黒ラブ ロックが行く

生まれつき肝臓が普通の犬の4分の1しかない、小さい黒ラブと、家族のお話です。

最後の夜は仙台で、牛タン!!

2019年12月13日 | 東北エリア
10月19日旅行最終日。本当は10月22日に帰ろうと思っていたのだけれど、大嘗祭があって、首都高も車制限されると言うし、少々お疲れもあったので、20日に帰ることにした。

仙台は3回目。

ホテルを取って、牛タンの美味しいお店を聞いたら、牛タン店のマップをくれた。

マップに載っていない美味しいお店近くにありませんか?と聞いたら、善次郎さんならマップに載っていないけれど美味しいですよ。と、教えてくれた。行かないと言う選択肢はない。

なんと並んでいる。地元の人が多かったような気が。

何はなくとも牛タン焼き!


次は牛タンのつくね!


そして生かまぼこ自分焼き!


ビールの後は日本酒3種飲み比べ!

食べたいと思ったものを自在に頼んだら、あら食べきれるのかしらん。
隣に座っていたお兄さんに、よかったらつくねとかまぼこ食べてもらえません?と聞いたら、良いんですか?良いんですよ!

年恰好も長男と似ているし、地元の方?と聞くと、秋田から仕事で来ていて、今日帰るので牛タンを食べにに来たとのことでした。
しばし、袖振り合うも他生の縁の境地でお兄さんは帰っていきました。

お次はお土産自分と家族の為に!

仙台駅で買いましたよ。遠くへ行くのもめんどくさかったし、駅なら何でもあると思ったので。

牛タン!牛タン!牛タン!


北海道の土産!!


兎に角酒!!
留萌の国稀、仙台の浦霞、萩の鶴、ひやおろし、そして、従妹の麗ちゃんがくれた美苫
お酒の好きな私の為に買っておいてくれたんです。

美味しかったよー!! ありがとうねー!  また会おうねー!


10日間の新潟、ほか移動東北の旅も20日昼過ぎに無事帰宅、総走行距離2000km大したことなかったね。

いつもだと3000km以上は走るのにと、思いつつ旅は終了。

今回も事故、事件一切なく帰宅でき、めでたし、めでたし。








35年間思い続けてきたこと。

2019年12月12日 | 東北エリア
師走もすでに3分の一を経過。例年なら大掃除に燃え上がるのだが、今年はさっぱりです。


さて、10月19日、35年間思い続けてきた友人のお墓参りをなんとしてでもしなければならない。

35年前、不幸にして子供3人と亡くなった友人のことがずーっと心に引っかかっていたので、今回はなんとしてでも実行したいとの強い思いがあった。

前回2回来たときはロックと一緒で、宿もなかなか取れず、震災のすぐ後だったので、尋ね歩くのもはばかれたので。

おりしもバケツをひっくり返したような大雨の中、昨日の夕方住所を頼りにたどり着いた街に。


前日は、台風19号で道路が崩れたり、土砂崩れで半分道路が埋まっている道を、夕方の薄暗の中を探していった。暗くなったので捜索は無理と思われ、そこにいた人に宿はないか聞いてみると、15分くらい行ったところにホテルがあると教えてもらった。

で、ホテルに行くと予約オンリーなので、泊められないと。向かいの民宿は?と、聞くとあちらも予約だけですので無理だと思います。宿は大船渡市内に行言われ、大船渡まで40分くらいかけて戻ったのでした。


ホテルを8時に出発し、9時前に到着、無くなった方のことを聞くのはお寺が一番と思い、お寺を発見。

土砂降りの中、お墓を見てみるがわからず、思いきってお寺に尋ねてみた。

35年くらい前にお子さんと一緒に亡くなった方のことを探しているのですが、と、するとどういうご関係ですか?と、聞かれた。中学校2年の時に北海道に引っ越してきて、それから高校と同じ学校でとお話をしたら、自分はよく覚えていないので、知っている人に連絡してみますので待ってくださいと。

結構昔のことではあるのに知っている人がいて、住んでいたのはここでしたが、葬儀告別式はここから40分くらいのところでした。と、住所、電話番号、お寺の名前を教えていただいた。

そこから40分位雨は止むことを忘れたかのような土砂降り。あちらこちら赤いコーンで
土砂崩れの場所や、道路陥没の場所を印してあった。

やっとのことで着いたお寺は急な斜面の途中にあり、道路はまるで滝のようになっていて、一度は車で登ったのだけれど、止めるのも恐ろしいくらいの場所だったので、何とか下りてコンビニの駐車場にお願いして止めさせていただいた。

震災の時はどうでしたか?と聞くと、この店まで海が来て流されました。でも、お隣は大丈夫だったのですよ。と、話してくれた。

大雨で傘も今にも折れそうなくらいのヘビーレイン。

何とかしてお寺までたどり着き、距離にして10m位なのだけれど雨がすごくて。

御寺の住職にお話をすると、どんな関係ですか?と、聞かれたので友人でしたとお話しし、突然ですが彼女の為にお経をあげていただきたいのですが?と言うと、突然ですねえ、いいですよ、と、言っていただいた。

本堂でお待ちくださいと言って、暖房点けてくれたり、ご自分の支度をしている間にお墓の場所まで探してくれました。

お経を頂く間彼女とのことを思い出していました。

当時、僕は学生で高野山に行っていたので葬儀の取り扱いはしませんでしたが、聞いたことはありました。と。

当時のご主人は、宗教替えしたので、こちらのお寺にも来ることはないですね。と言ってました。

彼女のお墓参りをしたいと思ったのは、本当に個人的に深い思いが彼女にあったのでいつかは、と思いつつ、やっと35年ぶりにでも実現できて、胸のつかえが下りるました。

中学3年の時、アポイ登山、5合目にて。


やまない土砂降りの中、教えていただいたお墓に行き、お参りをしました。

お寺のお墓も、19号の影響で物置が倒れ、たくさんのお墓が下敷きになっていた。

土砂降りの中、仙台へ向けて出発。

早くも師走3日目。することしなければ!

2019年12月03日 | 東北エリア
何なんだか、忙しくもないのにぼんやり過ごしていたら、もうあと28日しかない!!
今年!!
10月17日は何十年も会っていなかった幼馴染と再会。その後苫小牧の従妹の家でフェリーの時間まで過ごし11時58分の八戸行に乗船。
翌朝7時無事八戸へ到着。

10月18日。晴天。
三陸リアス式海岸を走って大船渡へ。

ところが宮古市へ入ったら道路わきに災害ゴミと思しき家財道具がいっぱい出されていた。
どうやら台風19号とその後の大雨で浸水に見舞われたみたいで。

その後三陸自動車道に入るとあちこちが通行止め、中にはトンネル崩壊とかもあって、迂回、迂回ばかり。完全開通していないので、料金はタダだったけれど。

道の駅たろう。台風の大雨で川が流木でせき止められ道の駅冠水。従業員総出で椅子を洗ったり、掃除をしていた。それでも来る人の為に、仮設のトイレを用意していてくれた。
営業再開まで2週間くらい掛かりそうだと。
又せっかく開通した三陸鉄道も、至る所で寸断されてしまったとのこと。


途中、父の従妹の家に軽く挨拶をし、地震の後にはこんな巨大な堤防が築かれていて、もう海が見えませんとおばあさんが言っていた。


あまちゃんで有名だった此処も、”じぇじぇじぇ”が流行語大賞になりましたとの石碑が建っていたけれど、季節外れもあるのでしょうが、漁師さんだけでした。
此処もジオパークです。



陸前高田の道の駅、そのままの状態であった。メモリアルとして保存してあった。

隣には立派な道の駅が

そして、今回どうしても行かなければならないと思ったところへ、そこは大船渡。

住所録を頼りに大船渡市内をウロウロ、やっと見つけたときにはすでに薄暗くなっており、その日は大船渡市内に宿泊しました。

ホテルの近くの陸前高田で8年前に被災したと言うお店で夕食頂きました。


10月19日、外は土砂降りの雨。又あの道を通っていかなければならない。


大船渡駅前はは、地震の時壊滅してしまったので、今はきれいに地盤整理がされていて、なんだか違和感さえ覚えてしまいました。

8年前にも来ていたので、よくわかる。