ビールを飲みながら考えてみた…

日常の中でふっと感じたことを、テーマもなく、つれづれなるままに断片を切り取っていく作業です。

組織再編・組織デザインは何のために行われるのか

2009年06月04日 | ビジネス
会社という組織、会社の中の部署という組織は何のためにあるのだろうか。教科書的にこたえるならば、私的利潤なり、社会的役割なりといった「ミッション」を効率的に実現するために存在すると言っていいだろう。しかし現実にそうした組織体制を創るというのは必ずしもこうした原則論が通るわけではない。

それでもそもそもの原則論に立ち返り、あくまでもミッションを達成するために組織体制というものが存在するとするならば、こうした「組織」のデザインはどのように行うべきなのだろうか。

これは難しい話ではない。例えそれが「財務的目標」であろうが「理念」であろうが、達成すべき目標やミッションが具体的に想像しえるのであるなら、その「ミッション」の達成をもとに、どのような役割や機能が必要かを洗い出し、それを効率的につなげるための機能ブロックを1つ1つの組織体(部や課、チーム)と考えればいい。そうすることで「全体」としてのミッションや目標を明確にしつつ、それぞれの機能ブロックごとの役割やミッションも明確になる。それだけではない。そうした個々の機能ブロックがそれぞれに与えられたミッションを追求することが、結果として、全体の目標やミッションの達成に貢献するのだ。

そこには「人」は存在しない。それはあくまで「機能」の集合体に過ぎない。

もちろん企業によっては、もっと「人」に着目するところもあるかもしれない。この「人」はここにパイプがあるからこの担当から外せない。この人にはこの分野をずっとやってきているから、このまま任せたほうがいい、といった具合に。

あるいは部長級が○人いるから部門を○個に分けよう、課長が□人いるから担当を□個に分けようと考える場合もあるかもしれない。

しかしこういった考え方は一時的な社内秩序を維持するためにはいいかもしれないが、必ずしも目的達成のために効率的な組織体制とはいえない。そう考えると、本来、組織体制のデザインとはシステム設計やSIerの方が適切なのかもしれない。

彼らのシステム設計的な発想法からすれば、目的達成のための役割分担や機能ブロックの整理などはできるだろうし、何よりも情実的な判断が含まれにくいからだ。無機的に機能ブロックと必要人員を設計した上で、じゃぁ、そこに適切な人材は誰かという判断が可能となる。

これが文系的な発想だと(あるいは「和」を尊ぶ発想だと)情実的な判断が含まれ、個々の機能ブロック/チームや課、部のもつミッションが不明確になってしまう。当然、ミッションが不明確な部署なんて、担当者自身の意識もバラバラだ。組織デザイン自体が社内/社外に対しての1つのメッセージなのだ。

こうしたことは果たして意識されているのだろうか?

うちの部門では、昨年の12月まで(メンバーの入れ替えはあったものの)「調達」と複数の「売り場」という機能ブロックに分けられた組織体だった。これは3年ほど前に僕がベースを作ったものだったのだけれど、まぁ、ある意味、ミッションが分かりやすい反面、3年も続いていると縦割り気味になるなど弊害も出てきていたものだった。その意味で組織体を見直すこと自体はタイミング的にも適切だったのだと思う。

ただひどいのはその後だ。12月に組み替えられた組織体はまだしも(この時、僕は長年携わったPJを外されたわけだけれど、詳細はこちらで)、4月中旬に部内でチームを再編したものの組織デザインの持つ意味が部課長でも共有されず、更にこの6月に微妙に再編をする始末。

しかもこの再編が、僕が以前立ち上げ追い出されたPJが結局失敗してしまったために、(僕を追い出した)課長がすることがなくなったために、新たに仕事を割り振ったというもの。

こういうものが部内のみんなに見えてしまっていることもあって、今回の組織変更では皆のモチベーションやテンションが下がっている。途中で担務を外されたもの、急に上司が変更になったもの、あるいは周囲の冷ややかな目…当の本人や部課長はどう思っているのか知らないが、意味のない組織変更や組織デザインは結局、社内のエネルギーをそぐことにしかならないのだろう。


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