「リーダーシップトレーニング」とは「当事者意識」を育むこと
昔、「アメリカ人ってリーダーシップトレーニングが好きよね」と、
人類学を学んでいた知り合いが言っていたことがあります。
確かに、こちらは「リーダーシップトレーニング」が盛んです。
中高生向けのプログラムも様々ありますし、
大学進学の審査でも、「リーダーシップ」体験が重視されます。
また社会へ出てからも、
雇用者へ「リーダーシップトレーニング」の機会を与える会社や公的機関も多くあります。
リーダーシップトレーニングというのは、
周りを率いるスキルや技術を身に着けるということもですが、
何よりも、「当事者意識」を身に着けることが大きいのだと感じています。
誰かがしてくれるだろう → 自分に何ができるだろう?
そう身の回りに起こるあらゆることに、
自分なりに「責任」をもつ姿勢や考え方を身に着けるということです。
すると、人生への向き合い方が、まったく違ってきます。
より多くの人々が、「リーダーとしての姿勢(当事者意識)」を持つならば、
確かに社会は変わってきますよね。
異なる性質なりに「当事者意識」を育める機会を
長男も12歳の時から、NPO団体で「リーダーシップトレーニング」を受けてきました。
とはいえ、長女は、同じ団体でのプログラムを受けることをかたくなに拒否。
また、少し似ていいる「ガールスカウト」的な団体も嫌。
(その地域の「隊」によって違いがあり、
日本でもどれほど充実しているかよく分らないのですが、
「ボーイスカウト」や「ガールスカウト」など、
体験を重ねてリーダーシップを育むような組織、私はおすすめします。)
そして年を重ねるごとに、その積み重ねの違いに、愕然とすることがあります。
身の回りの物事へ向き合う姿勢が、全くちがいます。
こつこつとトレーニングを積むことって、大きいなと思うと同時に、
長女もまだまだ15歳、これからも様々な機会があると思っています。
その子その子の、成長のスピードとタイミング、
そして向き不向きがありますからね。
ブルドーザーのようにハングリーに突き進む長男、
一方、
のんびりさんで、目の前のお花を眺めているだけで幸せ、
これ以上何が必要なの?
というような長女のような子の「良い面」を大切に、
誰かがしてくれる → 自分でしよう!
という気持ちを励ましていきたいです。
長女も15歳になり、
ボランティアやアルバイトという機会も少しずつ広がってきました。
図書館のボランティアは去年から続けているんですが、
先週末は、長女が前から「したい!」と言いながらも、
年齢的に不可能だった「病院でのボランティア」のオリエンテーションへ出かけてきました。
「ここは、社会へ出る前のトレーニングの場でもあります。
すべてのやり取りは、あなたと私たちの間で行われます。
もう親は、後ろで見ているだけですよ」
と担当者の方。
長女の「やる気」になってうなずく表情、そしてその後の姿勢の変化からも、
「ああこの子には、もっとこうして家から一人で飛び出していく機会が必要だな」
そうしみじみ思っています。
どんどん突き抜けて行く子と
少しずつ足を踏み出し、環境に感化され、
少しずつ「自分でしないとな」と動いていく子がいます。
その子なりに「自分でする!自分でしている!」感を育めるよう、
環境を整えてやりたいですね。
次女もどちらかというと長男に似て「ブルドーザータイプ」。
ですからこうした性質というのは、「性別」ともまた別なんですよね。
また、目の前の机上の課題も、はるか先の将来に繋がっていると日々気持ちを奮い立たせられる子もいるでしょうが、
我が家のように、コミュニティーの中で揉まれ社会という全体像を肌で感じながら、
机上の課題とのつながりを見出し「やる気燃え上がる!」となる子も多くいると思います。
「リーダーシップトレーニング」や、
「ボランティア」や「インターン」など、
青少年がコミュニティーに対し「当事者意識」を育めるような活動が、
中高校のカリキュラムとしてもっと組み込まれていくといいですよね。
ひとまずできる範囲で、機会を与えていきたいですね。
さて、
メールやスカイプを通して、
奈緒美さん、ワーキングママさん、たまきさんたちと
話を煮詰めていくことになりました!
踏み出していける喜びをかみしめつつ。
みなさん新しい週、良い日々を!