変わらない自分を生きる
今日は、
長男が競技会で朝から他州へチームメートと発ち、
昨夜から泊まりに来ていた友人の娘ちゃん息子君も夕方自宅へ戻り、
夫と下3人は長男の応援へと出発。
長女は、近所のお友達の家にお泊り。
なんと、一人の夜。
何年ぶりでしょう。
車に乗り込む子どもたちに手を振りながら、
子どもが巣立つ際、ぽっかりと心に穴のあくお母さんの姿を思い浮かべました。
しんとした居間。
何気なく通り過ぎた子供と過ごす時の貴さが迫り、
愛おしい気持ちがこみ上げます。
昨夜から続いた「子ども7人」とのそれはそれは賑やかな時とは、
あまりにもコントラストな静けさ。
しばし呆然としたあと、
少しずつ、自分が誰なのかを思い出した気持ちでした。
わいわい人の中にあっても、
家族や子どもたちと過ごしていても、
1人であっても、
変わらない自分。
この変わらない自分を、生きていきたいです。
言葉をつむぐということ
相手を満足させることを目的としない。
自ら満たされた気持ちで、
心から大切だと思うことを書く、そして言う。
相手の満足度と、
自身が満たされるということには、
何の関わりもないと思い出したいです。
相手の満足度によって、
自らの満足度は減ったり増えたりするものではないと。
もし伝わり、相手が少しでも満たされるなら、
「ああ、ありがとうございます」と空を仰いで。
プロの仕事として、人目にさらせる形に整える。
でも、根本的なところでは、「この前提」を覚えていたいです。
究極的には、相手と私の問題ではなく、私の中心と私の問題なのだと。
幸せであることは、全く難しいことじゃない
しみじみ思うことです。
周りとのつながりを断ち切るならば、
いくらだって「絶対的な幸せ」に抱かれていられます。
私は、壁の蠅を一日中眺めていたって、
幸せな気持ちでいられる自分を知っています。
チャレンジングなのは、
つながりの中で行動を起こしつつ、
幸せであること。
それでも、そのチャレンジこそが、
その人が、よりその人へとなる道なのでしょうね。
夜の闇と静けさに1人、思い溢れる贅沢な夜。
さて、これから緑茶を飲んで、原稿を仕上げます。
みなさん、良い日を!