3月25日から公開の始まった『世界で一番美しい村』。
ドキュメンタリー映画が、松竹東劇という大劇場で公開されるのは非常に珍しいのだそうです。
ウェブサイトで予告が観られます:https://himalaya-laprak.com/
「ネパール大地震で壊滅した村が、悪戦苦闘しながら復興を果たそうとする姿を捉えた感動のドキュメンタリー。貧しくともいつも笑顔のアシュバドル一家、村を支える一人の看護婦、神秘的な風習、ヒマラヤの大自然を舞台に繰り広げられるさまざまな人間模様を捉える。」とのこと。
2015年のネパール地震では、300万人が被災し、9000人以上の人々が亡くなったとされています。
東北大震災についての著書も出されている監督の石川梵さんは、1年半かけて、この映画を撮られたそうです。
石川梵さんについて、私には特別な思い出があります
1979年に起きたソ連のアフガン侵攻。私の父は、いてもたってもいられなくなり、現地に向かう決意をします。
出発の前日、家族でレストランへ行き、「お父さんはもう帰ってこないかもしれない」という父の言葉を、兄とともに聞きました。
まだ5、6歳でしたから、母の姿がとても小さく見えたことや、ドキドキもやもやした気持ちを、断片的に覚えています。
母からは、父が「遺書を残していった」のだと、後になって聞きました。
結局、1か月ほどして父は無事戻りました。
空港で抱きついた時の、すっかり日焼けしたくしゃくしゃな笑顔を思い出します。
その時、父が現地アフガニスタンで出会ったのが、石川梵さんでした。
それ以来、父がスタッフとなったり参加する活動にも、たびたび石川梵さんの姿がありました。
「今日はイシカワボンも来るんだよ」「イシカワボンの写真はいいなあ」と、まだ当時20代だった石川梵さんについて嬉しそうに話す父。
父の隣でニコニコと穏やかに笑う梵さんを見上げながら、「優しそうな人だなあ」と思ったのを覚えています。
石川梵さんの活動
プロフィールに、
“1984年から伊勢神宮の神事を初めとして祈りをテーマに世界各地で撮影を行う。また、ヒマラヤ空撮など、世界各地で空撮を行う”
とあります。
〝世界の空撮を通して地球の歴史を撮り、祈りを通して人間の原存在に迫るという二つ“をライフワークとされているとのこと。
『ウキペディア』には、こんなことも書かれていました。
“代表作である写真集「海人」はインドネシアの生存捕鯨を撮影したものだが、取材を始めてから鯨漁に遭遇するまで4年の年月がかかった。撮影に成功したものの鯨の断末魔の声を聞いた石川は、「海の上の撮影だけでは人間の物語になってしまう。海の中にはもうひとつの物語がある」と考え、それからさらに3年かけて鯨の視点で鯨漁の水中撮影に成功した。その際、逃げる鯨の背中につかまり、鯨の目を撮影している。″
この記述と、思い出の中のあの物静かな石川梵さんとを重ねつつ、「内面の激しさ」を思いました。
既成の道など微塵もないところに、自らの直感や感性へと感覚を澄ませ、たくましく進み続ける姿。
「自身の真」に対して、妥協することのない姿勢に、背筋が伸びます。
これからも、石川梵さんが刻まれていく歩みを励みとしつつ、楽しみにしています。
こちらのウェブでは、石川梵さんの写真をみることができます。
http://bonlamafa.wixsite.com/bon-ishikawa-photog
「祈り」をテーマにした写真の数々が、息をのむほど迫ってきます。
『世界で一番美しい村』は、『ぴあ』の「全作品満足度で1位」になっているようです。
http://cinema.pia.co.jp/rave1/
公開スケジュールはこちらになっています
(ナレーターの倍賞千恵子さんや山田洋二監督とも対談されているんですね)。
https://himalaya-laprak.com/theater/
みなさん、是非、機会がありましたら鑑賞されてみてください!
私も、今年の夏は15年ぶり!に1か月ほど日本へ帰国する予定なのですが、
滞在中に観られたらなと思っています。
余談:
ネパールへは20代初めのころ、1人1か月ほど旅したことがあります。
その時の様子が、こちらにつづってあります:「聖地」への旅
7日間ヒマラヤを歩き続け、最後は足の裏のマメがいくつもつぶれ、血だらけになっていました。
現地で出会った人々の笑顔が頭に焼き付いています。
地震からの復興がすすみますよう、祈っています。
さて、明日から春休みです。
原稿の締め切りが重なり身体的には少しきついのですが、
心は、リサーチと書くことの喜びに溢れています。
10日間の春休みは、遠出ドライブやキャンプに出掛けたりとする予定です。
またいろいろあるでしょうから(ないわけない)、どうぞ報告させてください。
それではみなさん、楽しい春の週末を!