ビールを飲みながら考えてみた…

日常の中でふっと感じたことを、テーマもなく、つれづれなるままに断片を切り取っていく作業です。

Web2.0時代にJASRACは必要か

2006年10月23日 | 映画♪
ひろゆき失踪説が流れていながらも止める止められない「2ちゃんねる」同様、これだけ大きくなりすぎた「YouTube」に対して、海外では「違反だからNG」という対応から「どう活用するか」に力点を置き始めているのだけれど、どうやら日本では相変わらず既得権益をどう維持するかしか頭にはないようだ。

日本の著作権関係23団体・事業者の要請で、YouTubeが約3万の著作権侵害ファイルを削除 - CNET Japan

個人的にはYouTubeのようなサイトが正しいとは思わないものの、既成事実として、ある種のインフラかプラットフォームのようになりつつあるのだから、その状況に基づいた対応が必要な気も。しかも3万件削除したとは言っても「倖田來未」も「赤西仁」も既に載っているし、実際の効果を期待したというよりも、YouTube側に対するプレッシャーというのが本当の狙いだろう。

日本音楽著作権協会(JASRAC)や社団法人日本映像ソフト協会(JVA)らが今回の対応を仕切ったようだけれど、ネットの世界での利用に対し、いまだに流通しやすいルール化や著作権使用料を決めていないのも事実。まぁ、どれだけの収益が生み出されるか分からないから適切な利用料あるいは、「たかり」代が決められないというところなのだろう。

また特に今後「CGM」のような消費者参加型メディアの登場は、これまでのように「コンテンツ」の流通を制御できるもの、「メディア」をコントロールできるもの、といった意識でしかいない旧態依然としたコンテンツサイドの人達からすると、どう対応すればいいのか、皆目検討がつかないのではないか。

問題点は大きく三つ。

1つ目は、包括的な著作権処理がネットの世界にないこと。放送と異なり、通信の世界は1件1件(1曲1曲)ネットでの配信の可否を確認する必要がある。現状では、GyaOのように配信側が編成している場合でも楽曲の配信の可否について、1曲1曲許諾の確認が必要になっている。だからこそレコード会社にしろTV局にしろ1件1件「目視」で違法コンテンツがないか確認し、YouTube側でも1件1件削除するという「無駄な」コストが発生しているのだ。

この状況で1件1件の許諾というものは現実的ではない。ましてCGMではコンテンツホルダーやレコード会社のコントロール外でコンテンツは流通してしまうのだ。「包括して」利用できるための仕組みを作る以外、対処法はない。

2つ目は、あくまでデータ通信の世界では「国別」の配信制限というのが無理なのだという認識が必要だということ。DVDなどのように「物」を通じた流通や「放送」のようにある程度、エリアのコントロールが可能なものはともかく、インターネットを利用する限りそうした制約はそもそも無理なのだ。

一歩譲って、有料販売のようなモデルであれば、IDとの紐付けである程度、利用者のドメインをコントロールできるかもしれない。しかし6人の知り合いを介せば世界中の誰とでもつながることができるといわれているこの世界、世界中がつながったインターネットの世界において、利権を国別に分けようという行為そのものに限界があるのだ。

そして最後がまさに消費者不在の権利団体の意識。

著作権者に対して、その適切な利用料を支払うことはそのとおりなのだけれど、「出版社」を通じたレコード会社の二重取り構造やレコード会社サイドの既得権益保護ばかりで、配信サイドにビジネスの成立しないMGや料金規定を設定したり、ネットにコンテンツが出にくい状況を作り出し消費者サイドをおざなりにしているこの状況は、早く改善してもらいたいと思う。

YouTubeにしても、ただ垂れ流しにしているだけでなく、何らかのビジネスモデルを講じていくわけだし、早くその収入をどう分配するのかを「包括的に」ルール化するだけのことなのだから。






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