ビールを飲みながら考えてみた…

日常の中でふっと感じたことを、テーマもなく、つれづれなるままに断片を切り取っていく作業です。

松本大が語る「踊る阿呆と見る阿呆」。でもやっぱりそれは阿呆

2013年04月14日 | ビジネス
アベノミクス効果か円安、株高(さらには給与増?!)と続き、景気がよくなったような話題が続いているのだけれど、一次的な効果はともかくこれが継続するのかと言われると、もう1つピンとこない。

そんな時、マネックス証券の松本大CEOの記事を読んだ。松本さんの意見は勉強になることも多いし、個人的には非常に好きなんだけど、今回のこの「「踊る阿呆に見る阿呆」で言えば、今はアベノミクスに「踊る」ときである」という記事はどうなんだろう。ただの詭弁、あるいは証券マンとしての営業トークとしてしか思えない。

 「踊る阿呆に見る阿呆」で言えば、 今はアベノミクスに「踊る」ときである ゲスト:松本大・マネックス証券代表取締役社長CEO後編]|ピカソの秘密|ダイヤモンド・オンライン


この記事の中で、国の借金を減らすためにインフレにすればいいという議論がある。以前から日本の債務状況を考えると「ハイパーインフレ」が必要という意見はあったし、確かに高齢者の資産を目減りさせ、流動化を促進し、結果的に若い世代への富の移転に繋がる可能性はあるとしても、あまりにも乱暴な議論のように思える。それは財務諸表上の話であり、日本の実体経済の強化に繋がるのだろうか。

また、アベノミクスはバブルを生み弾けるだろう。でも人間は経験知が高まっているから、弾けた時も以前よりは賢く対処できるはずだというのは、要は資産運用について賢くなればいいんだよと言っているだけで、不必要に起こされたバブルの後処理に実体経済に携わっている人々がどう振り回されるのかを考慮したものとはいえない。

経済に波があるのは仕方がない。しかし「マネーゲーム」は実体経済に存在する「生産調整」的意味合いの「波」とは違う。

そもそもこの手のインフレターゲット論やアベノミクスの議論を聞いているときにいつも疑問なのは、それによって日本の経済が強くなっていくことと結びつかないことだ。財政政策だったり、円安誘導だったり、インフレターゲットだったりの直接的な効果や懸念点についてはニュースなどでも聞こえてくるのだけれど、そもそも今の日本の状況を考えたときに、アベノミクスを契機に「継続的に」経済が成長/インフレ化していくのだろうか。

これらかの日本の状況を考えてみると、以下のような課題がある。

1)国内市場の縮小(人口の減少/超高齢化社会)
2)グローバルなコスト競争を前提とした場合に、国内に生産基盤を持つメリットが少ない
3)公共投資における経済波及効果が小さい
4)エネルギーコストの上昇

1)は当然、人口の減少や超高齢化社会とに絡む問題。2050年には1億人を下回るといわれている日本の人口、しかも世界で経験のないような超高齢化社会が訪れることになる。人口が減れば国内市場は縮小する。高齢化社会とはつまり国内の生産人口が減るということ。年金などを別にすると、そもそも収入を得て消費を牽引する人々が減るということだ。こんな状況では国内市場は拡大するとは思えない。

そんな中で成長を遂げていくとしたら海外市場に目を向けるしかない。

しかしその海外市場で競争をしようということは、2)のように、グローバルなコスト競争をしなければならない。グローバルなレベルで勝ち組企業と負け組企業も分かれるだろう。

もちろん世界的に見れば市場は拡大している。しかしそれは先進国ではなく、中国やインド、ブラジルあるいはアフリカといった大量の人口を抱えている国家が経済成長をとげ、これまで低所得者層にいた人々が「消費」に目覚めだしたからだ。そうした地域では「高品質高価格」ではなく「ある程度の品質のものを低価格で」用意することが求められる。

日本国内をみればiPhoneが圧勝しているけれど、世界的に見ればAndroidが占めているというのは、まさに日本の裕福さを示す事例だろう。iPhoneは金持ちしか買わないのだ。

グローバルなコスト競争を実現しようとした場合、果たして日本に生産基盤を置くことになるだろうか。もちろんハイテク素材を使ったものや、高い加工技術を要するようなもののように「日本品質」が求められるものはそうかもしれない。しかし多くのマス向け商品はそうではないだろう。労働力が安いに越したことはないのだ。

日本企業の売上は上がる、しかし雇用はそれほど伸びない――。以前のユニクロがそうだったように、そうした状況では決して、日本全体の経済が活性化するというわけにはいかない。

3)インフレを実現するために「公共投資」の話も出てくるわけだけど、これこそ全く意味が分からない。財政政策を行うことそのものは否定する気はないのだけれど、それなりに経済波及効果が期待できることが前提となる(じゃなきゃ、直接、国民に金を渡せばいい)。しかし既にそれが期待できそうな道路も工業団地の整備も、空港も港湾も作り終わっている。

利用者が限定的な農道を整備することにどれくらいの意味があるだろう。

しかも高度経済成長期に整備された高速道路や首都高、橋梁、トンネルなどの補修の必要が叫ばれている。これらは必要な処置だけれど、これを実施したからといって、新しい経済波及効果が期待できるものではない。そしてこれらへの多額の投資も避けられないのだ。

そして最後がエネルギーコストの上昇の問題。否、言い換えよう、本来必要であったコストを反映させたエネルギーコストの適切化の問題だ。

もちろん自民党は原発の再稼動を進めたいのだろうが、現実にはそれに同意する地元住民がどれだけいるか。

原発を再開できなければ、当然、石油か天然ガスといった燃料を輸入しなければならない。コストは上がる。しかし原発を再開できたとしても、これまでのような価格で提供できることはない。設備維持に対する負担も増えるし、有事の際の積立も必要になるだろう。結局、どこまでの「リスク」を想定し、その費用を「原価」として計上するかによって原子力エネルギーのコストは変わる。

フクシマで今もって発生している事態に対処するコストや、廃炉に必要なコスト(30年、8,000億円)、放射性廃棄物の処理コストを40年間という運転期間に回収することを前提に立つとどうなのか。今までと同じコストでエネルギーを提供できることはない。

そしてこうした前提は2)の状況へと繋がることになる。

これらを考えたとき、一時的な円安誘導や実体と繋がらない信用創造/バブルは、現実からの「一次的な」逃避以外に思えないのだが…。踊る阿呆も見る阿呆も、結局は「阿呆」でしかないのだとしたら、そもそもそれ以外の選択肢を探さなければならないと思うのだが…

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