高天原への扉

水瓶座の時代を生きるヒント

魂修行の意味

2013-02-13 11:17:19 | 水瓶座の時代を生きるヒント

◎魂修行の意味

人間がこの世に生まれてくるのは、魂修行のためであると言われています。この魂修行の意味をまだまだ分かっていらっしゃらない方が大変多いのです。

この世で生きておりますと、大変辛いと感じることが次から次へと目の前に起きて参りましょう。病気や失敗、失恋、離婚、失業、愛するものと分かれ、そして死。一見、悪いことと思えることが起きて参ります。しかし、そこから逃げてはいけないのです。なぜなら、その時こそがあなたにとっての修行の時であるからなのです。

それはその辛い時期をじっと耐え忍ぶことが魂修行であるという意味ではありません。誰もが苦しく辛く感じたり、嘆いたり人を恨(うら)んだりしてもおかしくないような状況の中で、如何にあなたは人のせいにすることなく、感謝をし希望を持って天上界とつながった心でもって、その時を過ごすことができるかということが試されているからなのです。旧約のヨブのように目の前にあらゆる災難が訪れたとき、神を呪うあなたであるのか、それとも、そのような苦境の中であっても、天上界に心を向け、感謝をして喜びを周囲に分け与えながら生きていくあなたであるのか、それが問われているのです。

このような神理を知っている人は多いのですが、いざ自分の身に災(わざわ)いが降りかかってきた時に、必死で逃げ道を探し、逃げ惑うのが実はほとんどであるのです。

そのような苦難と見える状況の中で、常に神に心を向け、日々感謝を忘れないことが大切であるのです。それができるようになった方は、魂修行として一つの卒業を向かえるのです。何も難しいことを知る必要はないのです。

ヘレン・ケラーという方は、それを身をもって人々に教えんがためにお生まれになられました。私の後姿を見よと人々を口で説き伏せるのではなく、自らの身をもって人々に真実の生き方をお示しになられたのです。


◎苦難困難への対処

知識はあれども、いざという時、人は逃げ道を探してしまうことが多いのです。それはとても勿体無(もったいな)いことなのです。

もし、苦難困難と見える現実から上手く逃げ延びたと感じていても、やがて時間をおいて再び目の前にやってくるものであるのです。いくら逃げようとも何度も何度もやってくることでしょう。しかし、一度克服したならば、もう目の前に現われてくることはありません。心して苦難困難に立ち向かって頂きたいと思います。

人生における苦難困難のときというのは、例えるならば、部屋の入り口が燃え盛る炎で包まれていて、おまけにその部屋には、窓もなく他の扉もない、ちょうどそのような状況であるのです。多くの方は、壁を叩いたり、どこか秘密の抜け道はないかと探したり、誰か天井からロープをたらして助け出してくれないだろうかと逃げ惑うのです。しかし、勇気を出し燃え盛る入り口へ飛び込めば、何と言うことはないのです。燃えていたのは、入り口の扉だけであったのだと知るのです。そのようなものであるのです。

あなたは神の子であるのです。あなたには神と同じ力が宿っているのです。神の子の前には、あらゆる苦難困難を解決することができるのです。解決できない苦難困難など、起きては来ないのです。必ず乗り越えて行けるものであるのです。

苦難困難の克服とは、己の心と戦うということであります。克己(こっき)、己に克(か)つということであります。

例えば対人関係に問題があるとき、「苦難困難に立ち向かう」ということを目の前に現われた敵と思しきものと戦うというように思われる方がいらっしゃいますが、そうではありません。敵は己の心の中にいるということです。相手は敵ではありません。同じ神の子であります。憎む相手ではなく、愛すべき相手であるのです。ご自身の中で、相手の神性を拝み出すという姿勢を持つことが大切です。人を恨んでしまいそうな己に打ち克ち、愛を実践するということです。商品を買ったときに、欠陥品を愛することはできないでありましょう。良品であってこそ、愛着がわき大切にするのではないのですか。ならば、相手の神性をよく見て、良品であると、良いものであると知らねばなりません。

例えば経済的なものに問題があるならば、自らの心の中に豊かさがないということを示しているのです。三界(さんがい)は唯心(ゆいしん)の所現(しょげん)であるのです。心に認めたものが現象化するという理(ことわり)があるのです。豊かさというものを心に把持しておれば、豊かとなって行き、貧しさを心に把持していれば貧しくなっていくということなのです。つまり、貧しさばかりに目を向けているのではないかということなのです。まず、現時点で与えられていることに目を向け感謝するということからはじめてみて頂きたいのです。豊かさとはお金ばかりではありません。人間関係が豊かであるとか、物が豊かであるとか、食べ物が豊かであるとか、豊かさと言っても色々な豊かさと言うものがあるのです。足ることを知るという言葉が単なる美徳ではないことに気づいて頂きたいと思います。


◎二極化とは何か

今、時間と言うものが早まっています。24時間が23時間や22時間になっているという意味ではありません。原因と結果の連鎖の時間が早くなっているということです。

それは、己の魂の持っている問題点、課題と言うものが目の前にどんどんと現われて来るということでもあります。己の心音がいかなるものであるのかということをまざまざと見せ付けられることとなって行くのです。魂の膿み出しの時期であるとも言えます。

そのため、二極化が進んでいくのです。心音の美しい方は、その心音にあった現実が現われて参ります。心音の豊かな方は、豊かになり、醜い方は、醜き現実と言うものが現われて参ります。

あるものにとっては、幸運が幸運を呼ぶようになって参ります。現実が豊かでなくとも心に豊かさがあるものは、豊かになって参ります。しかし、あるものにとっては、不幸が不幸を呼ぶようになってくるのです。現時点で裕福な生活をしていようとも、社会的地位があろうとも、その心貧しいものは貧しい現実が訪れて参ります。次から次へと訪れてくることでしょう。

それ故、魂修行という考え方をもう一度見直して頂きたいと願っております。



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