高天原への扉

水瓶座の時代を生きるヒント

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本当の世界

2014-09-10 16:12:44 | 水瓶座の時代を生きるヒント

私たちは皆、一人の例外もなく、神かわ分かれて来た神の分け御霊です。実相の世界、本当の世界では、一人の例外もなく、皆全宇宙に満ち満ちたる神そのものにして、完全無欠なのです。この世とあの世のすべてを貫きてある完全なる神がさきはえ賜うているのです。それが私たちであるのです。「さきはえる」とは、「幸はえる」、「先生える」、「咲栄える」とも書けますが、本なる神、すべての大本にある神から枝分かれし、幸せというものを益々増やしつづけているのが、この世界の真実の姿であるのです。「この世界」とは、この世とあの世を貫きたる実相の世界、御霊の本当の世界のことです。

そのことを御霊で実感するために、何度も何度も生まれ変わりをしている存在、それが私たちなのです。そのことを知識ではなく、頭ではなく、御霊で実感するところまで行ったとき、私たちは輪廻の軛(くびき)より開放されることとなります。

本当の反省というものは、この真実在の実相を実感するのを阻害しているものが何かを知り、そしてそれを取り除いて行くことなのです。ですから、「自分は光一元でいくから反省は必要ない」とお考えの方もいらっしゃるかも知れませんが、それは片手打ちと申しますか、少し足りないということなのです。

罪・穢れというものは、本来ありません。本当の世界にはないのです。今、あなたが「この世界」と認識されているのは、恐らく、御霊の世界、本当の世界ではないはずなのです。この世は、ありありとあるように感じるし、痛みも感じます。だからこの世というものが実在の世界であるように感じて仕舞うのです。それは仕方のないことなのです。しかし、それは本当の世界ではないのです。あなたの本当の世界は、御霊の世界であるのです。あなたの本当の姿は、煌々(こうこう)と光り輝いている神そのままの姿であるのです。大本なる神よりさきはえ賜うたのがあなたの本当の姿なのです。

罪・穢れというものは、闇より生じます。闇は、心の病みとなり、罪・穢れを生んでいくのです。それは確かです。ただ、罪・穢れを生む闇は、本当の世界にはないのです。あるのは光のみです。あるのは神のみなのです。「本来、罪なし」なのです。

では、如何にして闇が生ずるのか?それは、心の中に光を遮るものがあるからです。どれほど晴れ渡った日であっても、壁があれば、そこに影ができますね。つまり、心の中に人と人を隔てる壁があったり、神と自分の間に壁があったりしていると闇を生じて仕舞うのです。

仏教で自我がいけないとされていますね。我というものは、「我が強い」とか申しますが、自分という枠を持って生きることですね。「他人が苦しい思いをしても自分には関係ない」なんて思って折られる方いらっしゃいますね。そういう方は、自分と他人というのが繋(つな)がっていません。切れています。切り離されたものと感じて折られます。自分という枠の外にいるのが他人だという気持ちがあるわけです。そういった壁や枠があると光が射さない部分が出てきて、自我我欲という罪・穢れが発生するんですね。だから、自我がいけないと言われて来たんですね。

これから様々な苦難困難と見えるものがやって参ります。そんな中にあっても、自分の御霊を信じ、自分の中に壁や枠を作らず生きていきましょう。もし、その中で、たとえ死することになろうとも、私たちは永遠に死滅することのない御霊なのですから、慌てず肉体の死を受け入れて参りましょう。

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不調和の波

2014-02-27 16:12:05 | 水瓶座の時代を生きるヒント

今、世界は不調和の波に飲み込まれています。人がこの地上にて行うべきは、調和です。

今、あなたの友としてあなたの心にお話しています。日々、日本国内だけでなく世界中のニュースを目にし耳にして居られるでありましょう。そのなかで、あなたは一体何を感じて居られるか一度、自分の心というものを振り返って見て頂きたいのです。

シリアでは、内戦が続いております。アサド政権と反体制派が対立して日々殺し合いを続けているのです。それは、ニュースで知っておられることでしょう。どちらが正しいのか、どちらの側に神の正義があるのかとお考えかも知れません。しかし、残念なことにどちらの側にも正義などないのです。神の加護などどちらにもないのです。彼らは皆、政府軍と反体制派と分かれそれぞれの正義の旗を振りながら戦っています。彼らの生きている世界は、まさに阿修羅界という地獄世界に生きているのです。自分たちが今、この世におりながら阿修羅界という地獄世界の中に生きているということに気づかずに居られるのです。

彼らもまた私たちと同じ地球という惑星に住まう兄弟であり、同胞(はらから)です。人類皆兄弟という言葉を耳にされたことがあるでしょう。その彼らが日々、憎み合い殺し合っているのです。あなたは心痛まれないでしょうか?遠い国の出来事であって、自分たちに関係ない国に起きている出来事として捉えておれるのではないでしょうか。それは自分には関係のないことだと感じておられるのではないでしょうか?そんな冷たいあなたになっておられるのでしょうか。

このブログをご覧下さる方ならば、神は愛であると知っておられるはずなのです。なのに、日々シリアで何が起きているかを耳にし目にしておりながら、心痛まぬというならば、残念ながら愛とは何かを知らずに生きておられるということなのです。愛とは、人の苦しみを我が苦しみとし、人の悲しみを我が悲しみとし、人の喜びを我が喜びとすることではなかったでしょうか。それなのに、何故、心痛まなくなって仕舞われたのでしょうか。

東北の震災の後、多くの人が被災された方々の苦労を思い、自分も少しでも協力したいと日本国中から支援をされようとしたではありませんか。あれが愛です。しかし、時の流れと共に、被災地のことを忘れ、日々自分たちの生活にばかり気にされるようになられました。

私たち人間は、一人一人、調和というものを実現するという使命を持って生まれているのです。調和とは愛の別名でもあります。自と他を調和するもの、自と他を繋ぐものそれが愛ではないでしょうか。

争いの中に愛はありません。あるのは自分のことのみでしょう。自己保存、自我我欲だけではないでしょうか。自分たちに都合の良い正義の旗を振っているだけではないでしょうか。争いは、自と他を分け隔てるものです。今、国内では中国や韓国に対して敵意を持つ方が増えています。しかし、彼らも同じ地球に住まう同じ人間ではありませんか。確かに彼らに考え違いがあるかも知れません。しかし、同じ人間、同じ地球の同胞ではありませんか。なのに何故、憎むのですか。己れの利益のために、互いに敵意を持たせようとするもの達が暗躍しているかも知れません。そんな者達の手に乗り、また正義という名の旗を振って他と争うのですか。

忘れないで下さい。あなたは神の子です。あなたが憎もうとしている相手も神の子です。同じ地球に住まうあなたの友達なのです。同じ人間どうしで憎み合い争いが起きることを望む神がどこにいるというのでしょうか。どうかそれを忘れないで頂きたいと切に願っております。

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永遠の生命の自覚

2013-07-06 17:39:27 | 水瓶座の時代を生きるヒント

昨日は、永遠の生命についてお話致しましたが、これは作り話でもなんでもなく、事実であるのです。

人間が輪廻転生を繰り返しているという話は、あなたもどこかで耳にされていることでありましょう。このブログを訪れて下さる方ならば、「あぁ、それは当たり前のことだ」と思われているかもしれません。そんな方にこそ、もう一度ご自分の死というものを見つめ直して頂きたいと思うのです。

人は必ず死を迎えます。あなたの人生は必ず死という通過点を通ることになっています。ご自分の死というものをこの機会にもう一度見つめ直して頂きたいと思います。

もし、今、あなたが癌にかかっており、余命3ヶ月だと言われたと致しましょう。あなたはどのように思われるでしょうか?そして、どのような行動を起こされるでありましょうか?黙ってその死を受け入れることはできるでありましょうか?どうにかならないかと色々な病院を回ったり、はたまた神に祈願されたりして、どうにか生き延びたいと慌てふためかれるのではないでしょうか?

もし、今日、あなたの地上生命が終わりを迎えるとしたら、あなたはその死を心安らかに受け入れることができるでしょうか?今世の人生に、家族に友達に別れを告げて死というものを受け入れることができるでありましょうか?

それをよくよく振り返って見て頂きたいのです。アセンションや次元上昇というお話がスピリチュアル、精神世界でしょうか。そのように分類される世界では言われていますが、「自分はアセンションするから、死なんて関係ない」ですとか「自分は神様に守られているから、死なんて先のことだ」なんて思われてはおられないでしょうか?もし、そうお考えであれば、永遠の生命を分かっては居られないとあえて申し上げて置きたいと思います。

昨日は今世の一生は日記の1ページでしかないとお話致しました。何度も何度も人生というものを経験できるようになっているのです。人間が何度も生まれ変わりをしているのは、魂にとって新しい経験を積んで行く為なのです。地上でも、目新しい場所へ旅行したり、目新しいお店に行ったときに嬉しいという気持ちを持つことがあるでありましょう。たとえ、もう行きたくないと思うような場所でさえ、一度行った事があるということは、何か自分の知る世界が広がった気持ちになって喜びを感じるでありましょう。そのようなものであるのです。少しでも目新しい経験というものを積む為に、地上に何度も生まれて来ているのです。

あなたの生命は、永遠であります。なのに、何故、それ程焦るのでしょうか?何をそんなに急いで居られるのでしょうか?現代の地上は時間というものについて、分刻み秒刻みの生活をされておられるようですが、その時間感覚というものに縛られては居られないでしょうか?何でも「早く」とばかり焦りを感じてご自身の御霊を縛っておられないでしょうか?もし、そのような焦りという心があるならば、永遠の生命を分かっておられないと申し上げて置きたいと思います。ゆっくりと温泉につかるように今世の人生というものもじっくりと経験して頂きたいと思います。

あなたの本当の姿は魂であるのです。肉体ではありません。あの世と呼んでいる世界こそが本来のあなたのお住まいであるのです。なのに、何故、それ程までにお金やブランドや地位や名誉、権威などを求めておられるのでしょうか。そんなものはあの世に持って還ることはできないのです。この地上で皆から憧れられるような職業というのは、あの世では地獄に通じていることが多いのです。地上と本来の世界では、本当に価値観が逆転しております。具体的職業を申し上げると、問題がありますので控えますが、お聞きになれば皆「えぇ~!!」といわれることでありましょう。地上と本来の世界の違いで言えば、この世の都会は地獄に近く、この世の田舎は天国に近いとだけ申し上げて置きたいと思います。そういった現代の世の中であります。そういった地上の価値観に染まっていて、本当にあなたは自分は魂であると霊であると分かっていると言えるでありましょうか?

このようなお話をしても自分は分かっていると思われる方もおられます。しかし、そのような方の心の中には、「天使になりたい」という心があることがあります。「神様のお喜びになることをすれば、天使になれる。」とかたくなに信じて居られるのです。それは死後認められたいという気持ちです。その方は、自分の心の中に名誉欲というものがあることにお気づきにならないことが本当に多いのです。残念なことに、多いというものでは済まされないほどいらっしゃるのです。そういった「天使」というもの「天の使い」というものに対して偉い偉くないといった見方をされておられるのです。それにお気づきになられておられないのです。そのような見方というのは、地上の肉体というものを機縁に生まれた見方であるのです。肉体というものに縛られた見方であるのです。それも本来の世界の価値観ではありません。それもまた、残念ながら、地上の価値観に染まっているということなのです。

地上の価値観に染まっているということ、それは魚座の価値観に染まっていると言えるでありましょう。そろそろ、本格的に水瓶座のエネルギーが地球に流れ込んで参ります。その時、魚座の価値観に染まるものは、後退して行くこととなるのです。後退という言葉が何を意味しているかは、お考え頂きたいと思います。

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天上界の視点を持つ Part2

2013-07-05 12:35:56 | 水瓶座の時代を生きるヒント

今日は、天上界の視点を持つということについて違った視点をお伝えしようと思います。内容としては、永遠の生命というお話になります。

人間は永遠の生命を持っているということを多くの方がお話されておりますので、そのようなお話をしても多くの方はガッカリされるかも知れません。もし、ガッカリされるようでしたら、もうこちらのブログをお読みになられても何も得るものはない方でありましょう。

あなたの生命というのは、何度も何度も地上に生まれては死にあの世に還り、また地上に生まれるということを繰り返しております。一度の転生、一生というものをあなたはとても永い時間に感じるかも知れませんが、それは日記の1ページのようなものなのです。「今日は誰々と会って、何々をした。とても楽しかった。」と言ったように日記の1ページに書き込んだりされるでありましょうが、そのたった1ページがあなたの今世の一生であるのです。地上の日記帳は1年で365日分あったりしますが、それが一生1ページで言いますともう何千ページ何万ページとあるのです。そして、皆、既に何百ページも何千ページも日記帖に書き込まれているのです。

アトランティス文明が滅びてより約1万5,6千年でしょうか。その間もその前もあなたは地上に生まれて日記帳に1ページづつ書き込んで来たのです。大体、2,300年に一度生まれ変わったとしても、アトランティス文明以降、約50ページはあなたは日記を書いて来られたのです。そして、こらからもずっとずっと何ページも日記を書いて行かれるのです。

そのような永遠の時間を生きているのです。そのような時間感覚に立って、今世の人生というものを見たときに何かにお気づきになると思うのです。これからもずっと終わることのないものであります。

今、日記というお話を致しましたが、また違った例でお話致しましょう。テーマパークや遊園地というものがありますね。メリーゴーランドや観覧車、ジェットコースターなどあったりしますね。乗るのに係員の方にチケットを渡して乗りますね。人の一生というものは、一つの乗り物に乗るようなものであるのです。乗り物が止まれば一旦降りなくては行けませんね。そして「次はあれに乗りたい。」「もう一回、あれに乗りたい。」といって次の乗り物に乗るのです。子供達は、今日はあれに乗る、今日もあれに乗ると言って楽しく色々な乗り物に挑戦して行くのです。そして、「こんな楽しい時間がずっと続けばいいのになぁ。大人になんかなりたくないなぁ」と思ったりします。それが永遠に許されているのです。色々なアトラクションもあるのです。お化け屋敷もあれば、ディズニーのパレードもあったりと本当に色々なアトラクションがあるのです。それをずっと楽しんでも良いのです。

中には、「降りたくない」といってしがみ付く子供が居るのです。係員が「一旦降りたら、また乗れるから」といくら言っても「そうやって、僕を騙そうとしてるんでしょ。嫌だ!降りたくない!」という子供が居ているのです。自分が死んだことを受け入れることができずに迷っている人というのはそのような状態であるんです。

そしてあれ程楽しかったアトラクションも段々と飽きてきて、次は係員やって見たいと言って係員をやって見たり、アイスクリーム屋さんをやってみたりするのです。高次元霊とか言われて、皆、高次元霊に自分もなりたいとお思いの方も多いかも知れませんが、高次元霊はそのアトラクションの園内掃除をしたり、観覧車のボルトが緩んでないかをチェックしたり、各施設の錆が来ていないかチェックしたりしているのです。そのような目立たない裏方の仕事をして汗水垂らしている訳です。本当に割に合わないかも知れませんね。

永遠の生命というものはそのように例えることができます。そういった永遠の生命を生きているという実感、時間感覚でもって今というものを見つめて頂きたいと思います。さすれば、何かにお気づきになると思うのです。そうしたときに「あぁ、自分は永遠の生命というものを知ってはいたが、何も分かって居なかったんだな。」と思われるでありましょう。もし、そう思えたらそれはチャンスであると言えましょう。

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水瓶座のエネルギーの受け取り方

2013-06-21 12:46:07 | 水瓶座の時代を生きるヒント

今日は水瓶座のエネルギーの受け取り方について少しお話しようと思います。

まず一番目に、魚座の価値観にしがみ付く思いというものを手放す必要があります。魚座の価値観とは、お金や地位・名誉、勝ち組負け組といったこの世ではみんなが当たり前だと思っている価値観です。そういった価値観から離れて頂きたいと思います。

そして、魚座の価値観の中には、時間、過程というものにとらわれる考え方も含まれているようです。地上で何か事を起こそうと思い立った時、過程というものを考えますね。これをしてから、あれをしてといった段取りと言えば宜しいでしょうか。これからは、何かをする時に単に「やろう」「実現しよう」と考えることが大切になって参ります。「果たして出来るだろうか?」ですとか、「こんな邪魔があるんじゃないだろうか?」といった心配ですね。そういう過程を考え心配するという考え方を捨てることが大切になって参ります。心配性であったり、「これは大丈夫だろうか?」「あれは大丈夫だろうか?」といった取り越し苦労ですね。そういう考え方をしていると、それは残念ながら魚座の価値観にしがみ付いているということなのです。

二番目に、リラックスして受け身になるということです。心の力みを捨てるということです。魚座の価値観から離れておりますと、リラックスしている時に自然と水瓶座のエネルギーが流れ込んで参ります。それは、光であり気功でいうところの気としても感じるでありましょう。何も考えずボーっと過ごしている時間などに胸の辺りが暖かくなったり、足の裏から丹田や胸に向かって流れ込んでくる感覚を覚えたりすることでしょう。大切なことは、「天上界と通じる精神統一」や「御霊の開放 ~神に対する偏見を捨てよ~」でお話した心の力みを捨てるということになって参ります。特に受け身の心で手を合わせて神様と向かい合おうとすれば更に大量の光を感じることが多くなるでしょう。

今のところ、以上の二点で水瓶座のエネルギーを受けとることはできるでありましょう。ただ、どれだけ水瓶座のエネルギーを受けとれるかは、これまでお伝えしたことをご自分の問題としてどれだけ腑に落としておられるかといった心の姿勢に関わってくるという点はお伝えしておかねばなりません。なぜ何度も何度も同じことを言い続け、己れの問題から目を反らすな、知識は要らぬと言ってきたかその理由がここにあるのです。

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繋がる感覚

2013-06-19 11:57:15 | 水瓶座の時代を生きるヒント

天上界からは、何度も何度も家庭というものを大切にするように言われて参りました。妻と夫、父と子、母と子、そして兄弟の関係、そういった家庭という小さな単位の中でお互いが心開き仲睦まじく過ごすことが本当に大切であるのです。

昨日、「天上界の視点を持つ」ということで全ての生あるものが自分と繋(つな)がっているんだという感覚をもつことの大切さをお伝えしましたね。その前提となっているのが家庭という小さな集まりの中における一体感であるのです。家庭という自分に直接関わりのある関係の中で繋がっているという感覚を持てずして、どうして地球家族という大きな関わりの中に繋がっているという感覚を持てるでありましょうか。それが順序というものではないでしょうか。

天上界の諸霊にとって残念なことは、「神のお役に立ちたい」と言って居りながら、ご自身の家庭内においてご自身が切り離された感覚で生きておられることなのです。そのような方が本当に多くて神々はため息ばかりをついて居られるのです。

昨今、世界では自爆テロなどが起きたりしておりますね。彼らは何ゆえにあのようなことをするのかと皆、思って居られることでありましょう。宗教というものを信じることは自由でありましょう。しかし、宗教といったものの中で、家庭をかえりみず「神の為に」といって様々な活動と呼ばれるものをされる方々の心理は、まさしく自爆テロを行う方と同じ考え方をしているということに気づかねばなりません。

天上界の諸霊は、私達の家族、仲間であるのです。父が子供の家族が仲睦まじく過ごすことを願うのは当たり前のことではないでしょうか。母が子供や孫達の幸せを願うのは当然ではないでしょうか。家庭を蔑(ないがし)ろにしながら親孝行をしようとする息子や娘に親は何というでありましょうか。「私は良いから、家に帰って家族みんなで夕食を食べなさい。」というのではないのですか。家庭を大切にせよと言われているのは、たったそれだけのことであるのです。

すべての生命と私たちは繋がっています。あなたと神はもう既に繋がっています。あなたも私も繋がっています。「すべて」とは、あなたご自身の親兄弟、妻や夫、そして子供たちとも繋がっているのです。目に映るものと自分が繋がっているという感覚を持つことから始めて頂きたいと思います。身近な所から世界へ、そして大宇宙へとその繋がっているという感覚を広げていくことが大切なのです。身近なところを無視してはならないのです。いや、身近なところこそ大切であるのです。

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天上界の視点を持つ

2013-06-18 11:51:56 | 水瓶座の時代を生きるヒント

天上界の視点を持つと言われても、それがどのような感覚であるのか中々分からない方々も居られましょう。そこで、そのヒントになるようなものをお話したいと思います。

私たちは地球という星の上で日々生活しております。地球上には、空があり、海があり、陸地があります。空には、雲が浮かび、様々な鳥達が飛び交っています。海には様々な魚やイルカやクジラ、アシカ、アザラシなどの哺乳類も生きています。陸には、山があり谷があり、川があり森があります。カブトムシやクワガタなどもおればクモや蝶、ミミズやヘビ、蛙、ライオンやゾウ、牛や馬や鹿、犬や猫、そして私たち人間がいます。この地球という一つの星の表面を見ても本当に多くの生命が今という同じ時間を生きているのです。

私たちはそのような様々な生命と一緒にこの地球で命を得ているのです。そして、その中で人間達だけが社会というものを作り上げて、地球の支配者は自分達であると誤解して生きているということは以前もお話をしておりますね。

神という言葉を抜いたとしても、この地球という一つの家に私たちは沢山の生あるもの達と共に一つの家族として命を得ているのです。地球家族と言えるでしょう。皆、家族であります。そういったおきな家族で生きているのです。この皆が家族であるという感覚を持って生きること、これも一つの大切な感覚であるのです。皆が供に繋(つな)がっているという感覚、家族、仲間という感覚ですね。これが大切なのです。それであってこそ、本当に調和ということが分かってくるのです。

人は、神に祈るとき、神と人間という距離を心の中に感じているでありましょう。神という大いなる方と自分との距離というものを感じて仕舞うでありましょう。確かに畏れ敬うということは大切なことでありますが、神と自分が全然別のものであるといった切り離された感覚というのは、これもまた取り払って頂きたいと思います。天上界の諸霊というのは、いわば私達と同じエネルギーで出来ております。あなたと天上界の諸霊とは同じ地球系霊団の家族、仲間であります。あなたもこの地上に生まれる前はあの世において同じ地球系霊団の家族、仲間として生きていたのです。ただ、肉体を持ったときにその記憶をなくしているだけであるのです。天上界の諸霊というのは、あなたの家族であり仲間であるのです。丁度、お父さん、お母さん、お兄さん、お姉さんという感覚といえば宜しいでしょうか。神々に祈るとは、丁度、自分の目上の家族に電話をするようなものであります。そういった家族、仲間という感覚ですね。これが大切なのです。ただ、そこに一定の礼というものが必要であるということは言うまでもありません。

すべての生あるものと私たちは繋がっているのです。そういった繋がっているのだという感覚、これが天上界の視点を持つヒントとなりましょう。すべてが繋がっているという感覚を大切にして頂きたいと思います。

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争いの波

2013-06-17 14:27:26 | 水瓶座の時代を生きるヒント

何ゆえに人は争うのでありましょうか。地上には様々な争いがあります。皆、何ゆえに争い会うのでありましょうか。争い合い、そしてついには勝利というものを手にしたとして、一体何が得られるのでありましょうか。

今、地上には争いの心を持つ方が増えています。その争いの心によって地球の霊的環境が汚され破壊されているのです。いや、破壊し尽くされていると言った方がよいかも知れません。その争いの心によって、龍神達が行ってきた天候のコントロールなどもできなくなっているのです。昨今、天候が乱れているのはそのためであるのです。

争いの心はいったいどこからやってくるのでしょうか。
何ゆえに、同じ人間どうしで争い憎み合わねばならぬのでしょうか。

皆、幸福になりたいと願って、争っているのではないのでしょうか。
皆、その幸福が幻想であるということに何ゆえに気づかぬのでしょうか。
お金や名誉を得れば幸福であると勘違いしているのです。

何ゆえにお金や名誉を求めるのでしょうか。
それは、己の価値を知らぬからではないのでしょうか。
自分の中に幸福がないが故に、外に偽物の幸福を求めて争っているのではないのでしょうか。

何度も何度も自分の人生を愛せ、幸福は既に与えられている、幸福感を持てとお伝えしているのは、水瓶座のエネルギーを受け取るための鍵であるからです。幸福なる者は更に幸福になるのです。

その鍵を回すのは他ならないご自身であるのです。たとえどのような言葉を知ろうとも、どのような高度な知識、情報を得ようともその鍵を回さぬものに幸福は訪れることはないでありましょう。

魚座の価値観にしがみ付き生きるものは、これより滅びの道を歩むでありましょう。不幸なる者は更に不幸になるのです。

不幸なる者は、己の不幸を自分以外の環境や他人のせいにばかりし、ついには争いという結果を招いていくでありましょう。
その争いは、家庭や職場といった極身近な所にも起きて参りましょう。

彼らは気づくまい。
己の心が不幸を呼び、自分の周囲に争いを招いているということに。
己の考え方が、争いの火種そのものであるということに。

心ある方々よ。
どうか、争いの波に飲み込まれてはなりません。
これより、大きな嵐が起きてくるかも知れません。
しかれども、己の中に幸せをしっかりと抱きしめ、平安を心に抱き、争いの波間を漕ぎ渡って行って頂きたいと願っております。

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自然たちの喜び

2013-06-13 16:00:30 | うた

心を軽くしてみて下さい。
心を開いて感じてみて下さい。

空をゆく雲の喜び、山々の喜びを感じてみて下さい。
鳥たちのさえずり、草花達の奏でる音楽に耳を傾けてみて下さい。
皆、喜びのうたをうたっています。

自分が自分であることを喜んでいます。
多くの喜びのうたを奏でているのです。

それが豊かさというものなのです。

あなたは自分であることを恥じているかも知れない。
あなたは自分を受け入れることが出来ないかもしれない。
あなたは自分の歩んできた道に自信が持てないかもしれない。

しかし、知ってください。
道に咲く雑草と呼ばれる草々であろうとも自分が自分であることを喜んでいるのだということを。

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神々の願い

2013-06-09 11:55:54 | 水瓶座の時代を生きるヒント

あなたは、日々、己の心に嘘をつき生きてはいないだろうか。
あなたは、日々、自分の都合の悪いものを見て見ぬ振りをしてはいないだろうか。

己の人生のなかで、目を背けたい現実、気づきたくない己の心、それこそがあなたの御霊にとって大切な課題であるのだ。
そこにあなたの御霊にとって大切な宝が眠っているのだ。

汝、宝を掘り当てよ。
そこに幸福という宝が眠っているのだ。

己の心に嘘をつき、自分にとって都合の悪い現実に目を背け、目を背けたいとさえ思う己の心、それはあなたにとっての宝の在りかを示している旗であるということなのだ。

多くを知る必要はない。
その宝の埋まる場所を示す旗の下を掘れ。
そこにあなたにとって必要な宝が埋まっているのだ。
それは、あなただけの宝物であるのだ。

御霊の向上を願いながら、興味本位で多くの知識ばかりを求めてはならない。
その道は、あなたを迷いの道へと誘うであろう。
その道を進めば、必ずあなたは迷いの森へと入り込み、自分がどこから来て、どこへ行こうとしていたのかさえも見失うこととなるであろう。

あなたは宝を掘り当てるために、人生という旅に出たのではなかったのか。
その道の途中に、目を背けたい現実という旗が立っていたはずなのだ。
その下にあなたの捜し求めていた宝が眠っているのだ。

幸福なる者は、その旗を見て「何だろう?」と思ってその下を掘り、宝を手にしているのだ。
彼らが多くの知識を持っていたかといえば、そうではないのだ。
ただ、純粋にその旗の下を掘っただけであるのだ。
神の名さえ知らぬことが多いのだ。

今、地上には神の名を知れども、神を知らぬものが多い。
日々、愛を口にすれども、愛を知らぬものが多い。
知識はあれど、己が迷いの森に足を踏み入れているということに気づかぬものが多いのだ。

宝を掘り当てたとき、あなたは神を知ることとなるであろう。
恐らく、あなたはその神に会っても神だとは気づかないに違いない。
幸福という二文字だけを見ることであろう。
なぜなら、幸福とは神の別の姿であるからなのだ。

あなたが、あなたにとっての本物の宝を掘り起こすこと。
それが、神々が一人一人に、今、願われていることであるのだ。

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天上界の救いとは何か

2013-06-08 12:30:29 | 水瓶座の時代を生きるヒント

阿弥陀如来のお話などで、「迷い苦しみから衆生を救って、悟りの世界に導く」といった衆生済度という話があります。それで、阿弥陀様に祈れば自分が救われるのだと思われる方も多いかと思います。多くの宗教と呼ばれているものの信仰形態は大方、この流れを持っています。

さて、ここで一つの質問を皆様に投げかけたいと思います。天上界の諸霊や創造主とされる神様が、一人一人を救えるのでしょうか。神を信じてさえおれば、本当に救われるのでしょうか。

神は一人一人の御霊に自由意志というものをお授けになられておられます。どのような方も、いずれ時が来れば一人一人が9次元まで進み、更には惑星意識へと進化し、恒星意識へと進化して参ります。これをお読みのあなたもいずれ、あなたの個性を持った宇宙を作って行く事、神となって行くこととなるのです。自由意志の先には、そういった魂の進化があるのです。

もし、迷っている方を力ずくでその方の自由意志を無視して救うのだとすれば、それはそれぞれの自由意志を奪ってしまうこととなるのです。ですから、どれ程高次元の存在の神であろうとも、自由意志を奪うような強制的な救済ということはなされることはないのです。

しかし、多くの天上界の諸霊が一人一人を救う活動というものをされておられます。それはどのような救いであると思われますか。天国に入ることをもって救いというのでしょうか。御霊の向上をもって救いというのでしょうか。それは、転機、きっかけですね。自分の考え方を見直すきっかけを作るという形での救いであるのです。それは、一人一人の心のあり方を決めるのは各々の自由意志であるからなのです。あの世には地獄世界が何億年とあるのです。そこに住まう方々は己の自由意志の発現によって地獄という世界を形作っているのです。彼らが「もうこんな生き方は止めよう」と自らのあり方に「飽き」が来たとき、違う世界へと通じていくのです。その「飽き」るきっかけ、機会を与えるのが天上界の諸霊の救いであるのです。

神は地獄にいる者たちを見捨てているのではありません。どのような心であろうとも決して消滅することのない生命を永遠にお与えになっているのです。その自由をお許しになられているのです。いつか「飽き」たら、本来の世界に還ってくることを決して見捨てることなく永遠に待ち続けて居られるのです。それが神の救いであるのです。そういう意味で、元々魂というのはすべての人が救われていると言えるでありましょう。

近年、アセンションといってある時期が来れば、皆勝手に次元上昇するのだと思っておられる方もおられるようですが、もし、それを信じて居られるなら、それは神が一人一人の自由意志を奪って悟らしめると思っていることと同じであるのです。神が地獄に住まう方々を一人残らず本来の世界にお戻しになり、地獄世界をなくされるのだと信じるのと同じであるということなのです。決して、一人一人にお与えになられている自由意志というものを捻じ曲げることはされることはないのです。「いや、早く地獄世界を解消しなくては」と思われる方も居られるかも知れませんが、その考えが出てくるのは肉体というもの、肉体を基準にした見方をされておられるからであろうと思います。

何度も申しますが、法則は法則としてあるのです。神が一人一人の自由意志を奪われることもなければ、あの世が心の波長の世界であるということは変わることはないのです。

色々な宗教と呼ばれるようなものがありますが、それらを信じておられる方の多くは、「これをすれば神様から認められて、高い次元に還れる」、「神様のお役に立てることをすれば、高次元に還れる」と言った考え方をお持ちのなのです。そのような方は、はっきり申し上げて「あの世が波長の世界である」という法則を完全に無視しておられるということなのです。

かつて、ルターは免罪符を売る教会を非難したではありませんか。教会は建物の建設費を稼ぐために「チャリンと音がする度にあなたの天国は近づいた」といって免罪符を売っていたのです。免罪符を買い教会に寄付をするということは、教会に貢献することであり、神の喜ばれることであることと思われるでありましょう。しかし、それをルターは、間違いであると厳しく言ったではありませんか。しかれども現代、地上のあちこちに免罪符が横行しています。「これをすれば神様から認められて、高い次元に還れる」、「神様のお役に立てることをすれば、高次元に還れる」と言った考え方は、免罪符そのものであるということなのです。

ですから、「この教えを信じさえしたら救われる」「この神を信じさえしたら救われる」「だから、自分達の信じる神の教えを広めることが、魂の救済なのだ」という考え方は、天上界の救い、神の救いというものを理解しておられないのではないかということなのです。なぜなら、天上界の諸霊は、一人一人が気づくきっかけをお与えになり、神は一人一人に永遠の生命をお約束になって居られるのですから。

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幸福への確約

2013-06-07 12:01:20 | 水瓶座の時代を生きるヒント

今は不幸だから幸福を求めるという者に、残念ながら幸福は決して訪れることはないのだ。
いくら幸福を求めて旅に出ようとも、決して幸福は見つからないものなのだ。

しかし、他の人からしたら一見不幸に見えるような中にあろうとも、人生に幸福の種を見出せた者には、今後も幸福が約束されるのだ。

これは、言葉の綾ではなく、法則なのである。


今、これを読むあなたに問いかける。

あなたは、「自分は大丈夫だ」と思ってはいないだろうか?


「自分は大丈夫だ」と思っている者達の多くは、己の心と対面していないことが多いのだ。
己の心と真正面から向き合うことなく、知識を得、分かった気になった者ばかりなのだ。

多くの者は、知識を得れば、他の人を計ろうとするのだ。
「こいつは、この程度だ」と思って、人をジャッジし、その知識の物差しで他の人を計ろうとするのだ。

他の器を計ろうとばかりし、己の心の鏡が汚れていることに気づかない者たちばかりなのだ。
知識を得たので、「自分は大丈夫だ」と思っているのだ。
知識を得たので、自分は救われたと思っているのだ。
あろうことか、己の心に目を向けようともせずに、「人を救う」などと口にする者たちばかりなのだ。

汝、真に知らんとせよ。
そして、己の心と真正面から向き合え。

さすれば、日々、不平不満の毎日を送っている自分を見るであろう。
己の心が幸福か不幸かを知るに到るであろう。
その己の心から目を反らしてはならない。
たとえ都合の悪い心であろうとも、決して「こんなはずではない」と思って、目を反らしてはならない。

地獄に赴くもの達は皆、死後、己の人生を見せられて「こんなはずではない」「自分はこんなに醜くはない」「自分に似ているがこれは自分ではない」と口をそろえて言うという話をあなたは聞いたことがあるだろうか?

今、己が心と向き合わねば、いずれそのようなときが訪れるやも知れぬのだ。


大切なことは、他の人を救って神々に喜んで貰えるような功績を残すことではないのだ。
まずは、己の心を幸福に満たすことからはじめねばならない。
さすれば、己の心に満ちた幸福は、溢れ出て周囲の者を潤して行くことだろう。
それが順序である。

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二極化と神の御業

2013-06-05 11:45:07 | 水瓶座の時代を生きるヒント

目は、神の御業(みわざ)を見るために与えられているのだ。
神の御業と言っても大それたことを意味してはいない。

幸福者は、目を開けてそこに沢山のものが与えられていることを知る。
しかし不幸者は、目を開けてそこに足りないものを探すのだ。

目に映る映像は同じであっても、その心が違うのだ。
これは、物事は捉え方次第だといった奇麗事を言っているのではないのだ。
自分は不幸だけれども幸せであると思い込んでおれば、そのうち幸福になるといったトリックのような話をしているのではないのだ。

その心の方向性の話であるのだ。

これより先、二極化がはっきりとしてくるであろう。
その二極化こそ、その心の方向性が関係しているということなのだ。

常に、あなたは問われている。
神の側につくのかと問われ続けているのだ。

常に神の名を呼ぶ者が神に近いとは限らぬ。
神に対して多くの知識を持てるものが神に近いとは限らぬ。
神の為に功績を残したものが神に近いとは限らぬ。

災いなるかな。
自らを神に近しと思うものたち。
その多くは、己の心の方向性を知らぬのだ。
何故なら、その多くは己の心と真正面から向き合っては居らぬからなのだ。
己の心が神の名を得たいという名誉欲に支配されていることに気づいてはおらぬのだ。
己が神の子であるということを知識としては知っておろうとも、自覚しておらぬから名誉などを求めてしまっているのだということに気づいては居らぬのだ。

何かをすれば天国にいけるといったものはないのだ。
何かをすれば天の使いとなれるといったものはないのだ。
その心の波長そのものが己が道を決めるのだ。

神の側とは、美しき心の調べを求めて、己の心と向き合うものである。
その目にて、神より与えられしものをつぶさに見んとし、多くのものが与えられていると感じるものである。

さぁ、己の進む道を選ばれよ。

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幸福の財宝

2013-06-04 11:22:00 | うた

人は幸福という名の財宝を求めて旅に出る。
そして、成功という名の山の頂上を目指す。
皆、成功という名の山の頂上に幸福という名の財宝があると信じているのだ。

しかし、幸福という名の財宝はすでに常に自分の足元に眠っているのだ。
それに気づかぬ者があまりにも多いのだ。

知識はあれども、幸福を知らず。
神理を知れども、真の実践をせぬ。
そのようなものになってはならない。

真に知るとは、己の心に幸福が満たされてはじめて真に知ったと言えるのである。
上辺だけの知識など、まったくもって無意味である。

己が上辺だけの知識に振り回されていないか常に振り返るあなたであれ。
幸福の財宝を手にしてはじめて、真に知ったと言えるのである。

当たり前に足元にある大地をよく見よ。
当たり前の毎日によく目を向けてみよ。
そこに幸福の財宝が眠っているのだ。

そして真実に目が覚めたとき、あなたは気づくことだろう。
生まれてからこの方、自分は幸福の財宝に囲まれ続けていたのだと。


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自分の人生を愛すること

2013-06-03 00:01:44 | 水瓶座の時代を生きるヒント

あの時に戻ってもう一度人生をやり直したい、そう思うことがあるかも知れません。しかし、それは自らの人生を愛せていないという証拠であるのです。

真に自らの人生を愛する者は、どれ程の失敗と見えるような人生であっても「これで良かったのだ」と思い、もう一度やり直したいとは決して思わないものであるのです。それは、多くのものが与えられ続けてきたと実感しているからなのです。

私たちには既に多くのものが与えられているのです。どれ程足りないと感じるような状況であろうとも、私たちは本当に多くのものが人生の時々において与えられ続けているのです。足りないのは、それに気づく心、そういった当たり前だと思ってきたものの多くが本当は当たり前ではなかったのだということに、気づこうとする心なのです。

当たり前だと思ってきたもの、それらが本当は当たり前ではなかったのだと知ること、それを感謝と呼ぶのです。

真に感謝が出来てくれば、どれ程失敗を重ねた人生であったとしても、人生を生きてきたということ、多くの思い出ができたということに対して喜びが沸々と沸いてくるのです。それが自分の人生を愛するということなのです。

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