーガン/無季俳句は、固形ブイヨン/季語に、頼らない分、素材力/詩語の選択力と、最低限の調味料である塩の力/作品の構成力を、練り上げていく努力が求められるのです。

ぬおと出現した大仏

2009年02月12日 17時37分08秒 | 神戸
神戸を歩いていると、突如、史跡にでくわすことがあります。

今朝、兵庫区を早足で急いでいると出会ったのがこの「兵庫大仏」です。

大仏というのは、ほとんどがビルシャナ仏(あるいは大日如来)なのでしょうか。でも最近は巨大観音像も築造されています。日本における観音信仰の根強さを感じます。

「兵庫大仏」は1891年(明治23)に創建されてからは、奈良と鎌倉とを合わせて「日本三大仏」と呼ばれたそうです。
私の好みからいうと、「岐阜大仏」(釈迦如来)もなかなかに趣きがあって、印象に残っています。巨躯を狭い御堂の中でもうしわけなさそうに座っているさまが、愛らしいのです。

この「兵庫大仏」が先の戦争で、銅供出のために、姿を消し、戦後になって再建されたことから、この大仏か「岐阜大仏」が「日本三大仏」の三番目の位置を争っているというネット情報を読んで笑ってしまいました。大仏さんもランキングの対象になって、落ち着いて座っていられないようです。

どうしたのかなあ

2009年02月11日 16時45分47秒 | 通信
心象はがりか、実景も〈ひとり〉であるようです。

いつも番(つがい)でやってくるヒヨドリ。今日はどうしたことか一匹だけ。

パートナーはどうしたのかなあ、喧嘩したのかなあ、寝坊してるのかなあ、猫に食べられたのだろうか、いや鴉や車に襲撃されたのかも。

いつもより長く拙宅の庭に滞留するのです。番で来るときは2~3個しか食べない南天の実もじっとみていると8個も食べます。しかもいつもと行動様式が違うのです。いつもはせいぜい滞留しても1分。ところが今朝は食事が終わった後、首をすくめて枝に留まっているのです。ほぼ毎日ヒヨドリを見ている私ですが、これほど長くいる姿は見たことはありません。かの鳥も孤愁をかこっているのかと思ったのです。まるで私の心象の写し絵のような鳥でした。

とうとう

2009年02月10日 17時31分03秒 | 通信
修理に出すことにしました。

MacのiBookが調子が悪いのです。
昨日少し寄った梅田のヨドバシカメラのMac担当者(黒い服を着ている)に尋ねたら、コールセンターに電話せよというので、さっそく連絡してみました。
すると、パソコンを取りに来てくれるというのです。ありがたいことです。
修理にかかる日数は一週間から10日。まあそれぐらいだったら、我慢していましょう。

どうもハードディスクがいかれているようです。
修理してもらって、また仕事をばりばりとしたいものです。

編集は進む

2009年02月09日 23時38分44秒 | 出版
今日は朝からFMわぃわぃの放送準備。
今回の放送は、先月訪れた奄美でのことを話します。

同時に、寺岡良信著『第二詩集 焚刑』の初校ゲラをプリントアウト。
著者用と、装幀者の二部をつくります。

正午、東灘から長田へ。FMわぃわぃに到着後は、打ち合わせと、生番組前の心地よい緊張感につつまれます。

T氏がミキシングを担当。来月にも第一子が産まれるとのこと、また先月に父上を68歳で亡くされたとのこと、葬式はT氏の姉がキリスト教信者だったので、キリスト教形式で行われたとのこと。こういうことを、曲がかかっている時に、濃密な会話を交わすのです。

番組が終わって、昼食タイム。弁当をいただきながら、会話も多岐にわたります。
たっぷり一時間、食べて語って、くつろぎのひととき。

鷹取を出て大阪に向かうのですが、携帯電話をFMわぃわぃを忘れて来たのを思い出して、一度FMわぃわぃに帰ってふたたび、大阪へ。JRの普通電車の中ではこっくりこっくり寝続けます。

詩人の寺岡良信氏と梅田で逢い、デザイナー事務所へ。装幀の打ち合わせをします。第一詩集の時と比べて著者に明確なヴィジュアル・イメージが出来ているのには驚きました。

打ち合わせが終わって、著者と出版経営者の間柄で、呑みにいきます。この時がやはり充実の時期です。

程よく酔いがまわった時に、今日はおとなしくおひらき。梅田から阪急電車に乗って帰って行ったのです。