昨日、街かど古典カフェ夏季講座の第2回目へ行ってきました。街かど古典カフェは、講師の方を囲み、京町家やカフェなどくつろいだ雰囲気の中で、古典に親しみ、学び、こころ豊かな時間を過ごすというものです。
京まちや平安宮で行われる、同志社女子大学名誉教授の朧谷壽(おぼろや ひさし)先生の講座に参加させていただいております。テーマは「平安京と祭礼」祇園祭にスポットを当て、京の祭礼を紐解くというものです。
会場の京まちや平安宮は七夕のしつらえがされていました。織姫にちなんだ生糸がつやつやとして美しかったです。
2回目の講座は「祇園祭」についてです。祇園祭は、古くは、祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)と呼ばれ、清和天皇の代、貞観11年(869)、日本全国に疫病が流行した際に、その退散を祈願して行われました。鉾を当時の国数にちなんで66本を作り、疫病神の牛頭天王(ごずてんのう:スサノオノミコトの事)を祀って、神泉苑に送ったことに始まります。66本の鉾は長さ2丈(6m)と記されていますが、鉾とは、現在の祇園祭の鉾ではなく、槍のような形・・・以前、京都御所の一般公開の際に、即位式の威儀物として展示されていたような形です。写真を撮っています。【前ぶろぐ】
過去の祇園祭の様子は、いくつかの絵巻物や記録にでてきますが、鉾が現在の形になったのがいつ頃のことか?はっきりわからないそうです。三条公忠の書いた「後愚昧記」の永和2年(1376)の日記には、祇園祭で大きな鉾が倒れて、老尼が下敷きになって亡くなったと記されていますから、その頃にはすでになんらかの変化があったのでしょうね。また、1550年代に、信長が上杉謙信に贈ったとされる狩野永徳筆の洛中洛外図には現在と同じような鉾の形が描かれています。それより古い時代に描かれたとされる町田家本(歴博甲本)にも、現在の山鉾と同じような形が描かれます。国立歴史民俗博物館のサイトの館蔵資料の紹介(webギャラリー)、洛中洛外図屏風(歴博甲本)右隻で、詳細な絵を見ることができます。現在の長刀鉾の様な鉾も描かれていますが、曳いているのは5人ほど・・・現在より小さなサイズのようですが、人物は省略して描かれているのか?昔の人は力持ちだったのか?あれこれ考えてると面白いです。(^^)ぜひ、サイトを覗いてくださいね。↓
国立歴史民俗博物館 http://www.rekihaku.ac.jp/index.html
さて、朧谷先生の講義とともに楽しみにしているお菓子、今回は祇園祭に因んだものです。菊水鉾の茶席のお菓子として知られる「したたり」、八坂神社の紋が入ったうちわと鮎の形の琥珀です。「したたり」は、亀廣永さんのお菓子で、寒天にざらめ、水飴、黒砂糖を加えて煮詰め、棹に流して固めたお菓子です。したたりという名前は、鉾の伝説で、菊からしたたるつゆを飲み長寿を保ったといわれる菊慈童にちなんでいるそうです。
昨日の気温は、約34℃!今回もがんばって着物で参加しました。前回、正座で足袋の履口が痛かった(足首が太いから?)ので、今回はコハゼ(留め具)のない伸びる足袋にしました。お蔭さまで痺れはしなかったですが、やっぱり、がんばって、コハゼのついた木綿の足袋を履かなくちゃ。粋=やせ我慢と、誰かか言ってたなぁ・・・。(^^;)
ところで、私が、初めて祇園祭に行ったのは京都へ嫁いでからです。宵山へ行った時は、なんの知識もなかったので、単なる大規模な夜店?ちょうちん山?すごい人!みたいな感想でしたが・・・その後、山鉾巡行を見てからは見方が変わりました。絢爛豪華な造り、不思議な衣装、長い歴史・・・京都に嫁いで10年、ようやく祇園囃子を聞くとワクワクするようになりました。来週末は、いよいよ山鉾巡行!ぜーんぶ見たいけど、土曜日なんですよね。すごい人でしょうね。恐ろしや。(><)
古典の日 http://www.kotennohi.jp/index.html
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